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#フライギ
にもあえ
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葉菜
26
どうやら建国より前に解決すべき問題は、まだいくつか残っているらしかった。
もっとも、その中の一つは本人達が問題だと認識していない。
少なくとも俺はそうだった。
夜になると拠点は昼間とは別の顔を見せる。
鍛冶場の火は落とされ、採石場も静まり返り、防壁の上で見張りを続ける者達以外はそれぞれの家へ戻っていく。建設途中とはいえ、人が暮らし始めた街には人の生活音があり、窓から漏れる灯りには不思議な安心感があった。
研究所にいた頃には知らなかった光景だった。
あの場所にも灯りはあった。
だが生活のためではない。
監視と実験のための灯りだった。
夜になっても消えない白色灯の光を思い出しながら歩いていると、少しだけ胸の奥が重くなる。
「予紬さん」
後ろから聞こえた声に振り返る。
しゆらだった。
両腕には資料の束が抱えられている。
まだ仕事をしていたらしい。
「終わったのか」
「はい」
そう答えながらも少し疲れて見えた。
最近は住人達から相談を受けることも増えている。
設計図だけではない。
家族構成。
住居配置。
倉庫の運用。
子供達の遊び場。
気付けば様々なことを任されるようになっていた。
本人は気付いていないだろうが、かなり頼られている。
「今日はもう休め」
「予紬さんもです」
返ってくる言葉まで以前と違う。
少し前なら頷いていただろう。
今はちゃんと意見を言う。
それが妙に嬉しかった。
二人で並んで歩く。
夜風は思ったより冷たい。
山に囲まれた土地だからだろうか。
昼間との気温差が大きい。
街の中央広場を抜ける頃には、しゆらが小さく身震いしていることに気付いた。
「寒いのか」
「少しだけです」
そう言いながら肩を縮める。
全然少しには見えなかった。
俺は羽織っていた上着を外す。
しゆらが何か言う前に肩へ掛けると、驚いたように紫色の瞳がこちらを見上げてきた。
「大丈夫です」
「大丈夫そうには見えない」
「でも」
「風邪を引かれる方が困る」
言ってから少しだけ後悔した。
別に間違ったことは言っていない。
ただ、しゆらは何故か黙り込んでしまった。
顔も少し赤い。
寒さのせいではなさそうだった。
それ以上触れない方が良い気がして、俺も何も言わないまま歩き続ける。
やがて住居区へ辿り着く。
建設された家はまだ多くない。
俺達が使っている建物も本来は仮住まいに近いものだった。
「おやすみなさい」
玄関でしゆらが小さく頭を下げる。
「おやすみ」
そう返して部屋へ戻る。
資料を整理し、簡単に翌日の予定を確認し、ようやく寝台へ腰を下ろした頃には日付も変わりかけていた。
流石に今日は早く寝るか。
そんなことを考えながら横になった直後だった。
扉を叩く音が聞こえた。
かなり控えめな音だった。
こんな時間に訪ねてくる者は珍しい。
扉を開ける。
そこに立っていたのはしゆらだった。
寝間着姿だった。
白い髪も下ろしている。
普段より年相応に見える。
だが問題はそこではなかった。
顔色が悪い。
「どうした」
聞くと、しゆらは少し困ったように視線を逸らした。
「その……」
言いにくそうだった。
珍しい。
しばらく迷ったあと、小さな声で続ける。
「雷です」
一瞬意味が分からなかった。
だが直後、遠くで空が鳴る。
低い音だった。
山の向こうで雷雲が発生しているらしい。
窓の外を見る。
確かに雲が集まり始めていた。
「苦手なのか」
しゆらは小さく頷いた。
その反応を見て、少しだけ昔を思い出す。
研究所にいた頃もそうだった。
大きな音が苦手だった。
実験設備の暴走。
爆発音。
警報。
嫌な記憶と結び付いているのかもしれない。
また雷が鳴る。
今度は先程より近い。
しゆらの肩が僅かに震えた。
追い返す理由もなかった。
「入れ」
そう言うと、しゆらは少し安心したような顔を見せる。
部屋の中へ入る。
窓の外では風が強くなり始めていた。
雨も降り出す。
山を打つ雨音が静かに響く。
しばらくは他愛のない話をしていた。
建設のこと。
子供達のこと。
住人達のこと。
だが疲れていたのだろう。
気付けばしゆらの声は少しずつ小さくなっていた。
眠そうだった。
「寝るか」
そう言うと、しゆらは少し困った顔をする。
「でも」
言葉の意味は分かる。
部屋には寝台が一つしかない。
俺は椅子でも構わない。
そう言おうとした瞬間、外で雷が鳴った。
かなり近い。
しゆらの身体がびくりと震える。
本当に苦手らしい。
「気にするな」
そう言って寝台へ座らせる。
しゆらは遠慮していたが、結局は観念したように横になった。
俺も反対側へ腰を下ろす。
雨音が続く。
雷鳴も遠くで鳴り続けている。
そのうち眠くなってきた。
瞼が重い。
意識が沈み始める。
そんな時だった。
服の裾が軽く引かれる。
視線を向ける。
しゆらだった。
少しだけ申し訳なさそうな顔をしている。
「予紬さん」
「なんだ」
「もう少しだけ近くにいてもいいですか」
声は小さい。
雷が鳴る。
肩が震える。
断る理由はなかった。
少し距離を詰める。
それだけのつもりだった。
ところが次の瞬間、しゆらは安心したように身体を寄せてきた。
腕へ触れる。
温かい。
研究所にいた頃も夜に怯えることはあった。
その度に隣へ座っていた記憶がある。
だからかもしれない。
不思議と違和感はなかった。
しゆらも同じだったのだろう。
安心したように目を閉じる。
気付けば額が肩へ触れていた。
外ではまだ雨が降っている。
雷も鳴っている。
だが先程まで震えていた身体は落ち着いていた。
規則正しい寝息が聞こえ始める。
眠ったらしい。
少しだけ笑う。
そのまま起こさないよう肩へ手を回し、毛布が落ちないよう引き寄せる。
抱き締めるというほど強くはない。
ただ寒くないように。
安心できるように。
それだけだった。
窓の外では雨が静かに降り続いている。
建設途中の街を濡らしながら。
まだ国と呼ぶには早いその場所で、俺達は誰にも気付かれることなく同じ毛布の中で眠りについた。
建設途中の街を濡らしていた雨は夜明けを迎える頃にはすっかり止み、窓の隙間から差し込む朝日と鳥の鳴き声が静かな部屋へ流れ込んでくる。
浅い眠りの中で最初に感じたのは温もりだった。
柔らかい感触。
規則正しい呼吸。
微かに香る草花のような匂い。
意識が少しずつ浮上してくるにつれ、その正体も思い出していく。
昨夜は雷が鳴っていた。
しゆらが訪ねてきた。
しばらく話をしているうちに眠気が勝り、そのまま同じ部屋で休むことになった。
そこまで思い出したところで視線を落とす。
白い髪が目の前にあった。
しゆらが眠っている。
昨夜よりも近い。
というより、ほとんど抱き付くような格好になっていた。
どうやら寝ている間に距離が縮まったらしい。
俺の腕を抱き込むように身体を寄せ、安心したような表情のまま眠り続けている。
起こそうと思えば起こせる。
だが、あまりにも穏やかな寝顔だった。
研究所にいた頃はこんな顔を見せることはなかった。
常に何かへ怯えていたし、自分が眠ることで誰かへ迷惑を掛けるのではないかと気を張り続けていた。
今は違う。
無防備だった。
少なくとも今この場所を安全だと思っているのだろう。
その事実が少しだけ嬉しい。
しばらく眺めていると、しゆらの睫毛が小さく震えた。
やがて紫色の瞳がゆっくり開く。
寝起き特有のぼんやりした表情で俺を見つめ、そのまま数秒ほど動きを止める。
まだ状況を理解していないらしい。
視線が俺の顔から腕へ移る。
次に自分の位置へ移る。
最後にもう一度俺を見る。
理解した。
分かりやすかった。
白い頬がみるみる赤く染まっていく。
「おはよう」
とりあえず声を掛ける。
しゆらは一瞬肩を震わせたあと、小さな声で返事をした。
「お、おはようございます……」
普段の半分くらいの声だった。
慌てて離れようとする。
その勢いで毛布へ足を取られる。
危なかった。
反射的に腕を伸ばして支える。
結果としてさらに距離が近付く。
しゆらが完全に停止する。
俺も何となく気まずい。
別にやましいことをした訳ではない。
昨夜の経緯も覚えている。
それでも妙に落ち着かないのは、研究所にいた頃と今では色々なものが変わってしまったからだろう。
「雷は大丈夫か」
ようやく絞り出した言葉がそれだった。
我ながら酷い話題選びだと思う。
だがしゆらは少しだけ安心したように頷いた。
「はい……もう平気です」
会話はそこで途切れる。
二人とも何を話せば良いのか分からなかった。
結局どちらからともなく距離を取り、咳払いをしながら身支度を始める。
互いに昨夜のことへ触れないまま朝を迎えたが、不思議と嫌な空気ではなかった。
むしろ心地良い沈黙だった。
研究所にいた頃には存在しなかった種類の静けさがそこにはあった。
朝食を終えた頃、拠点の中央に建設されたばかりの大会議室へ向かうことになる。
この建物は住居や鍛冶場とは違う。
街の未来を決めるための場所として作られた建物だった。
石造りの壁は厚く、内部には長い机が並び、天井を支える柱には夜哭きの森や北方森林群から運び出された木材が使われている。
完成したばかりの室内には木と石の匂いが残っていた。
席へ着く頃には主要な面々がほぼ揃っていた。
大和。
千代。
榊。
ミズキ。
各作業班の代表。
見張り役達。
北方森林群から避難してきた半魔達。
この街の中核を担う者達が一堂に会している。
空気は重かった。
誰も雑談をしていない。
理由は明白だった。
今朝方、ミズキの情報網から新しい報告が届いたのである。
吸血種であるミズキが持つ情報網は、人間の商人達から流れてくる噂だけではない。
各地の半魔。
流浪の魔獣。
吸血種の眷属。
行商人。
様々な経路を通して集められた情報は時として人間軍よりも早く戦場の動きを伝えてくる。
ミズキは和傘を脇へ置くと、机の上へ数枚の紙を広げた。
そこに描かれていたのは地図だった。
夜哭きの森跡地。
北方森林群。
人間側の拠点。
そして俺達の街。
赤い印が無数に書き込まれている。
「補給拠点じゃな」
榊が眉をひそめる。
ミズキは静かに頷いた。
「それだけではない。兵器工房と輸送路も確認されておる」
会議室の空気がさらに重くなる。
人間軍が再編を進めていること自体は予想していた。
問題は速度だった。
北方森林群を落とした戦いからまだそれほど時間は経っていない。
普通なら被害の整理と再編だけで手一杯のはずだった。
「早過ぎるな」
俺が呟く。
ミズキは視線をこちらへ向けた。
「儂もそう思う」
赤い瞳が机上の資料へ落ちる。
「しかも今回は量がおかしい」
紙が一枚押し出される。
兵器の概略図だった。
対魔兵器。
魔力撹乱杭。
霧の流れを乱す装置。
見覚えのある構造が並んでいる。
俺は思わず眉をひそめた。
違和感があった。
前にも感じた違和感だった。
人間が作ったにしては発想が人間らしくない。
だが半魔の技術とも違う。
その中間にある何か。
まるで誰かが双方の知識を理解した上で設計しているような感覚が残る。
「予紬」
大和が呼ぶ。
視線が集まる。
俺はしばらく図面を眺めていたが、やがて小さく息を吐いた。
「断定はできない」
最初にそう前置きする。
研究者として推測を事実のように語るのは好きではない。
「ただ、人間軍の技術発展だけで説明するには無理がある」
会議室が静まり返る。
誰も口を挟まない。
「兵器そのものより問題なのは開発速度だ。この規模の技術革新と量産体制が短期間で成立するのは不自然過ぎる」
地図を見る。
赤い印が増えている。
増え過ぎている。
「誰かがいる」
気付けばそう口にしていた。
「人間軍の背後で動いている何者かが」
会議室に沈黙が落ちる。
その名前はまだ誰も知らない。
存在すら知らない。
だが確実に何かが動いている。
そんな予感だけが、この場にいる全員の胸へ静かに広がっていた。
そして、その予感を裏付けるようにミズキは最後の資料を机へ置く。
赤い線で描かれた侵攻予測図だった。
線の終着点。
そこに描かれていたのは、今まさに俺達が築こうとしているこの街だった。
コメント
1件
おお〜〜!!第40話、ついに読み終えたよ🌸✨ しゆらが「雷、怖いから近くにいてほしい」って、めっちゃ可愛いすぎるでしょ!!😭💕 予紬さんの上着を肩にかけてあげるシーンも、夜中に二人きりで毛布に包まるのも、もうエモすぎて心臓持たないわ〜〜!! でも最後の会議シーンで、人間軍の背後に“誰か”がいるって伏線が…!これからどうなるの?!続きが気になりすぎるよ!!⋆♡ 葉菜さん、毎回胸が締め付けられるようなやり取りをありがとう!!次の話も絶対読むからね🌸💕