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帰宅後、夕食の時間。
義母がわざとらしく明るい声でこんなことを言った。
「もうすぐクリスの誕生日でしょう。盛大にお祝いしましょう」
ルシンダが聖女として認められてから、義両親は仲良し家族を目指し始めたようだった。
以前ならルシンダも嬉しく思ったかもしれないが、今となっては下心がありありと伝わってくるせいか、いい感情はない。むしろ虚しさを感じるほどだった。
とはいえ、クリスの誕生日は大切だ。たしかに盛大に祝ってあげたい。そう思っていたのだが……当事者であるクリスがそれを断ってしまった。
夕食後、伯爵夫妻が先に席を立ち、食堂に残ったルシンダがクリスに問いかける。
「お誕生日のお祝い、しないんですか?」
「ああ、あの両親から祝われたところで嬉しくもない」
「その気持ちは分かります。……でも、私はお兄様をお祝いしたかったです」
クリスが少し目を見開き、驚いた表情を見せる。
「──それなら、僕たち二人だけでお祝いをしないか?」
「二人だけで?」
「ああ、ルシンダが祝ってくれるなら嬉しい。誕生日プレゼントのことは気にしなくていいから、どこか景色のいい場所に出かけて、のんびり過ごそう」
「それはいいですね。では、私がお兄様のお誕生日をたくさんお祝いしますね!」
「ありがとう。楽しみだ」
クリスが嬉しそうに笑う。ルシンダは全力でお祝いをして必ずクリスを喜ばせようと心に決めたのだった。
◇◇◇
そうして、あっという間にクリスの18歳の誕生日がやって来た。
今日は二人でピクニックをしようと、少し遠出をして見晴らしの良い場所までやって来た。
空は晴れ渡り、吹き抜ける風が心地よく、絶好のピクニック日和だ。
しばらく散策をして、綺麗な野花や小鳥たちのさえずりを楽しんだ後、ルシンダはちょうど良い木陰に大きな布を敷いた。
この上に座って昼食をとるのだ。
今日のお弁当はルシンダの手作り。クリスにとっては初めてのルシンダの手料理だ。
メニューは、サンドイッチにピクルスにスープ。スープはミアが開発した魔道具の水筒で保温している。
バスケットから敷布の上に出すと、クリスが「すごいな……」と呟いた。
「去年、ルシンダが林間学校で料理を作ったと聞いて、羨ましかったんだ」
クリスがサンドイッチを手に取り、一口頬張る。
「……美味しい。こんなに美味しい料理、初めてだ」
ピクルスもスープも一口ひとくち味わいながら食べてくれるのが、とても嬉しい。
スープの作り方やお互いの好きな味付けの話から、学院生活の話まで、いろいろな話題で盛り上がっているうちに、いつの間にかすべて平らげてしまっていた。
「ルシンダ、ご馳走様。本当に美味しかった」
満足した表情で礼を述べるクリスに、ルシンダが悪戯っぽく笑う。
「クリスお兄様、実はまだ終わりじゃないんです」
ルシンダは満面の笑みを浮かべながら、バスケットの奥に隠していた手作りケーキを取り出して見せる。
クリスは呆けたように固まったまま、二、三度瞬きをすると、ケーキからルシンダへとゆっくり視線を移した。
「……これを僕のために?」
「はい、もちろん。クリスお兄様のお誕生日ですから。でも、うまくクリームが塗れなくて少し不恰好になっちゃいましたけど……。何回か練習はしたんですけど、もし美味しくなかったらごめんなさ──」
ルシンダが言い終わる前にクリスがケーキを一口食べる。
「とても美味しい。僕が好きな味だ」
「本当ですか!? よかったです! あ、でもお腹いっぱいだったら無理しないで残して……」
「大丈夫だ。全部食べる。……いや、ルシンダの分を取っておかないとな」
「ふふっ、一緒に食べましょう」
ルシンダがバスケットからケーキ用のナイフを取り出して、切り分ける。
そのままケーキを取り分けた皿に手を伸ばすと、ルシンダより先にクリスが手に取った。
手渡してくれるのだろうかと思って待っていたのだが、クリスは徐ろにフォークでケーキを一口分すくい取り、ルシンダの口元に差し出してきた。
「ほら、ルシンダも食べてみるといい」
「えっ、あの、自分で食べられます」
「だめだ。今日は僕が食べさせる」
「なっ、えっ」
「誕生日なんだから、いいだろう?」
「そ、それなら……仕方ないですね」
誕生日なら仕方ない。
冷静に考えたら何の脈絡もないはずだが、クリスを全力で祝おうと意気込んでいたルシンダは、「誕生日」の言葉に押し切られてしまった。
顔を赤らめながら恐る恐る口を開けると、クリスがケーキを食べさせてくれた。
(まさか、この歳でこんなことをされるなんて……)
いくら兄と妹とはいえ、一つしか歳が変わらないのに子供扱いが過ぎる気がする。
口いっぱいにケーキを頬張ってクリームの甘い味がするはずだが、それどころではなくてなんだかよく分からない。
(でも……)
クリスがすでに次の一口を用意しているのが気になるが、とても幸せそうな表情をしているのを見ると、断るのも気が引ける。
(今日はお兄様に喜んでもらうって決めたんだものね)
最初の一口目をごくんと飲み込み、二口目がくる覚悟を決めると、クリスはなぜかフォークを置いてルシンダのほうへ手を伸ばした。
えっと思った瞬間、口の端に温かな感触を覚える。クリスがルシンダの口元に付いていたクリームを指で掬い取ったのだった。
「あっ、ありがとうございます。今、布巾を……」
手拭き用の布巾を出します、と言いかけたルシンダの目の前で、クリスが指についたクリームをぺろりと舐めた。
「お、お兄様……!」
指についたクリームを舐めるなんて、いつも食事のマナーが完璧なクリスらしくない振る舞いだ。
しかも、自分の口元についていたものだと思うと、なんだかソワソワしてしまう。
「……お兄様、そんなことをしたらダメです」
おずおずと注意すると、クリスは落ち着いた笑みを浮かべながら尋ねた。
「どうして?」
「えっ、だってそれは……お行儀がよくないし、私の食べカスなんて汚いです」
「行儀なんて、今日くらいは気にしなくてもいいだろう? それに、ルシンダの食べかけも食べカスも汚くない。せっかくルシンダが僕のために作ってくれたケーキなんだから、少しも残さず食べたい」
「でも、やっぱり──」
反論しようと口を開いたところに、クリスがすかさず二口目のケーキを運ぶ。
「むぐ……もぐもぐ……」
「美味しいだろう?」
「もぐ……我ながら美味しくできたとは思いますけど……」
わずかに眉を寄せたルシンダにクリスが尋ねる。
「何か不満でも?」
「なんだか、小さい子どもになった気分です……」
ルシンダが拗ねたように答えると、クリスが眉を下げる。
「すまない、ルシンダに祝ってもらえたのが嬉しくて浮かれてしまったみたいだ」
たしかにルシンダも、兄がいつになく浮かれているような気はしていた。でも、お祝いを喜んでもらえているのだと思うと嬉しいし、なんとなくサービス精神が刺激される。
「もう。すごく恥ずかしいですけど、今日はお兄様のための日ですから、お兄様が喜んでくれるならいいですよ。さあ、何口でも食べさせてください!」
そう言って、あーんと口を開ければ、クリスが可笑しそうに笑った。
三口目はこないのかと、きょとんとした顔で首を傾げるルシンダの頭をクリスが優しく撫でた。
「……やっぱりルシンダと一緒だと温かいな。今日は最高の誕生日だ。ありがとう、ルシンダ」
「喜んでもらえたならよかったです。お兄様、お誕生日おめでとうございます」
嬉しそうに笑うルシンダを、クリスは愛おしげな眼差しで見つめるのだった。