テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
第277話 消えた三日間
【現実世界・都内総合病院/旧管理資料室・午前】
棚から取り出された段ボール箱が、机の上に積み上げられていた。
電子化される前の入院記録。
看護記録。
夜勤の巡回表。
停電時の設備点検表。
さらに、故障した機器の交換履歴。
城ヶ峰は、その一番上に置かれた薄いファイルを開いた。
表紙に書かれている名前は、
《身元不明女性・仮番号R-17》
だった。
現在ではその女性に名前があることが分かっている。
<リーネ・アスト>
王都治療班・第二派遣隊。
異世界から現実世界へ偶発的に転移し、この病院に保護された女性。
そして三日後。
停電の最中に、病室から消えた。
「三日しかいなかった割には、記録が多いな」
木崎が別の束をめくる。
日下部が答えた。
「身元不明で、言葉も通じなかったためです。通常患者より細かく経過が残されています」
城ヶ峰が最初のページを見る。
《搬送一日目》
公園付近で倒れているところを発見。
衣服は国内製品と一致せず。
身分証なし。
軽度脱水。
右肩、左脇腹に古い外傷。
感染症所見なし。
意識清明。
しかし日本語による意思疎通不能。
木崎が顔を上げる。
「怪我があったのか」
「古いものです」
日下部が画像を開く。
「王都側の記録では、リーネ・アストは治療班員。行方不明になる前、戦地から王都へ戻る途中だった」
「なら戦場の傷でもおかしくない」
「ああ」
城ヶ峰は看護記録へ移る。
一日目の欄。
看護師が、患者の発した言葉を音のまま残していた。
《イルダ》
《イデール》
《チリョウ……と思われる発音》
《帰宅、家族等を尋ねた際、“イルダ”を繰り返す》
木崎が指で文字を追う。
「イデールまで残ってる」
「本人と見ていいだろう」
城ヶ峰が言った。
日下部も頷く。
「王都側の記録とも一致します」
一日目。
リーネは
少なくとも自分の世界を覚えていた。
◆ ◆ ◆
二日目。
記録には少し変化があった。
病院側が簡単な絵と身振りを使い、意思疎通を試みている。
水。
食事。
眠狂四郎
409
206
上野文
7,990
こはる
1,321
睡眠。
痛み。
危険。
家。
その中で。
家を示す絵を見せた時だけ、リーネが何度も同じ方向を指していた。
窓ではない。
扉でもない。
病室の北側の壁。
「何で壁なんだ」
木崎が呟く。
「当時の看護師も分からなかったようです」
日下部が記録を読む。
《北壁付近を繰り返し確認》
《壁へ手を当て、数分動かず》
《夜間も同様の行動あり》
さらに二日目の夜。
《患者、急に強い不安を示す》
《北壁を指し、複数回発声》
その発音も書き残されていた。
《クル》
《コナイデ》
城ヶ峰の手が止まる。
「日本語か?」
「断定できません。ただ、この二語だけは職員にもそう聞こえたらしいです」
木崎が眉を寄せる。
「来る。来ないで」
日下部が次の行を読む。
《患者、北壁から離れた位置で就寝》
《睡眠浅い》
三人が黙った。
リーネは帰れる道を感じていたのではない。
何かが。
向こうから来ることを恐れていた可能性がある。
◆ ◆ ◆
「三日目」
城ヶ峰がページをめくった。
午前。
大きな変化なし。
午後二時。
食事摂取。
体温正常。
午後三時十二分。
北側の壁を見て、再び強い緊張。
午後三時二十一分。
ナースコール。
理由不明。
午後三時二十三分。
看護師が病室へ入る。
その時。
リーネはベッドの上にいた。
「ここまでは確実か」
「はい」
日下部が答える。
「看護記録とナースコールの機械記録が一致しています」
午後三時二十九分。
看護師退室。
午後三時三十四分。
病室の生体モニター通信停止。
午後三時三十四分十一秒。
同病室内の補助電源異常。
そして。
午後三時三十四分二十二秒。
病院全体が停電した。
木崎が顔を上げる。
「待て」
「はい」
「病院全体の停電より、十一秒早い」
城ヶ峰も同じ場所を見ていた。
「この部屋だけ先に落ちている」
「そうです」
日下部が別の記録を表示した。
「以前は、全体停電による機器停止として処理されています。しかし時刻を一秒単位で照合すると順番が逆です」
病院全体が停電したから
リーネの病室が止まったのではない。
最初に、リーネの病室で何かが起こった。
その十一秒後。
病院全体が落ちた。
木崎が椅子にもたれる。
「停電が原因じゃない」
城ヶ峰が答える。
「ああ」
むしろ。
「停電は隠すために起こされた可能性がある」
◆ ◆ ◆
【現実世界・同病院/旧病棟・三階】
リーネがいた病室は、現在使われていなかった。
病棟そのものが改修対象になり、数年前から閉鎖されている。
病室番号《312》
城ヶ峰が扉を開く。
ベッドは撤去されている。
カーテンもない。
白い壁。
薄い埃。
空になった部屋。
木崎が北側を見る。
「ここか」
リーネが何度も見ていた壁。
日下部が携帯型測定器を床へ置く。
王都側のノノとも接続する。
『聞こえてるよ』
ノノの声がイヤホンから入る。
『今の位置情報も来てる』
城ヶ峰が言う。
「病室に入った」
『北側の壁へ測定器を近づけて』
日下部が移動させる。
ノノ自身に病室は見えていない。
現実側から送られる座標、測定値、微弱な波形だけを受け取っている。
『もう少し右』
日下部が動かす。
『そこ』
反応。
ごく弱い。
通常なら雑音として捨てられる程度。
しかし。
旧実験区画から回収された反応線を重ねると
一部が一致する。
『やっぱりある』
ノノの声が低くなった。
城ヶ峰が聞く。
「リーネの線か」
『同じものとはまだ言えない。でも、旧実験区画で見つけた線と歪み方が似てる』
木崎が壁へ手を当てた。
何もない。
ただ冷たいだけだ。
「ここから向こうへ飛ばされた?」
『たぶん、それだけじゃない』
「何が違う」
少し間があった。
ノノが答える。
『この線、病室から始まってる』
木崎が眉を寄せる。
「どういうことだ」
『遠くから開いた穴にリーネさんが吸い込まれたなら、外から病室へ向かう反応が先に残るはず』
ノノは測定値を並べる。
『でもこれは逆』
病室。
北壁。
そこから、外へ向かって線が伸びている。
『誰かがこの部屋を、転移の入口にした』
◆ ◆ ◆
日下部が北壁のコンセントカバーを外した。
内部に異常はない。
木崎が床を見る。
「ベッドの位置は?」
古い写真と合わせる。
北壁寄り。
ベッドの頭側。
その真下に
薄い点検口があった。
日下部が蓋を開く。
大量の配線。
古い医療用電源。
その中に、一本だけ。
病院の設備図面に存在しない線が通っていた。
「これは?」
木崎が覗き込む。
黒い被膜。
先端はすでに切断されている。
日下部が慎重に引き出した。
電気線に見える。
だが、内部には銅線がない。
代わりに細い透明な繊維のようなものが何本も束ねられている。
城ヶ峰の表情が変わった。
「持ち出すな」
「はい」
日下部はその場で写真と測定を始める。
ノノへデータを送る。
数秒。
『それ……』
声が止まった。
「分かるのか」
『完全には。でも普通の電気設備じゃない』
さらに解析。
『旧実験区画の線にあった固定方式と近い』
木崎が北壁を見る。
「誰かが病院の中に仕込んだ」
その可能性が一気に高くなった。
リーネが偶然
同じ場所からもう一度転移したわけではない。
誰かが、
彼女の病室へ。
あらかじめ転移のための何かを仕込んでいた。
◆ ◆ ◆
日下部が三日間の入退室記録を出す。
医師。
看護師。
清掃員。
警備員。
医療機器業者。
そして。
二日目の午後。
一件だけ
現在の病院記録と身元照合できない入館者がいる。
《医療機器点検》
男性。
名前。
会社名。
どちらも存在しない。
木崎が低く言う。
「これだな」
「まだ断定するな」
城ヶ峰が止める。
だが入室時間。
十五分。
対象病室。
312号室。
リーネの部屋。
作業内容。
《生体モニター接地線確認》
日下部が床下の黒い線を見る。
「接地線……」
木崎も気づく。
「これを入れたのか」
城ヶ峰は記録を見たまま言う。
「顔は」
「防犯映像を探します」
しかし、二日目の一部映像データは破損していた。
意図的か。
単なる経年劣化か。
今は分からない。
それでも、
偶然では片付けられないものが増えすぎていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/臨時分析室】
ノノは旧実験区画の記録と、現実側から届く病室データを重ねていた。
横にはセラ。
少し離れてアデル、ハレル、サキ、リオもいる。
旧実験区画での襲撃後、一行はすでに王都へ戻っていた。
ハレルが尋ねる。
「病室に仕込まれてた線は、どこに繋がってるんだ?」
「今調べてる」
ノノは複数の表示を重ねる。
一つ。
現実側312号室。
一つ。
旧実験区画。
その間。
本来なら一本の線になるはずだった。
だが、途中で消える。
そして。
少し離れた位置に、また現れる。
リオが画面を見る。
「切れてる」
「うん。でも完全に途切れてるわけじゃない」
「どういうこと?」
サキが聞く。
ノノが二つの点を拡大する。
「普通なら、AからBへ移動する時、道がある」
指で線をなぞる。
「でもリーネさんの場合、途中に一個、別の場所が入ってる」
ハレルが見る。
「別の場所?」
「うん」
ノノは新しい表示を出した。
《現実世界》
↓
《不明層》
↓
《座標遮断》
↓
《異世界側反応》
「現実からそのまま異世界へ戻されたんじゃない」
アデルの目が細くなる。
「途中で止められた?」
「その可能性がある」
セラが静かに画面を見る。
「道の途中に、部屋を作ったようなものですか」
ノノが頷く。
「近いと思う」
ハレルは思い出す。
高瀬の時。
匠の補助層。
そして。
身体と意識の間にできた、どちらの世界にも属さない場所。
「そこにリーネさんがいる?」
ノノはすぐには答えなかった。
「分からない」
そして慎重に続けた。
「でも」
画面《不明層》
そこに微弱な波形。
一度、消える。
また、一度。
「これ、今日になってから出てる」
サキが立ち上がる。
「人?」
「まだ分からない」
「生きてる?」
「それも」
ノノは言い切らない。
ただ波形は
過去の残響のように一定ではなかった。
こちらから測定信号を送るたび
わずかに形を変えている。
ハレルが言った。
「反応してる」
ノノが小さく頷く。
「たぶん」
アデルが尋ねる。
「接続できるか」
「まだ直接は危ない」
「理由は?」
「向こうも、こっちを見てる可能性があるから」
カシウス。
C。
誰かがリーネを隠した場所なら
こちらが入口を開いた瞬間、相手にも場所を知られる。
ハレルが画面を見る。
「じゃあ、まず場所を固定する」
「うん」
ノノが答えた。
「それから本人かどうか確かめる」
◆ ◆ ◆
【どこでもない層/深層】
Cの前に。
小さな表示が浮かんだ。
『遮断層・外部観測増加』
カシウスが見る。
「どこだ」
『旧回収経路・第三保留層』
白峰の視線が動いた。
オルガも反応する。
「まだ残していたのか」
カシウスは答えない。
Cが続ける。
『現実側・旧病室座標から照合』
『異世界側・旧実験区画から照合』
『双方の探索が接近中』
ジャバが壁にもたれたまま笑う。
「なら、潰すか?」
「まだだ」
カシウスが止める。
「なぜだ」
「開かせろ」
ジャバが眉を上げる。
カシウスは表示を見ている。
「こちらから無理に触れば、保留層そのものが崩れる可能性がある」
Cが補足する。
『内部意識反応・維持』
白峰がカシウスを見る。
「生きているんですか」
カシウスは答えなかった。
代わりに。
「奴らが道を作るなら、それを使えばいい」
ジャバの口元が上がる。
「また鍵を狙えるな」
カシウスは何も言わない。
ただ。
外部観測の光が
少しずつ不明層へ近づいていくのを見ていた。
◆ ◆ ◆
【異世界・王国警備局/臨時分析室・夜】
ノノが測定出力を最低まで落とす。
「一回だけ」
アデルが確認する。
「危険ならすぐ切れ」
「分かってる」
ハレルたちは画面を見守る。
現実側でも
城ヶ峰、木崎、日下部が312号室にいる。
両方から。
同じ不明層へ。
ごく弱い確認信号を送る。
攻撃ではない。
入口も開かない。
ただ、誰かいるなら。
外から呼びかけるだけ。
ノノが送る。
『聞こえますか』
反応なし。
数秒。
『あなたを探しています』
波形
変化なし。
ハレルが画面を見る。
「もう一回」
ノノが首を振る。
「待って」
十秒。
二十秒。
そして。
不明層の波形が。
小さく、動いた。
一度。
二度。
ノノが息を止める。
「返ってきた」
サキが画面へ近づく。
「声?」
「違う」
音声ではない。
だが、
こちらの信号の直後に明らかな変化がある。
偶然ではない。
ノノがもう一度だけ
ごく弱い信号を送った。
『名前を聞くつもりはありません』
反応。
今度は、
先ほどより強かった。
ハレルたちの表情が変わる。
そして表示の奥。
何もなかったはずの不明層に。
一瞬だけ。
人の形に近い輪郭が浮かんだ。
女性のようにも見える。
しかし顔までは映らない。
すぐに消えた。
ノノが記録を止める。
「今日はここまで」
ハレルが尋ねる。
「リーネさん?」
「まだ決めない」
ノノは画面を見たまま答えた。
「でも」
不明層に残る微弱な反応。
「誰かが、そこにいる」
現実でもない。
異世界でもない。
二つの世界の途中に閉じられた場所。
そこには、確かに誰かの反応が残っている。
名前も。
顔も。
まだ分からない。
それでも
三日目の停電のその先に、
今も消えていない誰かがいた。
コメント
1件
おお、277話…めっちゃ深いなこれ。 リーネって名前も顔もまだ分かってないけど、「来る」「来ないで」って日本語で発したってのがもう胸に刺さるわ。停電の順番が逆転してたのもゾッとしたし、病室に仕込まれた線とか、Cたちが息を潜めて見てる感じとか、一つ一つが繋がってくのが気持ち良すぎる。 最後に浮かんだ人の輪郭、リーネさんだといいな…でもそう簡単に会わせてくれなさそうな空気もあって、続きが気になって仕方ない🔥