テラーノベル

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テラーノベル(Teller Novel)

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撮影終了後、シャワーを浴びて着替えを済ませた蓮は、そのまま帰宅する気にはなれず、なんとなくスタジオ内を探索していた。


「……うーん……」


あれからずっと兄の言っていたことを考えてはみるものの何が言いたかったのかさっぱり理解できない。そもそも、どうして突然あんな事を言われたのかも謎だった。


「うーん」


「何を唸ってるの? もしかして便秘?」


「……は?」


いきなり後ろから声を掛けられて、不機嫌さを隠そうとせずに振り返ると、そこには不思議そうにこちらを見ているナギと、撮影を終えたばかりだと思われる草薙姉弟が立っていた。


3人とも獅子レンジャーのジャケットを羽織ったままだ。恐らく着替えに戻る途中だったのだろう。


「小鳥遊さん、公共の面前で下品な会話は控えてください」


「えー? 便秘って聞いただけなのに下品って……」


心外だとばかりに唇を尖らせるナギの横で、弓弦が呆れたような視線を向けて小さくため息を吐いている。


「とりあえず、便秘ではないよ」


「じゃぁなんで唸ってたの?」


「それは……」


不思議そうに訊ねられ、蓮は言葉に詰まった。先ほどあった出来事を気軽に話せるような間柄ではまだないし、弓弦と美月に関しては殆ど話もしたことがない状態だ。


言い淀んでいると、それを見兼ねた美月がすかさずフォローを入れてきた。


「きっとお腹空いてるのよ、ね?」


「えっ? あぁ、うん……実は何食べようか迷っちゃってて、肉がいいか魚にしようか……なんて」


全く見当違いではあるものの、渡りに船とばかりに話を合わせる。


「そうか、ちょうど夕食時だもんな。じゃあさ、お兄さんも一緒にご飯行かない? 俺たち、ちょうどこの後ご飯食べに行こうって話してて」


「えっと……急に僕が参加しても大丈夫なのかな? さすがにいきなりは迷惑なんじゃないかな」


適当に話を合わせただけだったのに、思わぬナギからの提案に蓮は戸惑い、美月と弓弦に視線を移した。


誘ってもらえるのは嬉しいが、一度か二度しか話したことのない相手と食事に行くのを嫌がる人もいるだろうし、相手はあの草薙弓弦――今をときめく人気俳優だ。そんな第一線で活躍している俳優と気軽に食事に行けるはずがない。


それに今日は、さっき凛に言われたことをじっくりと考えようと思っていたところだったのに。


「アタシは別に構わないよ? 御堂さんと話してみたいと思ってたし。ゆづもいいでしょ?」


「そうですね。私も特に不都合はありません」


予想外にもあっさりと承諾されてしまい、蓮は困惑して目を瞬かせた。どうせ断られるだろうと踏んでいたのに、まさかOKされるなんて。


「キャストとアクターは表裏一体だって、御堂さん……凛さんが言ってたし。どうせなら、はるみんとゆきりんも呼んじゃおっか」


美月の提案に、ナギと弓弦がうなずく。どうしよう。なんだか大変な大所帯になってしまう気がする。


「んじゃあ、みんなでご飯食べに行きましょ」


「お兄さんも、いいよね?」


まさかこの流れで自分だけ嫌だとも言えず、蓮は静かにうなずいた。


「んじゃぁ、第一回獅子レンジャー親睦会を始めます! カンパーイ」


美月が音頭を取りながら乾杯の合図をする。それを向かい側で見つめながら、蓮が控えめにグラスを掲げた。


まさか本当に雪之丞と東海が来るなんて思っていなかった。しかも、全員同じテーブルに着いてしまうとは。


美月の案内で連れて来られたのは、駅前の路地にひっそり佇む創作和食料理屋。全室掘りごたつ式の座敷になっている個室だ。


受付をしてくれたバイトの女の子が弓弦の顔を見るなり目を輝かせ、特別席をあけてくれた。アポなしで来たのに、すんなりいい場所が確保できるあたり、さすがだ。


「まさか雪之丞たちも来るなんて……」


特に東海はこういう場には顔を出さないと思っていた。


「別に、好きで来たわけじゃないよ。でも……凛さんから言われてるから」


「言われてる? 何を?」


斜め向かいに座った東海の言葉に、蓮は食いついた。あの言葉のヒントが隠されているのではないだろうか。


「役者と自分たちは表裏一体。少しでも側にいて、相手の行動や仕草、動きやちょっとしたクセをじっくり観察しろって。まずはそれが基本だからって」


「……表裏一体……」


そういえばさっき美月も同じことを言っていた。確かにアクターと役者は二人で一つのキャラを演じることが多い。だが、それだけでは答えにならない。もっと深い意味があるはずだ。


蓮はそっと隣に座っている雪之丞の様子を窺った。彼は気づくことなく、黙々とビールを煽りながら食事を摂っている。若干ペースが速いような気もするが、酒に強いのか、顔色は変わっていない。


やがて視線に気づいたのか、雪之丞と目が合う。ほんの少しバツが悪そうに俯き、そっと耳元に唇を寄せてきた。


「ねぇ、もしかして。凛さんに何か言われた?」


「え?」


どうしてわかったのだろうか。できるだけ顔には出さないよう注意していたはずなのに。


「なんでわかったの? って顔してる」


「……まぁ、そうだけど。どうして分かった?」


「わかるよ」


雪之丞が困ったように笑う。


「キミのこと、ずっと見てきたから」


「……え?」


「あっ! いや、へ、変な意味じゃないからね!? えーっと、ほ、ほらっ! 昼の練習の後、凛さんに呼び出されてただろ? だから、なんか言われたんじゃないかと思っただけで……ええっと」


こちらは何も言っていないのに、雪之丞はワタワタと慌てながら一気に早口でまくしたて、ジョッキのビールを一気に煽った。


そしてすぐに新しいビールを追加注文する。耳まで赤く見えるが、アルコールのせいだろうか。


「なになに? お兄さん、凛さんって人にダメ出しされたの? 俺はお兄さんの演技、綺麗だし好きだけどなぁ」


蓮と雪之丞のやり取りに、ナギが興味を示して身を乗り出してきた。彼の両隣に座っている美月と弓弦も、会話に興味津々といった様子だ。


「別にダメ出しされたわけじゃないよ」

「ふぅん? そうなの? でもその凛さんって人、演技専門の監督でしょ? 俺を見るときだけ、めっちゃ冷めた目してるんだけど……なんでかな」


ナギの不満げな言葉に、弓弦が淡々と返す。


「それは貴方が、時々集中してないからですよ」


「ぅ……ッ、だって長時間の撮影、苦手だし……」


「アタシも苦手~。集中力続かないよ」


弓弦の指摘にナギが言葉を詰まらせ、美月も便乗するように声を上げた。


「美月の場合、演技の練習もだけど、もう少し色気出す練習もした方がいいんじゃないか?」


「は!? なんですって!? 色気なんて、子供番組なんだから必要ないでしょ!」


東海の一言に、美月が頬を膨らませて反論する。


「そうだけどさ、仕草が男性的なんだよ。俺はやりやすくていいんだけど……。一応紅一点なわけだし? もっと可愛い仕草を出した方が美月の演技が映えると思うんだけど」


「ぐぬぬ……っ、悔しいけど言い返せないっ」


美月が拳を握り、歯噛みしながらビールをグイッと一気にあおる。その姿には、どこか逞しさすら漂っている。


見た目が幼いため、酒を飲む姿はどうしても違和感がある。


「すみませーん! ハイボール」


「えっ、あっ……あの、未成年の方の飲酒はご遠慮いただいておりますので」


「失礼ね! これでも22歳なんだから! ほら、ちゃんと確認して!!」


そう言って免許証を見せる彼女の姿を、今日だけで何度見ただろうか。


「姉さん……あまり飲みすぎない方が……」


「大丈夫。自分の限界くらいちゃんとわかってるから。あぁ、それと串の盛り合わせと山芋の鉄板焼きと~……」


「……よく食うな……女のくせに」


弓弦の制止も聞かず、美月は注文を重ねていく。その様子を呆れたように見つめながら、東海が小さくため息を吐いた。


「女のくせに、は余計でしょ!」


「いやぁ、もっとおしとやかにしとかないとモテないぞ。ただでさえ中学生か小学生にしか見えないんだから、もう少し女らしくしろよ」


「っ、うるさいっ! 余計なお世話よっ! だいたい、はるみんだってそんな嫌味ばっか言ってたらモテないんじゃない?」


「んなっ!? それは……っ、関係ないじゃん!」



ぎゃいぎゃいと言い合いを始めた二人を見て、弓弦がヤレヤレと肩を竦め、席を端の方へと移動していった。


「あはは、あの二人、いつの間に仲良くなったんだろ」


左隣に座るナギがその様子を見ながら可笑しそうに笑い、何を頼もうかとメニューを開いている。

妙に距離が近い気がするのは、気のせいか?


「仲いいね、東海と美月さん」


すると右隣に座っていた雪之丞が、二人の様子を眺めながら、くにゃりと寄りかかってきた。


「うわ……ちょ、ちょっと……雪之丞! 重い」


「重くないよ。蓮君が軽すぎるだけだし」


「いや、体重の話じゃなくて!」


「あっ、ズルい。俺もくっつくから」


雪之丞に抱きつかれ、蓮が困ったように眉を下げると、反対側にいたナギまで蓮の身体に手を回してきた。


「はぁ!? なんでそうなる!? って言うか、重いし身動き取れないって!」


「……モテモテですね、御堂さん」


端の方に移動した弓弦が、苦笑まじりに呟き、涼しい顔でジュースを啜る。


「うーん、ただ酔っぱらいに絡まれてるだけのような気もしないけど……」


雪之丞って、こんなに酒弱かったか? 確か顔色一つ変えずに飲み続けていたはずなのに……。


本当に酔っているのだろうかと、疑問すら湧いてくる。


「お待たせしました~、山芋鉄板焼きと串盛です~」


「あっ、えっと、適当に置いといてください」


店員が料理を持ってきた途端、雪之丞がパッと蓮から離れ、テーブルに並べられた皿や小鉢を見下ろしながら、嬉々として箸を手に取った。


「うわー、美味しそう。ねぇ蓮君見て、ふわっふわ」


「え? あ、あぁ……うん、そうだね」


「蓮君も食べる?」


そう言いながら、雪之丞が蓮の口元に串盛の唐揚げを差し出す。


「いや、僕は自分で……」


「早く、ソースが垂れちゃう」


「……」


急かされて仕方なく、蓮はそっと口を開けた。だがそれを、目の前でナギがパクっと横取りしていった。


「あっ!」

「うん。んまい……。ゆきりん、ありがと」


ふふんと鼻を鳴らし、ナギが意味ありげな視線を雪之丞に向ける。その表情に、雪之丞がほんの一瞬だけムッと顔をしかめたのを、蓮は見逃さなかった。


「お兄さんには俺が食べさせてあげるよ。ほら、口開けなよ」


「っ、って! それ、絶対熱いやつ!! ちょっ、待て、待ってナギ!?」


口元に湯気の立つ、餡がたっぷり絡んだ肉団子が迫る。


今食べたら絶対唇が死ぬ――火傷するって!!!


目の前にニヤニヤと意地悪な笑みを張り付けたナギの顔が迫り、思わず目を瞑ると、そのまま口の中に押し込まれた。


「あっつっ、~~~ッ!!!」


予想通り、熱くて痛く、舌がヒリヒリする。涙目になりながらも、なんとか咀嚼して喉の奥に流し込む。


「……ッ、はぁ……ッ、お前な……ッ」


「ははっ、お兄さんの慌てっぷり、超ウケる」


「ッ、いい性格してるというのに……っ」


こっちは必死だったのに、この男は……。


「……お兄さんの唇、餡が付いててなんかエロいね……」


そんなことをボソッと耳打ちされ、蓮はぎょっと目を見開いた。


「は!?」


「あはは、冗談だよ。本気にした?」


「……ッ」


ナギにからかわれたのだとわかり、一気に脱力する。


先ほどの表情が気になって、チラリと雪之丞に視線を向ければ、彼はちょうど届いた琥珀色のカクテルをクイッと一気に飲み干しているところだった。


「おいおい、大丈夫なのか?」


「平気。……このくらいじゃ酔わないよ」


口を尖らせて、不機嫌そうに雪之丞が答える。


いや、明らかにいつもよりペースが速い気がするのだが。


「……まぁ、無理するなよ」


「してない」


取り付く島もない。一体何が雪之丞の機嫌を損ねたのかわからないが、これ以上突っ込んでも逆効果だろうと、そっとしておくことにした。


それにしても……どうしてこうなった?


「ねぇ、蓮さーん、聞いてます? もー、みんな信じられない」


「ハハッ、聞いてるよ。もちろん」


目の前には、ビールジョッキ片手に赤ら顔で管を巻く美月の姿がある。


すっかり出来上がっている彼女は、呂律が回らず、何を言っているのかさっぱり理解できない。


「……うぅ、見ちゃったのよ。監督が、地味な服着た女の人の腰を引き寄せながら歩いてるの。服装は地味だったけど、胸がすごく大きくて……。男の人って、やっぱり胸が大きい人のほうがいいの? そういえばドラゴンライダーのヒロインもMISAだったし! あんな胸が大きいだけの女優のどこがいいのよ」


「あー、まぁ……監督の女癖の悪さは有名だからね。MISAさんの事はよくわからないけど……」


美月の話に適当に相槌を打ちつつ、蓮はビールを煽る。


「監督ってスケベが服着て歩いてるような人だもん。仕方ないよ」


蓮の腕に縋り付きながら、雪之丞がウンウンと頷く。


「蓮さんは? やっぱり大きいほうがいいの?」


「へ? ぼ、僕?」


顔を覗きこまれて返答に困る。正直、そんなこと考えたこともなかった。


「それ、俺も知りたいな。どうなの?」


雪之丞の反対側から、ナギがニヤニヤと笑いながら便乗してくる。


(ほんっと、いい性格してんな……僕がゲイだって知ってるくせに)


内心で毒づきながら、蓮は小さくため息を吐いた。


「別に関係ないんじゃないか? 好みなんてそれぞれだし」


「ふ~ん、じゃあ蓮さんって、どんな子がタイプなの?」


「どんなって言われてもなぁ……」


随分グイグイ来るなぁと思っていたら、いつの間にか雪之丞までもが、目を皿のようにしてこちらを見ていた。


「うーん。好きになった子が、好きなタイプ……かな」

「うっわ、出た。チャラ男発言」


蓮の答えに、ナギが茶化すように言う。


いや、これ結構真面目に言ったんだけど……と思いながら、蓮は思わず苦笑いを浮かべた。


その答えが不満だったのか、美月と雪之丞が目を細め、ジト目で見つめてくる。


いや、なんで!?普通に答えただろ!? 二人からの視線に困惑しながら、蓮は助けを求めるように視線を彷徨わせた。


「はぁ、アホくさ。美月ってこのオッサンのこと好きなわけ?」


「えっ!?」


「へっ? え……っ、そうだったの?」


「ち、ちがっ! 違うわよっ! そんなんじゃ……っ」


盛大にため息を吐き、呆れた様子で呟いた東海の言葉に、美月が顔を真っ赤にして首を振る。


「そんなんじゃなくて! ただ、蓮さんモテそうだから男性の意見が聞いてみたかっただけで……」


「男なら他にもいっぱいいるじゃん。それに、自分の弟に聞けばよくね? イケメン中のイケメンじゃないか」


「ちょっ! 逢坂さんっ! 私に振らないで下さい!」


突然話を振られた弓弦が慌てて両手を振り、ブンブンと首を横に振る。


「あー、アレ? 恋愛は事務所NGとかそういうの?」


「違います! まぁ、CMのイメージとか色々とあるので一概には言えませんが……」


「ゆづには、聞けないもん……だって、ゆづは……」


「姉さんっ! ちょっと黙って!」


美月がポソリと零した言葉に、弓弦が慌てて口元を押さえた。


「めっずらし。天下の草薙弓弦が慌てるなんて……。何か訳ありっぽいね」


そんな二人の様子を見て、東海が面白そうに口角を上げる。


意地の悪いニヒルな笑みを浮かべている辺り、コイツもやっぱりいい性格をしていると思う。


そんなことを思っていると、ナギがクイっと袖を引っ張ってきた。


なんだ?と思い、蓮がそちらに顔を向けると、上目遣いのナギと目が合う。


そしてそのまま、唇に柔らかな感触が――。


「あっ!」


その瞬間、すぐ近くで雪之丞が小さく声をあげたのがわかった。


「な――っ!?」

いきなりの行為に驚き、固まっていると、ナギは自分の唇をペロリと舐め、くすっと笑う。


幸い、目の前にいる3人はこちらの様子に気付いていないようだが、確実に雪之丞には見られた。


その証拠に、掴まれている腕が痛い。


「へへ、奪っちゃった~☆」


「おいおい、こんな所で何をするんだ」


「……俺、さ……酔うと無性にキスしたくなるんだよね……」

「はっ? え……っ、ちょっ!」


するりと頬を撫でられ、ピリピリと皮膚が粟立つ。だが、そんな蓮の反応を楽しむかのように、ナギはゆっくりと口元に弧を描いた。


こいつ、キス魔だったのか! ただでさえエロいのに、キス魔だなんて……ッ。


しかも、酔っているせいか、いつもより色気が倍増している気がして、思わずごくりと喉が鳴る。


「ねぇ、こっそり抜け出さない?」


耳元に唇を寄せ、蠱惑的な甘い声が囁いてくる。


耳にかかる吐息にぞくりと背筋が震えた。


いや、どう考えても無理だろ。ナギとは反対側の腕は雪之丞にしがみ付かれているし、いくらさっきのキスが気付かれなかったとはいえ、ここで抜け出したら速攻でバレるに決まっている。


「いや……さすがにそれは……っ」


「……」


「ちぇ、やっぱり駄目かぁ」


不満そうな声を上げ、あっさりと引き下がるナギに、ほっと胸を撫で下ろす。


危なかった……。もう少しでほだされるところだった。


この手の誘惑には乗るまいと心に決めていたはずなのに、危うくまた過ちを犯す寸前だった。


というか、バレたくないんじゃなかったのか!? いや、こいつらの前ならバレてもいいと思っているのか?


酔った勢いって事にすれば、何でも誤魔化せると思ったら大間違いだ。


そもそも、雪之丞がすぐ隣にいるのに堂々と誘うなんて、何を考えているんだ!?


何事もなかったかのように美月たちの輪に合流し、会話を始めたナギを横目で睨む。


相変わらず、掴みどころのない男だ。冗談にしては悪趣味すぎるし、本気で言っているとしたら尚更質が悪い。


人を振り回すのが好きだと言っていたのを思い出し、蓮は思わず眉間にシワを寄せた。


雪之丞はといえば、先ほどの光景を目の当たりにして完全にフリーズしている。


「おーい、大丈夫か?」


心配になって声を掛けると、弾けたように顔を上げ、目が合った瞬間、あからさまに顔を背けられた。


「……えーっと?」


もしかして怒っているのか? でも、なんで? 原因があるとしたらさっきのキスだとは思うが……。


よくよく見れば、ただでさえ赤かったさらに赤く染まっている気がしないでもない。


……これはもしかして――?


「雪之丞って、もしや童貞?」


「ブッ、げほっ、げほっ、な……っ、な……っ、いきなり、なに!?」


蓮の問いかけに、雪之丞がむせて咳き込む。何気なく尋ねたつもりだったが、どうやら図星らしい。


真っ赤になって俯く姿を見ていると、なんだか楽しくなってきて、蓮は思わずニヤリと口角を上げた。


「そっかそっか。さっきのアレは雪之丞には刺激が強すぎたか」


ニヤニヤしながら雪之丞の肩に手を置くと、ビクッと身体を震わせ、顔を逸らす。……面白い。もっと揶揄いたくなってきた。


「雪之丞もしてみるか?」


「ぅえっ!? なっ、何言って……っ」


蓮の言葉に、雪之丞の顔が一気に紅潮していく。


「あんまり虐めちゃ駄目だよ。ゆきりん困ってるじゃん」


もう少し揶揄ってやりたかったのに、背後から腕が回され、抱き寄せられる。


ふわりと香る柔軟剤の匂いに、一瞬ドキリとしたが、すぐにその正体に思い当たり、蓮は小さく苦笑した。


「ハハッ、ごめんごめん。あまりにも可愛い反応するからつい……」


「えっ、冗談……?」


ほんの少しがっかりしたような表情をのぞかせ、雪之丞が呟く。


「あれ? もしかして、本当にして欲しかった?」


「ッ! ち、違うからっ!!」


ブンブンと首を振り、目の前にあったジョッキをぐっと飲み干す姿に、思わず苦笑いが漏れた。


「蓮さん、そろそろ出ませんか? 私と逢坂さんは明日学校もありますし、姉さんもこのまま寝てしまいそうです」


「あぁ、そうだね」


時計を見れば、すでに22時を回っている。確かに高校生組はそろそろ帰ったほうがいい時間だろう。


「今夜は、姉さんが失礼なことばかり言ってすみませんでした」


「えっ? いやいや、僕は別に構わないよ」


会計を済ませて店を出ると、弓弦がウトウトしている美月を背負いながら頭を下げてきた。


この子は本当に高校生だろうか? とても礼儀正しく、しっかりしていると思う。


「幼い頃からの夢だったんです」


「ん?」


「ずっと女優になることを夢見て頑張ってきたのに、現実は残酷ですよね。今日、監督に色気が足りないと言われたらしく……。その上、あんな場面を見せられたので、余計に落ち込んでしまっていたみたいで。姉さんは“平気だ”なんて言ってましたけど、お酒を飲んで気が緩んだんでしょうね」


「あぁ……」


あの監督は、女性なら誰でもいいみたいな節操なしだからな。


子供番組なんだから色気は必要ないだろ!? あのエロオヤジ、最悪だ。


演技の指導に色気は関係ないだろうに。


「わかった。監督に余計なことを言わないように注意してもらえるよう、兄さんに伝えて……」


そう言ってから、はっと気が付いた。兄から言われた言葉の意味を考えるつもりだったのに、すっかり忘れてしまっていた。


「蓮さん?」


「えっ? あぁ、大丈夫。何でもないよ。ほら、タクシーが来た。またね、二人とも。はるみんも気を付けて帰るんだよ」


「ガキ扱いすんなよ。オレは走って帰るから平気だし」


「走る!? げ、元気だな……」


家がどこにあるのかはわからないが、ここから走るとは……若さって恐ろしい。


去っていくタクシーと東海を見送り、振り返る。


「じゃあ、俺たちも帰ろうか。雪之丞、立てるか?」


「……平気」


そう言いながら、電信柱に凭れている姿はとても平気とは言い難い。


「送っていくから、場所教えて」


「……蓮君の家に、泊まりたい」


「えっ?」


トロンとした目で見つめられ、戸惑った。


「……ダメ?」


「ダメ、というか……うーん」


特にこの後の予定はなかったが、なんとなくナギと一緒に過ごすつもりでいた。だが、それを雪之丞に伝えるのはなんだか憚られる。


それに、この状態の雪之丞を一人でタクシーに乗せるのは……ちょっと心配だ。


「お兄さんの家に行くの? いいなぁ。俺も一緒に行ってもいい?」


「えっ!? キミも!?」


ナギの提案に驚愕する。確かになんとなくそうするつもりではいたけど、雪之丞も一緒だというのにこの男は一体何を考えているんだ?


「だって、こんな美味しそうな状態のゆきりんを、ドSなお兄さんと二人っきりにはさせられないでしょ」


いや、僕はそこまで鬼畜じゃないぞ!? いくら何でも無抵抗の相手を見境なく襲ったりはしない。


「――というのは建前で、俺がお兄さんとシたいなぁって」


「……っ、君の頭の中はそればかりだな」


「酷くない? この業界に居るとさ、ストレスが溜まるんだよ。だから、思いっきりイチャイチャして発散したいなぁって」


「いやいや、それはおかしいだろ!」


「えー、でも、お兄さんも嫌いではないでしょ?」


「……」


否定はできない。いやらしいことは好きだし、ナギとヤるのは堪らなく気持ちがいい。


でも、さすがに雪之丞を一人にはできない。


「……ま、まぁ……泊めるくらいなら……。でも、雪之丞の前ではシないからな!」


「えぇ……。でもまぁ、いっか」


結局、目の前の欲望に抗えなかった。監督のことを見境ないなんて言ったけど、自分も大概見境ないよな――なんて思いながら、蓮は諦めたように嘆息する。


「ゆきりん、行こ」


「え? ナギ君も来るの?」


「ん、まぁね」



ニヤリと笑いながら、雪之丞にナギが何事かを耳打ちする。途端に、ボンッと頭から湯気が出そうになるほど顔を真っ赤にした。


一体何を吹き込んだんだ!? 雪之丞は耳まで真っ赤になり、俯いている。そんな様子に嫌な予感しかしなくて、蓮の胸がざわついた。


「雪之丞に何を言ったんだ?」


マンションへ向かうタクシーの中、左側に居るナギにそっと尋ねる。


「えー、別にぃ」


「嘘は良くないな。絶対何か吹き込んだんだろ?」


「さぁ、どうだろうねぇ?」


本当にコイツはいい性格をしている。雪之丞の反応を面白がって、こちらに教えてくれる気は毛頭ないらしい。


どうせロクでもない事を言っているに違いない。


雪之丞に後で直接聞くしかないか……。この状態で素直に教えてくれるかどうかも怪しいが。


「……蓮君」


「な、なんだ?」


隣からじっと見つめられて、思わずドキリとする。


もしかして、もう我慢できなくなったとか? まだ部屋にも着いてないのに……。


って、いやいや。自分は何を考えてる!?


雪之丞は大事な友人だし、そういう目で見たことは一度もなかったはずだ。


ナギがおかしな事を言うから、きっと変な想像をしてしまっただけだ。


雪之丞は相変わらず俯いたままで、表情は窺えない。ただ、心なしか身体が震えているように見える。


「雪……」


「き、ぎもぢわるい……」


「え?」


突然の言葉に思考が停止する。


あっと思った時にはもう遅く、蓮は生暖かい感触に包まれていた。


「股間ゲロまみれにしたイケメンとか超ウケる」


「全く……笑い事じゃないだろ。運転手さんがいい人でよかったよ」


雪之丞がダウンしてから数十分、なんとか部屋に連れ帰り、汚れてしまった服を脱がせて取り敢えずベッドへと寝かせた。


とばっちりを食らった蓮が風呂に入ってる間に、ナギが体を拭いて綺麗にしてあげてくれたようで、今はスヤスヤと気持ちよさそうに眠ってしまっている。


「吐くまで飲むヤツじゃ無かったんだけどな……」


苦笑しながらそっと髪を撫でると、くすぐったかったのか雪之丞が小さく身じろぎをしたので慌てて手を引っ込めた。


危うく起こしてしまったかと思ったが、再び規則正しい寝息を立て始めたのでホッと息を吐き、そっと着替えのシャツだけ掴んで寝室を後にする。


「ゆきりんの様子は?」


新しい着替えに袖を通しながらリビングに戻ると、ソファに座っていたナギが立ち上がって心配そうに尋ねてきた。


「よく眠っているよ」


「そっか……。ゆきりんには悪い事しちゃったな」


「……」


まさか、あの雪之丞が酒に酔って吐くなんて思わなかった。というか、酒に強いはずの彼がそこまで酔うというのがそもそも珍しい。


「酔いつぶれるまで飲むなんて、雪之丞のヤツ、一体何があったんだろう?」


率直な疑問を口にすると、ナギがキョトンと首を傾げた。


「何言ってるの? まさか、気付いてないとか無いよね?」


「 気付く? ……それってどういう意味?」


一体何に気付くというのだろうか? 今の口ぶりでは、ナギにはその原因がわかっていたようだが……?


「あれだけアピールしてたのにわかってないなんて、ゆきりん可哀想」


「だから、何が――」


「そんなの、俺の口からは言えないよ。お兄さんって、意外と鈍いんだね」


小馬鹿にしたような物言いに、カチンと来た。


「あー。まぁ、ヤリチンにはそう言うの、関係ないのか」


「酷い言われようだな」


「ん? 事実でしょう?」


確かに、その通りかもしれないが……もう少しオブラートに包んで欲しい。


これじゃまるで自分が遊び人みたいじゃないか。


まぁ、実際そうなのだが……。


蓮は小さく溜息を零すと、これ以上この話をしても無駄だと判断し、ナギの隣に腰を下ろした。


それに、今はあまり余計なことを考えたくない。


雪之丞の様子がおかしかった理由も気になるが、それよりも今はもっと重要な事がある。


「……なぁ、キミは僕の演技見た事があるかい?」


「なに、突然」


「ちょっとまぁ、色々とあって……」


流石に、自分の演技を見た兄からダメ出しを食らったとは、言い辛くて言葉を濁す。


だが、蓮の態度を見てなんとなく察してくれたのだろう。それ以上は何も聞いて来なかった。


代わりに、ジッとこちらを見つめてくる。


吸い込まれそうな程澄んだ瞳に見つめられ、なんだか落ち着かない気分になる。


「やっぱり凛さんに何か言われたんでしょう?」


「……まぁ」


「凛さんってさ、すっごい怖いよね。アクター時代の映像はテレビで何度も見て、すっごくカッコいいなって思ってたけど、何処か冷めてるって言うか……。実際に見るとなんだか凄く怖いって思った」


それは、蓮も薄々思っていた。だが、今聞きたいのはそこじゃない。


「きっと、他人にも自分にも厳しいんだろうなぁってイメージ。その点、お兄さんはアレだよね。自分に甘いタイプ。あー、いや。何か違うな……自分の演技に絶対的な自信を持ってるナルシスト、かな?」


さっきから酷い言われようだ。褒めているのか貶しているのか。一体どちらだろう?


「実は俺、昔っから戦隊もの大好きでさ、ずっと小さい頃から見てたんだ……。中学に上がるころ凛さんが載ってる雑誌に出会って。そこからアクターさんに興味を持ち始めて」


懐かしむように目を細めながら話し始めたナギの横顔は、どこか寂しげで、それでいて嬉しそうな複雑な表情をしていた。



そんなナギの様子を横目に見つつ、黙って耳を傾ける。


「ごめんね、初めて会った時、実は俺、お兄さんの事知ってたんだ。お兄さんだけじゃなくって、ゆきりんの事も勿論知ってたし、はるみんのことも知ってる」


「えっ?」


「一目でわかったよ。人気絶頂のさなかに突然引退を表明した伝説のイケメンアクター。お兄さんの柔らかい表現力と誰にでも合わせられる演技、綺麗な技の数々がすっごい好きで、憧れだったから」


真っすぐに目を見ながら告げられて、思わず照れ臭くなる。


こんな風に正面から褒められたことが無かったから、どう反応したらいいかわからず、蓮は誤魔化すようにコホンと咳払いをした。


正直、面と向かってそんなことを言われるのは気恥ずかしいし、気まずい。


「あれ? 照れてるの?」


「て、照れてなんかないよ」


図星を突かれて、平静を装いながら困ったように眉を寄せる。


本当はかなり動揺していたけど、それを悟られまいと必死に取り繕った。


「お兄さんが凛さんに何を言われたのかはわからないけど……。お兄さんって、どんな役者にも合わせられるでしょう? 戦隊ヒーローって演者とアクターが違うから下手な人だと直ぐにわかっちゃうんだよね。仕草が違うって言うか……。お兄さんの演技はどの出演番組を見てても違和感が無くって、それでいて綺麗で……。やっぱり、この人凄いなぁってずっと思ってた」


「……」


ナギの話と凛に言われたことが重なっていく。


独りよがりの演技……。演者とアクターは表裏一体。 自分が呼ばれた意味――。


彼の演技をこの目で見た時に、何故気付かなかったのだろう。クセのない自然体の演技をする彼を引き立て、違和感なくアクションに持ち込むには、台本どうりの動きでいいはずが無いじゃないか。


「ハハッなんだ……そうか……」


なんでそんな簡単な事に気付けなかったんだろう?


「……お兄さん?」


「いや、ゴメン。何でもない」


「……? 変なの」


不思議そうに首を傾げるナギに、蓮は苦笑を漏らしながら、心の中がスッキリと晴れていくのを感じていた。


こんな単純な事に気付かないなんて、独りよがりと言われても仕方が無いじゃないか。


「そう言えば、初めて会った時には、僕の事を知ってたって言ってたけど……」


「すぐにわかったよ。だってお兄さんが載ってる写真集持ってたし」


確かに昔、特集の一部で写真を撮ってもらった記憶がある。でもまさか、こんな身近にそれを持っている人間が居るなんて思わなかった。


「そ、そうなんだ」


「あの日、バスの中で憧れだった人が自分と同じゲイだったってわかって、本当に驚いたんだ。なんで引退したのかとか、色々聞きたいことがあったのに、そんなことどうでも良くなるくらい会えたことが嬉しかったし……興奮しちゃって、つい、あんな事しちゃったんだ」


ナギは、はにかんだような笑みを浮かべるとゆっくりと立ち上がり蓮の膝の上に跨ってきた。戸惑う間もなく首に腕を回して、甘えるように頬を寄せてくる。


「ちょっ……な、なにして……」


「ねぇ、今日はしないの? 本当に?」


「――っ!」


耳朶を甘く噛み、蕩けるような声で囁く。腰がゆっくりと腿に押し付けられ、ゾクリと背筋を快感が走る。


熱が一気に身体に広がり、思考がぼやけていく。理性が溶け、崩れ落ちそうになる。


ナギの瞳が妖艶に光り、唇をぺろりと舐める。まるで獲物を前にした肉食獣のような仕草だ。


この子は本当に二十二歳なのだろうか――そう疑いたくなるほど、官能的で蠱惑的な魅力を持っている。


「したいの?」


意地悪く尋ねると、ナギは拗ねたように口を尖らせた。


「……したくなっちゃうに決まってんじゃん。俺がどれだけアンタのファンだと思ってるのさ……」


甘ったるい声でそう言うと、ナギは再び蓮の首に手を回し、体重を預けてきた。


身体が密着し、シャワーを浴びたばかりの湿った肌から熱がじわじわと伝わる。


その温もりに、もう抗うのが馬鹿らしくなる――はずだった。


だが、その時――。


「ん……」


扉の向こうで、もぞもぞと雪之丞が寝返りを打ったような気配がした。


空気が、ピンと張りつめる。


理性が、氷水を浴びせられたように一気に冷え込んだ。


そうだ。ここには雪之丞がいる。


古くからの友人が、無防備に眠っているすぐ傍で――。


想像した瞬間、胸に鋭い罪悪感が走る。


同時に、妙なモヤモヤも広がった。


何故かはわからない。ただ、雪之丞がそこにいるという事実が、理性を締め付けながらも、胸の奥をじわじわと苛立たせる。


「――……っ」


蓮は深く息を吸い、ナギの肩にそっと手を置いた。


「ナギ。ごめん。今は……できない」


「えー。なんで?」


「雪之丞がここにいるのに、そんな気分になれるわけないだろ」


口をへの字に曲げ、不満そうな顔をするナギに、苦笑まじりで言い返す。


もちろん、自分だってしたくないわけじゃない。だが、そんなリスクは取れない。


それに――雪之丞の存在が、妙に引っかかって仕方ない。


ナギは渋々離れると、ぽつりと漏らした。


「お兄さんって、鈍感なくせにそういう優しいとこがむかつく……」


「ムカつくって……」


酷い言われようだ。だが、自分だって見境なく襲いかかったりしないだけの分別はある。


「あーぁ、残念。仕方ないから俺ももう寝るね」


「あっ、お、おいっ」


蓮の戸惑いを無視して、ナギが雪之丞の眠るベッドへと向かって歩き出す。


そしてそのまま、布団に潜り込むと、雪之丞の枕の横に無理やり自分の腕を捻じ込み、狭そうな隙間に横になった。


予備の布団は少ないから仕方ないにしても――よりにもよって雪之丞と一緒に寝るなんて。


てっきり、ナギは自分の横で寝るものだと当然のように思っていた。


それが普通のはずだと――無意識のうちに。


それの事実に気付いた瞬間、胸の奥がわずかにチクリと痛んだ。


別に雪之丞に嫉妬しているわけじゃない……はずだ。


けれど、妙な不快感は消えない。


(……なんか複雑だ)


仕方なく自分はソファへと向かいつつ、雪之丞を挟んだ布団で眠る二人の姿を見て、蓮は静かに溜息を吐

いた。


赤の誘惑~ヒーローが恋しちゃだめですか?~

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