テラーノベル
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アサミが倉庫に入って来たのは、それから十分ほど経った頃だった。通用口のドアをノックしても返事がなかったが、倉庫内の照明はついているようなのでドアノブを回すと、内側から鍵はかかっておらず、中に入った。
中に入った瞬間から鼻につく妙な匂いがした。ガランとした倉庫の奥に倒れている仲間の男たちに体から立ち昇る血の匂いだと気づいて身をすくませた瞬間、ガチャッという音とともに照明が消えて辺りが真っ暗になった。
悲鳴を上げようとしたその口を背後から伸びて来た手がふさいだ。ボイスチェンジャーを使っているらしい、その男の物とも女の物ともつかない声は、抑揚のない口調で告げた。
「おまえの仲間はもういない。不同意性交の被害届を明日の午後五時までに取り下げろ。それを約束するなら見逃してやる。分かったら二回うなずけ」
アサミは首筋に薄い金属があてられたのに気づいて、必死でぶんぶんと首を縦に二回振った。暗闇からの声は言った。
「約束を守らずに逃げられると思うな。命が惜しかったらな。分かったら行け!」
アサミの口を覆っていた手が離れ、彼女は腰を抜かしそうになりながらも、必死で走ってドアの外へ消えて行った。アサミの姿が見えなくなった事を確認したヒミコたちが、入って来て照明のスイッチを入れた。
アサミの背後に立っていたのはウルハだった。ウルハは首に付けていたチョーカーを外し、トワノに手渡しながら言った。
「こりゃ便利なもんだな。いい腕してるじゃねえか」
トワノはうれしそうに言った。
「きゃああ! ウルハおねえさまにお褒めいただけるなんて光栄です」
トモエがヒミコに小声で言った。
「あの女の人、逃がしてよかったんですか? あたしの時は、蔭(おん)の白拍子の裏の仕事を目撃した者は殺すって言ってませんでした」
日本刀を隠した図面収納筒を肩から下げたヒミコは無表情なまま答えた。
「ウチらが手を汚す必要はない」
トモエはそれを、アサミはヒミコたちの殺しの現場を直接目撃したわけではないから、殺しまでする事はない、そういう意味だと解釈した。
そして二日後、トモエがウルハ、マユキと一緒に、ホワイト・リズムの事務所の二階にあるダイニングルームでテレビのニュース番組を見ていると、見覚えのある女の顔が画面に映し出された。
アナウンサーが画面の中でこう言っていた。
「本日午前八時頃、女性の水死体が東京湾岸で発見されました。遺体は二十代ぐらいの女性と見られ、検死の結果、体内から大量のアルコール成分が検出されたとの事です。警視庁は事件、事故、両方の可能性から捜査を進めているとこ事です。では、次は天気予報です」
そこに映し出された女の顔写真は確かにアサミの物だった。トモエは真っ青な顔になってウルハに尋ねた。
「ウルハさん、あの女の人は見逃すんじゃなかったんですか?」
ウルハはかすかに笑いながら答えた。
「やったのはオレたちじゃないぜ。トモエ、おめえがアネゴにあの女を殺さないのかと訊いた時、アネゴは何て答えた?」
「ええと、確か『ウチらが手を汚す必要はない』とか……」
「そうだ。あの女、美人局なんてやるぐらいだから、他のチンピラともつるんでやがったんだろ。で、今回の犯人どもが死体で見つかって、あの女が勝手に被害届を取り下げた。こりゃ口封じをしといた方がいい、と思った奴が他に一人や二人いても不思議はねえだろ。どうせこうなるんだから、オレたちが手を下す必要はねえ。アネゴが言ったのはそういう意味だ」
トモエは突然全身がブルブルと震え始めたのを感じた。震えは声にも如実に表れていた。
「じゃあ、ヒミコさんは……こうなる事を、あの時点で予測してた……」
ウルハが立ち上がって上からトモエの肩を押さえながら言った。
「改めて怖くなったか? アネゴは確かに冷酷非情だがな、だからこそ味方でいる分にゃ頼もしいリーダーなわけよ。また、だからこそ、オレたちもあの人に命預けられるんだ」
ウルハはトモエの頭のてっぺんを軽くポンポンと叩いて言った。
「おめえもそのうち分かるようになるさ」
マユキが椅子から立ち上がりながら、呆れ顔でトモエに言った。
「怖くなったですって? 何を今さら。これがわたくしたちの生きている世界ですのよ」
去り際にマユキは上半身だけひねってトモエの方を向き、さらに言った。
「そしてトモエさん。あなたは望んでこの世界に入ったんでしょう。いい加減に腹をくくってはいかが?」
ウルハとマユキが部屋を去った後も、トモエは体がまだ小刻みに震えているのを止められなかった。そして心の中でつぶやいた。
「あたしが選んだ世界……確かにそうだけど……これが蔭(おん)の白拍子の生きる世界……」
コメント
1件
読み終わりました……ゾッとする話でしたね。 アサミを脅して見逃したと思ったら、別の誰かに始末されてたっていう、その「ウチらが手を汚す必要はない」の意味が後からじわっと来て、背筋が冷えました。 ヒミコさんの計算し尽くした冷酷さに、トモエが震えるのも分かる気がする……。 それでも「これがあたしの選んだ世界」って受け入れようとする彼女の強さと脆さ、すごく心に残りました。 次の展開が気になります。