テラーノベル
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夜の街に吹く風は冷たかった。ビルの屋上から静かに見下ろす影——それは、仮面をつけた一人の男。
“怪盗レイヴン”。
この名を聞けば、警察関係者なら誰もが顔をしかめるほどの存在。
大胆な手口で美術品を盗み去り、追跡を撒くその姿は、闇夜に溶ける黒い鴉のようだと評されていた。
湊は静かに息を吐き、遠くに見える美術館を見つめる。
(……今夜も、やるべきことをやるだけ)
何も考えず、ただ淡々と役目を果たせばいい。
そうしてきた。ずっと。
けれど——
ふと、脳裏をよぎるのは、カウンター越しに向けられた刑事の眼差しだった。
(……相沢さん)
彼の視線は、いつも鋭いのに不思議と優しさを含んでいた。
まるで、自分の奥深くに隠しているものを、静かに見抜こうとしているような——。
「……っ」
湊は、すぐに思考を振り払った。
今は考えるな。
己がすべきことに集中しろ。
そう言い聞かせるように、彼は静かに闇の中へと消えていった。
◇◇◇
「……また、やられたか」
美術館の警報が鳴り響き、警察無線から緊迫した声が飛び交う中、相沢は静かに舌打ちした。
“怪盗レイヴン”の名がまた世間を賑わせることになるだろう。
(……一体、何者なんだ)
大胆な手口、鮮やかな逃亡劇。
普通の人間では到底不可能な動き。
何より——
(この間の現場で見た影、どこか……)
なぜか、湊の姿が重なって見えた。
もちろん、そんなはずはない。
彼はただのカフェ店員で、怪盗とは無縁の存在のはずだ。
だが、時々湊が見せる「隠しているような仕草」が、どうしても気になってしまう。
「……考えすぎか」
相沢はそう自分に言い聞かせるが、心の奥では既に違和感が燻り続けていた。
◇◇◇
翌日、カフェ「ルミエール」。
相沢はいつものようにカウンターに座り、コーヒーを待っていた。
いつもと変わらぬ風景。
いつもと変わらぬ湊の姿。
だが、相沢の中には妙な緊張感があった。
「相沢さん、眠そうですね」
「まぁな……昨夜は散々だった」
「事件ですか?」
「……ああ」
そう答えながら、相沢はじっと湊を見つめる。
湊の手は、相変わらずしなやかで、無駄がない。
だが、その指先に薄く擦れた痕があるのを見てしまった。
(……ロープか、ワイヤーか)
普通のカフェ店員の手ではない。
「……何か?」
「いや、ただ……」
相沢は言葉を飲み込んだ。
“お前、何か隠してるだろう?”
そう問いかけたい衝動に駆られたが、ここでそれを言えば、何かが壊れてしまいそうな気がした。
それに、彼が何者であれ——
(俺は、こいつに惹かれている)
それだけは、もう誤魔化せなかった。
「……お前って、不思議なやつだよな」
「そうですか?」
「……ああ。気づいたら、お前のことばかり考えてる」
思わず口をついて出た言葉に、湊がわずかに動きを止めた。
そして、ゆっくりと相沢の方を見つめる。
「それは……どういう意味ですか?」
「……さぁな」
相沢は曖昧に笑いながらも、湊の瞳をまっすぐに見つめ返した。
今まで意識していなかった感情が、確かにそこにある。
それは、単なる興味ではなく——もっと深いもの。
湊もまた、相沢の視線から目を逸らせなかった。
“気づいたら、お前のことばかり考えている”
相沢の言葉の意味が、じわじわと胸に染み込んでいく。
(……俺も、もしかして)
カフェの静かな空気の中、二人の心は揺らぎ始めていた。
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