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#フライギ
にもあえ
229
葉菜
26
赤い線で描かれた侵攻予測図の終着点には、この街が記されていた。
会議室に集まった者達の視線が自然とその一点へ集まる。
まだ名前すら正式には決まっていない。
防壁も完成したとは言えない。
街道も整備されていない。
それでも人間軍は既にここを標的として認識している。
その事実が何より重かった。
「時期は」
大和が尋ねる。
ミズキは地図の横へ置かれた資料を一枚手に取った。
「最短で二月。長くても三月以内じゃろうな」
予想より早い。
会議室の空気がさらに沈む。
北方森林群から避難してきた半魔達の表情も硬かった。
彼らは知っている。
今の人間軍がどれほど厄介なのかを。
かつての人間軍なら森へ入った時点で迷い、補給を失い、疲弊していった。
今は違う。
迷い霧を突破する。
魔獣を退ける。
半魔の集落を発見する。
その上で組織的に攻めてくる。
「数は」
榊が低く問う。
ミズキは少しだけ眉をひそめた。
その表情を見た瞬間、嫌な予感がした。
「まだ確定ではないが、一万は超える」
誰も言葉を発しなかった。
静かだった。
静か過ぎた。
今この街にいる戦力を全て合わせても千には届かない。
戦える者だけを集めても数百。
正面からぶつかれば話にならない。
「北方森林群の時より多いのう」
千代が呟く。
その声には怒りが混じっていた。
故郷を焼かれた者の怒りだった。
「兵器の数も増えておる」
ミズキは続ける。
「例の対魔兵器だけではない。魔力撹乱杭の量産も始まっておるし、森そのものを切り開くための大型兵器も確認された」
会議室の端で鍛冶師達が顔を見合わせる。
聞くだけでも厄介だ。
迷い霧。
結界。
森の地形。
これまで半魔達を守ってきたもの全てへ対策を講じ始めている。
普通ではない。
どう考えても普通ではない。
俺は机上の資料へ視線を落とした。
設計図。
兵器図。
補給路。
輸送経路。
情報を頭の中で並べていく。
研究者時代の癖だった。
理解できないものほど分解する。
細かく見る。
そうして違和感を探す。
「予紬」
大和がこちらを見る。
周囲の視線も集まる。
俺は少しだけ考えてから口を開いた。
「正面から戦う前提なら負ける」
即答だった。
遠回しに言う意味がない。
現実は現実だ。
会議室の何人かが顔をしかめる。
だが反論する者はいなかった。
皆分かっている。
今の戦力差ではどうにもならない。
「防壁は役に立つ」
資料を指で叩く。
「この地形も優秀だ。川があり山があり侵攻経路も限られている。ただ、それだけじゃ足りない」
言いながら頭の中で計算を続ける。
石壁の厚み。
見張り台の配置。
兵站。
水。
食料。
戦力。
足りないものばかりだった。
「時間が必要だな」
大和が静かに言う。
俺は頷く。
「最低でも一年」
その数字に会議室がざわつく。
当然だ。
二月後に敵が来るかもしれないのに一年など存在しない。
「だから一年を作る」
自然と口から言葉が出る。
全員がこちらを見る。
自分でも少し驚いた。
だが考えはまとまり始めていた。
「勝つ必要はない」
会議室の中央へ地図を引き寄せる。
夜哭きの森跡地。
北方森林群。
人間領。
その間に存在する山岳地帯。
河川。
未開地。
全てを指でなぞっていく。
「負けなければいい」
静かな声だった。
「正面決戦は避ける。補給路を潰す。輸送隊を襲う。防壁と地形で時間を稼ぐ。敵に街を落とさせなければそれでいい」
会議室の空気が少しだけ変わる。
絶望ではなく思考へ移る空気だった。
「持久戦か」
榊が腕を組む。
「そうだ」
「人間相手に?」
「人間だからだ」
視線を上げる。
「奴らは補給を必要とする。兵器も食料も矢弾も無限じゃない」
研究所にいた頃、何度も見てきた。
兵器は強い。
だが兵器だけでは戦争はできない。
運ぶ者が必要だ。
修理する者が必要だ。
食わせる者が必要だ。
一万の軍勢ならなおさらだった。
「問題は」
そこまで言って俺は言葉を止める。
全員が続きを待っていた。
「誰がそれを教えているかだ」
沈黙が落ちる。
誰もが同じ疑問へ辿り着いていた。
人間軍だけではない。
その背後にいる何か。
迷い霧への対策。
異常な技術発展。
異常な情報精度。
全部が繋がっている。
だが姿だけが見えない。
まるで盤面の外から駒を動かしているような不気味さがあった。
会議室の窓から風が吹き込む。
まだ新しい木の香りが漂う中、大和は静かに立ち上がった。
その動きだけで自然と全員の視線が集まる。
「街を守る」
短い言葉だった。
演説ではない。
決意表明でもない。
ただ事実を確認するような声だった。
「人間軍も」
黒い瞳が地図へ落ちる。
「その後ろにいる何者かも」
視線が上がる。
会議室の全員を見る。
「この場所へ手を伸ばしたことを後悔させる」
その言葉に誰も歓声を上げなかった。
代わりに頷く。
静かに。
力強く。
この街はまだ未完成だ。
国ですらない。
それでも今この瞬間だけは、確かに一つの共同体として同じ方向を見ていた。
会議が終わったあとも、誰一人としてすぐには席を立たなかった。
人間軍が来る。
それも遠い未来の話ではない。
二月か三月。
下手をすれば季節が一つ変わる前に戦争が始まる。
その現実は重かったが、不思議と絶望している者はいなかった。
夜哭きの森を失った時とは違う。
北方森林群が焼かれた時とも違う。
今は逃げるだけの集団ではなかった。
守る場所がある。
守る人がいる。
その違いは思っていた以上に大きかったらしい。
会議室を出ると、外では既に作業班達が慌ただしく動き始めていた。
どうやら話は広まっているらしい。
防壁の補強案を相談する者達。
見張り台の増設場所を話し合う者達。
鍛冶場へ走っていく者達。
まだ命令など出ていないはずなのに、それぞれが必要だと思う仕事へ向かっている。
大和も同じだった。
会議が終わるや否や地図を抱えて街の外へ出ていき、千代は呆れた顔をしながらその後を追い掛けている。
「全く、お主は少し休むということを覚えぬのか」
「時間がない」
「分かっておる」
そう言いながら隣へ並ぶ。
最近はああいう光景を見ても誰も驚かなくなった。
むしろ自然だった。
本人達だけが気付いていないのだろう。
少し離れた場所ではミズキがその様子を眺めながら満足そうに頷いている。
恐らく余計なことを考えている。
間違いない。
俺は見なかったことにした。
代わりに会議で使った資料を抱え直し、隣を歩くしゆらへ視線を向ける。
彼女も難しい顔で何かを考えていた。
会議中からずっとだ。
「どうした」
声を掛けると、しゆらは少しだけ驚いたように顔を上げた。
「いえ……」
そう言いながらも視線は再び街へ向く。
完成したばかりの会議所。
住居区。
鍛冶場。
建設途中の防壁。
それらを見渡しながら小さく息を吐いた。
「時間が足りないなと思って」
その言葉に俺も苦笑する。
全く同じことを考えていた。
もし一年あれば違った。
防壁を二重にできる。
地下施設も作れる。
兵器開発も進められる。
だが現実は二月か三月。
圧倒的に足りない。
「だからと言って止まる訳にもいかない」
そう答えると、しゆらは小さく頷いた。
その表情には不安もある。
恐怖もある。
だが諦めはなかった。
研究所で出会った頃なら考えられない顔だった。
人は変わるものらしい。
それとも。
この街がそうさせたのだろうか。
歩きながら防壁を見上げる。
石と魔力混合材で作られた巨大な壁は、既に人の背丈を遥かに超えている。
普通の軍隊なら十分な防御施設だ。
だが相手は違う。
迷い霧を突破する。
魔力を乱す。
森そのものを切り開く。
そういう敵だ。
だから発想を変えなければならない。
防壁だけでは足りない。
見張り台だけでも足りない。
「予紬さん」
しゆらが不意に呼ぶ。
「なんだ」
「さっき会議で言っていた補給路の話なんですけど」
そこから先は自然と仕事の話になった。
川を利用できないか。
地下通路はどうするか。
補給庫を分散させるべきではないか。
歩きながら話す。
考える。
気付けば会議室を出てからかなり時間が経っていた。
そんな時だった。
街の北側から歓声が聞こえる。
住人達が集まっている。
何事かと思って視線を向けると、一人の半魔が山ほどの荷物を背負って帰ってきていた。
狩猟班だった。
肩には巨大な魔獣。
背中には毛皮。
腰には食料袋。
住人達が歓声を上げている。
子供達が駆け寄る。
疲れているはずなのに、その半魔は笑っていた。
周囲も笑っていた。
その光景を見た瞬間、ふと気付く。
この街は強くなっている。
まだ未完成だ。
人間軍と比べれば脆い。
国と呼ぶには程遠い。
それでも少しずつ変わっている。
誰かに守られる集団ではなく。
自分達で未来を作ろうとする集団へ。
「負けたくないですね」
しゆらがぽつりと呟く。
俺はその言葉に少しだけ驚いた。
昔のしゆらなら言わなかった。
怖い。
不安だ。
そう口にしていただろう。
今は違う。
この場所を失いたくないと思っている。
その気持ちが先に来ている。
俺は小さく頷いた。
「ああ」
それだけだった。
だが十分だった。
遠くでは鍛冶場の槌音が響いている。
防壁では見張り達が声を掛け合っている。
子供達は広場を走り回っている。
まだ名前も持たないこの街は、迫り来る戦争を知らないかのように今日も生きていた。
だからこそ守らなければならない。
そんな当たり前の感情が胸の奥へ静かに根付き始めていることを、俺自身まだ完全には理解していなかった。
コメント
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みぅ🤍🥀です 第41話読みました〜 会議の重さと、それでも希望を手放さない空気がすごく伝わってきました… 特に「負けなければいい」って言葉、すごく強くて好きです。正面から勝つ必要はない、時間をかけてじわじわと。 一万対数百、その圧倒的な差をどう覆すのか、予紬さんの頭の回転の速さに鳥肌立ちました。 しゆらさんが「負けたくないですね」って言ったところ、泣きそうになりました… 逃げてた頃の彼女からは考えられない変化で、この街が彼女を変えたんだなって。 戦争前の静かな日常、守りたいって思える場所があるって、強いですね。