森の中を、ひたすら北に。
霊体での飛行移動には慣れつつあるものの、半端な高さで飛ぶものだから木々の枝葉、茂み、時には小動物なんかとぶつかりながら――正確にはすり抜けてはいるが――不快感が強い。
しかしそれでも、風の如く駆け抜けている。
だからこそ……視界には常に、何かが迫りくる状態がずっと続いてやがる。
「おい! いい加減空を飛ばないか? すり抜けるのが気持ち悪くてかなわねぇよ!」
銀タマゴ……もとい、リグレザは小さいし、慣れているのか障害物はほとんど避けて飛んでいる。
だから俺の感じる気色悪さは、分からないんだろう。
「その体で動き慣れるための練習ですよ。避けたければ避ければいいじゃないですか」
「てめぇ、一番障害物の多い高さを飛ばせているくせに!」
「ダラダラと飛んで、何の意味があるんです?」
くそっ。
だが、リグレザの言う通りだとも思う。
「わーったよ! 機敏に動けばいいんだろう機敏に!」
「じゃあ最初から文句言わないでください」
冷てぇ。
しっかし、あいつはなんであんなに器用に飛べるんだ。
左右、上下への動きが特に、半端なく早い。
「あれだ……羽虫を仕留めようとした時に、一瞬で視界から消える動きに似てんだ」
「だれが羽虫ですか!」
その言葉と同時に、俺の頬には、針で貫かれたような痛みが走った。
「痛っっっ!」
「ホーリーヒールで治癒しないと、その頬から霊体が崩壊していきますよ~」
「はぁぁぁ? ほ、ホーリーヒール!」
銀タマゴに対する文句が一瞬で頭を埋めたが、身の危険が本物だと直感した俺は素直に即座に、治癒魔法を唱えた。
「戦闘訓練がてら、私に酷いことを言ったら攻撃しますね~」
「鬼教官かよ!」
しかし分が悪い。
あいつ、俺を手懐けるために上下関係を示すつもりか。
冗談の通じない女め……明らかな無礼は詫びるが、俺は媚びたりしないからな!
「夜通し飛びますけど、バテないでくださいね。それと、夜はやっぱり、邪霊とか出やすいので気を付けてください」
もうすぐ日が沈む……か。
森は特に、暗くなるのが早いらしい。
さっきからすでに、障害物を避けるのを半分諦めている。
ただ、先導するリグレザの動きを何とかトレースして、物をすり抜ける率は半減しているが。
あいつの動きも、暗さのせいで追いきれなくなってきている。
「邪霊ってのは、出たらどうするんだ?」
ペインだとかドレインだとかの魔法で、じわじわ倒すんだろうか。
「ホーリーサークルで、サクっと」
「あぁ……そういや浄化するんだったか」
あれの効果がいまいち分からないのは、使っても何の実感もなかったせいだ。
「あ、言ったそばから出てきましたよ。あれなんか大きくていいんじゃないです?」
言われて、なんとなく『あれ』と差しただろう方向に目をやると――。
「でかすぎだろうがよ」
唐突に姿を現した割に、小山ほどもある黒い塊。
今の今まで、視界に入らなかったのが不思議なほどの大きさと、目にした瞬間に背筋がぞっとする存在感。
暗がりの中でなお暗く、黒で染めたような一帯それ全てが、邪霊の体だそうだ。
「さ、やっちゃってください」
「あんなクソでかいやつに、効くのか?」
半信半疑ながら、「ホーリーサークル」と唱える。
が、何も起こらないし、『あれ』に効いたそぶりもない。
むしろ、今のでこちらに気付かれた感があるし、その視線感は間違いではなかった。
無数に伸びる手のような、触手のようなものが俺目掛けて集中砲火された――。
「おいいいいいい! どうすんだよ!」
「ヒント! 盾ですよ盾。お試しあれ?」
「何がヒント! だよ! やられたらどうすんだ!」
咄嗟に上空に飛び上がったものの――。
今度は下からイソギンチャクのように、無数の触手がブワっと広がりながら襲い掛かってくる始末!
「きっっしょ! ぐあああぁぁホーリーシールド!」
触手どもが体に触れるか否か、というところで、銀タマゴのヒントに助けられた。
頭をフル回転させてようやく思い出した魔法は、俺の身をすっかり包んで完全な球体の盾となり、触手を弾いてくれている。
そればかりか、触れた部分は全て蒸発するように消し飛んでいっている。
「つ、つぇぇなホーリーシールド」
「さぁ、安心してないで倒してくださいよ」
「あれさ、触手に捕まったらどうなってたんだ?」
「聞くと後悔しますよ?」
「……やめとく」
そして唱えたホーリーサークルは、やっぱり効いていない。
「ちっ、全然きかねぇ」
ペインとかの方が良かったのでは。
そう思った時に、リグレザは得意気にそのタマゴ姿をツヤリと光らせた。
「ああいう手合いは、地に根を張ってることが多いんです。だから、サークルを撃つ場所を地中深くからにするんです。地表部分は、もし倒せてもまた生えてきますよ。それに根を広く張ってるやつもいて……場所も変えて出てきて厄介なんですよ」
「世間話みたいに大事な話すんじゃねぇよ。てか、最初に教えててくれよ!」
てことは、だ。
かなりの広範囲に、しかも地中深くに使うイメージしないとじゃねーか。
「あ、シールドが物量に負けて、割られそうですよ?」
「うっせぇ。ホーリーサークル!」
仕留め方さえ分かれば、なんてことはなかったのによぉ。
小山程もあった黒い『あれ』は、苦しむそぶりを見せる間もなく消えていった。
魔法の効果なのか、光の粒子が明滅しては、消えていく。
「おー。ちゃんと根っこから退治できましたねぇ。エライエライ」
「危うく気持ち悪い目に遭いそうだったがな」
「あら、その程度で済まなかったですよ? やっぱりお聞きになります?」
「いらん!」
こいつ、なんでこういう時は上機嫌なんだよ。
顔が無くても、声だけで全ての感情が分かる気がするぜ……。
「そんなことよりも、ここまで酷い邪霊が居るということはですよ。ラースウェイトを殺した悪人は、よっぽど残忍なようですね」
「それって、攫われた人なんかが他にも居て、かなり残虐なことをされてきたとか……そういうことか?」
「ですね。人や動物の怨念が、積もり積もって『あれ』になったのでしょう」
「……早く討伐しねぇと」
「じゃ、飛ばしましょう」
「あ、ちょっと待て! 暗くてお前を追いきれねぇ。何か目印に光るとかしてくれよ」
「人をなんだと思ってるんですか。そもそも、モノではなくて霊体を見てください。『あれ』や私が見えているのだから普通に見ているはずです。暗いから私が見えないなんて、集中すべき意識が少しずれているんですよ」
「なんだよ、最初から言ってくれよ」
「ラースウェイト様のことですから、出来て当然と思ってしまったのでございます」
こいつ……慇懃無礼に。
いろんな角度から俺をおちょくってきやがる。
「慣れてねぇんだ。懇切丁寧《こんせつていねい》に教えやがれ」
「プッ。まぁ! なんて偉そうなんでしょ!」
「笑ってんじゃねーか。つか、もういい。とにかく急ごうぜ。酷い目に遭ってる子が他にも居るかもしれねぇ」
「……ふふ。ええ、そうですね。今度こそ飛ばしますよ」
「望む所だ」
数時間は、特急に飛ばした。
あの邪霊が居た所から、そう遠くないだろうとふんでいたにも関わらず、まだ目的の場所に着かない。
リグレザが言うには、『あれ』は徐々に根を広げて移動してきたのだろうと。
邪霊が直接敵討ちをしないのかという俺の問いに、「ああいう大きいだけの子は、怖くて逃げているだけなんです」と答えた。
あの無数の手や触手も、助けてほしくて伸ばしただけのものだと。
だから本当は、あれに人が捕まっても、ひどく悲しい気持ちや苦痛の記憶が流れ込んでくるだけなのだと。
霊体の俺は、取り込まれてしまう危険があったらしいが。
……それを先に聞いていたら、俺は攻撃できなかったかもしれない。
でもそれじゃあ、あれを救ってやるにはどうすればいいんだ。
そう尋ねると、「だから浄化してあげるんです」と。どこか感情を切り離したような抑揚で告げる。
それしか、方法が残されていないのだと。
「――やるせねぇ」
そうつぶやいた俺に、リグレザは気遣うように言った。
「あなたには、辛い仕事になるかもしれませんね」
……それでも、それが最後の慰めになるのなら。
なにより、辛かったのは苦しい思いをした子たちなんだ。
「せめて、祈りを込めて浄化するまでだ」
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