テラーノベル
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「…おはよう。」
「おはよぉ。」
「…おはよ。」
次の日の朝。
目を覚ますと、視界が半分奪われていて、何事かと思い、目を擦った。
開けにくい瞼に違和感を感じながら隣を向くと、同じタイミングで目を覚ました二人の顔を見て、ぼくは思わず吹き出した。
「え、なに〜?」
「朝からうるさいって。」
「いや、二人とも顔ヤバいよ!涼ちゃん、それ、目開いてる?!」
「…うん、ギリギリ?」
「言っとくけど、元貴だってヤバいからね。」
そんな会話をしながら、ぼく達はぐだぐたと布団から起き上がると、連れ立ってに脱衣場に向かった。
そして、洗面台の前に三人並んで立ち、鏡を覗き込む。
「やばぁ。」
「パンッパンだねぇ。」
「涼ちゃん、それ本当に見えてる?」
「うるさいよっ。若井も中々だよ?」
三人の顔には、泣きはらした名残のむくみと寝癖が盛大に残っていて、鏡に映った自分たちの姿に、今度は声を上げて笑った。
何かがやっと、ほどけた気がした。
そしてぼく達は、鏡の前でひとしきり笑ったあと、それぞれの歯ブラシを手に取った。
「「「いただきまーす!!!」」」
朝のダイニングルームに、元気な声が響く。
今日もいつも通り。涼ちゃんが作ってくれた朝ご飯を三人揃って食べていく。
でも今日のはちょっと焦げてて、少ししょっぱかった。
『目開かないから仕方なかったんだよ〜。』
涼ちゃんが照れたように笑ってそう言ったから、今日だけは特別に何も言わずにおいてあげることにした。
……なんて、思ってたら。
「でもさ、これは焦げすぎじゃない?」
「うわ〜!もうっ、言わないでよ〜!」
結局、誰かが突っ込んでしまうのが、ぼくらの日常だ。
・・・
「今日、何するー?」
「レポートやる?今日図書館もやってるし。」
「えぇー、この顔で外歩くの?」
「元貴、そんな事言って、やりたくないだけでしょ〜?」
「うっ…バレたか。」
「じゃあ決まり!今日は涼ちゃん居るし、手伝って貰えるかもよ?」
「そうだ!英語のレポートがあってさー。お願い!涼ちゃん助けてっ。」
「もぉ〜、仕方ないなぁ。」
「やったーー!」
「ほんっと、元貴って末っ子気質だよね。」
「まあ、実際に三男坊の末っ子だからね。」
「えぇ!そうなの?どうりで。」
「ちょっと!二人ともなに話してんの?悪口?!」
「違うよぉ、元貴は可愛いねって話!ね?若井っ。」
「そうそう。もときはかわいいー。」
「ちょ、若井棒読みなんだけど?!絶対嘘じゃん!」
と、まぁ、こんな感じで、いつも通りわーわー騒ぎながら、ぼく達は家からは少し遠いけど、電車で数駅の大きめの図書館に向かう事にした。
・・・
外の暑さにめげそうになりながらも、汗だくでなんとか図書館にたどり着いた。
図書館に入ると、ひんやりとした空気に包まれていて、大量にかいた汗が一気に冷やされ、寒く感じるくらいだった。
独特な静けさに、久しぶりに背筋が伸びるような感覚がして、自然と 姿勢を正してしまう。
ちらりと若井と涼ちゃんを見ると、二人とも同じように背筋がピンと伸びていて、危うく笑いそうになった。
ぼく達はPCが使えるブースの席に座ると、それぞれ夏休み中に出された課題やレポートに手を付けていった。
大学の図書館には会話OKのスペースもあるけれど、ここはそれよりも静かで、声をひそめる分だけ自然と距離が近くなる。
「涼ちゃん…これさぁ…」
「あぁ、そうだねぇ。冒頭は“Social media has become an important part of our lives…”とかにすると読みやすいと思うよ〜。」
英語は日本語と発声の仕方が違うから、話すときにネイティブに近い人ほど、自然と声が少し低くなる傾向がある。
その例にもれず、涼ちゃんも英語を話すときは、少し声が低くなる。
今まではそんなの気にしたこともなかったのに…
今、耳元で低くく囁かれたその英文と、ふわふわした普段の口調とは少し違う、落ち着いたトーンの涼ちゃんの声に、不意打ちのように心臓がドクンと跳ねた。
「あ、ありがと…!」
ぼくは少しどもりながら、短くお礼だけ言った。
それから気を紛らわせるように、パソコンのキーボードをカタカタと打ち始めたけど、頭の中はさっきの声でいっぱいだった。
……なんで、こんなドキドキしてるんだろう。
落ち着かない。全然集中できない。
視界の端に映る涼ちゃんの横顔を意識しすぎて、文章が頭に入ってこない。
もっとアドバイスが欲しかったはずなのに、またあの声で囁かれるかも…と思ったら、それだけで変に意識してしまって、聞く勇気が出なかった。
結局、レポートは全然捗らず…
図書館を出て歩き始めた時、若井に『なあ元貴、お前さ、今日…一体何してたの?』と真顔で言われた。
……痛いとこ突かれた。
でも、『涼ちゃんにドキドキしてました』なんて事、言えるわけがないので、ぼくは無言で若井の肩にグーパンチを食らわせた。
完全なる八つ当たりである。
「って!おい、なにすんだよ!?」
「うるさいなあ!若井はぼくに殴られとけばいいんだよっ。」
「はぁ!?意味わかんないんだけど!」
「ふふっ、仲良しだねぇ、二人とも。」
笑いながら後ろからついてくる涼ちゃんの声に、思わず顔が熱くなる。
ぼくは、オマケにもう一発若井の肩にパンチを入れた。
「ちょ、まじでなんで?!」
「うるさいっ。」
駅に向かう途中、涼ちゃんが『せっかく外に出たんだから、何か食べて帰ろうよ。』と提案してくれた。
その言葉に若井が『そうしよう!』すぐさま同意。
そして…
「おれ、ラーメン食べたい!」
「ぼくは、ピザ! 」
「僕は、たこ焼き!」
三人とも食べたい物を出し合うと、見事にバラバラだった為、ぼく達は“公正なるジャンケン”をする流れになった。
結果、十数回のあいこの末、ぼくの一人勝ちで勝負がついた。
「やったー!ピザだあー!ぼく、この近くに前から気になってたとこあるから、そこ行こー!」
「ちぇっ、元貴、今日何にもしてないのにさー。 」
「ちょっと、そこ!うるさいよ!」
「あーあ、たこ焼き食べたかったなぁ。」
「涼ちゃん、さっきは言わなかったけど、夕飯にたこ焼きはどうかと思うよ。」
「えぇ!なんでぇ?!美味しいじゃんっ。」
「いや、美味しいけど、たこ焼きって、間食とかお昼ご飯のイメージじゃない?」
「うそぉ〜。え、若井はどう思う?」
「おれは元貴に一票。 」
「えぇ〜!そんなぁ〜!」
いつもの軽口を交わしながら、目的のピザ屋を目指して歩く道は、なんだか少しだけ、昨日までよりもあたたかく感じた。
・・・
「お腹苦しいー!」
「調子に乗って、パスタも頼むからじゃん。」
「だって美味しそうだったんだもんっ。」
「実際、美味しかったよねぇ。」
「うん!頼んで良かった!」
大満足の夕飯を終えたぼく達は、帰宅ラッシュの満員電車にぎゅうぎゅうに詰め込まれながらも、なんとか我が家に辿り着いた。
靴を脱いだ瞬間、三人とも「はぁ〜〜…」とほぼ同時にため息。
涼ちゃんが軽く笑いながらエアコンのリモコンを手に取り、ぼくはそのままソファにダイブ。若井は麦茶を汲みにキッチンへ。
気付けばそれぞれ、ソファや布団にごろごろ転がって、まるで合宿の夜みたいな“お話タイム”に突入していた。
誰かが話し出すわけでもなく、ぽつりぽつりと話題が転がっていく。
笑ったり、茶化したり、たまに真面目になったり。
不思議と居心地の良い沈黙すら、心地よく感じる時間。
昨日の夜にあった出来事が、まだ胸の奥でちくりと痛むけど、こうして“いつもの時間”が戻ってきた事が、今はただ嬉しかった。
そんな中、若井が『あっ!!!』と大きな声を上げた。
思わずビクッとしたぼくと涼ちゃんは、驚いて同時に身体を起こした。
「な、なに!? どうしたの!?」
「まさか、ゴキブリとか…」
「違う違う、ごめんごめん。」
若井は両手をひらひらと振ってぼく達を宥めながら、ちょっとバツの悪そうな顔をして言った。
「おれ、明日からサークルの合宿だったわ。2泊3日。すっかり忘れてた。」
「は!?」
「えぇ〜〜!?」
涼ちゃんとぼくは声を揃えて驚く。
そんな大事な予定を忘れてたってどういうこと!?と、心の中で突っ込みつつも…
明日から若井が居ない。
その事実を少し寂しく感じ、それと同時に…
明日から涼ちゃんと二人きりなんだ。
その事に気付いた瞬間、胸の奥がざわりと揺れた。
そして昼間に、耳元で聞いた低い声の記憶がふと蘇り、思わず心臓が、少しだけ…ドキドキと高鳴った。
前に二日間、二人きりになった時に感じた“そわそわ”とは明らかに違う何かがぼくの中で生まれようとして、ぼくはそれを振り払うようにブンブンと頭を振った。
(…何、緊張してんだ、ぼく。)
自分で自分にツッコミながらも、その“少しだけのドキドキ”を、まだどう扱っていいか分からずにいた。
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