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テラーノベルの小説コンテスト 第3回テノコン 2024年7月1日〜9月30日まで
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蒸し蒸しと暑く、タクシーのエアコンの設定温度を下げても客が乗り降りする度に連れてくる湿気にうんざりした。

飲み屋を利用するサラリーマンが形を潜める土曜日、片町の夕暮れ時は普段ならば人の数も減る。だが今夜は様子が違いスクランブル交差点には人の波が押し寄せては引き、普段より幾分か賑やかだ。まだ早い時間帯にも関わらず奇妙な程に盛り上がる大学生のグループが白いガードレールに寄り掛かり缶チューハイを飲んでいる。



(おいおいおいおい、ぶつかって来るんじゃねぇぞ?)



タクシーのボディに傷でも付けられたら溜まったもんじゃない。他の運行管理者なら(あーそうですかぁ、気を付けて下さいよ。)で済むものが、あのマルチーズに嗅ぎ付かれた日には(運行停止だ!帰って来い!)と営業妨害される事は目に見えて明らかだ。西村はそろりそろりと車体を前にずらした。



(・・・お。あのケツ良いじゃねぇか。堪らんねぇ)



団扇を扇着ながら浴衣姿の女性がタクシーの横を通り過ぎる。目にも鮮やかな黄色に水仙の花が裾から胸元に掛けてシュッと描かれている。赤く結ばれた帯は朱音のノースリーブのワンピースを連想させた。



(黒に朝顔、あのうなじも良いねぇ、脱がせてみたいねぇ)



不埒な横目で浴衣女性の品評会を催していると、助手席のダースベイダーが西村を現実の世界にぐいと引き戻した。



(・・・・誰だぁ、こんな時間にお迎えとは珍しいな。橘さんか?)



気怠そうに手に取った携帯電話の画面に表示されたのは朱音の電話番号だった。今夜の迎えはいつもと同じ24:30に加茂交差点のすき家の駐車場の約束だ。珍しい・・・キャンセルの電話だろうか。



「もしもし、朱音?」

「うん」

「どうした」

「うん」

「何かあったのか?」



携帯電話の向こう、途切れ途切れの朱音の声に耳を澄ますと、|轟々《ごうごう》と風を巻き上げながら大きな音が通り過ぎる。



「朱音、お前、今|8号《国道》に居るのか?」

「うん」

「仕事は?仕事じゃなかったか?」

「ううん。今日はお休みなの」



片手でダッシュボードを開けてクリアファイルに挟んだ朱音のカレンダーを確認するが今日は確かに出勤日となっている。



「お前、仕事サボったのか?」

「そうじゃないけど、今日は・・・・お休み・・・・なの」



ダンプカーや長距離トラックの走行音で良く聞き取る事は出来ないが、どうやら涙声の様だ。タクシードライバーはキャバレーやクラブの女性スタッフと《《良い仲》》になって一晩限りの関係やその流れで所帯を持った仲間も居る。しかし西村はあの子がどうしただの、嫌いになったのだの、女の涙は相当面倒臭いので《《そういう仲》》になる事は避けて通って生きて来た。



「朱音、お前・・・泣いているのか?」

「ちょっとだけ」

「そうか」

「うん」

「休みなら今から迎えに行くか?」

「うん」

「牛丼でも食べて待っとけ」



西村は電話をサッサと切り上げタクシーを走らせた。やがて犀川沿いの対岸にはマンションの6階、角部屋の我が家が見える。今頃は洸が夕飯を食べないとイヤイヤして智を困らせている事だろう。そう想像しただけで口元が緩んだ。信号が黄色になる。停車し、ふと横を見ると隣の電柱にポップで可愛らしい文字の看板が立て掛けられていた。その横を自転車に乗った女子高校生が群れをなして河川敷に向かって走り去る。



(なーる程、花火大会ね。忘れてたわ)



毎年、この花火大会は智と2人で見た。

この河川敷、花火の下で初めてキスをしてプロポーズもここを歩きながら指輪を渡した。この2年間は洸も一緒に、3人でマンションのベランダから夜空に咲く大輪の花に手を叩いた。西村はこの夜を公休日にしなかった事を悔いた。


それでも済んでしまった事を悔いても仕様がない。先ずは朱音の迎えだ。花火大会の夜は意外と客の手も挙がらず配車も少ない。有るとすれば花火の後の乾いた喉に一杯のビール、その後2次会、3次会そのお開き後の配車くらいは期待出来る。それまでに片町に戻れば今夜の売り上げ目標は達成だ。


ナビゲーションの時刻は18:00。朱音の待つ加賀市に行くには106号車は回送(配車を受け付けない状態)でしかも”手取川大橋”を超えて加賀営業所のナワバリに入らなければならない。深夜帯ならば事務方は退勤後で多少の好き勝手は出来るが、この時間の《《個人的》》な朱音の迎えはマルチーズにギャンギャン吠えられる事を覚悟しなければならない。ため息が出る。



(神よ、|マルチーズ《佐々木次長》が犬小屋に帰っています様に、てか?)



念の為、配車室には一言断りを入れておく事にした。



「106号車どうぞ」

「106号車どうぞ」

「今から回送、野暮用で山代行ってくるわ」

「どういう事だよ」

「あれだよ」

「あれ?」

「帰りは大橋《《超えたら》》メーター入れるから」

「あぁ、金魚ね・・・了解」



ご苦労な事に花火大会へ向かう車か、給料支給日後のディナーかは知らないが、|8号《国道》はいつもより混雑していた。普段使いの抜け道でもある山間の産業道路に回ろうかと思ったが、どうやら今夜は”川北大橋”でも大規模な花火大会が開催されるのだと立て看板が教えてくれた。これは仕方なくこのまま渋滞に流されて行くしかないか。


西村はノロノロと流れる赤いテールランプを眺めながら、涙を流し1人|8号《国道》で待つ朱音の元へと向かうこの感情が、単なる《《客》》へのものなのか、それとは違うものなのか、自分自身が実に微妙な|境界線《ボーダー》で迷走しているそんな気がした。

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