テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
45
#茜
💎星乃葵@ペア画中.ᐟ💎
1,178
りおりんご🍎
2,407
今中希美
28
黒の第二王子の一行が、王都の城門をくぐったのは、冬の初めのよく晴れた日の午後だった。
太陽の旗を掲げた騎馬の列が、石畳を鳴らして、大通りを進んでいく。
民は、道の両側に退き、息を詰めて見送った。
この都の人々にとって、黒の旗は、まだ軽い意味ではない。
舜太は、王宮の正門の前で、柔太朗と並んで、その到着を待っていた。
柔太朗は、白の礼装を纏っていた。
白絹の衣の胸元に、金の太陽が、細い鎖で下がっている。少しの乱れもない、完璧な佇まいだった。
隣に立つだけで、舜太は、自分の背筋が伸びるのを感じる。
第二王子が、馬から降りた。
整った顔立ちに、変わらぬ眼光。
その視線が舜太を一度なぞり、それから、柔太朗の胸元で、ほんの一瞬、止まった。
「お待ちしておりました」
柔太朗が、穏やかに頭を下げた。
「白の王子殿か。噂は聞いている」
「恐れ入ります」
やり取りは、それだけだった。
けれど、舜太は、その短い間に背中を冷たいものが這うのを感じた。
三日前の、雪の国境の夜が、脳裏をかすめる。
あの烽火台の暖炉の火。
第一王子の低い笑い声。
この男は、何も知らないはずだ。そう、自分に言い聞かせた。
その夜の宴は、大広間に、百を超える灯を点して開かれた。
卓には、赤の羊と、黄の葡萄酒と、白の海の魚が、並んでいる。
三つの国の料理が、一つの卓に揃うことは、この王宮にとって小さな誇りだった。
柔太朗は、白の職人たちが仕上げた細工を、第二王子に贈った。
銀の透かし彫りの、小さな香炉だった。蓋の縁に、月の満ち欠けが細い線で刻まれている。
「見事なものだ」
第二王子は、香炉を燭台の光にかざした。
「尺の統一の件は聞いた。職人に、検査を呑ませたそうだな」
舜太は、盃を持つ手をわずかに止めた。
その話は、まだ、王宮の外へは出していない。
「呑んでくださったのは、職人たちの度量です。私は、銘と工房の自治だけは守ると、約束しただけです」
柔太朗の声は、静かだった。
「守るとは。誰から」
「どなたからでも」
一拍の間があった。第二王子は笑った。
目だけが、笑っていなかった。
「噂の手腕は、本物のようだ」
柔太朗は、礼儀正しく頭を下げ、それ以上何も言わなかった。
舜太は、その横顔を盗み見た。
誇らしかった。この人は、誰の前でも自分の線を引ける。
それは、舜太が、とうの昔に手放したものだった。
そして、その誇らしさのすぐ隣に、別の何かが並んでいた。
白い国からあがる利潤、それを支える交易網と抱える職人たち、そして、あの交渉の手腕。
第二王子が欲しがりそうなものを、頭の中で数えている自分がいた。
舜太は、その考えを、盃の酒と一緒に飲み下した。
夜更け、迎賓の間に、舜太は一人で呼ばれた。
暖炉の火が、石の壁に揺れる影を落としている。
窓の外には、いつのまにか、雪が降り始めていた。
扉の向こうでは、太智が控えているはずだった。
第二王子は、窓辺の椅子に盃を持って座っていた。
「国境の視察は、実りがあったか」
舜太の呼吸が、止まった。
「雪の国境は、冷える。古い烽火台は、殊にな」
「……何の、ことでしょう」
「責める気はない。兄と話すのは、お前の自由だ」
第二王子は、盃を揺らした。
「ただ、お前がその席に、何を持って行ったのか。それが気になる」
舜太は、答えなかった。
答えれば、何かが崩れる、と思った。
「率直に言おう」
第二王子が、盃を置いた。
「白の王子を、お前の政から切り離せ」
「……何を」
「婚姻を解けとは、言わない。白の外交と交易の実務を、お前の直轄に一本化しろ。あの王子は、王都に置いておけ。儀礼の伴侶として」
「理由を、伺います」
第二王子は、すぐには答えなかった。
窓の外の雪を、一度だけ見た。
「黒の王は、一人だ」
静かな声だった。
「富を集め、配る者は、一人でいい。二人いれば、配る先が割れる。お前は、赤と白と黄の王だ。実務を握る手は、一本であるべきだ」
「……」
「それに、俺の領土の大半は、お前の三つの国だ。お前の足元が割れれば、俺の勘定が崩れる」
そう言って、第二王子は、指を一本、立てた。
「一つ。お前は、あの王子のためなら、俺の後ろ盾を蹴れる男だ。兄の側に寄ることも、辞さないかもしれない。それは、弱みだ」
二本目の指が、立った。
「二つ。白は、今は、お前の庇護の下にある。だが、白の利害と赤と黒の利害が、割れる日は必ず来る。その日、お前は、国と伴侶の、どちらを取る。伴侶が政に深く関わっているほど、選択は歪む」
三本目。
「三つ。愛は、契約より脆い。脆いものを、国の柱に据えるな」
「柔太朗は、俺の柱では、ありません」
「ならば、切れるはずだ」
第二王子は、静かに言った。
「取引にしよう。白の国の統治もお前が行い、権益も手中に収めろ。そうすれば、独立の条件を緩めてやる。兵の徴発は、年に一度に減らす。後継の養子の話も、取り下げてもいい」
舜太は、拳を、膝の上で握った。
「それを、柔太朗に話せと」
「話す必要は、ない。お前が決めればいい。国を動かすとは、そういうことだ」
第二王子の目が、舜太を、まっすぐに捉えた。
「お前は、自分の国を独立させるために、どこまで大切なものを捨てられる?」
部屋に、薪の爆ぜる音だけが、響いた。
答えられなかった。喉の奥が、乾いて、張りついていた。
第二王子は、その沈黙を、じっと見ていた。
それから、さらに、穏やかな声で続けた。
「補給の負担を、白の関税から回したそうだな」
舜太の肩が、わずかに跳ねた。
「相談はしたのか」
舜太は、口を開いた。何も、出てこなかった。
「していない、か」
第二王子は、小さく頷いた。
「ならば、お前は、もう半分は切っている。俺は、残りの半分を、切れと言っているだけだ」
その瞬間、舜太の中で、何かが、音を立てて弾けた。
椅子を引く音が、静かな部屋に、大きく響いた。
舜太は、立ち上がっていた。
「柔を」
声が、低く、震えた。
「柔を、あなたの論理で、語るな」
第二王子の眉が、わずかに動いた。
舜太は、自分の声が、「柔」と呼んだことに、遅れて気づいた。
公の場では、決して口にしない呼び名だった。
怒りが、胸の奥で、二つに割れて、燃えていた。
一つは、あの人を、取引の札のように扱われたことへの怒り。
あの人が、自分の手で築いたものを、弱みと呼ばれたことへの。
もう一つは、もっと、暗い炎だった。
補給の件も、白とあの人を札として数えた自分も、国境の視察という嘘も。
そのすべてを、この男に、見抜かれていたことへの。
どちらの怒りが、大きいのか、舜太自身にも分からなかった。
第二王子は、立ち上がらなかった。
ただ、舜太を見上げていた。そして、ゆっくりと、口の端を持ち上げた。
「その怒りが、答えだ」
静かな声だった。
「お前は、捨てられない。……ならば、いずれ、誰かが、お前の手から取り上げる。兄か、俺か。あるいは、別の誰かが」
「……取引は、お断りします」
舜太は、押し殺した声で言った。
「ただし、答えは、交渉の席で、改めて申し上げます」
「構わん。考える時間はやろう」
第二王子は、盃を取り上げた。
「だが、考えるほど、答えは重くなる」
舜太は、一礼もせずに、扉へ向かった。
扉を閉めた途端、膝が、わずかに震えた。
石の壁に、背をもたせかける。
冷たさが、肩から、体の芯へ沁みてきた。
第二王子の言葉は、すべてが間違っていたわけではなかった。
一つ一つは、国を守るための、必要な判断だった。
そう、思っていた。
けれど、並べてみれば、そこには一本の線が通っていた。
自分は、いつのまにか、あの人を、自分の決定の外側に置いていた。
それは、愛しているからだった。
巻き込みたくないからだった。
そう言い聞かせることもできる。
けれど、同じことを、第二王子は、もっと冷たい言葉で呼んだ。
弱みを、切るか、隠すか。
舜太は、胸元の鎖を握った。銀の月は冷たかった。
窓の外では、雪が、音もなく、降り続いている。
柔太朗の部屋は、この廊下の先にある。
行けば、会える。何か、言えるかもしれない。
けれど、舜太の足は、動かなかった。
何を、言えばいいのか。
第二王子が、あなたを切り離せと言った、と。そう、告げるのか。
そうすれば、あの人は、きっと、静かに頷いて、自分の手を、自ら離してしまうだろう。
それだけは、できなかった。
舜太は、背を向けて、反対側の廊下へ歩き出した。
太智は、扉の外で、すべてを聞いていたわけではなかった。
分厚い扉は、言葉をほとんど遮っていた。
ただ、舜太の声が、一度だけ、高く跳ねたことは分かった。
柔、と呼んだ声だった。
扉が開き、舜太が出てきたとき、太智は声をかけなかった。
舜太は、太智に気づかないまま、石の壁に背を預けた。
しばらくして、柔太朗の部屋の方角を、長く見つめた。
それから、くるりと背を向けて、反対側へ歩き出した。
その背中を見て、太智は、ふと思い出した。
白色の国の宮殿を、夜明け前に出た朝のことだ。
舜太は、一度も振り返らずに、闇の中を歩いていった。
あの時、太智は、その後ろをついていった。
あの人は、昔からそうだ。
守りたい相手ほど、自分から遠ざけてしまう。
巻き込みたくないという理由で。
そのくせ、本当は、誰よりも、そばにいたいと願っている。
ずっと、近くで見てきたから、分かる。
あの癖は、治っていない。
それどころか、背負うものが増えた分だけ、深く、硬くなっている。
太智は、廊下の窓から、庭を見下ろした。
王宮の西棟、柔太朗の部屋の窓には、
まだ、灯りが点っていた。
東棟、舜太の部屋にも、同じように灯りがある。
二つの灯りは、庭を挟んで、別々に灯っていた。
どちらも、消える気配はなかった。
いつか、言わなければならない日が、来る。
太智は、そう思った。
舜太に、黙っていてくれと言われたことを、柔太朗に話すべき日が。
太智は、窓から離れ、静かに、自分の部屋へ向かった。
背後の庭で、雪が、二つの灯りを、淡く滲ませていた。
コメント
1件
るりさん、今回も本当に重くて美しいお話でした……。 舜太の心の葛藤が痛いくらい伝わってきて、読んでるこっちまで息苦しくなりました。特に、「守りたい相手ほど自分から遠ざけてしまう」っていう太智の視点が、全部を物語ってるなって。 あの「柔」って呼んだ瞬間、もう胸がぎゅっとなりました。切りたくないのに切らされそうになる、その苦しさ、すごく伝わってきます。次が気になる…!🌙