その日、私は教室の隅でお弁当を広げていた。
外は少し曇っていて、光は柔らかく拡散している。
窓の外には、風に揺れる木の枝と、静かな午後の気配。
「一緒にいい?」
声をかけてきたのは、すみれだった。
私は少し驚いて、それからうれしさが胸に広がった。
「うん。どうぞ」
ふたりで机を並べて、
それぞれのお弁当を広げた。
すみれは卵焼きをひとつ、私の方へ差し出してくれた。
「食べてみて。今日のはちょっと甘め」
「ありがとう」
一口食べると、ほんのりとしたやさしい甘さが広がる。
それは、彼女の雰囲気そのままの味だった。
しばらく、言葉少なに食べ進めたあと、
すみれがぽつりと呟いた。
「……私、最近よく夢を見るんだ」
「夢?」
「うん。よくわからない場所にいて、風が吹いてて、
すみれの花がいっぱい揺れてるの」
私は一瞬、呼吸を忘れた気がした。
それは――私が、かつて夢で見た風景と、まるで同じ。
すみれは続ける。
「でも、その夢にはね。いつも“誰か”がいるんだ」
「……誰か?」
「うん。顔は見えないけど、声だけはわかるの。
静かで、やさしくて、少し寂しそうな声」
私の胸の奥で、何かが静かに揺れた。
すみれは、ふと私の方に目を向けて、
意味ありげに微笑んだ。
「もしかしたら――
私の夢に、あなたが出てるかもね」
一瞬、時間が止まったような気がした。
私は箸を持つ手をそっと膝の上に下ろし、
言葉にならないまま、ただすみれを見つめた。
彼女はそれ以上何も言わず、
ただお茶を一口飲み、再び静かに笑った。