私は味わったことのない感覚に陥った。確かに最後の卒業式くらい楽しもうと思っていたし悔いの残らないようにしたいと思っていた。けれど校長先生から卒業証書を私に贈呈するとき校長の目からは憎しみを込めた眼差しで睨まれた。そして振り返って体育館に目線をやったときそこには幻覚かと思いたい人物が私の目に映った。その目は校長の目と同じ憎しみに染まっていた。私は今思えばパニック障害を引き起こしていたのかもしれないがその時の様子ははっきりと覚えている。幸い私がステージ上で倒れることはなかったが、2度とこの学校には関わりたくないと思った。
そしてことごとく私はこの場所を引っ越した。聞いた話によれば3分の1人ほどが引っ越したらしい。私と同じ考えの人は多かったようであり間違いではなかった。その中の1人には紗季を見たという人もいて、その子に頼んで紗季がなぜこうなってしまったのかを尋ねた。
私はいじめがあったわけでもないしかといって家で虐待があったわけでもない。実のところを言うと私は自殺を図ったわけではない。私は何者かに後ろから押された。
その子はそう答えた。私の中で矛盾が生じる。
『ならなんで生きてることに絶望を覚えたの?』
私が生き続ける限りその者からまた狙われるそんな循環が続くなら一層のこと楽になりたかった。
私はその言葉に嬉しさも悲しさも感じなかった。紗季を狙った犯人には心当たりがあったらしいが確実な証拠がなかったため、みんなを心配させないように私たちには何も伝えずに引っ越したらしい。
なら卒業式のは何だったのか?
私は今パンドラの箱を開けようとしている。おそらく聞いてしまったら私が壊れてしまいそうだったけど私の中にある好奇心を止められなかった。
卒業式の日は私は家にいたよ。
私はあの日見た光景が幻であったことにほっとした。きっと紗季が私の前に現れて睨んでいたように見えたのはきっと私なりの正義の結晶である。
私の正義は某アニメキャラクターのような正義感だったんだ。だから私はそんな幻を見たんだ。と都合よく解釈した。
ただ紗季が誰に命を狙われたと思うか、その子が尋ねたところ。
健介っぽい人だった。
私は予想外の答えに耳を疑ったが頓珍漢な答えではなかった。健介の正義理念は”助け合い”であったが私の虚言が証明されてしまったことに対して深い悲しみを覚えた。それと共に健介に深い怒りを覚えた。理由は複数あるが1番大きいのは偽善者として今を生きていること。ネット民より質が悪すぎる。犯罪者がのこのこと生きてるなんて不愉快だ。死刑制度問題があるが、それをなくしてしまえばそれが増えて治安が悪くなってしまう。弱肉強食には必ずしも強いものが弱いものを倒すのではない。下克上も生じる。食物連鎖があるようにこの世には連鎖が生じる。 この考えは私が生きてる”今”にも通じている。
犯罪を犯した人物は、大抵短い懲役で上辺上の償いで許される。でも被害者の方はやり返しは禁じられている。当然である内容だが無差別殺人とかに関してだけは私も許せないと思う。ただ亡くなりましたで片付けられる。暴れようものなら取り押さえられてしまう。非情に満ちた世の中ではあるがそれのおかげで連鎖を断ち切っている。やり方は陰謀であるが仕方ないで済まされてしまう。ならば私が取る行動は,,,私は覚悟を決めた。
やっぱり私の正義は愚かなことに人助けなのかも知れない
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