どこにでもあるようなマンションの一部屋に、小さく明かりがついていた。
そこには、二人の男性。
一人は、寝具の上に寝転がり、弱々しく浅い呼吸をしていた。
端正な顔立ちをした男性。
目は閉じ、微笑んでいるような表情を浮かばせていた。
竹刀の入った竹刀袋が壁に寄りかかっていた。
手には年に似つかない薄い皺がついていた。
もう一人は、浅い呼吸をする______の手を包みこむように握り、微笑む顔を優しい眼差しで見つめていた。
_____と対照的に若々しいハリのある手をしていた。
茶色い手並みをしていた。
「刀也さん」
いかにも心配そうに見つめるがっくんが視界に入る。
「なんですか」
僕の手を優しく握る彼の手を握り返す力は、もう残っていなかった。
それでも、彼は優しく僕の手を握り続けてくれた。
彼は、誰よりも近くで見守っていてくれた、たった一人の親友だった。
「刀也さん、もう行っちゃうんですか」
眉を八の字にして寂しそうな表情を浮かべている。
自分が死ぬことに関しては、怖くは無い。
ただ、彼を一人にさせてしまうことが申し訳なかった。
「そうかもしれませんね」
こんな顔をさせてしまうことが申し訳なく思えた。
どうしても、人間には寿命というものがある。
それは、生まれ瞬間から決まっているもので変えることは誰もできない。
僕の年齢は、16歳で止まっていた。
最初は、不思議に思ったが、3年経った時にはそれが日常となり気にしなくなっていた。
何十年も16歳を繰り返し、何年も高校2年生を繰り返した。
そして、何十年か前に、高校に行くのをやめた。
そこからは、がっくんと共に過ごし始めた。
しかし、ある時から僕は「16歳」では、なくなった。
周りと同じように歳をとり始めた。
しかし、歳の進みようが異様であった。
今まで、年齢が変わらなかったため、その分の年数が一気に体にのしかかってきた。
それに気づいた頃には、体が思うように動かなくなっていた。
僕はまだ29歳だった。
社会的に見ればまだまだ若い方だった。
しかし体はそうではなかった。
がっくんは、そのことに気づいていた。
「刀也さんの本来の年齢と体の年齢が違う」
ある日、そう言われてすべてに納得がいった。
体の性能が落ちたのも、体力が急激に少なくなったのも、何をするにも時間がかかったのも。
今ではもう動くことができなくなった。
最低限のこと以外は、寝たきりの状態だ。
僕を支えてくれた彼には感謝しかない。
そして、今に至る。
がっくんは、幾つになっても容姿も中身も変わらなかった。
がっくんだけは、そのままだった。
時間が彼だけ止まったままで、僕だけ進んでいるようだった。
今までは、僕が止まって彼が進んでいたのに。
「刀也さん、」
「なんですか」
「この人生、楽しかったか?」
僕の目元にあたる髪を長い指で横にずらし、優しい目を合わせた。
はっきりと見えたその目は、いつものような陽の光のような明るい目ではなく涙ぐんでいた。
僕に向けられた綺麗な目を見つめ返した。
黄金色の瞳と涙の水が合わさり、夕焼けの海のようだった。
「楽しかったですよ」
体の力が段々と抜けていく。
もうその時が近いのがわかっていた。
そろそろ、皆が行ったその場所に行かなくてはならない。
たくさんの友達や仲間がその場所に行き、それを見送ってきた。
「がっくん」
「どうしたんスか」
これが見送られる側なのか。
自分でも不思議なくらい落ち着いていた。
僕は、こんなにも大切にしてくれた彼を残してここを去る。
生まれ変わりなど信じないけど、もし、そんなものがあるのなら_____
息を深く吸う、涙ぐんでいるのに、決して涙を流さないで僕を見つめるがっくん。
「もうそろそろお別れみたいですよ」
もう一度彼と話がしたい____
聞いた瞬間に、何かを言おうと口を開いた彼は、何を考えたのかそっと口を閉じそれから笑顔を見せた。
「寂しくなるなー」
それから僕は、最後の力を振り絞って手を握り返し、弱々しく彼の頬に軽く手を当てた。
「僕のこと忘れないでくださいよ」
彼は、その手をもう片方の手で上から重ね合わせた。
その手は、僕よりも温かかった。
「忘れるわけないっすよ」
そう言って幸せそうな表情を浮かばせた。
良かった、今この瞬間だけでも幸せそうだ。
「ありがとうございました」
「また、どこかで会えたら」
「俺が会いに行きますよ」
「じゃあ、待っておいてあげます」
瞼が徐々に鉛のように重くなっていった。
体が軽くなっていく。
今はとにかく眠たい。
どんどん、心臓の動きがゆっくりになるのを感じる。
もうすぐだ。
「さようなら」と言う前にもう声がでなくなっていた。
耳だけは微かに聞こえていた。
「刀也さん、さよなら」
最後に聞いたのは、親友との別れの言葉だった
そして、僕は永遠の眠りについた。
きっとまた会えることを
信じて。
ーーー
俺の目の前で、刀也さんが眠った。
もう、この刀也さんが目覚めるとはない。
俺の頬に触れている刀也さんの手が、時間とともに体温を失っていった。
現実だと突きつけられている気分になった。
まだ、彼が生きているような気がした。
今にも起きて俺の名前を呼んでくれそうなきがした。
そんなことはありえないのに。
「刀也さん、俺の声聞こえてましたか?」
最後に声をかけたのは、聞こえているとわかっていたから。
昔まだ彼が「16歳」であった頃に、夕飯を一緒に食べている最中に教えてくれた。
「知ってますか?」
「人間って死ぬ時は、五感の中で聴覚が最後まで残るらしいですよ。だから、あなたが死ぬ時には文句でも言ってやりますよ。」
「なんで、俺が先に死ぬ前提なんスカっ!!しかも、感謝じゃなくて文句って」
「なんでって、当たり前でしょ。がっくんの方が年上なんだから。年齢的に考えたら、僕の方が残るでしょ」
「確かに」
「刀也さんは、なんでも知ってるすねー」
そんなこと言いながら笑いあった「16歳」最後の年。
あの日は、これからもずっとこのままなんだろうと思っていた。
この生活がいつまでも続くのだろうと。
長く生きている中で最高の期間だった。
たくさんの仲間に囲まれ、親友と言える男と出会い、応援され、励まされた。
もう、冷え切り血色のなくなった彼の手を元に戻した。
幸せそうに眠っている。
その後は、一連の流れのように、忙しなく事が進んだ。
感情に浸るにはまだ時間が必要だった。
葬式を行い、彼は火葬された。
骨になって窮屈そうな骨箱に入れられた。
家に帰っても、刀也さんの声や匂いはなかった。
静まり返った部屋を周り、刀也さんの痕跡を探した。
そして、最後に刀也さんが眠った寝室に行き寝転がった。
まだ、ぬくもりも感じられる気がした。
勿論あるわけなかった。
ただ虚しくなるだけだった
そろそろ、戻ろう。
ここにいる理由は、もうなくなった。
挨拶だけしに行こう。
最後に配信をした時から、かなりの年数が経っていた。
もう、残っている友達や仲間は数少なかった。
仲間の綺麗な最後を何度も見送ってきた。
俺がいなくなる頃は、誰か残っていてくれるのか?
誰もいなかったりして。
元の形に姿を戻した。
狐の長い耳と立派な太いしっぽ、ゆったりとした赤と黒の和風な着物。
力をつかい目的の場所への結界を開いた。
「じゃあな」
誰もいない静かな部屋を後にした。
ーーー
「ピーッス!お久しぶりです」
突然やってきたのにも関わらず、彼は、横目でこちらを見ながら微笑んだ。
「いらっしゃい、久しぶりだね」
相変わらずの落ち着いた低い声で俺を快く迎え入れてくれた。
「急にすみません、ベルさんも忙しいだろうに」
「大丈夫だよ、それよりどうしたんだ。遥々夢の中のBARまで」
ベルさんはそう言った後に、察したような表情をした。
コップを拭く手を止めた。
いくつもの水滴がついたコップは、光に当たって輝いていた。
「そうか、ついに刀也くんもか。寂しくなるな」
ベルさんは、昔に撮った友人達との写真が飾ってある、壁を見た。
その目は、優しかった。
「まぁ、一杯飲んでいくといい、座りな」
そう言ってカウンターに一杯のドリンクをだした。
俺は言われるがままに椅子に座った。
「ありがとうございます」
ベルさんが作った、ドリンクを飲みながら、刀也さんとの最後を思い出していた。
この記憶もいつまで鮮明に思い出せ続けられるかわからない。
だから、まだこの記憶が鮮明なうちに何度も思い返す。
「それで、おまえさんはこれからどうするんだい」
「俺は、お世話になった方々に挨拶をした後に、元居た場所に戻る予定です」
「…そうか」
沈黙が流れた。
BARにお洒落なジャズのような音楽が響く。
ベルさんが作ったドリンクに光が反射してキラキラと光っていた。
沈黙を破ったのはベルさんだった。
「また、いつでも来ていいからな」
「ありがたいッス」
「俺は、夢の住人だからいなくなることはない。安心して来いよ。」
思い出話を済ませた後に、礼を言って、ドリンク代を払おうとしたその手をベルさんは「代金はいらない。その代わりまた来てくれ」と言って戻した。
俺はその言葉を素直に受け取った。
「また来ます、次はつまみになるようなものも持ってきますね」
ベルさんのBARを後にした。
ーーー
第1話 「最後の時間」
作者 黒猫 🐈⬛
※この物語は、ご本人様と関係は一切ありません。
※何かわからない点や、改善してほしい点や感想はコメントにしてください。
続きます。
コメント
8件
ブラウザで貴方の作品に惚れ、コメントする為だけにアプリを入れさせて頂きました。本当に素晴らしい作品をありがとうございます、最新の物にコメントすべきだったかもしれませんが最初の作品にコメントさせて頂きました。 本当に生と死を美しく表現されており、感情移入を多々してしまいこちらも悲しくなる、凄く素敵で大好きな作品です。
あうぅ、、、、、、泣そうだぁ、、、(泣いた)
めちゃくちゃ好きです(;_;) 続き楽しみにしてます………!