テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
地の底かと疑うほどに黒い空。
足元は、砂漠のような不毛の地。
自分の他の命の気配も、風もない。
ただ、目の前に浮かぶタイマーだけがゆっくりと息をしている。
引き摺り込まれるように落ちた眠りの底で、肩に溜まった疲労を感じながら、またこの夢かと呟く。
非日常に触れた翌日にしては、平凡な夢だ。
心身の不調が続くといつも見る夢。
タイマーがゼロになる時世界が終わることだけが、理屈を超えてわかる夢。
いつも通り、ぼんやり数字を数えていく。
……6、5、4、3、2、__________
____ほん、に___ん。
***
「_____日本っ、起きろアル!」
夢の闇を裂くように、低い声が耳をつんざく。
「……ちゅ、ごく……さん………?」
「大丈夫ネ?……うなされてたアルよ。」
ぼんやりと目を開けると、ブルーライトの薄明りに縁取られた顔が、少し険しい目でこちらを見ていた。
「すみません……少し、夢を……。」
「寝ても休まんたぁ、お前も忙しい奴ネ……。」
曖昧な笑みを返し、指先の書類の感覚をぼんやり撫でる。
夏前。すなわち、繁忙期。皆が自分のことで手一杯な時期。
だからこそ、昨日の宣言を聞いた時はみんなして現実逃避でもするつもりかと少々焦ったものだ。
どんな夢、と怪訝そうな声が落ちてくる。
夢の残滓に心を縛られて、喉の奥がひりついた。
空調で乾いた空気を吸う。
「……真っ暗な空の下の、何にもない砂漠みたいな所にひとりで立ってて……」
「それで?」
「目の前にタイマーがあって。……だんだん数字が減っていくんですけど、それがゼロになったら世界が終わる……って夢です。」
中国さんは首に手を当て、何かを考え込むように天井を向いた。
「……どうしてるんアルか、お前は。」
「何も……。ただ、終わるだけですから。」
彼の纏う空気が揺れたかと思えば、小さいため息が足元に転がる。
「全く…お前らしいネ。」
長い指が僕の手から書類を掬う。画面上をカーソルが滑った。
その動きの延長のように、腕を掴まれる。
「あのっ、まだ……」
「今やってもしょうもないミス重ねるだけヨ。」
正論にぐっ、と唇を引き結ぶ。
長い袖に気力を奪われるようにして、大人しく支えられて廊下を歩く。
視界が揺れて、座っていた時より気分が悪くなった。
***
扉を開けると、部屋の隅でホコリが舞った。
肌に染み込むような暑さが窓を介して入ってくる。
中国さんは湿気ごと追い払うように窓を閉めた。
ベットの縁に腰掛けて、それをどこか他人事のように眺める。
この人とふたりきりになるのはいつぶりだろう、と微かな糸をたぐりながら。
ベットが沈み込む感覚に思考の海から引き上げられた。
中国さんが眉を顰めながら口を開く。
「お前、また痩せたネ?ちゃんと食べれてるアルか?」
検分するように、そっと太ももを撫でられる。
彼の袖が揺れて、ほのかに黒檀が香った。
「……大丈夫です。」
「逆の意味アルな、昔から。」
苦笑なのかため息なのか判別がつかない小さな吐息が聞こえる。
それ以上言い返せずにいると、ふわりと気配が寄ってきた。
「……誰を選ぶとか、誰がどうとか……正直、全部面倒アル。それも、こんなクソ忙しい時期にネ。」
視線を上げる。
やわらかいのに逃げられない光を宿した瞳がこちらを見ていた。
「……あなた、意外と面倒くさがりですもんね。」
「あぁ、そうヨ。それでも我は、この戦いに参加した。……この意味、賢いお前ならわかるネ?」
ベットの縁に置かれた手が、僕の頬を包んだ。
スッと細められる双眸とは反対に、確かな熱を宿した指先。
輪郭を曖昧にされてしまいそうで、なんだか怖くなった。
「中国、さん………」
痛いほどに鳴る心臓に合わせてそうこぼす。
彼は微笑んで、僕の手首をシーツに縫い付けた。
甘い声が耳朶を打つ。
「……だから、今夜は……我の夢を見ろ。」
鼓膜から僕を塗り替えるように、湿気を孕んだ吐息がかかる。
「お前がいる限理、世界も我が終わらせたりなんかしねぇアル。」
懐かしい温もりと香りに包まれて、僕の意識は夢の中へと溶けていった。
***
また、暗い空の下にいた。
どこまでも続く死んだ大地の上には、自分ひとりだと知っている。
なのに______
なのに、今日は隣に誰かいた。
ゆっくりと息をする彼は、細い目を開いて、静かにタイマーをみつめていた。
長い指が、安心させるように僕の手に絡みつく。
赤い数字が減っていく。
不思議と恐怖はなかった。
凛とした横顔を思い浮かべながら、奈落のような空を見上げる。
何もない、終わるだけの世界でふたりきり。
_____今なら、世界が終わってもいい。
ただ、そう思った。
***
目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。
顔を動かすと、横には中国さん。
背中に回された手が一晩中寄り添ってくれたことを示している。
呼吸は静かで、頬がわずかに上気していた。
視線に気付いたのか、中国さんがまぶたを持ち上げる。
「……眠れたアルか?」
「……はい……。」
声はまだ夢の続きのように掠れていた。
昨日の夢を思い出す。
あの黒い世界も、もう遠くに思えた。
「昨夜の夢は?」
同じく掠れた声の問いかけ。
「いつも通りでした。」
僕は一度息を吸って、幼い日、彼の顔を真似た日のように目を細めた。
「でも、大丈夫でしたよ。」
少し驚いたような顔をしてから、中国さんは微笑んだ。
「日本、お前見てたら眠くなったヨ。……もうちょっと、付き合えアル。」
「えぇ〜?」
ぎゅっ、と抱き寄せられる。
「嫌なら突っぱねるがヨロシ。……お前はちょっと優しすぎヨ。」
ゆっくりと抱きしめ返して、彼の胸に体を預ける。
朝日で白く染まった天井は、見守るように薄く光っている。
もう一度目を閉じる。
彼の鼓動に抱かれて、遥か昔の夢を見た。
夢の中で、空は青く晴れ渡っていた。
(終)
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!