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「この街、出てくの?」
俺の言葉を聞いた涼ちゃんの眉が苦しげに顰められたのを見逃さなかった。この夜が明けるまでに、涼ちゃんの口からきっと言ってくれるだろうと思っていた。けれど、いつもは穏やかに聞こえる波音が俺の中を焦燥を掻き立てるようで、我慢出来ずに聞いてしまった。
昔、涼ちゃんが誰か大人と話しているところを聞いてしまった。思い詰めたような表情で何かを話し合う涼ちゃんの横顔を、壁に身を隠しじっ、と見つめていた。何だか嫌な予感がして、胸がザワザワと落ち着かない。無意識に力を込めていた手のひらが、微かに痛みを主張する。1度俯いてしまった涼ちゃんの顔が、頬が零れ落ちる涙と共に上げられた。
「…20歳になったらでもいいですか、」
「……そう言われてもねぇ。もしこの街に人間じゃない奴がいるなんてバレたらさ、藤澤君たちだけの問題じゃなくなるんだよ。」
「分かってます、けど……」
涼ちゃんの言葉が続く前に、俺の後ろから何か物音がした。それは2人にも聞こえていたようで、驚いた表情を浮かべた涼ちゃんがこちらに振り向いた。反射的に壁に身を隠し、壁に背を向ける。冷たいコンクリート壁に触れている手のひらにじわじわと汗が滲んでいくのを感じた。どくどくと煩く存在を主張する胸の音に、ぎゅっ、と固く目を瞑った時、この場に似合わない可愛らしい鳴き声が響いた。
「にゃあ〜」
壁の近くに積み上げられていた空き缶を小さい後ろ足で蹴飛ばし、我が物顔でずかずかと壁から姿を現していく三毛の猫に目を見開く。
「…なんだ、猫かぁ…。誰かが飼ってるのかな?」
壁の向こうから聞こえてくる涼ちゃんの声に、ほっ、と胸を撫で下ろす。額にかいていた冷や汗を服の袖で拭っていた時、誰かの深いため息と共に足音が近づいてきた。
「………はぁ、とりあえず話はまた後にしよう。こっちも予定が立て込んでいるんだ。」
「…分かりました。」
「……まっず、こっち来るじゃん…、!」
こちらに近付いてくる1人分の足音に、地面に雑に散らばったままの空き缶を器用に飛び越え、急いでその場から走り出した。
あの時の話の続きは聞けないままだったが、涼ちゃんは20歳までこの街に居てくれている。15.16.17と共に歳を重ねていく日々に、俺は安心しきっていた。きっとあの日の話は上手くいったんだ、涼ちゃんはずっとこの街に居てくれるんだ、と。だが、それは全くの間違いだった。20歳が近付くにつれて何処か距離を感じる涼ちゃんの態度に不審感を覚えると共に、記憶から抜け落ちていた重要な言葉を思い出してしまった。あの日、涼ちゃんが大人と話していた日、会話の中で出てきた「人間じゃない奴」という言葉。一体これは誰を指すのか 。涼ちゃんが人間じゃない者を匿っているのか、それとも涼ちゃん自身が…なんて事実かも分からない思考がぐるぐると頭を渦巻く。だから今、真実を全てはっきりさせたい。
「涼ちゃん、俺に隠してることあるよね。もしなんか悩んでるなら手貸すからさ、!」
「っ、……」
俯いたままの涼ちゃんの瞳は酷く揺れていた。なのに、口は固く閉じられたままで質問の答えは一向に帰ってこない。今ここで答えを得られなかったらもう聞けない気がして、思わず身を乗り出し涼ちゃんの表情を覗き込む。
「…ねえ。」
黙ってても分かんない、なんて少しだけ気持ちが高ぶった言葉を言いそうになった。けれど、俺には分からない涼ちゃんの事情があるはず。大丈夫、涼ちゃんから話してくれる、と自身を落ち着かせ深く呼吸をする。
「………若井、…僕…」
樹皮に手のひらを添え体制を整えようとすると、涼ちゃんがぽつりと言葉を呟いた。反射的に顔を上げた瞬間、手のひらが勢いよく後ろへと滑り落ちてしまう。何の支えもない身体は案の定バランスを崩し、慣れない浮遊感が身を包んだ。
「、あ……」
「…、!?!?滉斗、!!!」
驚き目を見開いた涼ちゃんが目いっぱいに手を伸ばす。届かない、そんなことを分かりきっていたけれど必死に腕を伸ばした。だけど、どんどんと涼ちゃんの姿が遠ざかっていく。視界一面に広がる黒く塗りつぶされた空。重力に靡く髪がこれからの状況を無情にも語っていた。耳が痛くなるような空気を裂く音に目を固く瞑る。途端に背中に鋭い痛みが走った。一面に広がる碧が俺の身体を深く包み込む。
何故だか酷く、懐かしかった。