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橘靖竜
第203話 サキの声
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
レアの指が、ほんの少しだけ震えた。
それは、見間違いのような揺れだった。
光刃を握る指先。
ハレルの首元へ伸びかけていた刃。
その角度が、わずかに止まる。
サキは、その一瞬を見逃さなかった。
「レア!」
校庭の入口で、サキは叫んだ。
王都兵が前に立ち、盾を構えている。
それでも、サキの視線は盾の向こうにいるレアだけを見ていた。
レアはゆっくりと顔を向ける。
黒い片目の奥で、文字列が走っている。
頬から首筋へ、影の線が流れている。
手には光刃。
けれど、サキには分かった。
完全に届いていないわけではない。
「あなたは、命令じゃない」
サキは震える声で言った。
「あなたは、レアでしょ」
レアの唇が、わずかに動く。
「……レア」
その声は小さかった。
だが、次の瞬間、黒い文字列が強く走った。
if name == error。
return command。
レアの目から、表情が消える。
「命令を続行します」
光刃が振り下ろされた。
ハレルは咄嗟に〈固定界〉を出す。
「一点固定――〈固定界〉!」
白い光が刃を受ける。
だが、レアの動きは速い。
刃が固定界に触れた瞬間、角度を変える。
白い光の端を滑り、ハレルの肩へ向かう。
リオが横から割って入る。
「〈光盾・第二級〉!」
光盾がレアの刃を受けた。
鋭い音が響く。
リオの腕が痺れる。
レアの刃は軽いのに、受けた衝撃は重かった。
「お前……本当にレアかよ」
リオが低く言う。
レアは無表情のまま答えた。
「私は、カシウス様のもの」
「違う!」
サキの声が、すぐに重なった。
「違うよ、レア!」
「あなた、そんなこと言ってなかった!」
「自分で選ぶって言ったじゃん!」
「戻る場所があるのか、見てくるって言ったじゃん!」
レアの刃が、一瞬だけ止まる。
ほんの一瞬。
だが、パイソンはそれを見逃さなかった。
「余計な入力が入っています」
パイソンが片手を上げる。
黒い構文が、レアの足元へ流れ込む。
if voice == Saki。
reduce effect。
レアの目の奥で、黒い文字列が濃くなる。
パイソンは淡々と言った。
「呼びかけは有効ですが、効果は減衰できます」
サキは歯を食いしばる。
「減らせても、消せないんでしょ」
パイソンの目が、わずかにサキへ向いた。
「強い言葉ですね」
「強くないよ」
サキは一歩前へ出た。
盾を構えた王都兵が慌てて止めようとする。
「サキさん、前へ出すぎです!」
「分かってます!」
それでも、サキは声を張った。
「レア!」
「聞こえてるなら、返事して!」
「命令じゃなくて、自分の声で!」
レアの手が、またわずかに震えた。
【異世界・転移した学園/校庭中央・朝】
ジャバが大きく笑った。
「おいおい、声かけて止めるつもりかよ」
「甘すぎるだろ!」
ジャバの拳が、ヴェルニへ向かう。
ヴェルニは炎をまとった腕で受けた。
「ぐっ……!」
衝撃で足が地面に沈む。
ジャバはさらに押し込む。
「さっきより鈍いな!」
「腹に一発入ったの、まだ効いてんだろ!」
ヴェルニは歯を見せて笑った。
「効いてねえって言いたいとこだけどな」
「まあ、ちょっと効いてる!」
「正直だな!」
ジャバがもう一発振るう。
ヴェルニは受けきれず、横へ吹き飛ばされる。
そこへ影獣が二体、外周線へ走った。
アデルが鋭く命じる。
「槍列、前へ!」
「術師は外周線を補助!」
「ヴェルニ、立てるなら右を止めろ!」
「立つに決まってるだろ!」
ヴェルニは地面に手をつき、炎を噴き上げるようにして立ち上がる。
アデルは左腕の副鍵を光らせたまま、南西外周を支え続けている。
動けない。動けば、外周が落ちる。
それをジャバは分かっている。
「お前、動けねえんだろ」
ジャバがアデルを見て笑った。
「外周を支えてる限り、そこから動けねえ」
「なら、そっちの炎野郎から潰す」
「やってみろ」
アデルは静かに返した。
「ヴェルニは、その程度で倒れない」
ヴェルニが笑う。
「その程度って言うな。けっこう痛えぞ」
「なら耐えろ」
「はいはい!」
ジャバは楽しそうに肩を鳴らす。
「いいねえ」
「そういう意地っ張り、折りたくなる」
その瞬間、パイソンの黒い構文がジャバの足元に流れた。
if attack == pressure。
add fear。
ジャバの拳にまとわりつく黒影が、一段濃くなる。
ヴェルニの表情が変わった。
「おい、強化してんじゃねえか」
パイソンは静かに言う。
「補助です」
ジャバは不満そうに舌打ちする。
「勝手にいじるな」
「勝つためです」
「気に食わねえ」
そう言いながらも、ジャバは踏み込んだ。
今度の拳は、さっきより重かった。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/体育館・朝】
体育館では、青山先生が名前確認を続けていた。
「私は、青山和子です」
「三年二組の担任です」
「今、体育館中央にいます」
生徒たちが続く。
「小森ハルカ、ここにいます!」
「内田ソウタ、ここにいます!」
「遠藤ミナ、ここにいます!」
サキが校庭へ向かったあとも、声は止まっていない。
ダミエは結界線を見ながら、わずかに頷いた。
「保っている」
ノノの声がイヤーカフから入る。
『体育館側、安定』
『青山先生中心の名前確認、機能してる』
『ダミエ、そっちはそのまま』
「分かっている」
ダミエは校庭側へ意識を向ける。
サキが出たことで、体育館は一つ弱くなった。
だが、代わりに校庭側にはサキの声が届いている。
どちらが正しいかではない。どちらも必要だった。
ダミエは低く呟いた。
「戻る場所は、箱ではない」
サキが言ったこと。ハレルたちと決めたこと。
空の箱は撤収した。記録だけを残した。
その意味が、今になって少し分かる。
もし箱を残していたら、レアはまたそこへ戻されていたかもしれない。
拘束されるべきものとして。
危険物として。
誰かの所有物として。
だが、今残っているのは記録だけだ。
そこにいたという記録。
名前を呼ばれたという記録。
ダミエは結界線を強くする。
「サキ」
「呼び続けろ」
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
レアの攻撃は、さらに速くなった。
パイソンの構文が、彼女の動きに重なっている。
if target == mainkey。
priority high。
レアの刃が、ハレルへ向かう。
if subkey exposed。
cut。
次の刃が、リオの右腕へ向かう。
ハレルとリオは必死に受ける。
だが、レアは人間らしい迷いを見せない。
避ける。
滑る。
切る。
戻る。
また踏み込む。
その動きには、感情がない。
殺意すらない。
ただ、命令だけがある。
サキは叫び続けた。
「レア!」
「あなた、私に言ったよね!」
「箱の中にいるだけだと、誰かの役割のままだって!」
「だったら今のこれは何なの!」
「カシウスのものって、それがあなたの役割なの!?」
レアの動きが、一瞬だけ乱れた。
リオがそれを見て叫ぶ。
「今の、効いてる!」
ハレルも頷く。
「サキ、続けて!」
パイソンが静かに手を動かす。
if memory == unstable。
overwrite。
黒い構文がレアの背中へ入る。
レアの目が再び冷たくなる。
「命令を実行します」
サキは唇を噛んだ。
「上書きしないで!」
パイソンがサキを見る。
「記憶は、整えなければノイズになります」
「ノイズじゃない!」
サキは叫ぶ。
「レアが自分で選ぼうとした証拠だよ!」
「選択の結果が不安定なら、再定義されるべきです」
「勝手に決めないで!」
サキの声に、校庭の空気が震えた。
レアの指が、また震える。
ハレルはその一瞬に気づく。
「レア!」
リオも叫ぶ。
「一ノ瀬涼だ!」
「お前が狙ってる副鍵の持ち主は、道具じゃない!」
「俺も、俺の姉さんも、お前も、誰かの物じゃない!」
レアの目が、リオへ向く。
「姉……」
その声は、命令の声ではなかった。
ほんの少し、本人の声に近かった。
パイソンの眉が、わずかに動く。
「関連記憶に反応しましたか」
ハレルは叫ぶ。
「雲賀ハレル!」
「ここにいる!」
「レア、俺たちは敵じゃない!」
サキが続ける。
「雲賀サキ!」
「ここにいる!」
「あなたを箱に戻したいんじゃない!」
「あなたを、あなたに戻したいの!」
レアの刃が、止まった。
ほんの一秒。
だが、その一秒で、全員が息を呑んだ。
レアの唇が動く。
「……私、は」
次の瞬間、パイソンの構文が一気に濃くなる。
if self == undefined。
return owner。
レアの体が大きく震えた。
「私は……」
サキが叫ぶ。
「レア!」
レアの目から黒い文字列が溢れる。
「カシウス様のもの」
その声は、また冷たく戻っていた。
サキは泣きそうな顔で首を振る。
「違う……!」
◆ ◆ ◆
【現実世界・旧学園跡地周辺/仮設指揮所・朝】
日下部の画面には、校庭側の反応が乱れていた。
《HUMAN-SHADOW MIX / FLUCTUATION》
《NAME RESPONSE / DETECTED》
《OVERWRITE / ACTIVE》
《KEY TARGETING / CONTINUES》
日下部が声を上げる。
「名前反応が出ています!」
「サキさんの呼びかけに反応しています!」
「ただし、上書きが強い!」
木崎は森の奥を見た。
そこには、校庭の影が薄く映っている。
サキの姿までは見えない。
だが、声の揺れは、外周線を通して現実側にも伝わっていた。
「向こうで、呼び戻そうとしてるのか」
城ヶ峰が低く言う。
「こちらは外周を落とすな」
「呼び戻せても、学園の線が切れれば意味がない」
木崎は無線を開いた。
『全班、外周維持』
『名前確認を続けろ』
『向こうで一人を呼び戻そうとしている』
『こちらは場所を戻す』
森の外周で、隊員たちが名前を呼び合う。
「相馬、南西外周にいます!」
「佐久間、光具を支えています!」
「宮野、布紐を維持しています!」
現実側の光が、揺れながらも保たれる。
日下部は端末に、新しい表示を見た。
《SCHOOL RETURN LINE / HOLDING》
まだ崩れていない。
◆ ◆ ◆
【異世界・転移した学園/校庭・朝】
パイソンは、初めて少しだけ不快そうに見えた。
サキの声。
ハレルの声。
リオの声。
名前による呼びかけが、再定義の中に小さな穴を開けている。
完全ではない。
まだ支配は保っている。
だが、揺らいでいる。
「やはり、名前は厄介ですね」
パイソンが呟く。
ジャバは怒鳴った。
「おい、まだ終わらねえのかよ!」
「処理中です」
「処理が遅え!」
ジャバは苛立ったように、ヴェルニへ向かって突っ込む。
ヴェルニは炎を構えた。
「来いよ、力馬鹿!」
「誰が馬鹿だ!」
ジャバの拳とヴェルニの炎がぶつかる。
その衝撃で、校庭の地面が割れる。
アデルは外周線を支えながら叫ぶ。
「全員、持ち場を離れるな!」
「ジャバに釣られるな!」
リオはレアの刃を受けながら言った。
「分かってる!」
ハレルも主鍵を構える。
「サキ、もう少しだ!」
サキはレアを見つめた。
レアの目の奥で、黒い文字列が走っている。
でも、その奥に一瞬だけ、迷うような光が見えた。
サキは声を振り絞る。
「レア!」
「あなたは、誰かの物じゃない!」
「あなたは、レア!」
「私、まだあなたとちゃんと話してない!」
「友達かどうかも、まだ聞いてない!」
レアの表情が、わずかに歪んだ。
「……友、達」
サキの胸が跳ねる。
「そうだよ!」
「勝手に終わらせないで!」
「戻ってきてよ!」
レアの光刃が、ゆっくり下がった。
ほんの少しだけ。
パイソンの目が細くなる。
「次の段階へ移行します」
黒い構文が、レアの全身を包む。
if resistance > threshold。
lock personality。
レアの体が硬直した。
サキが叫ぶ。
「やめて!」
パイソンは静かに言う。
「感情を閉じます」
レアの瞳から、迷いが消えようとしていた。
◆ ◆ ◆
サキの声は届いていた。
レアの指は震え、刃は止まり、言葉もわずかに揺れた。
「姉」という言葉。
「友達」という言葉。
それらが、再定義されたレアの奥に届きかけていた。
だが、パイソンはその揺らぎを許さない。
記憶を上書きし、名前の参照先を戻し、最後には感情そのものを閉じようとする。
ジャバは力で外周を壊そうとし、パイソンは意味を変え、レアは鍵を狙う。
それでも、サキは叫び続けた。
役割ではなく、名前を。
命令ではなく、声を。
「あなたは、レア!」
その声に、レアの奥で何かがまだ震えていた。
だが、黒い構文は次の命令へ移ろうとしていた。
コメント
1件
え、もうこの展開……心臓がギュッてなりました。サキがレアの名前を呼び続けるところ、本当に切なくて。命令じゃなくて“自分の声で”返事してって叫んだシーン、涙腺にきました。レアの指が震える描写が何より効いてる……まだ完全に消えてないんだって分かって、もっと応援したくなりました。続きが気になりすぎます。