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「探せば普通に居そうですけど」
内部事情を知る彼は簡単に言ってのける。
それは顔がいいから言える言葉で、ごく一般人にとってはその行為がたまらなく難しいって言うのに。
「探すのが大変なんですよ!会社はこのキャラ通してるから無理だし」
「ふーん」
「常葉くんみたいに、私を異性と思ってくれてないと楽なんですけど」
理想だなぁ、仕事は仕事のキャラで、家に帰れば崩せるの。
それにしたって常葉くんって意地悪なのに心が広い。掃除も洗濯もするって言ったのに、自分のだけで良いと言ってくれたし、いや、これはただ単に嫌がっているだけかもしれない。
自炊も好きな時にしてどうぞって言われた。
『私、料理得意なんですよ、男ウケにはやっぱり料理ですよね!常葉くんの分も作りますねっ』
なんて自信満々に言えば常葉くんは職場で見るような天使スマイルで
『最高に気持ち悪いから俺は食べません』
と、両断するから慌てて『常葉くんにはそんな邪な思いで作りません!』と訂正した。
今のところ、水曜日はご飯の日。常葉くんには二回振舞ってみたけれど、特に文句も言われなかったので良し。
「あ、そう言えば、」思い出したように声を掛ければあまり興味もなさそうに、だけどちゃんと「なんですか」と応えてくれる。
借りている部屋へと戻って用意していた封筒を手に再び彼の隣へ舞い戻る。
「これ、少ないですけど」
今日は給料日だったので、少しだけならと用意していたお金を差し出すと、常葉くんはすぐに目を逸らして「要りません」とだけ言った。
「でも、やっぱり私も申し訳無いです」
「だったら早くお金貯めましょうね」
「……本当に良いんですか?このマンションの維持だけでも大変でしょ?」
「平気です」
さらりと告げられた言葉に、些か疑念を抱く。
……てことは、常葉くんのお給料でもやって行けるってこと?
じゃあ私の給料でもこのマンションに住めるって、そういう事?
浅はかな事を考えていると、すぐに彼は「賃貸じゃないんで」と、答えをくれた。
「え、買ったんですか?」
「まぁ、そんな感じです。買ったのは親ですけど」
興味無さそうに呟くと、常葉くんはグラスに口をつけた。
……そう言えば、常葉くんってどこかの会社の御曹司だとか言われてるんだっけ。
……でも、だとしたらどうしてうちで働いてるんだろう。
常葉くんについてはまだ知らないことの方が多い。だけど、そこまで踏み込んで良い仲じゃない。
距離感の取り方だけが、まだ慣れない。
…………何も、問題は無いはずだった。
もう三週間、私たちの間に表立ったトラブルもなかった。
たまに思い出したようにキスはされるけど、それだけ。
それも私の力抜くため、と、色々自分勝手に決め付けていた。
……それを除いたら、順調に同居生活が進んでいる。
都合のいいように解釈していた。
ぼんやりと思い返して膝を立てると、掛けていたブランケットがズレ落ちてお腹と太腿で挟まるので、畳んで脇に置いた。寒くも無いので大丈夫だろう。
そういえば、常葉くんのTシャツ借りてるからってパジャマをこの前買うのを忘れてたなぁ。
明日……覚えてたら買いに行こうかな。
「穂波さん」
やっぱり少しだけ眠気が襲っていると、ふいにその心地いい低音ボイスが名前を呼ぶので「はい」と首を傾げて視線を縫い上げた。
すると、常葉くんの手が私の視界を遮る。
「メガネ、傾いてる」
「え、うそ」
直そうとしたのに、どうしてかクリアな視界は奪われてしまった。
ゆっくりとそれを追いかけると、私の相棒は常葉くんの綺麗な顔の造形の一部となる。
えーーー似合う、眼鏡な常葉くんも断然アリ!!
簡単に見蕩れていると、常葉くんのタレ目がちな瞳はキョロキョロと景色を泳ぐ。
「そんな強くないんですね」
「はい。この距離なら何となく見えますよ」
ふーん、と、常葉くんは取り留めのない相槌を打った。
……眼鏡掛けてみたかっただけかな?
本格的な睡魔が襲いそうなので、目を擦って常葉くんの方に手のひらを差し出した。
「そろそろ返してください」
当然のまでを言った。だけど、
「嫌です」
彼が聞かせたのは拒絶だった。
何故か簡単な願いを拒否されてしまったので、睡魔はすぐに飛んでどこかへ消えてしまう。
「…………どうして?」
疑問を零せば常葉くんは掛けていた眼鏡を外し、ひょい、とその手を頭の上へと挙げた。
んん?遊びたいの?
常葉くんは煽るように視線だけで私を見下ろしている。
しょうがないなぁ、と。
回らない頭はほぼ条件反射にソファーの背もたれに手を付き、似たように手を伸ばした瞬間、何かの誤作動で身体がよろめいて常葉くんの身体へと雪崩込んだ。
誤作動?……違う。
常葉くんに、引き寄せられ─……
「…………自覚した方が良いですよ」
腰に回された手だけに意識が集中していると、頭のてっぺんに声が降り注ぐ。
低くなった声は嫌でも心の奥がヒヤリとするのに、見上げることも出来ない。すぐ真上に感じる存在、近づけない距離。
離れようとしても腰に手を回されてしまってどうすることも出来ない。常葉くんの熱が腰から伝わり、それがやたらと熱いから離れて欲しいのに、見透かしてはくれない。
「…………じ、かく?」
「俺、男ですよ」
カタン、と、テーブルに置かれる眼鏡の音だけが惨めに響くと
「知らねぇの?」
耳元で甘く囁かれれば、ぞわりと疼く下腹部。鼓膜とそこが直結している様な感覚に陥って、忙しなく心臓が騒ぐ。
私のと違って、爽やかな甘い香りのシャンプーの香り。柔軟剤の残り香だけが一緒。いつも借りてるこの服も、最初は同じ香りがした。
たったこれだけの期間で、いつの間にか染み付いた香りに再び囚われ、そうだ、と、間抜けに私たちの関係を思い返した。
自分の心臓の音しか聞こえない。
1秒先の未来さえ想像することもできない。
ただ、記憶が連れてくるのは
あの日の午前3時の…………。
ふ、と、強ばらせていた身体の拘束は唐突に解かれた。
恐る恐る見上げると、冷めた表情の常葉くんは静かに私を解放する。
それが、酷く安心した反面
少しだけ名残惜しくて、距離を取ることなく俯いた。
「…………分かりました?」
「は、い……」
声にならない声で頷くと、常葉くんは立ち上がって自室へと消えていった。
あれ以来、足を踏み入れることの無い部屋。
今のはきっと、境界線。
──距離感、難しいな。
最初がゼロだったから、大丈夫と思った。
だけどそれは思い違いで、大体私たちは職場の先輩と後輩で、それ以前に彼のこの行動は私への仕返しだと言っていた。
考えればいい、とか
好きになっちゃダメ、とか
私を困らせることが仕返しだとしたら、
記憶の隅っこで再生される、底なしに優しくて、甘い声は?
───なんで思い出さないかなぁ。
常葉くんは私をどうしたいのだろう。
──私は、どうされたいのだろう。
脳内に誰かに聞いても、何も教えてくれなかった。
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#ワンナイトラブ
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