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『紗良』 週明け。
空はやけに澄んでいた。
こんな日に限って、世界は何事もない顔をしている。
教室に入る、挨拶をする、席に座る。
全部、いつも通り。
でも――
どこかズレている。
黒板の文字が遠い。
声が膜越しに聞こえる。
自分だけ別の場所にいるみたい。
「委員長、これお願い」
プリントを渡される。
「うん」
受け取る、笑う。
できている。
ちゃんと、いつもの自分だ。
三限目、現代文。
教師が朗読している。
「――人は時として、正しさに縛られ――」
言葉が刺さる。
思わず顔を上げる。
黒板には多く書かれている。
⦅正義と罪⦆
心臓が早くなる。
事故、友達、失った、屋上。
頭の中で繋がっていく。
知らないっはずのことなのに。
胸が苦しい。
「……」
ノートを取る手が止まる。
文字が歪む。
「どうした?」
教師の声。
はっとして顔を上げる。
「いえ、大丈夫です」
即答。
優等生は崩れない。
「ならいいが」
授業は続く。
でも何も入ってこない。
昼休み。
図書室に逃げる。
静かな場所。
人の視線が少ない場所。
棚の間を歩く。
本を探しているふり。
実際は何も見えていない。
ただ、落ち着く場所が欲しい。
ふと、古い文集のコーナーに目が止まる。
⦅過去の卒業生品集⦆
中学生の時のものらしい。
なんとなく手に取る。
理由はない。
ページをめくる。
詩、短歌、感想文。
どれも知らない人の言葉。
なのに――
一つのページで手が止まった。
写真が載っている。
文化祭の様子。
生徒たちの笑顔。
その中の一人に、目が吸い寄せられる。
見覚えがある。
どこで?
分からない。
でも知っている気がする。
ページの下に名前。
「……」
声が出ない。
その名前を昨日聞いた気がした。
職員室で。
確か――
大切な友達を失った。
その、友達の名前。
同じ…?
胸が強く締め付けられる。
どうして?
私はこの人を知らないはず。
でも。
写真の中の笑顔が、妙に近い。
遠い記憶の奥を引っかく。
小さい頃、どこかの公園。
誰かと、遊んだ記憶。
はっきりしない。
でも、消えない。
「……気のせい」
本を閉じる。
乱暴にならないように注意する。
優等生は物を雑に扱わない。
棚に戻す。
背を向ける。
逃げるみたいに。
放課後。
気づいたら、また橋に来ていた。
屋上じゃない。
学校でもない。
家でもない。
どこにも属さない場所。
手すりに寄りかかる。
川は今日も静かに流れている。
「……知らないはずなのに」
呟く。
声は夜に溶ける。
あの写真の人。
どうして引っかかる?
関係ないはずなのに。
胸がざわざわする。
風が吹く。
冷たい。
ふと、思う。
もしあの人がここに来たら――
首を振る。
来るわけがない。
学校にも来ていないのに。
でも、ほんの少しだけ。
期待してしまう。
最低だ。
傷つけた側なのに。
『悠真』
夜。
部屋は相変わらず暗い。
でも今日は、完全な闇ではない。
カーテンを少しだけ開けている。
理由は分からない。
外の明かりが、細く差し込む。
それだけで、息が少し楽になる。
ベッドに座る。
何もしていない。
ただ、時間が過ぎるのを待っている。
「……」
スマホを見る。
開いて、閉じる。
また開く。
意味はない。
連絡は来ていない。
来るはずもない。
誰とも繋がっていない。
――いや。
一人だけ、頭に浮かぶ。
名前も知らない人。
屋上で隣にいた人。
「……」
画面を消す。
考えるな。
関係ない。
それでも。
どうしているだろう、と思ってしまう。
学校に行っているのか。
いつも通りなのか。
屋上に行っているのか。
行っていたとしても――
もう自分はいない。
それでいい。
それが正しい。
なのに。
胸の奥が痛む。
「……外、出るか」
気づいたら呟いていた。
自分でも驚く。
何日ぶりだろう。
外に出ようなんて思ったの。
理由はない。
ただ、部屋の空気に耐えられなくなった。
パーカーを羽織る。
ドアを開ける。
夜の空気が肺に流れ込む。
冷たい。
でも、生きている感じがする。
階段を降りる。
靴を履く。
玄関を出る。
夜の街。
静か。
街灯の光。
遠くの車の音。
誰かの笑い声。
全てが現実。
少し怖い。
でも戻りたくない。
歩く。
目的はない。
ただ前に進む。
曲がり角を曲がる。
住宅街を抜ける。
そして――
見覚えのある場所に出た。
小さな橋。
川の音。
手すり。
「……」
足が止まる。
どうしてここに来た。
無意識だった。
戻ろうとする。
そのとき、橋の中央に人影が見えた。
細い背中、長い髪。
街灯に照らされて、輪郭だけが浮かぶ。
心臓が、止まったみたいに静かになる。
逃げろ。
関わるな。
そのはずなのに、足が動かない。
声も出ない。
ただ――
見てしまう。
屋上で、何度も隣にいた背中。
同じ、間違いない。
「……」
喉が渇く。
呼吸が浅い。
まだ距離はある。
気づかれていない。
今なら引き返せる。
でも、動けない。
風が吹く。
川が揺れる。
夜が深くなる。
二人の距離は、まだ交わってない。
でも――
もう、同じ場所に立っている。
#BL
TSUBAKI
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