テラーノベル

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テラーノベル(Teller Novel)

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あの日から一カ月が過ぎ、もう11月も半ば。蓮たち三人はあの日の夜起こった事なんて何事もなかったかのような平穏無事な日常に身を置いていた。


流石に朝起きた瞬間はナギも雪之丞も何故二人で寝ていたのかわからず混乱していたようだったが、ちょっと面白かったので暫く放置していると、雪之丞は恥ずかしそうに俯き、ナギは開き直って蓮にベッタリとくっついてきた。


正直、一度関係を持ったら雪之丞とはギクシャクするのではないかと思っていたのだが、意外にもあっさりとしていて稽古場で会っても普通に話しかけて来るので逆にこちらの方が戸惑ってしまう程だ。


あの日以降、三人の関係は表面上は今まで通りに戻った。ただ、内心ではどう思っているかはわからないが。


結局雪之丞とは一回ヤッたきりだが、この位の距離感が一番良いのかもしれない。


変に意識されるよりも余計なこと考えずに済むし、この方がお互いにとって都合が良い。


寧ろこれでよかったのだと自分に言い聞かせ、日々稽古に勤しんでいた。



「ゆきりんの様子はどう?」


「ん? 普段とあまり変わらないよ。流石に2,3日は動き辛そうだったけど……」


「ハハッ、そっか」


悪い事しちゃったかな? なんて言いながら、ソファに凭れる自分の肩にナギがコツンと頭を乗せて来る。


その頭をポンと叩いてやると、嬉しそうに頬を綻ばせるのでまるで猫のようだと思わず笑みがこぼれた。


「ねぇ、早く観ようよ」


「わかってるってば、ちょっと待って」


急かされてテレビの電源を入れる。録画画面から獅子レンジャーを選択し、ボタンを押すと軽快な音楽と共にオープニングが映し出される。


今日は第一話の放送日だった。流石にリアルタイム視聴をすることは適わなかったが、以前から一緒に見ようとナギと約束をしていたのだ。


画面に映るナギを見ていて思う。この子は演技をすると別人のようになる。普段は子供っぽいのに、いざカメラの前に立つと途端に大人びて見えるのだから不思議だ。


それでいて演技臭くない。脇役や、モブとして何度か出演したことがあると言っていたが、脇役にするには勿体ないほどの演技力。人の目を引く魅力あふれる青年を主役に据えた猿渡監督の目に狂いはなかった。


そう思える程の実力を持っている。


本当に初主演だろうか? と思うほどに堂々としていて、自然体で演じることが出来ているところが素晴らしい。


「あ……」


ふと、ナギが声を上げた。視線をテレビに向ければそこには変身して敵と戦う自分の姿が映し出されている。


声は後から合成したもので、動いているのは自分。何度見てもくすぐったいような、自分が自分ではないような不思議な気分になる。


(というか、兄さんの言ったとうりだな。自分とナギの動きは全然別人だとわかるレベルで違う……)


これは兄に注意されるのも無理はない。そう言えばあの日以降、何故か凛は現場に姿を現していない。


忙しいのだろうか? 自分の事をあまり語ろうとしないから、実の兄の事だがわからない部分が多い。


何度か連絡を入れようかとも思ったが、厳しい事を言われた後でなんと入れていいかわからずに結局、そのままの状態になってしまっている。


「やっぱお兄さんの演技はカッコイイね」


「そ、そう、かな?」


「うん……。カッコいいよ、凄く。しなやかだし、動きにキレがあるし……。また画面で動いてるのが見れるなんて嘘みたいだ」


「……」


うっとりと呟かれて、蓮は思わず息を飲む。その表情があまりにも艶めかしく見えたからだ。


「勿論、中の人もカッコいいんだけど」


するりと腕が伸びて来て頬に触れた。強制的に視線を向けられ、琥珀色の瞳に吸い込まれそうになる。


そのままゆっくりと顔を近づけて、唇が触れ合う直前でピタリと止まる。そして、吐息がかかる距離でナギが囁いた。


「ね? シよ?」


「たく、続きは? 見ないの?」


「ん……画面のお兄さん見てたらムラムラしてきちゃった」


全く、今の絵面の何処にそんな要素があったというのだろうか?


呆れつつも、ナギの腰を抱き寄せれば素直に身を預けてくるのが愛らしい。


「ほんっと淫乱……」


「……嫌いじゃないくせに」


フッと口角を上げて妖艶に微笑むと、再び唇が重なる。舌を絡め合いながら、ソファにナギを押し倒すと、期待に満ちた眼差しでこちらを見上げて来た。


それを合図に蓮はナギの首筋に顔を埋めた――。


ナギはどうやら朝が弱いらしい。中々起きて来ない彼に呆れつつ、朝食の支度をし着替えを済ませて寝室へと向かう。


案の定まだ寝ていたので布団を剥ぎ取り、身体を揺すって起こせば、彼はぼんやりとした様子で目を擦りながら身体を起こした。


いつもはセットされている髪が今日は珍しく下りていて、寝ぐせが凄い。それが余計に幼さを醸し出していて可愛らしく感じた。


「僕は先に出るけど、鍵は渡しておくから向こうで返してくれたらそれでいいよ。あと、朝ごはん作っておいたから食べていいからね」


「ん……」


寝ぼけまなこでコクリコクリと首を縦に振る姿はやはり子供のようだと思った。


昨晩の艶めかしい姿からは想像できないくらいに無防備だ。


「遅刻しないようにちゃんと来るんだよ?」


「うん……」


本当に大丈夫なのだろうか? 少し不安ではあるが、彼の覚醒を待っている時間が惜しい。


後ろ髪をひかれつつ、じゃあ行ってくるよと告げて部屋を出た。


玄関を出ると冷たい木枯らしが吹き付けて来る。温暖化で日中は暖かい日が続いているものの、朝は結構冷え込む日が多くなって来た。


もう少し厚着をして来た方が良かったかもしれない。そう思いながらも足早に駅へと向かった。


「へぇ、すっげー……!」


「これ、ゆきりんが作ったの!?」


撮影前の軽いアップを終えて、スタジオにやって来ると、東海と美月が何やら雪之丞を取り囲んでいるところに遭遇した。


一体何事だろうか? 雪之丞が取り囲まれているなんて珍しい事があるもんだ。


気になって近付いてみると二人して雪之丞の手元にあるスマホを覗き込んでいる。


「何やってるんだ?」


「あっ、れ、蓮君……」


蓮に気付くと雪之丞はパッと顔を上げ、困ったような表情を見せた。やはり表面上は平静を装っているものの、心の中は穏やかではないらしい。


まぁ、無理もないだろう。あんな事をした後だ。気まずくないわけがない。


だが、そんな二人の空気など知る由もない美月は、やや興奮した様子で雪之丞の手元にあるスマホを指さす。


「蓮さん見て! ゆきりんって凄いんだから」


「凄いって、何が?」


「対戦型のアクションゲーム、自分で作っちゃったんだって」


ずいっと目の前に差し出されたスマホに目を向ければ、そこには何処かで見た事があるようなキャラクターたちが剣を手に戦っている画面が映し出されている。


グラフィックもさることながら、スマホから流れて来る軽快な音楽が好奇心をそそるように作られていて、素人目に見ても面白そうだなと思えるほどには細部まで作りこまれているようだった。


「へぇ、ゲームが好きなのは知ってたけど……こんな技術を持ってたのか。凄いね」


「ま、まだ試作段階なんだけどね」


素直な感想を述べると、雪之丞はほんの少し照れくさそうに笑った。その表情に一瞬ドキリとさせられたが、すぐに我に返って誤魔化す様に咳払いをする。


すると、隣にいた美月がまるで自分の事のように口角を上げながら嬉しそうに視線を蓮に向けて来た。


「ゆきりん、コンピューターグラフィックのデザインも出来るんだって」


「あと、操作も! 凄くない?」


普段自分には憎まれ口を叩く東海もこういう事には興味があるのか、興奮気味に話している。


雪之丞がこの手のものに秀でているのは元々知っていたが、まさかここまでの腕前だったとは。


本人は謙遜していたが、副業じゃなく本業としてやってみればいいのに。


そう思ったが、恐らくそれは雪之丞自身が望んでいないのだろう。口に出すことはせず、そっと心に秘めておくことにした。


「ねぇ、蓮さんもやってみない?」


「え? 僕はそう言うのはあまり……ゲームには興味が持てなくて」


突然の美月の提案にたじろぐ。確かに面白そうだなとは思ったが、自分はゲームなどあまりやったことがない。


「とか何とか言って、オッサン、負けるのが恥かしいんだろ」


横から東海に茶々を入れられ、カチンときた。コイツは本当に生意気なヤツだ。


「あ? 誰に言ってるのさ。いいよ。やろうか」


売り言葉に買い言葉。よせばいいのに、つい乗せられてしまった。


結果なんて火を見るほど明らかで……。


数分後、蓮は画面に映る自分のキャラクターを見ながら深いため息をついた。


結果は惨敗。開始早々敵にボコられて即ゲームオーバーとなってしまったのだ。


美月とも対戦してみたが秒で大技を食らい、トラップに引っ掛かってあっという間にKO。


「あっはっは、くっそ弱いじゃんダッセー」


「蓮さんって、何でもこなしちゃうイメージだったのに意外だな」


「……クッ」


勝ち誇った笑みを浮かべる東海と、苦笑を浮かべる美月。


二人の反応に苛立ちを覚えるものの、事実なので言い返すことも出来ない。悔しさに顔を歪めながら、もう一度挑戦してみるが何度やってみても結果は同じだった。


「くそっ、もう一回――」


「た、大変ですっ!」


苛立ちを隠しきれず、ついムキになってスマホを再び手にした時、別の撮影の仕事で合流が遅れていた弓弦が血相を変えてスタジオに駆け込んできた。


いつも澄ましている弓弦のただならぬ雰囲気に一同は顔を見合わせ、一体何があったのだと視線を投げかけた。


「ゆづ、ちょっと落ち着いて。一体何があったの?」


酷く動揺した様子の彼を気遣い、美月がそっと背中を擦って声を掛けると、彼はハッと我に返ったように肩を揺らし、それからゆっくりと深呼吸をして息を整えた。


「姉さん……。すみません、取り乱しました」


「草薙が慌てるなんて珍しいじゃん。学校で遅刻しそうになっても悠々と登校してくるようなヤツなのに」


「わ、私は時間に余裕をもって行動しているので遅刻なんてしません! では無くて、大変なんです!」


東海が横から茶化すと弓弦は再び声を荒げた。


普段は冷静沈着を絵に描いたような青年がこんなに慌てるなんて一体何が起きたのだろう?


「草薙君、詳しく聞かせて貰えないか?」


蓮がそう尋ねると、弓弦はコホンと咳ばらいを一つして、美月から受け取ったドリンクを口に含み、深呼吸を一つしてから神妙な面持ちでゆっくりと口を開いた。


「実は、番組制作に携わっていたCG担当の方がここ数日無断欠勤を繰り返していて、心配した他のスタッフが様子を見に行ったらしいんですが、行方不明になっている事が判明したんだそうです」


「行方不明?」


その場に居た一同に衝撃が走る。


「行方不明とは穏やかではないね。居場所はまだわからないって事だよね」


「そこまで詳しくは知りませんが……。部屋に行ったスタッフによれば部屋はもぬけの殻で既に引っ越しが完了した後だったと。床に番組を途中で投げ出してしまう事への懺悔が書かれた紙が落ちていたと聞きました」


「……うそ、え? どうすんだよそれ! CG担当居なくなっちゃったら誰がエフェクトかけたり、ロボット合成させたりするんだよ」


「第一話は既に放送されてしまいましたし……枠も押さえてあるのでスタッフさん達が今必死になって代役を探しているようです。ですが……」


「今から探した所で、日数的にも代わりを見つけるのは難しいかもしれないわね」


美月の言葉に、一同は揃って黙り込んだ。


CG担当が消えた。つまり、代役が見つからなかった場合、番組の制作がストップしてしまうと言う事だ。


最悪の場合、打ち切りという可能性だってあり得ない話ではない。


ある程度撮りためてはいるものの、それだってひと月分くらいしか無い。


一体どうしたら……。


「それだけじゃないぞ」


重苦しい空気の中、追い打ちを掛けるように背後から声がした。


振り返れば、そこには険しい表情をした兄の姿。その表情を見てその場に居合わせたみんなの表情が瞬時に強張る。


「兄さん……」


「実は、今日OSCから、正式にスポンサーを降りると連絡があった」


「え? はぁ!? ち、ちょっと待って! 兄さん! OSCって……」


兄の口から発せられた単語に驚きを隠せない。それはみんなも同じようで、目を丸くしながら口々に質問をぶつけ始めた。


それもそうだ。OSCと言えば日本を代表する大手メーカー。CMでも頻繁に見かけるし、自分達が出演する番組のメインスポンサーでもあった。


そんな企業が、スポンサーを降りた……?


とてもじゃないが信じられない。


「原因は、わかっているんですか!?」


美月がいつになく悲壮感漂う顔で凛に詰め寄る。


「原因はだな……」


「OSCの代表取締役の人……監督の奥さんなんだって。それで、浮気がバレて奥さん怒って出て行っちゃったみたいで」


凛の後ろから突如現れたナギが神妙な面持ちでそう告げる。


その瞬間、一同は一斉に脱力し、はぁ~と大きな溜息を漏らした。


「そんな……」


「めちゃくちゃ私情挟みまくってるじゃん」


美月はガックリとうなだれているし、東海に至っては呆れた様子で頭を掻いている。かくいう自分も思わず力が抜けてしまった。


何だか一気に気が抜けたような気分だ。いや、だがしかし、これは由々しき事態だ。


「困りましたね。メインで動いていたCG担当者の不在に、大手スポンサーの降板……せっかく第一話が放送されて、注目度も上がって来ているのにこのままでは打ち切りになってしまうかもしれません」


弓弦の言う通り、これじゃああまりにもタイミングが悪すぎる。


何せ、CGは使えなければ、今後は巨大ロボットなしの展開に変更しなければならなくなるし、来るべきクリスマス商戦に向けて既に製作が始まっているおもちゃ業界にも大打撃になるだろう。


「嘘……。せっかく掴んだチャンスだったのに……」


「兄さん、この一カ月顔を出さなかったのは、今回のスポンサーの件と何か関係があるの?」


美月の絶望したような声を聞きながら、ずっと疑問に思っていたことを思い切って尋ねてみると、凛は静かにこくりと頷いた。


「元々、監督夫婦の仲は冷え切っていたようなんだが、ここ一カ月ほど監督の周辺で他にも色々と小さな問題が立て続けに起きていてな。プロジェクトを止めるわけにはいかないし、撮影で動けない猿渡の代わりに俺が出向いて対応していたんだ」


酷く疲れた様子で凛はため息交じりに言った。なるほど。だから、今まで姿を見せなかったのか。兄は口が堅いし頭も切れる。監督とは20年来の仲で結婚式にも呼ばれるほどの仲だ。口下手な所がたまにキズだが、よほど信頼されているのだろう。


だが、自分の尻ぬぐいは自分でしろよと、監督に対して憤りを覚える。よくもまぁ、自分たちの前に出て来れたものだ。


兄には恐らく何かしら理由があっての事だろうと察してあえて聞かなかったのだが……。まさかこんな事になっていたとは思いもしなかった。


きっと、色んな事を一人で抱え込んでいたに違いない。


凛も凛で何故、断らなかったのだろうか? 兄の性格なら嫌な事は嫌だと言いそうな気もするのだが。


ふぅ……と小さくため息をつく。


それにしても、どうしてこうも悪い事が重なるんだ。何か裏で手を引いてる奴がいるんじゃないかと疑いたくもなってくる。


「今回の件、流石にアイツも精神的に参ってしまったらしくてな、暫くは現場に復帰できそうにも無いらしいんだ。だから、今回からは俺が演技指導に加えて撮影の方も担当することになった」


「精神的にって……そんなの自業自得じゃないか。なんで兄さんがそこまで……」


「担当って言ったって凛さんが指導してくれるのは嬉しいけどさ……、CGもない、お金もないのにどうしろって言うんだよ」


ポツリと呟かれた東海の一言に、一同は押し黙る。


撮影に使える時間も限られているし、予算も少ない。


おまけにCGは使えないとなれば、視聴率が取れる見込みは薄い。


正直、お先真っ暗とはまさにこの事だろう。


「あ、あの……グラフィックの機材って、見せて貰う事って出来ますか?」


重苦しい沈黙の中、そう声を挙げたのはずっと黙って事の成り行きを見守っていた雪之丞だった。


「あ! そうだよ、ゆきりんなら操作出来るんじゃない?」


美月がポンッと手を叩いてそう言うと、皆がハッとしたように目を見開いた。一斉に視線が雪之丞へと集まる。


確かに、ゲームを自作してしまうほどの腕前を持つ彼ならば、何とかできるかもしれない。


「ちょ、ま、まだ出来るとは言ってないし! 知識はあっても動かせないと意味がないからっ」


「棗が?」


「えっ、えっと……確実に出来る自信は無いんです。でも……っ」


「雪之丞はコンピューター関連の知識が凄いらしいんだ。僕も試してみる価値はあると思うんだけど」


本当に大丈夫だろうかと訝し気に眉を寄せていた凛だったが、蓮の言葉を聞いてしばらく考え込むように顎に手を当てた。


それから、ゆっくりと視線を上げると真剣な眼差しで雪之丞を見つめた。


「代役を探している時間も惜しい。棗がやってくれるというのなら願ったりかなったりだ」


凛の言葉に、一同は大きく首を縦に振った。CGさえなんとかできればとりあえず話は進むはずだ。


「わ、わかりました。やってみます」


雪之丞は自信なさげな表情を浮かべながらもしっかりとした口調で答えた。


「大丈夫。お前ならきっと出来るよ」


「……蓮君……。う、うんっ」


不安がる彼の肩をそっと叩くと、彼は頬を赤く染めて照れくさそうに笑みをこぼした。


視界の端に、複雑な表情をしたナギの姿が映る。


「百聞は一見にしかずだ。少しざわついているが、実際に行ってみるか?」


「それは、私たちも一緒に行ってもいいでしょうか?」


弓弦の質問に、凛は周囲を見渡しはぁ、と盛大な溜息を吐いた。


彼の後ろには、見てみたい! と言う好奇心に満ちた目をした美月や東海の姿があり、どうしたものかと考えている様子だった。


「わかった……。但し、邪魔だけはするなよ」


「ここが……そのスタジオですか」


案内された場所は、まるで秘密基地のような場所だった。オフィス内の一角に、ひっそりと作られたそこは、扉を開けると中は薄暗く、パソコンのディスプレイが青白く光っているだけだった。


部屋の中には沢山のモニターが置かれており、何処かの研究所のような場所が映し出されている。


「CGクリエーターは本来ならいくつもの工程をみんなで分担して作業することになっている。猿渡の奴が、人件費をケチったせいで今現在はその工程をほとんど全部一人でこなしていたような状態だ。一応、助手がもう一人いるには居るんだが……まだ見習い程度でメインで動くには荷が重すぎるんだ」


「……女にルーズな上にケチって、もうクズじゃん」


憤る東海の言葉に美月もウンウンと激しく同意する。


まだ青臭い二人には、大人の欲望渦巻くどろどろとした世界とは縁遠い存在だったのだろう。


対して、弓弦は幼い頃から様々な裏側を見て来ているのか大して驚いた様子はない。


ナギに至っては、心底軽蔑していると言った様子だ。


「あぁ、全くだ。まぁ、アイツの愚行と罰は後で考えるとしよう。今はとにかく、棗が何処まで操作できるのかが知りたい」


凛はそう言うと、壁に設置されたスイッチを押して部屋の電気をつけた。


パッと室内が明るくなり、眩しさに目を細める。


「へぇ、凄い……中はこんな風になってるんだね」


「あちこち触るなよ。俺にもどれがどのスイッチなのかさっぱりわからん」


興味深そうに辺りをキョロキョロと見渡すナギに対し、凛は釘を刺すようにそう言った。


「ちぇ、ちょっと見ただけなのに」


「実際に触ってもいいですか?」


「あぁ、勿論だ」


不満げな様子のナギに苦笑しつつ、雪之丞が恐る恐る凛に尋ねると、彼は二つ返事で了承してくれた。



おずおずとパソコンの前に立ち、モニターをじっと見つめると、雪之丞が小さく息を吸い、マウスに手を伸ばすのを固唾を飲んで見守る。


カーソルをファイルに合せクリックすれば、合体前のライオンを模したロボットの姿が画面上に映し出される。


「あ……レオ!」


「良かった。ちゃんと動いた」


ホッとする一同の空気の中、雪之丞が物凄い速さでカタカタとキーボードを打ち込んで行く。


モニター上では音楽も何もない状態で、第一話で見たばかりの合体シーンが順番どおりに再現されていく。何を打ち込んでいるのかさっぱりわからないが、時折マウスを操作して、画面上のロボットを意のままに操る雪之丞の姿はいつになく堂々としているようにも見えた。


「……ゆきりん凄……」


「え、ヤバくね? 棗さんカッケェ」


「私、機械音痴なのでよくわかりませんが……多分、これ相当難しいんじゃないですかね?」


美月と東海、そして弓弦の3人が顔を見合わせ感嘆の声を洩らす。その声が聞こえたのかどうかはわからないが、少し恥ずかしそうにしながら、雪之丞がキーボードから手を離し、画面を見つめながら口を開いた。


「凛さん……。合体と合成シーンだけなら、ほぼ使い回しで行けそうです。ただ、他のコマンドはまだ試してないので使えるかは……」


「そうか……」


「それに、音楽と、効果音などのファイルの場所が見当たらないんだけど……何処なんだろう?」


「貴方たち! な、何してるんですか!?」


ホッとしたのも束の間だった。


突然、背後から女性の声がしてみんな一斉に振り返る。


そこには、沢山の資料を抱えた小柄な眼鏡の女性が立っていた。


「な、なんだ……?」


「誰?」


ざわつく一同の声で騒ぎに気付いた凛が、モニターから視線を外し、女性の方へとゆっくりと歩み寄った。


「……あぁ、すまない。 新しいクリエーターが見つかりそうだったので、実際に操作できるか確かめて貰っていたんだ」


「なんだ、御堂さんじゃないですか。びっくりした……。って、新しいクリエーターさん見付かったんですか? よかった」


凛の言葉に女性は一瞬、目を見開くとすぐに表情を崩して心底ほっとしたように表情を崩した。


「あぁ。普段はアクターとして動いて貰うが、合間でこっちの仕事も手伝って貰おうと思っている」


「棗雪之丞です。よ、宜しくお願いしますっ」


凛の紹介に合わせるようにペコリと頭を下げると、彼女はにこりと微笑んだ。


「二階堂です。よろしくお願いします! 判らないことがあれば聞いてくださいね。と言っても、私もぜんっぜんわからなくって。ほとんど奈々先輩がこなしてくれていたから」


「奈々先輩?」


「あぁ、メインでグラフィックから音響迄全部やってくれていた先輩です。 一週間くらい前に無断欠勤し始めてからずっと連絡が取れなくって……御堂さんが新しい人を連れて来たっていう事は奈々さんまだ、見付かってないって事ですよね……」


「あぁ。部屋はもぬけの殻だったそうだ」


「そんな……。無断欠勤するような人じゃなかったのに、どうして……」


「……」


悲し気に俯いた彼女の言葉に、その場にいる誰も答える事が出来なかった。


「悲観しても始まらんだろう。ある日突然戻って来るかもしれん。この件に関しては彼女の実家の方にも連絡済みだ。最悪の場合行方不明事件として捜査の手が入る可能性もある」


「奈々先輩死んじゃったんですか!?」


「それは何とも言えんな」


「……信じて待ちましょう。御堂さんの言うように、もしかしたら突然戻って来るかもしれませんし」


「っ、ひっ、ああっ! 草薙弓弦!? ひえええっ、本物!?」


弓弦がポンと肩に手を置くと、目が合った瞬間、さっきまでの悲壮感漂う表情は何処に言ったのかと言わんばかりの顔で、彼女は飛び上がるように驚いて声を上げた。


「やばいね、草薙君効果」


「ハハッ、流石有名俳優。一瞬にしてあの子の目をハートにさせちゃったよ」


一連の流れを少し離れた所から見ていたナギと共に、思わず失笑が洩れる。


「嘘ッ! ナギ君も居る!!! しかも、横に居るのって御堂、蓮さん!? イケメンばっかり……ど、ど、どうしよう」


二人の存在に気付くと今度は二人に視線が集中した。どうやら彼女の中で二人はかなりの有名人のようだ。 正直、自分も認知されているとは思っていなかったので正直驚いた。


「あ、あのっ! 奈々先輩が蓮さんのファンだったんです! サイン貰えませんか!? 戻ってきたら渡してあげたいので」


「えっ? 僕のサイン? ……まぁ、いいけど……」


第2話の台本の裏表紙とサインペンを差し出され、躊躇いながらも書いていく。


弓弦やナギじゃなくて良かったのだろうか? なんて思ったが、失踪した彼女にあげたいと言われれば仕方がない。


「お兄さんの事知ってるんだ……ふぅん。よかったね、可愛い子にイケメン認定されて。嬉しいでしょ?」


書き終えて、それを嬉しそうに抱きしめながら、凛と今後の事について話を始めた彼女を眺めていると隣にいたナギがニヤリとした表情を浮かべながら、肘をつついて茶化してきた。


「……はぁ、何を言ってるんだ。僕が女の子に興味持てない事知ってるくせに」


それを呆れたように返しつつ、ロボットの合体シーンばかりが繰り返し映し出されているモニターに視線を移す。


どこからどう見ても、第一話で見た再現シーンとクオリティは遜色ない。


さっきの短時間でこれを引き出して来るあたり、やはり雪之丞の技術は相当なものだと改めて実感する。


当の本人は、やはりどこか自信なさげで猫背がさらに丸くなり不安そうな様子だったが、きっと彼なら大丈夫だろうと確信めいた思いがあった。


「……雪之丞、大丈夫か? いけそう?」


「多分大丈夫。まだわからない部分もあるけど、彼女に聞きながら出来る限りやってみるよ。ロボットの方は、ある程度の基礎的な動きがプログラミングしてあるから問題なく動かせそうだし、微調整位ならボクにでも出来そう」


「そうか、雪之丞が居てくれてよかったよ」


「……ッ」


素直な気持ちを述べれば、ほんの僅かに間が出来た。何か言いたげに口を開きかけたが何も言わず、赤くなった頬を誤魔化すようにそっぽを向いてしまう。


その様子に悪戯心が芽生えてしまい、つい意地悪したくなった。


「……照れてるの? 可愛いなぁ雪之丞は」


「っち、ち、違うからっ! ボ、ボクッ、プログラム終了させて来る!」


耳元でそっと囁いただけで、真っ赤になって耳を押さえながら逃げて行く。


その様子が面白くて、もっと揶揄いたい衝動に駆られたが、これ以上やると本気で怒りそうなので止めておく事にした。


「お兄さんってほんっと、節操ないよね」


「なに? ヤキモチか?」


「……ッ違うし!」


横で呆れたような声を挙げるナギに意地悪く口角を上げて尋ねれば、案の定彼は不機嫌そうな表情でこちらを睨んできた。


「そんな可愛い顔で睨まれても、意識してるのかって思うだけだよ」


「……~っ、そういうとこ、ほんっとムカつく!」


ぷいっと顔を逸らすナギの頭を撫でると、思いっきり足を踏みつけられそうになりギリギリのところで足をずらして避けた。


「危ないな。踏んだら痛いだろう?」


「くっ、避けないでよ」


ムッとした表情でそんな事を言う。いや、普通に今のは避けるだろう。痛いのは嫌だし。


こういうところはまだ子供っぽいんだよなぁ……。思わずニヤけそうになるのをなんとか堪えながら、コホンと咳ばらいを一つして、気を取り直すと蓮は部屋全体を見渡した。


取り敢えず、CGの件はきっと雪之丞がきっと何とかしてくれるだろう。彼には負担を増やしてしまい申し訳ないとは思うが、緊急事態だ。致し方ない。


残る問題は……資金調達をどうするか、だが……。


「――とにかく、後はどうやってスポンサーを獲得するか、よね」


美月の言葉に一同は再びうーんと頭を悩ませる。


「やっぱり地道に声を掛けて回るしかないんじゃないでしょうか?」


「でも、それだと効率悪くない?」


「うーん……」


皆、一様に困り果てた表情を浮かべていた。


「あ、あのう……。皆さんは配信とかされないんですか?」


すると今まで黙っていた二階堂が恐る恐るという感じで手を挙げた。


一同が一斉に彼の方へと視線を向ける。それに驚きビクつきつつも二階堂は言葉を続ける。


「あっ、いえっすみません! 最近は番宣で配信をされる所が多いって聞いていたので、放送の間だけでも番宣用のアカウントを作ったらどうかな?って、奈々先輩と以前話していただけなんです……」


「そ、そ、それだ!!」


成程、確かにそれは名案かもしれない。確かに、動画配信サイトに動画を投稿すれば、広告収入で収益を得られる。つまり、この案件を上手く利用できれば、制作費が捻出できるという事ではないだろうか。


「盲点だったわ! そうね、配信と言う手があったじゃないの!」


「そうですね、二階堂さん。ナイスアイディア。ありがとうございます!」


「は、はひっ!」


弓弦にガシッと手を握られ、彼女は今にも顔から火が出そうになるほど顔を赤く染め上げていた。


相変わらずモテる男だなぁと苦笑しつつ、彼女の反応を見ているとどうやらまんざらでもないらしい事が窺える。


それもそうだろう。技術職で番組制作に携わっているとはいえ、こんなに間近で今を時めく人気俳優と握手が出来る事なんてめったにない。


自分だって、長年アクターとして制作に携わってきたが、内部に入るのはコレが初めてだ。


「では、新たなスポンサーを探しつつ配信で収益を得るという方向で行こうと思うが異論がある奴は居るか?」


凛の問いに、メンバーはみな顔を見合わせ、そして首を横に振った。


「……あの、兄さん……?」


ソファに凭れながら蓮は、戸惑いの声を挙げた。皆と別れた後、珍しく家に来ると言い出した兄を連れて帰ったまでは良かった。


一緒に軽い夕飯を済ませた後、ソファに座る蓮の膝に突如頭を乗せかけて来たのだ。


「どうした?」


膝枕が気に入ったのか、凛が上目遣いで蓮の顔を覗き込んだ。柔らかい髪が膝をくすぐり、蓮は一瞬顔を顰める。


「こういう事は、彼女にやってもらった方がいいんじゃない?」


「俺に彼女を作る暇があると思うのか?」


「それは……」


兄の仕事を見ていればどれだけ忙しいのか容易に想像がつく。


これからは監督業も兼任するというのだから、恋人を作る暇など無いに等しいだろう。


でも、だからと言って弟に膝枕を要求するとはどういう了見だ。


「……こうすると落ち着くんだ」


「僕は変な気分だけどね」


苦笑しながら手を伸ばし、凛の乱れた前髪を梳いた。普段は厳しい兄の意外な一面を見た気がして、なんだかくすぐったい。


気持ちよさそうに目を細める姿はまるで大きな猫のようだ。


「なんだ、ヤりたくなったのか?」


ククッと喉で笑いながら冗談交じりに言われ、蓮は思わず眉を寄せる。


「……ハハッ、冗談でしょ。いくら何でも兄さんには勃たないよ」


流石にそこまで見境がないことをするつもりは無いし、欲求を満たすだけの相手なら沢山いる。


「俺はいつでもお前を抱きたいと思っているが」


「……」


さらりととんでもない事を言ってのける兄に、蓮は呆れたように溜息をつく。


「冗談キツイよ。兄さん」


「本気だと言ったら?」


「……そういうとこ、ほんとタチ悪い。僕にそんな事言うのは兄さんだけだと思うけど?」


「ふっ、そうだな」


抱いて欲しいと迫られたことは多々あるが、抱きたいなどと言われたのはこれが初めてだ。冗談とも本気とも取れない兄の言動に思わず失笑が洩れ蓮は呆れたように肩を落とす。


「……ねぇ、もしかして酔ってる?」


「いや? 今日は酒は飲んでいないぞ?」


「じゃあ、なんでそんな事……」


「たまにはこういう日もある」


「……兄さんのキャラじゃないだろ」


兄らしくもない。いつもはクールで冷静沈着。誰よりも大人びていて、弱音なんて一切吐かない人なのに。


「そんな……誰か連絡先を知ってたりとか……」


「心当たりを探ってみたが、番号を変えられていて繋がらなかった」


それってつまり、手詰まりという事では無いだろうか。


「それに、仮に居場所がわかったとして、俺は接触するべきか悩んでいる」


「え? それってどういう――」


凛の言葉に思わず聞き返そうとしたその時、テーブルの上に置いてあったスマホの着信を知らせるメロディが流れた。


画面を見ると、それは雪之丞からの電話だった。こんな時間に一体何事だろうか? 雪之丞は普段用がある時はメッセージアプリで済ませることが多い。


電話をしてくるなんて珍しい。なんだか胸騒ぎがする。


「兄さんごめん、ちょっと出てくるね」


凛にそう断りを入れ、そっとリビングを出て、スマホを耳に押し当てた。


「もしもし? 雪之丞、どうした?」


『蓮君、ゴメン。まだ起きてた?』


「流石にこんな時間には寝ないよ。それより、どうしたの?」


『引き受けたCGの件なんだけど、ちょっと困ったことがわかったんだ』


雪之丞の言葉に、蓮は思わず眉を寄せた。時計を確認すれば時刻はもうすぐ日付が変わろうとしている。


もしかして、あれからずっと彼女と一緒に残っているのだろうか?


「困った事って、何が……」


『あのね、ロボットを縮小させたり、大きくさせたり、動かすことは出来るんだ。色々な小技もファイルにデータが残ってたから何とかなりそうなんだけど。何度やってもグレートキャノンだけが出せなくって……。二階堂さんの話によれば、何か特殊なコマンドが使われてるらしくってそれを知ってるのは先輩さんだけなんだって』


グレートキャノンと言えば、毎話必ず最後に出て来る敵を倒す切り札の大砲の事だ。大砲が敵に命中し、倒した後、お決まりのセリフを放ち日常へと戻るのがセオリーになっている。


それが敵に打ち込めないとなると、迫力に欠けるし2,3話くらいは何とかなったとしても、最終話まで押し通すことは難しいだろう。合成で何処まで誤魔化せるかわからないが今はそれで凌ぐしかないだろう。


『取り敢えず、過去のグラフィックから引っ張って来て合成できないか試してみるつもり』


「……そうか。あまり根詰めすぎるなよ」


蓮はそれだけ言うと、通話を切った。


「何かトラブルか?」


「いや。配信楽しみだねって雪之丞から」


リビングに戻ると凛の隣に腰を下ろし、何事もなかったかのようにビールに口をつける。


兄に相談してみようかとも思ったが、笑えない冗談を言うほど疲れている兄にこれ以上負担を掛けるわけにはいかないと、黙っておくことにした。


顔に出にくい完璧なポーカーフェイスを演じるのは得意な方だ。


「そう言えば兄さん。さっき何を言いかけたの?」


「いや、何でもない」


「嘘。絶対何か知ってるでしょ?」


「……」


蓮が問い質しても凛は答えようとはしなかった。


どうあってもこの話題を終わらせたいらしい。


「兄さん!」


「……今日はもう戻る」


「え!? 兄さん! 待っ……」


蓮が止めるのも聞かず、凛は足早に家から出て行ってしまった。


一体兄は何を知っているのだろう?


風呂上がりに濡れた髪をタオルで適当に乾かした後、ベッドに仰向けに倒れ込んだ。


無機質な天井の模様を意味もなく眺めながら、蓮は先ほどの事を思い出していた。


話がしたいと上がりこんで来ておきながら、結局大事な話をはぐらかしたまま帰ってしまった。


一体何がしたかったのだろう? ただ、膝枕されに来ただけ? いや、まさか……。


兄の事だから、きっと何かしらの情報を持っているはずだ。そして、恐らくそれを自分に話す気でいた。でも、何が原因なのかわからないけれど、それを躊躇った。


何がいけなかった? あの会話で可笑しなところなんて無かったはずだ。


しいて言うなら兄の方がおかしかった。自分とヤりたいとかそんな事を言う兄では無かったはずだ。


疲れすぎていて、魔が差したというやつだろうか?


疲れている時ほどムラムラするとはよく聞く言葉だが……まさかね。


だからって実の弟にまでうっかり発言をしてしまうほど切羽詰まっていたのだろうか?


兄の性事情はよく知らないが、仕事柄そういった欲求不満に陥りやすいのかもしれない。


でもだからって……堂々巡りになりそうな思考をぶんぶんと首を振って掻き消す。


兄は一体なにを隠しているのだろう? 何をそんなに躊躇っているんだ。


考えないようにと思っていても、気になって仕方がない。


もしかして、自分一人で解決しようとしているのではないだろうか?


いや、まさか。……、でも、兄の性格ならあり得ない話では無い。


自分じゃ、役には立てないのだろうか? いや、きっと何かあるはずだ。自分に出来る事。


きっと何か……。


溜息と共にごろりと寝返りを打ち、目を閉じる。


明日は朝一で仕事が入っている。早く眠らなければ……。そう思ってはいるのだが、中々睡魔が訪れてはくれそうにない。


……そう言えば、ナギは今頃どうしているだろうか? 今日はなんだかんだと事件が多すぎてあまり話す時間が無かった。


それに、いつもならちょこちょこと後をついて来るのに、兄が居たせいか近づいてすら来なかった。


帰る時にも気付けば居なくなってしまっていたし、少し寂しい。


「……って、寂しいってなんだ。酔っているのか? 僕は」


自分に自分でツッコミを入れ、苦笑しながら寝返りを打つ。


別に、ナギが何をしようと勝手じゃないか。


どうせ明日になれば、気付けば側に居てあのクリッとした瞳で見ているに違いない。


様々な思いが脳裏を駆け巡り、その夜は中々寝付けないでいた。


結局朝方まで眠れなかった。瞼が重い。頭も痛いし、身体も怠い。目の下には心なしか隈が出来ているし最悪だ。


こういう時、アクターで良かったとつくづく思う。マスクを被ってしまえば、大抵の事は誤魔化せる。


欠伸を噛み殺しながらスタジオに向かって歩いていると、ほんの少し先にフワフワとした茶色い髪が揺れているのが見えた。


どうやら、こちらには気付いていないらしい。少し驚かしてやろうか? なんていたずら心が芽生え、そっと背後から近づこうとして、ピタリとその足を止めた。


脇にある自販機に居た男がナギに近付いて行くのが視界に入ったからだ。

男は、馴れ馴れしくナギに声を掛けると、彼の細い腰に腕を回して抱き寄せるように密着しだした。


「もぅ、やめて下さいよぉ」


なんて言いながら、形ばかりの抵抗をみせるものの、満更でもないといった様子にイラつきを覚える。


何だよその態度は……。嫌ならはっきり断ればいいじゃないか。


その男に、蓮は見覚えがあった。だが、どこの誰だったのか思い出せない。


だが今はそんな事どうでもいい。


とにかく、ナギにベタベタ触るなと言いたかった。


知らない男が、彼の体に触れているという事実が堪らなく嫌だ。


蓮は二人に気付かれないように気配を消しつつ、ゆっくりと近づくと、仮面のような笑顔を張り付かせナギの肩にポンと手を置いた。


「っ! お、お兄……さんっ!?」


「おはよう、ナギ。随分楽しそうだね。こんな所でなにやってるの?」


自分でも驚くほど抑揚の無い声が出た。


感情を一切押し殺し、表情筋を総動員させて作り笑いを浮かべ二人を見比べる。

だが、いくら笑顔を装っていても目だけは笑ってはいなかったようだ。


目の前の男を射殺さんばかりに睨みつけてしまったらしい。


男は引き攣り笑いを浮かべ、慌ててナギから手を離した。


「あ、あー、ごめんねナギ君。用事を思い出したから、もう行くよ! さっきの話はまた今度!」


「あっ! 犬飼さん……っ!?」


(さっきの、話? 一体何のことだ?)


脱兎の如く勢いで走り去って行った男の後ろ姿を見送り、蓮はチッと舌打ちを一つ。


全く、何なんだあいつは。男が去って行った方角を見つめ肩を竦める。


「もう! なんで威嚇しちゃったんだよ」


不満げな声が聞こえ、視線を落とすと、そこには頬を膨らませて拗ねたような顔をしているナギの姿が見えた。


「何のこと?」


「とぼけないでよ。さっきの人、僕の知り合いなんだよ?」


「へぇ、そうなんだ。知り合いねぇ……。ただの知り合いにしては随分距離が近かったような気もするけど」


「それは、向こうが勝手にくっついて来ただけだし」


「ふ~ん、そう」


彼が言葉を紡げば紡ぐ程、腹の奥底からどろりとした嫌な感情が頭をもたげてくる。


理性を総動員して必死に押さえ込まないと、言わなくていい事まで言ってしまいそうになり、グッと唇を噛んで耐えた。


ナギがあの男とどんな関係なのか考えただけでも吐き気がしてくる。


このモヤモヤの正体は一体……? 蓮は胸の辺りを押さえ、眉を寄せた。


「ねぇ、お兄さん。もしかして……ヤキモチ?」


「はぁ? 何で僕が……!」


「違うの?」


「……ッ」


上目遣いで尋ねられ、思わず言葉に詰まる。


確かに、あの光景を見た瞬間からずっと苛立っているのは事実だ。


だって、嫌だったのだ。ナギの身体に他の人間が触れているのが。


大した抵抗もせず、されるがままになっている姿にもムカついて仕方がない。


だが、嫉妬していると素直に認めるのも悔しくて、口を開こうとするが上手く言葉が出て来ない。


何も言えないでいると、ナギが面白い玩具でも見つけたかのようにニヤリと口元を歪めた。


「ふぅん? そうなんだぁ」


何が嬉しいのか、ニマニマと嬉しそうに笑うナギに蓮は益々面白くない気分になる。


なんで直ぐに違うと否定しなかったのか。いつものように、余裕たっぷりに受け流せばよかったのに、今日に限ってそれが出来なかった。


そんな蓮の心を見透かしているのか、ナギは意味ありげな笑みを浮かべた。


「なに?」


「別に?」


ナギは全然「別に」と思っていない顔で返事をする。


まるで猫に遊ばれているネズミのようにじわじわと追い詰められているような気がして仕方がない。


どうしたものかと困惑していると不意に後ろから声が掛かった。


「ナギ君と蓮さん! 二人ともこんなところでどうしたの?」


振り返れば、不思議そうに首を傾げる美月が立っていた。そのすぐ横には東海と弓弦が控えている。


良かった、助かった。ホッと安堵の息を漏らし、先ほどまでの気持ちを切り替えるように小さく息を吐き出す。


「おはよう3人とも。何もないよ、僕もついさっき彼と会って、挨拶してただけだから」


我ながら見事な演技力だと感心してしまう。


普段通りの声色。表情。


だが、そんな完璧な仮面を被りながらも、心の奥底ではどす黒い何かが渦を巻いているのを感じていた。


「よく言うよ。お兄さん、俳優としてもやっていけるんじゃない?」


揶揄い交じりに呟きながらわき腹を小突かれ、余計な事を言うなとばかりに睨むが、当の本人は何処吹く風だ。


「どうでもいいけど、さっさと行こうぜ。例の話、詰めるんだろ」


「あ、そ、そうだった! じゃぁアタシ達先に行くね!」


「失礼します」


慌ただしく追い抜いていく三人を眺めながら、隣でクスクスと笑うナギを横目で見やる。


「……なに?」


「いや? 別に? あの三人って、仲いいなぁって思って。それより俺らも早く行かないと遅刻しちゃうかも」


「そうだね。急ごうか」


先ほどの件を深く追及されなかったことにホッとしつつ、


蓮はナギと並んでスタジオへと足を向けた。


ロッカーで着替えている間も、蓮の心は決して穏やかでは無かった。先ほどの男の事が気になって仕方がなかったからだ。


彼の顔には見覚えがあるが、何処の誰だったのか中々思い出せない。


そもそも、何故朝から一緒に居たんだ? もしかして、昨夜いつの間にかナギが居なくなっていたのはヤツと一夜を共にしたからなのか?


嫌な妄想が頭を過り、ギリっと奥歯を噛み締める。


直接聞いてみようか? 疚しい事が何もなければ隠さずに答えてくれるはずだ。……だが、もし本当にそういう事をしていたとしたら……。


想像だけで怒りが沸々と湧いて来るのを感じる。


(ダメだ。このままだと仕事に支障が出る)


こんなこと位で心が乱れるなんて自分もまだまだ修行が足りないようだ。大きく深呼吸をし、何とか心を落ち着かせようと試みる。


「なに一人で百面相してんの?」


先ほどあった事など何も気にしていないかのようにいつもの調子で話しかけてきたナギの態度に胸がざわつく。


こいつは、自分の身体が他人の目にどう映っているか分かっていないのだろうか? あんな風に抱き寄せられても平然としていられるなんて……。あぁ、だめだ。やっぱり気になる。


「ねぇ、さっきの犬飼さんって人、本当にキミの友達なのか?」


出来るだけ自然に聞こえるように、努めて冷静に問いかける。


「何言ってるの? さっき説明したじゃん」


ナギは呆れたように溜息を零すと、肩をすくめて見せた。


その態度にますます苛立ちが増していく。


「……あの人、何処かで見た事あるなぁって思ってたんだけど……それに、友人だというには年が離れてるような気がする」


スーツのチャックを閉めマスクを小脇に抱えながら、鏡越しにナギを見る。


「年は関係なくない? 実際、お兄さんとだって離れてるわけだし」


ジャケットを羽織りつつ、何気ない調子で答えたナギの言葉に、蓮はピクリと片眉を上げた。


「僕は君の友達じゃない」


「え……っ?」


ロッカーの扉を閉めようとするナギの後ろから肩と腰に腕を回して抱き締め、軽く耳に口付ける。


「ちょ、なに?」


突然の事に驚いたのか、身体を硬直させたナギが耳を赤く染めたままこちらを振り返る。


だが、蓮はそれに構うことなく首筋に鼻を埋め、スンっと匂いを嗅いだ。


香水や整髪料とは違う甘やかな香りが鼻腔をくすぐり、それと同時にさっきあの男を見た時に芽生えた小さな嫉妬の火種が煽られてあっという間に大きくなった。


あの男と自分が同列だなんて、あり得ない。


だからと言って、じゃあなんだ? と言われれば答えられないのだけれども。


ナギにとってはあの程度のスキンシップはたいしたことじゃ無いのかもしれない。友達だという自分と簡単に寝る位だ。もしかしたらあの男とも?


……想像しただけで腸が煮えくり返りそうだった。


「……ねぇ、あの男とは何処までヤった?」


「え? ……痛ッ!」


驚くナギの耳たぶにガリっと歯を立てる。ガタッとロッカーが揺れた。だが、蓮はお構いなしだ。びくりと竦んだ身体を強い力で押さえつけ、シャツの裾から手を差し入れて直接肌に触れる。


「あの男とは何処までの関係なんだい?」


「や……なに言って……、んんっ……!」


耳の後ろを舌でなぞりながら小さな突起を指で探し当てて摘まんだ。


「友達の僕とこう言う事するんだから、あの男ともこういう事してたんだろ?」


「ち、ちが……っ、あの人とはそんな……ッ」


乳首をクニクニと弄ると、すぐに芯を持って固く尖ってくる。


「違うの? ふぅん……でも、相手の男はどうだろうね?」


こんなに簡単に反応しておいて、今更違うと言われたところで信じられるはずがない。


あんな風にベタベタとくっついてくる男に下心がないとは思えないし、ナギの警戒心の弱さにも腹が立つ。


「も、もう……止め……ぁ、んんっ!!」


苛立ちをぶつけるようにギュウと強く捻ると、ナギの口から艶っぽい声が漏れた。


慌てて自分の手で口を塞ぐナギの姿は酷く扇情的で、蓮の劣情を刺激する。


「止めて欲しいって言う割には、ここはもう硬くなってるみたいだけど? 本当はもっとして欲しいんでしょ?」


わざと意地悪く言って責め立てる。ナギは今にも泣きそうな顔をしてフルフルと弱弱しく首を横に振った。


違う、本当はそんな顔をさせたかったわけじゃない。ただ、ナギが他の人間と触れ合うのが嫌で、自分だけが特別で居たかっただけだ。


こんなのは、自分のエゴでしかないことも頭ではわかっている。


それでも、一度灯ってしまった嫉妬の炎はなかなか消えてくれそうに無かった。


こんなガキみたいな事ばかりして、もしナギに嫌われてしまったらどうする?

心を落ち着けるために息をつき、自問自答してから服の下から手を抜いて距離を取る。


「……ごめん。こんな事するつもりじゃなかったんだ。ちょっと頭に血が上っちゃって……」


我に返った途端に襲ってきた罪悪感に胸を締め付けられながら、申し訳なさそうに謝罪するとナギが服を整えながら、小さく息を吐いて蓮に向き直った。


「全く、こんな所で盛らないでよ。びっくりしたじゃん」


いつもの調子で返され、蓮はバツが悪そうに視線を逸らす。流石に今のは大人げ無さ過ぎた。流石に呆れられてしまっただろうか?


ずっと片思いをしていた相手は、自分が素直になれず現実から目を背けたせいで、知らないうちに他の男に取られてしまっていた。


あんな思いはもう二度としたく無いと心に誓っていた筈なのに、自分はまた同じことを繰り返そうとしている。


「……怒ってないのかい?」


恐る恐る尋ねると、ナギは小さく苦笑してみせた。


「別に……。聞きたい事は山ほどあるけど、時間もないし。早く行こうよ」


「えっ? あ、あぁ。うん……」


怒っていないどころか、逆に早く行こうと促されて蓮は少し拍子抜けしてしまった。


それとほぼ同時、ロッカールームのドアをノックする音が響き、続いて「ナギ君、蓮君いる? もうすぐ今日のミーティング始まっちゃうよ」と心配する雪之丞の声が聞こえて来る。


「ほら、ね? 早く行こ」


先に立ったナギが、いつもの表情でロッカールームのドアを開ける。しかし、途中でその手を止めて、躊躇いがちに蓮を振り返った。


「……?」


ドアの取っ手に手を掛けたまま、動きが止まったナギに、首を傾げる。


「……話は、後で聞かせてもらうから。《《じっくりと》》、ね?」


意味深な笑みを浮かべ、雪之丞にも聞こえるような声で呟いたナギに、蓮の顔が引き攣る。


「じゃぁ、先に行くから」


パタパタと去っていく後姿にはぁ、と大きなため息が洩れた。


「……今のは、ボクに対する当てつけか宣戦布告、かな……?」


「いや、多分全然違うと思う。って、宣戦布告??」


一体何の話だと、今度は困惑気味に眉を寄せる。


「いいや、何でもない。それより、蓮君も行こ?」


「あぁ、うん。すまないな。わざわざ声を掛けに来てくれて」


「いいよ。ボクがそうしたかっただけだから」


「え? 何か言った?」


「何も言ってないよ。さ、急ごう」


蓮の背中を押しながら、雪之丞は小さく笑って眉を下げた。


現場に行くと既に集まっていたメンバー達が輪になって何やら打ち合わせをしている最中で、蓮と雪之丞は揃って顔を見合わせた。


「あ! やっと来た。オッサン準備遅すぎじゃない?」


「ハハッ、ごめんごめん。 で? みんなで集まって何やってるんだ?」


相変わらずクソ生意気なガキだと心の中で悪態をつきつつ、いつも通りを装って近づくと、近くに居た弓弦が少し長めの前髪を耳に掛けながら、少し困ったように肩を竦めた。


「撮影時間までまだ少し時間があるので、配信する中身をどうするか考えていたんです」


その言葉に、そう言えば色々あって忘れていたが、昨日そんな話も出ていたなと思い出す。


だが、今はそんな事よりも自分達より先に行ったナギの事が気になった。チラリと彼を見てみれば、ロッカーであった出来事など何事も無かったかのように平然としており、さらに目が合うとにこりと微笑まれてしまった。


(さっきのあれは、夢だったのか?)


そう錯覚してしまいそうになる程、ナギの様子は普段と変わらない。


もしかしたら、本当に何とも思っていなかったのかもしれない。それはそれでなんだか複雑な気もするが、ギクシャクしたままの状態で周りに気を遣わせるよりはマシかもしれないと思いなおし集まっている皆に視線を移した。


「配信の内容、全然決まらなくって……番組の撮影裏話とかいいんじゃないかって思うんだけど、地味だからそれだけじゃ面白くないってはるみんが言うの」


「だって、折角の配信なんだぜ? それだけじゃ絶対つまんないって! うちには天下の草薙君が居るんだから、それを利用しない手はないって」


横から口を挟んできた東海の言葉に、弓弦の眉間の皺がさらに深くよる。


「だから、どうして私だけなんですか! 私が晒すなら皆さんだって晒して貰わないとフェアじゃないです!」


「まぁ、確かに弓弦君の言う事も一理あるよな。俺は賛成」


ナギが賛成の意を示し、チラリとこちらに視線を向けて来て、蓮は思わずギクリと身体を強張らせた。


「ね! お兄さんもいいと思うでしょう?」


「えっ、僕かい? 僕はえーっと……」


ナギにいきなり話を振られ、戸惑う間もなくキラキラとした目で見つめられて同意を求められ返答に困った。


正直あまり乗り気ではない。何故ならば、自分が話題の中心になるのはどうも苦手だ。それに、自分のプライベートなんて見たい人居るのだろうか? と言う疑問も単純にある。


「ボクは、反対……顔出しするのは嫌だな……恥ずかしいし」


蓮が言い淀んでいると、雪之丞が控えめに手を上げて答えた。


「オレも反対。 顔出しすんのはアンタらの専売特許だろ? オレらアクターにそれを強要すんなよ」


「えー、はるみんもゆきりんも結構イケてると思うんだけどな。蓮さんはイケメンだし……」


「ハハッ、そう、かな? でも、うーんそうだな……。顔出しするかどうかは別として、裏側を撮影するのはアリだと思う。僕達アクターの事に少しでも興味持って貰えるなら、やっぱり嬉しいし」


皆の意見を聞きながら、蓮は自分なりの考えを口にする。


結局のところ、どんな形であれ自分達に興味を持ってもらえるのであれば、それはとても光栄なことだとは思う。


しかし、そうは言ってもやはり顔を出すのは気が引ける。東海の言うとうり、自分たちはナギら俳優陣とは違う。表立って顔を出すのはどうしても抵抗がある。


結局話は堂々巡りになり、皆一様にうーんと頭を抱えていると、不意にスタジオの扉が開き、凛が姿を現した。


「さっさと支度をしろ。撮影を始めるぞ」


硬い声が飛んできて、ピリッとした空気が辺りを包み込む。一瞬にしてその場が静まり返り、全員が姿勢を正した。


ほんの一瞬、凛と視線が合った気がしたが直ぐに逸らされ、思わずチッと小さく舌打ちが零れる。


「……ねぇ、面白いことを思いついた。兄さ……御堂監督の寝起きドッキリとか、企画ものはどう?」


蓮の提案に、その場に居た数人が小さく噴き出した。


「ちょっ、自分の兄、だろ? やっぱり容赦ないね。おに―さんは」


「あの御堂さんに、寝起きドッキリとか……どうなるのか想像付かない。でも、面白そう」


ナギや美月は乗り気なようで、面白そうだと笑い合っている。


その他の面々も笑いを堪えるのに必死な者、その後が地獄なんじゃないかと恐怖におののく者、反応は様々だったが、概ね否定的な意見は無いようだ。


「おい、何をしてる早くしろ!」


凛に睨まれ慌てて準備をする一同。それからは早かった。各々セットの準備を

終え、カメラの前に立つ。


ナギは今、何を思い何を考えながら演技をしているのだろう? 先ほどの事があったせいで、いつも以上に彼の事が気になってしまう。


自分の浅ましい独占欲の先にある感情に名前を付けるとするならば、それはもう――……。


本日予定していた収録をすべて終え、身支度を整えてからスタジオを出る。

今日の撮影はいつも以上にハードだった。


寝不足で挑んだせいもあるだろうが、容赦ない兄のダメ出しに何度舌打ちをしたことだろう。


体調管理も役者の仕事だと言われたときには、誰のせいで眠れなくなったと思っているんだ! と、食って掛かりそうになった。


実際に行動に移さなかった自分を褒めてやりたいくらいだ。


結局兄は昨日のことについては一切触れず、いつもどうりの本心が全く読めない表情のまま、ただ淡々と監督業をこなしていて、それがまた腹立たしい。


昨日、あんなことがあったのにも関わらず、まるで何事もなかったかのように振る舞うのは一体どういう了見なのか? こっちは気にするなって言われても無理なのに……。


イライラしている原因の大半は兄の謎発言と圧倒的に足りていない睡眠時間によるものだと結論付け歩いていると、ちょうどマネージャーと話をしているナギに遭遇した。


「やっと来た。もう、遅いよお兄さん」


「え?」


「ほら、行こ」


グイッと腕を引かれて、戸惑う。一体何処に連れて行こうと言うのだろうか。


「えっ? ちょっと! 一体何処に……」


「俺のマンション」


「!?」


「朝言ったでしょ? お兄さんの正直な気持ち、ちゃんと聞くまでは帰さない

から」


逃がさないよ。と、にっこりと意味深な笑みを浮かべるナギは天使のようでいて、腹の奥底にどす黒い何かを隠しているような、そんな危ない気配を漂わせていた。


ナギの住まいは比較的新しい4階建てのマンションだった。23区内にあって交通の便が良く駅から徒歩10分。


本人曰く、駅近にしては比較的に安かったから、1DKの部屋を約半年前に買ったのだという。


駆け出しの新人にしては思い切った事をするな。と言えばナギは苦笑いを溢した。


「まぁ、結婚する気もないし……先行投資ってヤツ? 本当はタワマンに住みたかったけど、流石に、ね……」


そう言いながら、エレベーターで4階を選び南側にある角部屋に案内してくれた。


確かに一人で暮らす分には日当たりもいいし、間取り的にも悪くない。それに何より立地条件がいい。


オートロック付きでセキュリティもしっかりしていて、大通りに面してはいるが少し歩けば静かな住宅街が広がっている。


玄関から入って直ぐ、真っ白なフローリングが目に入った。白と黒を基調にしたインテリアで纏められており扉を外して暮らしているという奥の寝室から大きな窓が見えた。


約6畳ほどのダイニングに対し、寝室は12畳もあるのだという。全体的に低めの家具で統一された部屋はシンプルだがセンスがいい。



部屋の中は綺麗に片付けられており、生活感を感じさせない。とても居心地のいい空間は妙に落ち着く。


「適当に座っといて」


と言われて、とりあえずリビングのソファーの端の方へ腰掛けると、キッチンに立ったナギがマグカップを二つローテーブルの上に置いた。


ふわりと香ってきたコーヒーの香りが鼻腔をくすぐり、ホッと息を吐いたところで隣に座ってきたナギがコツンと肩に頭を凭れかけてきて、鼓動が僅かに早くなった。


一瞬、今朝あった出来事を追及されるのかと思ったが、どうやらそうではないらしい。


テレビのリモコンを操作しながらするりと腕を絡めてきたナギは、そのまま甘えるように身体を寄せてくる。


「……な、ナギ? どうしたの急に」


「んー? なんとなく、こうしたいなぁって思っただけ」


そう言いながらも、さらに距離を詰められ密着してくる。


コイツは誰にでも何となくでこんな態度を取るのだろうか? それとも、自分

にだけ?


いや、そもそもナギにとって自分はどんな存在なのだろうか。


「……ねぇ、お兄さん」


「な、なんだい?」


「俺の事、好きでしょ」


「えっ……」


突然の問いに言葉が詰まる。今朝の出来事を問い詰められるのは予想していたが、まさか単刀直入に聞いて来るとは思いもしなかった。


「どうだろう。まぁ、毛嫌いする子とは寝ないから……」


「答えになってないよ」


覗き込むように真っすぐ顔を見つめられ、鼓動が一層早くなる。


その視線から逃れる様に目を逸らすと、男にしては線が細めの綺麗な指先が伸びて来てするりと頬を撫でられた。半ば強引に顔を向けさせられ、視線が絡む。


「俺の目をちゃんと見て」


「……っ」


「……ねぇ、逃げずにちゃんと答えて。お兄さんは、本当は俺のことどう思ってるの?」


甘く囁く声は、どこか切なげに聞こえた気がする。そして何故か泣きそうにも見えて胸が締め付けられた。


「ぼ、僕は……」


自分の気持ちなんて、もうずっと前から薄々気が付いていた。でも、それをはっきりさせてしまったら、もっとその気持ちに執着してしまいそうで怖い。


だからあえて見ないふりをしていたのだけれど……。


(ああ……もう、認めるしかないじゃないか)


でもそれをはっきりと口にするのは憚られて、口籠る。するとナギは困った様な表情を浮かべながら小さく溜息を漏らし、コツンと胸元に頭を預けて来た。


「……お兄さんって、イケメンのクセにヘタレだよね」


「な……っ」


「小学生でもわかるような、みっともないヤキモチ妬くし? 自分の事になると途端に臆病になるし? ホント、呆れるくらい」


グサリグサリと容赦なく刺さる棘に、思わず涙が出そうになる。自覚はしているが、改めて他人に言われるとかなり傷つく。


「そ、そこまで言わなくてもいいだろ」


「言いたくもなるよ。せっかく俺がこれだけお膳立てしてあげたのにさぁ……。でも、そういう所も俺は好きだよ」


ちゅん、と触れるだけのキスが唇に降ってきて、思わず固まってしまう。


今、自分は何をされた? 好きって言われた? 誰が? 誰を? 思考が追い付かず混乱していると、悪戯っ子のような笑みを浮かべたナギと目が合った。


「なに、ハトが豆鉄砲喰らったような顔してるのさ。そんなに意外だった?」


「い、いや……ごめん。少しビックリして……」


驚きのあまり上手く言葉を紡げない。


だって、そんな素振り今まで一度も見せたことなかったじゃないか。


「そうかなぁ? 俺、めちゃくちゃアピールしまくってると思うんだけど……。鈍すぎじゃない?」


「……さっきから棘が刺さりまくってるんだけど」


ジトリとした眼差しを向けると、ナギはクスクス笑いながらゴメンと謝ってくる。


「事実じゃん。お兄さんってさ……自分の気持ちに気付くの遅すぎて、好きな人にフラれてそうだよね」


「う……っ」


何気ない一言が胸に突き刺さる。


実際問題、自分の気持ちと向き合うのが遅すぎて、本気で手に入れたいと思った男に逃げられたのはここ数カ月以内の事だ。


そんな過去の恋愛事情を的確に突かれ、ぐうの音も出ない。


「あれ? ……図星?」


「……五月蠅い」


何もかも見透かされているようで悔しくて堪らない。せめてもの抵抗で不貞腐れた表情を浮かべると、ナギが口元をにやりと緩ませて目を眇めた。


「へぇ、……そうなんだぁ。ふぅん?」


「なに?」


「別にぃ~? ただ、ちょっと可愛いなって思っただけ。こんなにイケメンで、いいモノ持ってるのに、恋愛に関してはポンコツとかほんっとウケる」


するりと腿を撫でられ、股間にナギの指先が絡む。服越しではあるが、形を確かめるようになぞられると、ヒクリと腰が震えた。


「もしかして、付き合ったことも無いとか言わないよね?」


「……」


「え? マジで?」


「……うるさいな。必要性を感じなかったんだから仕方が無いだろ」


昔から男にも女にもモテていたから、性処理に困ることは無かったし、特定の誰かを本気で好きになったこともなかった。


一人の人間と付き合うという感覚が自分にはいまいち自分にはわからない。


「ほんっと意外。恋愛豊富そうな顔してるのに」


ニヤニヤと口元を歪ませ、揶揄うように声をかけてくるナギに苛立ちを覚え、ムッとしながら反論する。


「特定の相手なんて面倒くさいだけじゃないか。付き合うメリットを感じないよ。後腐れなく出来ればそれでいいじゃないか」


「身も蓋もないなぁ。あ! そうだ……。じゃぁさ、俺と付き合ってみない?」


「はい?」


突然の提案に驚いて思わず声がひっくり返った。一体どういう意味なのか?


と首を傾げると、ナギはにっこりと笑みを深めながら話を続けた。


「俺はお兄さんのこと好きだから、付き合いたいと思ってる。正直コッチの相性も凄くいいし、お兄さんも俺の事は嫌いじゃないでしょ? だったら付き合っちゃおうよ」


「…………」


「それにさぁ、付き合ってもないのに今朝みたいな事されても困るし。このままだとお兄さん、ただの痛い人みたいになっちゃう」


確かにそれは否めない。いや、むしろ既に痛い奴になっているかもしれない。


「俺が付き合う良さってのを教えてあげる。そして、いつか必ず……、お兄さんに俺のことめちゃくちゃ好きだって言わせてみせるから」


そう言って自信満々に笑うナギは、やっぱり天使のように魅力的に見えた。


その日は結局押し切られる形でナギの家に泊まることになった。


「流石に狭くない?」


「んもう、わかってないなぁ。この窮屈さがいいんじゃん」


狭い浴槽の中、股の間にすっぽりと収まるようにナギが座り込んでくる。背中をこちらに向けているせいで表情は見えないが、楽しげに鼻歌を歌いながら身体を預けてきていて上機嫌な様子が伺える。


(……にしても)


目の前にある項が眩しい。濡れて張り付いた髪の毛先からポタリポタリと滴が落ちていく様は妙に艶めかしくて目の毒だ。しかもシャンプーの良い香りまで漂ってきてなんだか落ち着かない。


そして何より密着した身体が熱い。お湯の熱さのせいもあるが、それだけではない気がする。


何となく居たたまれない気持ちになり、ふいっと視線を逸らすとナギが振り返ってじっと見つめてきた。


視線が絡み合い、思わずドキリとする。


「おにいさんのエッチ。さっきから、俺のお尻に硬いのが当たってるんだけど?」


「……っ!」


指摘されてカッと頬が熱くなるのを感じた。咄嵯に身を引こうとするが、それに気付いたナギがさらに尻を押し付けてきて、ますます体が密着してしまう。


「あはは、もっと硬くなった……。お尻の割れ目、そんなに気持ちがいいの?」


「ちがっ……」


否定しようと口を開くが言葉にならない。


柔らかい双丘が、硬くなり始めたペニスを挟み込むようにして擦り付けられ、ゾクゾクとした快感に襲われる。


「ん……、ねぇこのままお風呂の中でシちゃおっか?」


「なっ!?」


耳元で囁かれた提案にギョッとして、思わず息を呑む。


すると、目の前の肩が震えクスクスと忍び笑いが聞こえてきて、今の言葉はどうやら冗談だったらしいと悟る。


完全に弄ばれている。そう思うと無性に腹立たしくて仕返しをしたくなってきた。


少しくらいならいいだろう? と思い至り、腕を伸ばして細い首筋をするりと撫で上げる。ビクンと跳ね上がる体を押さえつけながら、そのまま後ろから抱きしめるようにして胸元に手を伸ばすと、指先にツンと尖った突起が触れた。


「や、ちょっと! どこ触ってんだよっ」


「どこって、シて欲しかったんだろ?」


胸元の尖りを指で弄びながら耳元で囁いてやると、ナギは一瞬息を詰まらせた。


「っ、冗談だったのに……っ、んぁっ、ねぇ、流石にお風呂場は響いちゃうから……ダメだって、は……んんっ」


くにくにと指先で転がしてやる度に甘い吐息が漏れる。


「好きなくせに。君が声出さなきゃいいだけの話だろ?」


「ちょ、そんな……っ」


抗議の声を無視して耳の中に舌を差し込み、ぴちゃぴちゃとわざと音を立てながら舐めてやると、途端にお湯がバシャンと音を立てた。


「ん……あっ、や、ぁっ耳、やめっ」


逃げようとする体をしっかり抱き留めたまま胸と耳を執拗に責め立てると、ナギの口から切なげな喘ぎが零れる。


先程までの余裕ぶった態度はどこに行ったのか? ただでさえ敏感なのに感じやすい場所を同時に攻め立てられて、もどかしそうに腰を押し付けてくる。


「っは……っ」


「おや? 風呂場ではシたくないんじゃなかった?」


「い、意地悪……っ」


恨めしそうに睨んでくる瞳には薄らと涙が滲んでいる。


それを見下ろしながらニヤリと口角を上げると、ナギは悔しそうに唇を噛み締めた。


ああ、なんて可愛らしいんだろう。


もっといじめてやりたい。嗜虐心がくすぐられるような感覚を覚えて思わず喉が鳴る。


「はぁ……も、いいから……っお兄さんのソレちょうだい?」


すっかり蕩けた顔で見上げられて下半身に血が集まるのを感じる。瞳を潤ませおねだりする姿はとても淫靡で堪らない気持ちになる。


浮力を利用して腰を掴むと、切っ先を後孔に押し当て、ぐぐっと挿入していく。


準備もしていないそこは狭く、中は酷く熱かった。


「きついな……。こんなのすぐイきそ……っ」


あまりの気持ちよさに気を抜いているとすぐにでも達してしまいそうになり、奥歯に力を入れてなんとか堪える。


「ひゃ……ぁ、あっ! 待って、馴染むまでゆっくり……っ」


「ごめん、無理」


懇願するような眼差しに構わず、一気に最奥まで貫いた。


「~~~~~~っ!!!!!」


「っく……ぅ」


衝撃で背を仰け反らせながら絶頂を迎えたナギの肉壁が、搾り取るようにキュウゥっと締まり、危うく持っていかれそうになる。


「はは、挿れただけでイきそうになっちゃった? 相変わらずエロいなぁ」


「ぁ……ぅ、うるさい」


揶揄するように言ってやれば、恥ずかしいのか浴槽の淵に頭を擦り付け顔を伏せてしまった。


両脇を抱えて抱きしめるようにして強引にこちらを振り向かせると、ナギはとろんと惚けた表情で荒い呼吸を繰り返していた。


「まだ動いてないのに。ほら、今からが本番でしょ?」


「やっ、ちょっ待って! 俺、今、動かれたら、ヤバいから……っ」


「知ってる。凄くヒクついてるもん。キュウキュウ締め付けて来て、それに……僕はまだ満足してないよ」


「ひっ、あぁっ」


言い終わると同時に律動を開始すれば、ナギは悲鳴のような声を上げて身悶えた。


狭い浴槽の中では動くこともままならないが、それでもいつもと違うシチュエーションに興奮している自分が居て、まるで獣のように激しくナギを求めてしまう。


「あぁっ、ん、だめ、そこぉ……っ」


腰を掴んで前立腺をゴリゴリと押し潰すように突き上げてやると、ナギは一際高い声で喘いだ。


「ここ? ハハッ、ダメじゃないだろ? 凄く悦さそうなのに」


「んんっ、ぁ、やだぁ、お兄さん……っ」


「はぁ、可愛いよ。凄くいい……」


「ぁあッ!」


揺さぶるたびにお湯がバシャバシャと音を立てて跳ね、それが更に劣情を煽る。


結合部から溢れる蜜が泡立ち、白く濁っていく様が卑猥でたまらない。


身体が熱くて頭がクラクラする。もうどっちの熱なのかもわからないくらい溶けてしまいそうだ。


「はぁ、はぁ、暑……、クラクラする……」


「僕もクラクラ……はれ?」


天井がぐるぐると回り、視界が激しく揺れる。


なんだこれ。酔っ払ったみたいに頭の中で光がチカチカして、意識が遠のいていく。


あぁ、まずい。これは多分、のぼせたんだ。


そう自覚した時にはもう遅く、全身の力が抜けていき、目の前が真っ暗になった。


ヒヤリとした感触に目が覚める。重たい瞼を開ければ心配そうに覗き込んでくるナギの顔が見えた。


ベッドの上に仰向けになって、所謂膝枕のような体勢で寝かされている。


「おにいさん大丈夫?」


「……うん」


「良かった。だから駄目だって言ったのに」


「面目無い」


まさにその通りである。結局あの後はのぼせて倒れてナギに大層迷惑をかけてしまったようだ。


今はベッドに寝かされていて、額には冷えピタが貼られている。どうやら介抱してくれたらしい。


パタパタと雑誌で風を送られながら申し訳なさでいっぱいになっていると、そっと髪を撫でられた。


「まぁ……誘ったのは俺だし、おにいさんのせいだけじゃないか」


「え?」


「なんでもない。それよりさ……今日はもう寝よっか。気付いてはいたんだけど、目の下すっごい隈だよ? 昨夜寝てないんでしょ」


「あー……まあ」


何か悩み事でもあるのか? と、訊ねられ、少し考えてから小さく首を振った。


「……恋人の前で隠し事しちゃ駄目なんだよ?」


「えっ? そ、そうなのか!?」


「そうそう。ってことで、教えてよ。何を悩んでるのか」


「いや……大したことじゃ」


「だーめ。俺が知りたいの。ほら早く」


有無を言わせない口調で言いながら鼻をムギュっと摘ままれて思わず口を開く。


「痛いって」


「言わないと、次はコチョコチョしちゃおうかな」


「……はぁ、わかったよ。言うから……。そう言うのなしで」


「やった。おにいさん大好き」


観念するとナギは嬉々として笑みを浮かべた。


本当に敵わないなと思いながら苦笑いして溜息をつく。


そして、俺は意を決して重い口を開けた。


「本当にたいしたことじゃ無いんだけど、うちの兄さんが、今回の失踪事件について何か知ってるみたいなんだ。だけど肝心な事は教えて貰えなくって……」


「それで気になって眠れなかったってこと?」


「まあ……そんな感じ」


「ふぅん……あの凛さんって人、怖いんだよね。何か底知れぬ闇を抱えてそうな感じがして」


「まさか。そこまで腹黒くはないと思うけど……」


ナギの物騒な発言に思わず苦笑いする。確かにちょっと癖のある兄ではあるが、そんなに警戒するほどではないはずだ。



「そうかなぁ? イメージ的に鬼軍曹って感じ? お兄さんよりSっ気強そう」


「いやいや……流石にそれは」


否定しようと首を振るが、兄の姿を思い浮かべてみる。確かに、無口で近寄りがたい雰囲気を醸し出しているし、演技に対しての指導も厳しい。


だが、普段の言動を思い返すと、どちらかと言えば優しい方だ。特に弟の自分に対しては過保護なくらい甘いところがある。


まぁ兄がドSだというのは否定しないが。


「そう言えば……。雪之丞の方も、何か特殊なコマンドが使われてて、必殺技が出せないってぼやいてたし……、結局、カギを握ってるのは奈々さんって事になるんだよな」


「うーん、監督の奥さんがスポンサー辞めるって言い出した事件とのタイミングも計ったかのように同じなのも気になるよね」


「実は別々の事件じゃなくて、何か関連性がありそうなんだけど」


「……取り敢えず、悩んだって解決しないんだから。今日はもう寝ちゃおうよ。のぼせて疲れてるでしょ? 俺も明日は朝一で配信やんなきゃだし」


「配信?」


「そうそう、この間言ってた獅子レンジャーの。一応俺、これでも主人公だから」


「あー……そっか、そんな事も言ってたね」


そういえば先日、美月が公式チャンネルを利用して配信をやろうと言っていた気がする。あれから何の進展も無いと思っていたのだが、どうやらちゃんと進めていたらしい。


「ちゃんと起きれるのかい?」


「……ッ、酷いな。俺だってやる時はやるんだから早起き位出来るよ」


蓮の言葉にナギは一瞬言葉を失った後、拗ねたように頬を膨らませた。


まるで子供のような反応に思わず吹き出すと、彼は更に機嫌が悪くなったのかプイッとそっぽを向いてしまった。


その姿が何とも可愛らしくて、今度は声を出して笑うとそれが気に入らなかったのか、ナギがスッと足を引いたので蓮の頭がベッドにガクンと落ちた。


首が変な角度で曲がった。仰向けのままの蓮にナギが覆いかぶさって来る。顔を上げると、すぐ目の前に彼の整った顔があった。


他人を見下ろすのは好きだが、こうやって組み敷かれるのは自分の趣味じゃない。でも、どうしてだろう? 相手が彼だと思うと不思議と嫌悪感を感じなかった。


気怠い腕を伸ばして、顔の横に置かれた手にそっと触れてみる。するとナギは蓮のその手を取って、自分の心臓へと導いた。ドクンドクンと脈打つ鼓動が伝わってくる。


ああ、生きている。当たり前の事なのに、何故か酷く安心した。


ナギは黙り込んだまま、ただ真っ直ぐにこちらを見つめている。その瞳の奥に、確かな熱を感じた。


―――キスしたい。


そんな衝動に駆られて自然と距離が近くなり、どちらともなく唇を重ねていた。


啄むようなキスはなんだか甘くて、擽ったい気持ちにさせられる。


何度かそれを繰り返すうち、キスは次第に深いものへと変化していく、歯列をなぞるように舌を這わせ、上顎を擦り上げ、口腔内を余すことなく舐め回す。


互いの唾液が混じり合い、飲み込みきれなかったものが口の端から零れ落ちる頃にはすっかり息が上がってしまっていた。


呼吸が苦しくなり、一度離れると、二人の間を銀色の糸が繋いだ。それを拭うことも無くじっと見下ろすナギの視線は、熱に浮かされたように蕩けていて、とても扇情的に思えた。


「……もう、早く寝ようって言ってるのに……こんなキス」


「またしたくなったの? 本当に好きだねぇ」


クスリと笑って揶揄するように言ってやると、ナギは拗ねたように口を尖らせながらも抱き着いて来た。


そして耳元で囁く。


「さっき、中途半端だったから……最後までシたいな」


熱っぽい吐息が耳に掛かり、ゾクッと身体が震えた。


その誘い文句に答える代わりに、そのまま彼を抱きしめ返した。

赤の誘惑~ヒーローが恋しちゃだめですか?~

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