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図書室の窓際の席に、すみれが座っていた。その前には、一冊の文庫本と、ほとんど書き込まれていないノート。
私は彼女の向かいに腰を下ろして、そっと声をかけた。
「何読んでるの?」
「詩集。最近、短い言葉のほうが心に残る気がして」
そう言って、ページを指でなぞる彼女の指先が、どこか儚く見えた。
「詩、好きなんだ」
「うん。特に好きなのは、春の終わりを描いた詩。
悲しいんじゃなくて、さよならを優しく言ってる感じがするから」
私は心の中で、その感覚を大切にしまい込んだ。
すみれの“好き”が、私の中にもそっと染み込んでくる気がして。
「私はね、写真を撮るのが好き」
「へえ、意外」
「風景とか、人の横顔とか、そういう何でもない瞬間を残したくなる」
すみれは少し目を丸くして、それから嬉しそうに微笑んだ。
「今度、私も撮ってくれる?」
「……いいの?」
「“私の横顔”も、残しておいてくれたら、ちょっとうれしいな」
その笑顔を見て、私はうまく言葉が返せなかった。
しばらくして、すみれがぽつりとつぶやく。
「私ね、人の名前、すぐ忘れちゃうの」
「え?」
「たとえばクラスの人とか、先生とか……話しても、すぐに輪郭がぼやけちゃうの」
私は少し戸惑いながらも、問い返した。
「でも、私のことは?」
すみれは少しだけ笑って、すぐに答えた。
「忘れない。名前なんて知らなくても、ずっと覚えてる」
胸が、少しだけ痛くなった。
それはきっと、彼女の言う「秘密」が、
ただの物忘れではないことを、私がなんとなく察してしまったから。
でも、私は何も聞かなかった。
ただ、机の下でそっと拳を握りしめて、こう言った。
「私も秘密あるよ」
「どんな?」
「たぶん――私は、夢を信じすぎてる」
すみれは目を細めて、うれしそうに笑った。
「じゃあ、ちょうどいいかもね。
私たち、似たところあるし」