テラーノベル
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現場の駐車場に車が滑り込むと、そこにはマネージャーから事前に連絡を受けていた数人のスタッフが、落ち着かない様子で待機していた。
「……本当に、子供なんですか?」
車が止まるなり、スタッフの一人がマネージャーに詰め寄る。マネージャーは力なく頷き、後部座席のドアを開けた。
まず降りてきた若井が、大事そうに腕の中に抱えた「それ」をスタッフたちに見せる。ぶかぶかの服に埋もれ、若井の首に短い腕を回している小さな男の子。スタッフ一同、一瞬時が止まったように静まり返った。
「……お、おはようございます!!」
一人が戸惑いながらも大きな声で挨拶を口にすると、若井の胸に頬をくっつけていた元貴はクルッと振り向いて顔を上げた。
「おはよう。……びっくりさせてごめんね、今日はよろしく」
鈴を転がすような高い声。けれど、その落ち着き払った挨拶と、スタッフの顔を一人ひとり確認する鋭い眼差しは、彼らがよく知るフロントマンそのものだった。
けれどスタッフたちの中にはまだ現実を受け入れられない者も多い。プロとして冷静を保とうと必死に表情を強張らせているが、手に持った進行表がガサガサと震えていたり、目を合わせるたびに短く息を呑んだりと、動揺は隠しきれていない。
一方で若井と藤澤は、周囲のあまりの狼狽ぶりをよそに、どこか誇らしげに元貴を守るようにして歩いていく。
控室での着替えを終えて、スタッフに手を引かれた元貴が収録スタジオに現れた。
用意されていたのは、厚みのある黒のプルオーバーパーカー。それに加えて丈夫そうなコットン素材のベージュのチノパン。丈が合わなかったのか、裾を二重にロールアップしている。これがまた、こなれた雰囲気を感じさせている。足元は、黒地に白のラインが入ったキャンバス素材のローカットスニーカー。
さっきまでのぶかぶかな大人用の服とは違い、今のサイズにぴったり合った服を着た元貴は、どこからどう見ても「ちょっとお洒落な幼稚園児」そのものだ。
「……お待たせ」
トテトテとぎこちない足取りで歩いてくる元貴に、先に準備を終えていた若井と藤澤の視線が釘付けになる。パーカーのフードに顔が半分埋まりそうなほど小顔で、袖口から覗く小さな手が、歩くたびにパタパタと揺れている。
「……おー似合うじゃん。かわいい」
若井が口元を押さえて呟く。藤澤も「これは反則だよ…」と、顔を真っ赤にして天を仰いだ。
元貴は二人の反応に気づくと、パーカーの裾をくいっと引っ張って、少し照れくさそうに頬を染めた。
「子役さんの衣装の予備があって良かった。さっきまでスースーしてたから歩きやすい」
恥ずかしさを誤魔化すように笑うと、ぷっくりとした頬が盛り上がり、さらに可愛らしさが爆発する。スタッフたちも、仕事に集中して機材を触っているが、視線だけは完全に元貴の方へ吸い寄せられていた。
「元貴、こっちおいで」
藤澤が手招きすると、元貴は少しだけ足取りを速めて二人のもとへ駆け寄った。けれど、自分の歩幅がいつもよりずっと短いことにまだ慣れないのか、足元が少しもつれそうになる。
「おっと」
若井が反射的に手を差し出すと、元貴はその指先をぎゅっと握りしめた。
「……若井、手離さないでよ。ここ段差多いんだから」
上目遣いで、少しだけ心細そうに呟く元貴。普段の圧倒的なカリスマ性はどこへやら、今の彼は、どこにでも居そうな一人の子どもだった。
「わかった、わかった。ちゃんと見てる」
自分の顔がにやけているのを自覚しながら若井はそう言う。握り返した小さな手の温かさに、胸の奥が温かくなるのを感じた。
収録が始まると、見た目と言動とのギャップはさらに凄まじいことになった。しかし元貴は”大森元貴”であることを片時も休まなかった。
現場の隅々まで目を配り、楽曲のニュアンスにこだわり、完璧な舵取りを見せる。いつもと変わらないその様子に、スタッフも、そして誰より近くにいる若井と藤澤も次第に幼児の姿であることを気にしなくなっていく程だった。
二人はいつも通り、いや、いつも以上に気を引き締めて彼の背中を支え、なんとか今日の全スケジュールを完遂させた。
夜も更け、静まり返った車内。街灯の光が規則正しく後部座席を照らしては過ぎ去っていく。
元貴は、車のシートに深く背中を預けていた。窓の外をぼんやり眺めている小さな横顔は、疲れのせいか昼間よりさらに幼く見える。
子ども特有の快活さとは無縁の影が落ちている、酷くアンニュイな雰囲気に若井は何処か不安になった。
街灯の光が流れるたびに、濡れたような睫毛が長い影を頬に落とし、薄く開いた唇からは微かな吐息が漏れる。その姿は、まるで古い映画のワンシーンから抜け出してきた、早熟な少年のようだった。
「……ねぇ、元貴さ。今日俺の家泊まってかない?」
若井が沈黙を破ってそう切り出した。
まるで居眠りをしているなか突然起こされたように、勢いよく顔を上げた元貴は視線を窓から若井へと移した。
「…え、なんで?」
「だって一人で風呂とか…危ないよ」
元貴は短くなった指先で顎に触れながら、少し考え込むような表情を見せる。
「いや、俺の家の方がここから近いし、今日は俺がみるよ。ついでに一緒に降りよう?」
藤澤がすかさずそこに割り込んだ。柔らかな口調ではあったが、譲る気はないという意志が瞳の奥に宿っている。
「……え、近くたって俺のとこでもいいじゃん」
「いや、元貴の体力を考えたらすぐ休ませた方がいいでしょ」
車内の空気がピリリと張り詰める。かわいい彼の「世話役」を巡って、二人の間に静かな火花が散った。
数秒の沈黙のあと、元貴がふっと息を吐いて口を開いた。
「……うーん。……大丈夫。一人で帰る」
てっきり二人のどちらかを選ぶものだと思っていた二人は、予想外の答えに呆気に取られた。
「もし溺れたりしたらどうするの」
若井が心配半分、冗談半分で言うと、元貴は面白がるように、少し呆れた顔で笑った。
「溺れないよ。そこまでドジじゃないし」
「ご飯とかは?キッチン、今の身長じゃ絶対届かないでしょ」
藤澤も食い下がるが、元貴はまた困ったように眉を下げて笑う。
「椅子に登れば大丈夫だって。なんとかなるよ、二人とも大袈裟」
その物言いは、決して拒絶しているわけではなかった。ただ「困ったなぁ」と、過保護な二人をなだめるような、そんな温かい色を帯びている。嫌がっている素振りは微塵もないのに、なぜか頑なに一人になろうとする。
若井は釈然としない思いで、元貴の顔を見つめた。これまでにもお互いの家に泊まることなんて珍しくなかったはずだ。この不自由な体の状態で、あえて「一人」を選ぶ理由が分からない。
言いくるめられてしまい黙っていると、元貴の視線は再び窓の外の夜景へと戻っていった。その小さな背中を見つめながら、若井と藤澤は困ったように顔を見合わせた。
様子を伺っていたマネージャーが、重い口を開いてひと押しする。
「元貴、万が一自宅で事故でもあったら、これからの仕事全部に響くんだよ。……俺の責任問題にもなる。だから、今日だけは誰かの家に行ってくれないか」
その言葉に、元貴の視線が微かに揺れた。バックミラー越しに二人の目が合う。それまで虚空を見つめていた瞳が、救いを求めるようでもあり、あるいは何かを諦めたようでもある曖昧な動きで泳ぎ始める。彼は自分の膝の上にある、小さく、頼りない手元をじっと見つめた。そのまま俯いてしまうと、パーカーのフードの影が顔を覆い、 もはや彼が何を考えているのか、どんな表情をしているのか、一切読み取れなくなってしまった。
車内に、沈黙が重くのしかかる。
「そこまでして、二人の家に行くのが嫌な理由があるのか?」
マネージャーが、探るように問いかけた。その瞬間、元貴の肩がびくりと跳ねた。そしてゆるりと首を振る。
「……いや、別にそういうんじゃないけど」
吐き出された声は、これまでの落ち着きを欠いた、焦りを含んだ早口だった。普段の彼ならもっとうまくはぐらかすはずだ。けれど、今の彼は感情の揺らぎを隠すにはあまりに体が小さく、その動揺は、指先の微かな震えとなって表れていた。
怪訝に思った若井が質問を重ねようとすると、
「……わかった」
諦めたように、元貴がポツリと零した。その一言を受けて、マネージャーは「よし」と小さく頷き、バックミラー越しに若井と藤澤へ視線で合図を送った。
「どうする?一応ここからだと涼ちゃんの家が近いけど」
その提案に、元貴はもう反論しなかった。ただ、所在なげに視線を落として、自分の小さな指先をいじっている。その黙認を「了承」と捉えた若井が、身を乗り出すようにして言った。
「なら、俺も泊まる。いいでしょ?」
勝手に結論を急ぐ若井の言葉に、助手席に座っていた藤澤が、弾けるような笑顔でこちらを振り向いた。
「いいよ、もちろん。三人でお泊まりなんて久々だね」
二人の間に漂っていたピリついた空気は一気に霧散し、車内には和やかな空気が広がった。
「涼ちゃんの家の近くにコンビニあったっけ」
「あるよ。アイス買ってく?」
二人が楽しそうに会話をする中、 その隣で小さくなっている元貴の反応は、どこまでも希薄だった。何を問いかけても「……ん」「いいよ、別に」といった、短く、熱を持たない言葉が返ってくるだけ。時折、街灯の光が元貴の瞳に反射するが、その視線はどこか遠くを彷徨っているようで、焦点が合っていない。
若井は、冗談を言いながらも、チラチラと元貴の横顔を伺っていた。いつもなら、自分たちのくだらない言い合いに「うるさい」と鋭いツッコミを入れてくるはずの彼が、今は重い霧の中に閉じ込められているように見える。
(……なんか、大丈夫か?元貴)
不安が首をもたげるが、若井はそれを口には出さなかった。今、自分が心配そうな顔をすれば、元貴はさらに霧の中に隠れてしまう。そう直感していた。
それは藤澤も同じだった。元貴の様子を異様さを敏感に感じ取りながらも、決して踏み込みすぎないよう、柔らかな微笑みを崩さなかった。
「元貴、眠い?お家着いたらすぐお風呂沸かすからね」
藤澤は、まるで壊れ物に触れるような優しいトーンで話しかける。元貴は、その声に一瞬だけ反応して、わずかに頷いた。けれどすぐに、また力なく視線を落とす。
そうこうしている内に、窓の外はどんどん見慣れた景色になっていった。
「もうすぐ着くよ」
マネージャーがわざと明るく声をかけた。
やがて車は、夜の静寂に包まれた藤澤のマンションの前へと滑り込んだ。
__to be continued…
コメント
3件
元貴さんの子供ながらアンニュイな雰囲気も、暗くなりそうなお話も、本当に大好きです!!次回も楽しみにしています!