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ルーイ様とのお茶会から10日が経過した。私は日課になりつつある屋敷の見回りをしている。見回りと言っても屋敷内を当ても無くうろうろしているだけです。
新しく入ったという3人の使用人とも顔を合わせたけど、当然だが目立って不審な点など無かった。1人はジェフェリーさんという若い男性の庭師。前任の庭師が高齢のため引退したので、その代わりとして入って来たそうだ。あとの2人は女性で、こちらは姉様付きの侍女として配属された。
使用人の入れ替わりは頻繁とは言えないが時折あることなので、その度に一々警戒しているのもどうかと思う。自分の命がかかっているので、僅かな変化や異変にも気を配っておくのは大切なんだと言い聞かせている。しかし、日常に起こる事すべてに疑いの目を向けるのは正直疲れるしキリが無い。好意的に接してくれる周りの人たちに対しても失礼だ。だから何事も程々に……やり過ぎないようにしようという事で落ち着いた。
「クレハ、そんな所で何をしているの?」
背後から鈴の鳴るような綺麗な声で話しかけられた。この声は――
「フィオナ姉様!」
声の主は私の2歳上の姉、フィオナだ。彼女は訝しげな表情をしながら私を見つめている。緩く巻いた金色の美しい髪に甘やかな飴色の瞳……そしてそれを縁取る長い睫毛。身内で同性の自分でさえ、うっとりとしてしまう。まるで物語に登場する天使か妖精がそのまま抜け出してきたみたい。
「えっと……ちょっとお屋敷の探検をしていたのです!」
「探検? それは生まれた時から住んでる自分の家でやって楽しいものなのかしら」
「うっ……いや、その……今まで気づかなかった新しい発見もあってなかなか楽しいんですよ」
我ながら苦しい理由だ。どうしよう……絶対姉様に変な子だと思われてる。
「ふーん……そういうものなの? まあ、いいわ。クレハ、丁度良かった。あなたにあげたい物があるから私の部屋まで来てくれる?」
姉様は特に気にした様子もなく、もう興味を失ったのか別の話に移ってしまった。深く追求されなくてほっとする。私にあげたい物って何だろう……
姉様のお部屋に行くのは久しぶりだ。白とピンクで彩られた内装は女の子らしくてとても可愛い。ベッドも豪華でフワフワな天蓋付き。ソファの上に置いてあるクッションは姉様が作ったのかな……複雑な花の刺繍が施されている。大人でもここまで上手な人は少ないのではないだろうか。
当たり前だけど、私とえらい違いです。一応自分も貴族の娘の嗜みとして刺繍は習っているのだが、どうにも不器用でお世辞にも上手いとは言えない。姉様と同等とまではいかなくても、せめて人並み程度にはできるように頑張らないとなぁ……
「はい、これあげる」
渡されたのは厚みが5センチくらいの長方形の箱。手触りの良いシックなワイン色のそれはどこか高級感を醸し出している。表面には金色の文字で『シャルール』と書かれていた。シャルール!? シャルールってあの……!?
「これね、昨日お茶会にお呼ばれした時にお土産で頂いたんだけど、中身レーズンバターサンドなの。私、レーズンあんまり好きじゃないのよね……だからクレハにあげようと思って。クレハは好き嫌い無いし、何でも食べるでしょ?」
シャルールといえば王室御用達の超有名老舗お菓子屋さん!! お値段も超一流にも関わらず、物凄い人気でなかなか手に入らないのに。
「貰ってもいいのですか?」
「ええ。私は食べないし、このまま持っていても仕方ないから」
「ありがとうございます!! フィオナ姉様」
「そのかわり、後でお菓子の感想聞かせてね」
「はい! もちろんです!!」
みんな優しいなぁ。屋敷の使用人たちも私にお菓子をこっそり分けてくれる。私がとても嬉しそうに食べるので、あげたくなるのだそうだ。美味しい物を食べると幸せな気持ちになるからね。それが顔に出ちゃうのは仕方ないよね。
姉様の部屋を後にし、自分の部屋に戻る。今日は午後からリズが来てくれる事になっているから、貰ったレーズンバターサンドはその時に一緒に食べよう。リズはレーズン苦手じゃないといいなぁ。
――コンコン……
扉を控え目にノックする音がする。時刻はあと数分で15時になろうとしているところだ。
「クレハ様、リズです。お体の具合はいかがでしょうか?」
「リズーー!!」
私は扉を勢いよく開ける。そして、そこにいた女の子に思い切り抱きついた。
「きゃっ! ク、クレハ様!?」
リズは茶色の瞳を大きく見開いて驚いている。頬を少し赤くしてキョロキョロと視線を彷徨わせているのが可愛らしい。
「クレハ様……」
側にいたモニカに咎めるように名を呼ばれるが気にしない。しかし……そこにはモニカの他にも苦言を呈する人物がいたのだった。
「クレハは仮にも公爵家のご令嬢でしょ? もう少し態度というか、振る舞いには気を付けた方がいいんじゃないかな。キミの事だから、国王陛下とかにも同じ調子で抱き付いたりしそうで怖いんだけど」
「なっ……! 陛下にそんな事するわけないじゃない!! 前にお会いした時だってちゃんとご挨拶できたし……って、カミル? どうしてここにいるの?」
「クレハが病気で寝込んでるって聞いたから様子を見に来たんだよ。その感じだと必要無かったみたいだけど……」
「お屋敷の近くで偶然カミル様にお会いしたんです! これからクレハ様のお見舞いに行くのだとお伝えしましたら一緒に来て下さったんですよ」
リズが慌てたように話に入ってきた。会った瞬間にお小言を炸裂させたカミルと私が喧嘩を始めるのではと心配したのかもしれない。
「父からクレハ様は軽い風邪だと聞いてはいたのですが、心配だったのです。風邪だって拗らせると怖いですもの。お元気そうで本当に安心しました」
とっさだったとはいえ、嘘をついた事でみんなに心配をかけてしまった。胸がチクリと痛む。
「ふたり共ありがとう。心配かけてごめんなさい」
「クレハ様……立ち話もなんですし、座っていただきましょう。すぐにお茶をお持ち致しますから」
モニカがそっと私に耳打ちをする。今の今までお客様を部屋の入り口に立たせたままだったのだ。私は慌ててふたりを室内に招き入れた。
「クレハ様、このお菓子とっても美味しいです!」
「これシャルールのレーズンバターサンドだよね? 父さんが前に一度お土産に持って帰ったことがある。人気商品で手に入れるの苦労したから、大事に食べろって真剣な顔で言ってたの覚えてるよ」
カミルのお父様、クライン公爵はこの国の宰相を務めている。甘い物好きで有名な方なので当然シャルールのお菓子もチェック済みなんだな。
クライン公爵と私の父は学生時代同級生だったため、非常に仲が良い。今でも暇さえあればウチに遊びに来られる。親同士が仲が良いので私とカミルも小さい時から面識があり、よく一緒に遊んでいる。所謂、幼なじみという奴だ。
「姉様が頂いた物なんだけど私に譲ってくれたの」
このふたりはレーズン苦手じゃなくて良かった。ほっと胸を撫で下ろし、私もお菓子を口に運んだ。
「ああ、確かフィオナ様はレーズン嫌いなんだよね。兄さんから聞いた事あるよ。そっか、嫌いな食べ物だからクレハに譲ったのかぁ。そうでなきゃ、あの人がこんな有名高級店のお菓子を人にあげるなんてしないものね」
一瞬心の中を読まれたのかと思いドキリとした。カミルはなぜかフィオナ姉様に対して、少々辛口な所がある。さすがに本人の前では違うし、表立って仲が悪いとかではないのだけど……
カミルには3歳上の兄がいる。名前はルーカス様。ルーカス様はフィオナ姉様の婚約者だ。つまり、将来ふたりが結婚したらフィオナ姉様はカミルの義姉になるわけだ。カミルが姉様に辛辣なのは、大好きな兄を取られたと思ってヤキモチを焼いているのだと勝手に解釈している。カミルも結構子供っぽいからなぁ。
フィオナ姉様とルーカス様の婚約は1年ほど前に結ばれた。ルーカス様が姉様のことを大好きなのは、誰が見ても分かるくらいにバレバレだった。というか……ルーカス様に限らず、姉様を一目見たら大抵の男の子は夢中になってしまう。
正式な婚約者がいる今ですら、姉様の元には手紙やら贈り物やらが後を絶たない。以前、他国の王族からも婚姻の申し込みがあったなんて話も聞いた。
そんな中でお父様が姉様のお相手に選んだのはルーカス様だった。周囲からは親友の息子の想いを汲んだから、なんて言われている。でも、面識の無い貴族や王族に嫁がせるよりは、気心の知れた相手の方が姉様にとっても良いと、お父様は言っていた。私もそう思う。そんな感じで周囲を魅了してやまない姉様なので、カミルのような態度をとる人は非常に稀である。
「あっ! そういえばクレハ様。私この前珍しいものを見たんですよ」
何となく気まずい空気になっていたのを断ち切るように、リズが話しだした。
「珍しいもの?」
「魔法ですよ、魔法!! 実はこの前、偶然魔法使いさんにお会いしまして、水の魔法を見せて頂いたんです! 本物の魔法を見るのは初めてだったので、とても感動しました」
「えっ、本当? 凄い!! どこで会ったの?」
この世界には魔法使いと呼ばれる特別な力を持つ人間が少数存在している。魔法は神の御技とも言われ、それを使う事のできる魔法使いは大変珍しく貴重なのだ。
「へぇー、それは凄いね。僕は会った事はあるけど、実際に魔法を使ってる所は見たことないや」
「私は一度だけ……」
半年前、王宮で開催されたお茶会に参加した時だ。魔法でタバコに火を点けている人を見かけた。
「クレハ様のおうちの新しい庭師さんですよ! あの方が魔法使いだったんです。魔法でお庭の花に水やりしてました」
「えっ……ジェフェリーさんが魔法使い!?」
意外な人物の名が挙げられ、驚いた私は椅子から立ち上がってしまった。