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きゆう
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『紗良』
放課後。
教室に残って、プリントをまとめていた。
日朝の死後、委員の書類、配布物の確認。
やることがある方が楽だ。
考えなくて済む。
教室にはもう数人しかいない。
「これ、職員室に持って行く?」
隣の席の子が声をかけてくる。
「うん、私行くよ」
反射的に答える。優等生は率先して動く。
職員室の前。
ノックをしようとして、手が止まる。
中から話し声が聞こえた。
担任と、もう1人。
「……様子はどうですか?」
女性の声。
聞き慣れない。
「相変わらずです。外出もほとんどしていないようで」
心臓が、嫌な跳ね方をする。
偶然だ、関係ない。
そう思うのに、耳が勝手に拾う。
「学校としても、サポートは続けますが……」
「ありがとうございます。」
「あの子は、昔から自分を責める癖が強くて」
息が浅くなる。
「例の件以来、特に」
例の件。
胸がざわつく。
「……あの事故、誰の責任でもありません」
事故。
頭の奥が鈍く痛む。
「でも本人は、自分のせいだと思い込んでいた」
足が動かない。
離れなきゃいけないのに。
「大切な友達を、失った、って」
世界が一瞬だけ遠くなる。
友達、失った。
「同じ学校に通わせるのは不安もあったんですが……」
「本人がここがいいと言ったので」
――ここがいい。
なぜ?
どうして?
「屋上にはよく行っていたみたいで」
ドクン、と大きく鳴る。
「落ち着く場所があるのは良いことです」
屋上。
手が震える。
「ただ、最近はそれもなくなったようで」
息が止まる。
「何かあったのかもしれません」
何かあった。
――私だ。
頭の中で声がする。
「……失礼します」
気づいたら声が出ていた。
逃げるようにドアを開ける。
二人の視線がこちらに向く。
「プリント、持ってきました」
声が震えないように必死で抑える。
担任が受け取る。
「ありがとう。助かるよ」
女性がこちらを見る。
優しい目。
でも、そも優しさが怖い。
「あなたがクラス委員さん?」
「はい」
反射的に背筋が伸びる。
「いつも助かっています」
微笑まれる。
普通の会話。
何も知らないままでいてほしい。
「……失礼します」
すぐに出る。
ドアを閉める。
廊下に出た瞬間、力が抜けた。
壁に手をつく。
冷たい。
現実の温度。
事故、友達、失った、屋上。
頭の中で言葉がぐるぐる回る。
何も知らないくせに。
何もか勝てないくせに。
自分の声が蘇る。
「……私」
何を言った?
誰に?
どんな相手に?
喉が苦しい。
息が上手くできない。
それでも、泣かない。
ここは学校だ。
優等生は崩れない。
崩れてはいけない。
気づいたら、校門を出ていた。
どこへ向かっているのか分からない。
足が勝手に進む。
住宅街、交差点、見慣れた道。
そして――
あの橋。
夜の川は、やっぱり暗い。
手すりに触れる。
冷たい。
屋上と同じ温度。
下を見る。
水面が揺れている。
「……知らなかった」
誰もいないのに、声が出る。
知らなかった。
本当に。
何も。
何も知らないまま、あんなこと言った。
胸の奥が焼けるみたいに痛い。
でも、どうすればいいか分からない。
会えない。
謝れない。
名前すら知らない。
「……最低」
自分に言う。
川は何も答えない。
ただ流れている。
まるで時間みたいに。
『悠真』
夜。
眠れない。
何日もまともに寝ていない。
目を閉じると、思い出すから。
暗闇の方が楽なのに、
静かすぎると余計に考えてしまう。
ベットから起き上がる。
部屋の隅に座る。
床は冷たい。
少しだけ落ち着く。
「……」
ふと、目に入る。
机の引き出し。
しばらく触っていない場所。
開けない方がいい。
分かっている。
それでも手が伸びる。
引き出しを開ける。
中にはほとんど何もない。
教科書、古いのノート。
そして――
小さな写真立て。
伏せてある。
裏向き。
見るな。
やめろ。
手が止まらない。
写真立てを起こす。
そこには、二人の笑顔。
自分と、もう一人。
画面越しでも分かるほど、楽しそうな顔。
今とは別人みたいだ。
胸が死ねつけられる。
「……なんで」
声がかすれる。
どうしてこんなことになった。
どうして守れなかった。
写真の中の相手は、もういない。
全部、自分のせいた。
そう思っている。
思い込んでいる。
それ以外に納得できない。
「……ごめん」
写真に向かって呟く。
何度言っても足りない。
何百回言っても届かない。
目が滲む。
でも涙は落ちない。
泣く資格がない。
生きている側が泣くなんて。
――その時。
不意に、別の顔が浮かぶ。
屋上で隣に座っていた人。
風に揺れる髪。
無理しているのが分かる横顔。
怒鳴った声。
震えていた目。
「……」
胸が痛む。
これは罪悪感じゃない。
もっと違う。
理解したくない種類の感情。
「……もう会わない」
自分に言い聞かせる。
関われば、また失う。
そうなるくらいなら最初から近づかない方がいい。
写真立てを伏せる。
引き出し閉める。
暗闇に戻る。
でも、頭の中だけは消えない。
屋上、夕焼け、静かな時間。
そして――
あの声。
何も知らないくせに。
「……そうだよ」
小さく呟く。
知らない。
だから近いた。
同じだと思ったから。
それが間違いだった。
床に座ったまま、膝に顔を埋める。
静かな部屋。
誰もいない。
それでも、胸の奥だけずっと騒がしい。