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(江島さん、全然戻ってこないな……)
コピーを取りに行ったまま戻ってこない先輩の姿に胸の奥がざわついた。

オフィスのコピー機を確認しても、やはりいない。

俺は少し考えてから、席を立った。

備品置き場に向かうために。





「一体どんな手ェ使ったんだ、江島ァ」



オフィスにいないなら、コピー用紙を取りにここに来ているはずだという俺の予想は当たっていた。

だが、中から聞こえてきた声にドアノブを回そうとした手が止まる。



(A……)



心情を切り替えて外回りに出たかと思えば、こんなとこで油売ってたのかよ。

ほんと救いようがねぇな……。

もし中にいるのがAだけならこの場から即座に去るところだったが、Aの口から出た名前に、ドアノブを握る指先に力が入る。



(やっぱ江島さんも一緒か…)



チッ、と舌打ちが漏れる。


何やってんだよ、俺は……。

あいつと江島さんを二人きりにするなんて。

万が一、江島さんがあいつに傷つけられでもしたら……

想像するだけではらわたが煮えくり返りそうになる。 



すぐにでも扉を開けて、江島さんたちの間に割って入りたいところだが——

わかってる、タイミングは今じゃない。

今入ったところで余計に事態を悪化させるだけだ。


っクソ…と拳を握る。

そうしなければ今にもこの扉をぶん殴ってしまいそうだった。




「……どういう意味ですか?」



江島さんの振り絞るような声が中から聞こえた。

その声は震えていた。


けれど震えているのはきっと声だけじゃない。自分より上の立場の人間から悪意を向けられているあの気弱な先輩は、今ごろ全身を小刻みに震わせていることだろう。

想像するだけで胸の奥が締め付けられる。



「どうしたもこうしたもねぇよ。今朝の朝礼、おまえも聞いてただろ?

なんで今月の最下位者が万年ドベのおまえじゃなくてこの俺なんだよ……ッ!!」


ドカン、と破裂したような怒号が扉を震わせる。

外で聞いてもこの声量だ。

中で直接聞いている先輩には、さらに数倍の声量で届いているに違いない。

それをあの気弱な先輩が受け流せるわけがない。

きっと今ごろ全身を震わせて、その目には涙さえ浮んでいるかもしれない…

もし…もしそれであの人が泣くようなことになれば…俺はAが先輩であることすら気にかけず、衝動のままあのにやけ面をぶん殴ってしまうだろう。



——そう思っていた俺だったが、江島さんの次の一言で俺は自分が思っているよりもずっとあの人が強い人間であることを知ることになった。



「部長の言った通りです。今月の最下位者は俺ではなく、あなただってことです」



それは初めて聞くような冷静な声だった。

驚く俺とは裏腹に、Aはさらに荒い口調で続けた。



「だからぁ、それがおかしいっつてんだよ。テメェみたいな無能が俺より上?—そんなんありえるわけねぇだろ…ッ!!」



「そうかもしれません。けど事実です」



「あ゛ぁ゛?…さっきから聞いてりゃ江島テメェ、いつから先輩に対してそんな舐めた口聞くようになった…?」



先ほどまでの勢いだけで乗り切ろうとしていた空気とは一変、突然冷静になったAの口調に俺は嫌な予感がした。


すべてを失った人間は強い。

失うものがないから、どんな不祥事や罰則も恐れず、衝動のまま感情をぶつけられる。


今回の朝礼を機におそらくAは近日中にここを去るだろう。

あのプライドだけで仕事していた人間が公開処刑を受けてなおこの場にしがみつく理由はないし、本人もそれを許さないだろう。


だからこそ、すべてを失ったAがいま江島さんに何をするかわからない。

入るタイミングを見計らっている間に、江島さんが暴力を受けるかもしれない。

 


だったら今しかねぇだろとドアノブを回そうとした、その瞬間だった。



「———っせんぱいこそいつからそんなダサくなっちゃったんですか………ッ!!!?」



さきほどの怒声に負けない、大きな声が部屋に響いた。



「っはぁ!?テメェぶっ飛ばすぞ!」



「先輩は…長谷さんはもっとカッコいい先輩でした……ッ」



振り絞るような江島さんの声に、俺はAの名前が長谷(はせ)であることを思い出した。



「は…?何言って……」



江島さんの聞いたことのない声量と気迫に長谷さんが狼狽えているのが言葉尻から伝わった。



「俺は忘れてません…入社したばかりで右も左もわからなかった俺たちに、営業を一から教えてくれたあの頃の長谷さんのこと」



「……………」



「俺も同期もこんなカッコいい営業マンになりたいって本気で思ってました。…それなのに、どうしてこうなっちゃったんですか…」



「………っせぇよ……」



「どうして人の愚痴ばかり言って、自分は何の苦労も汗も流さないダサい先輩になっちゃったんですか……ッ!」



「ッッうるっせえよ江島ァ……っ!!」



(っ江島さんが危ない…ッ)



俺はすぐにドアノブを回したが、鍵がかかっていて開かなかった。

っクソ開けよ…ッ!とガンガン扉を叩くが、開く気配は一向に訪れない。



(どうする…総務にマスターを貰いに行くか?…いやその間に先輩が殴られでもしたら…)



心臓の音がやけに大きく響く。

指先が冷たくなっているのがわかる。

こんな感覚になるのは初めてだった。




———『藤沢さんって王子様みたい!!』



…王子?

笑わせる。

尊敬する先輩一人守れなくて何が王子だ。



…江島さんもかわいそうだな……。

元はといえば俺が原因で先輩から目を付けられようなもんだし。

俺に構わなければこんな目に遭うこともなかったはずだ。


そもそも江島さんだって長谷さんと同じ気持ちなのかもしれない。

自分より年下のくせにって本音では思ってるかもしれない。

…邪魔だなぁとか、思ってんのかな。



(やべ…どんどんネガってきた…)



誰にどう思われても気にならなかったのに。

それなのに確かにいま、俺はこう思ってしまった。



———江島さんには嫌われたくないな。




ぽつりと溢れた言葉は、俺の本音だった。


その瞬間——



「藤沢は俺の後輩です!!あいつを傷つけるなら先輩相手だって許さない……!!」



江島さんの叫びが空気を切り裂いた。

普段の先輩からは想像もできないほど、鋭く、真っすぐな声だった。


室内に沈黙が落ちる。

しばらくして、長谷の舌打ちが重たく響いた。


「……チッ、勝手に言ってろ」


乱暴に備品を蹴飛ばす音が聞こえた直後、扉が勢いよく開く。出てきた長谷と目が合った。

長谷は一瞬目を見開いたが、すぐに俺を睨みつけて通り過ぎていった。



俺はゆっくりと中に入る。

すると部屋の中央に先輩の後ろ姿が見えた。


声をかけようした瞬間、ドサ、と先輩が膝から崩れ落ちた。


つむじも背中も、足先も。

先輩を構成する全てが震えていた。

そして震える声で先輩はたった一言だけつぶやいた。



「こ、こわかったぁ……」



俺は声をかけるのをやめて、静かにその場から離れた。

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