テラーノベル
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フロア中央――。倒された変質者たちも含め、佐藤は社員全員を一ヶ所にまとめ上げた。
乱雑に並べられた椅子や、倒れたデスクの間に、座り込む先輩たち。
誰も言葉を発せず、ただ静まり返っている。
そんな中、社長がゆっくりと歩み出た。
スーツの袖を直しながら、ふっと口元をゆがめる。
「……さてと。」
その声に、全員が一瞬ビクリと身体を震わせた。
「お前ら全員、クビな?」
静かで、冷たい声だった。
先輩たちは一斉に顔を上げる。
そして、予想もしていなかったその言葉に、顔を青ざめさせた。
「な、なんでですか!!」
「俺たちはただ……!」
「違う!悪いのは――」
そんな必死の言い訳や抗議が次々に飛び交う。
だが、社長は一切耳を貸さなかった。
むしろ、目すら向けず――
ただ、佐藤の方をちらりと見るだけ。
その視線だけで、何も言わなくても伝わる。
理由くらい、わかるだろ?
そう言っているような無言の圧力だった。
佐藤はそれを見て、軽く肩をすくめた。
手元のスマホを取り出して、
【3日目くらい家を空ける】
そうだけLINEで夢魔とすかーに送った。
特に絵文字も顔文字もなく、ただそれだけ。
それだけで今の気分は十分だった。
そして。
社長と秘書――二人の腕をそれぞれ掴んで、
佐藤はまるで何事もなかったかのように笑った。
「……温泉でも行く?」
その提案に、社長はふっと目を細めて。
「ああ、賛成。」
続けて秘書も、いつものクールな顔から、ほんの少し柔らかくなって。
「はい、行きましょう。」
三人はそのまま、会社をあとにした。
扉を閉める時、社長は振り返ることすらしなかった。
後ろでは、まだ騒ぐ先輩たちの声がうっすらと聞こえていたが――
それすらも、もう耳には入らない。
外に出ると、空はもう夕方だった。
ビルの隙間から赤い光が差し込んでいる。
佐藤は両手を伸ばして、空を仰いだ。
「ふー……」と息を吐く。
その横で、社長はまるで仕事帰りの普通のサラリーマンのような、
そんな軽い顔をしていた。
「……お前さ。」
社長がぽつりとつぶやく。
「会社の中と外で、ほんと表情変わるよな。」
それに、佐藤は一度だけ瞬きをして、にやっと口角を上げた。
「社長も、でしょ?」
「はは、まあ……お互い様か。」
隣では秘書も、少しだけ目元をゆるめていた。
さっきまでの緊張感はどこにもなく――
ただ、友達同士のような、そんな穏やかな空気が流れていた。
「……じゃあ、行こっか。」
佐藤はそう言って、二人の手をまた掴む。
その手は、今もほんの少し震えていたけれど――
それでも、確かに温かかった。
「うん。」
「行きましょう。」
三人は夕焼けの街を、ゆっくりと歩き始めた。
壊れたまま、でも――どこかで少しだけ、
穏やかさを取り戻しながら。
温泉地へ着いてすぐ――
荷物を預けて、部屋に入り、ネグは浴衣へ着替えた。
窓の外はもう夜で、月明かりが静かに差し込んでいる。
宿独特のしん、とした静けさが心地よかった。
部屋の中心、囲炉裏のような場所で火を囲んで、三人はゆったり座っていた。
温泉はあとで入ろう、と言いながら、まずは軽い雑談だ。
「最近、家ではどうなんだ?」
レオン――社長が酒瓶を傾けながらそう聞いた。
横ではミイが、冷たいお茶を口にしつつ耳を傾けている。
ネグは少しだけ考え込んで、肩をすくめた。
「まあ……普通。二人がいて、仕事はあんまりだけど」
「へぇ、二人って?」
「夢魔とすかー。最近やっと隈が消えてきたんだ。」
その言葉にミイは少し微笑んだ。
「ふふ、あの二人ね。前に社長室で会ったことある。」
「あー、あったかも。」
レオンも思い出したようにうなずいた。
「近くに新しいカフェできたの、知ってる?」
ふいにミイが話題を変える。
「あー、あそこ。チーズケーキが売りなんだよな。」
「そうそう。でも行列すごいらしいから、今度三人で行かない?」
ネグは少し笑って、それにうなずいた。
「行こっかな。……あ、ていうかさ、いつまでも“社長”と“秘書”って呼ぶのやめない?」
「ん?」
「え?」
ネグは浴衣の袖を直しながら、小さく息を吐いた。
「呼びにくいんだよ、会社じゃないし。」
レオンは目を細めて苦笑いしながら、
「……まあ、そうだな。」
「じゃあ、俺レオン。こっちはミイ。」
「うん、ミイでいいよ。」
「わしはネグでいい。」
それだけで、なんだか一気に距離が縮まった気がした。
そのあとも他愛ない話が続いた。
温泉の泉質とか、仕事の愚痴とか、
最近買った服や、新しく始めた趣味の話まで。
「ネグさ。」
レオンがふっと口を開いた。
「仕事の時みたいに、そんな敬語で話さなくていいんだぞ?」
「……別に、癖だから。」
「癖でもいいけど、たまには力抜け。」
ミイもそれに続いて、
「そうそう、もっと楽にして。」
ネグは、目を閉じて、深く息を吐く。
「……わかった。じゃあ、タメで。」
そう言った自分の声が、少しだけ柔らかく感じた。
その頃――夢魔とすかー
二人は家のソファで、ぼんやりテレビを見ていた。
部屋のテーブルには、ネグが作り置きしていった料理が並んでいる。
スマホの画面には、あのたった一言。
【3日目くらい家を空ける】
それを見て、夢魔はゆっくり息を吐いた。
「……まぁ、そうだよな。」
すかーも横で、同じようにため息を吐く。
「無理しすぎやったし……しゃーない。」
「ほんと……」
夢魔は箸を取り、ご飯を口に運んだ。
噛むたびに、しみじみと味が染み渡る。
「……美味い。」
それだけ言って、すかーも静かに箸を持った。
この数ヶ月、ネグが倒れるまで無理をして、
会社で色んなことがあったことも全部わかっている。
だから――今は何も言わず、ただ待つだけだ。
「……寝よ。」
「……うん。」
二人は、並んで布団に入った。
夢魔は天井を見上げながら、小さくつぶやく。
「早く……帰ってこいよ。」
すかーも、静かに同じ気持ちで目を閉じた。
それぞれの夜は、静かに――けれど、確かに流れていた。
朝――
静まり返った温泉旅館の朝は、ホテルとはまた違った静けさがあった。
ネグはひとり、部屋を抜け出して、
ベランダのような外に出た。
そこには木製の小さな椅子がひとつ。
古びているけれど、それもまた趣がある。
ひんやりとした空気が肌を撫でて、
鼻から吸い込んだ息が白くなる。
「……冷たい。」
思わずポツリとつぶやく。
だけど嫌な冷たさではない。むしろ心地いい。
静かな朝の空に、太陽がじわりと昇ってきて、
顔や肩をやわらかく照らしてくれる。
ネグはゆっくりと椅子に腰掛け、
大きく伸びをした。
「んー……」
グイーッと両手を伸ばして、欠伸をひとつ。
頭の中も少しずつ、目覚めていく。
ポケットからスマホを取り出し、何気なくロックを外した。
画面には夢魔とすかーとのグループLINE。
「……」
指先で、スタンプを選び――
タップ、タップ、タップ、タップ。
ポンポンポンポン!!と、ひたすらに連打。
気がつけば10件以上、同じスタンプが送られていた。
「ふふ……」
自分でも、何をやっているんだろうと思いながらも、
自然と口元がゆるんだ。
そんな時だった。
「おはよー。」
部屋の扉が開いて、レオンとミイが姿を見せた。
二人とも、まだ寝起きで目をこすりながら。
「おはよう。」
ネグは短く返事をして、もう一度外に目を向けた。
レオンもミイも、ネグの隣に座って、
一緒に冷たい空気と、太陽の光を浴びる。
「……やっぱ、朝はいいな。」
「そうだね。」
それだけの会話でも、何だか心が落ち着いた。
その頃――
夢魔とすかーは、静まり返った家のリビングで目を覚ました。
「……ん。」
夢魔が目を開けると、隣でうつ伏せになっているすかーも
ゆっくりと体を起こす。
二人とも無言のまま、スマホを手に取った。
「……あ。」
ふたり同時に、小さく声を漏らす。
画面いっぱいに、ネグからのスタンプ通知。
ポンポンポンポン!!
同じスタンプが、10件以上続いている。
思わず夢魔が吹き出して笑った。
「……あいつ、相変わらずだな。」
すかーもくすっと笑って、ソファに身体を預けながら、
キーボードを叩くみたいにスマホを操作した。
【おはよう笑】
それだけ短く、けれど温かい返信を送る。
夢魔も続けて、
【おはよう。体壊すなよ?】
と、ひと言。
二人はソファに並んで座りながら、
お互いに顔を見合わせて――
「……ま、しばらくは静かやな。」
「そうだな。」
ゆるやかに、朝の時間が流れていった。
朝、旅館の食堂。
「んー……美味しい!」
ネグは久しぶりに焼きたてのパンを一口かじって、
目を細めて笑った。口元には優しいクリーム色のスープが少しだけついている。
ミイもレオンも、そんなネグを見ながらそれぞれパンを食べていた。
「ほんと、最近ってパンもスープもこんなに美味しかったっけ?」
「ネグがちゃんと味を感じられるようになったってことでしょ。」
ミイがふっと微笑んでそう言い、レオンもコーヒーを飲みながら頷いた。
「最近は無理してたしな。今日ぐらいはゆっくり食べて、笑ってさ。」
「……そう、だね。」
ネグはゆっくりスープをすくって口に運びながら、
ほんの少しだけ目を伏せた。けれど、すぐにまた顔を上げて――
「うん、美味しい!」
そう言って笑った。
レオンとミイも同じように笑って、朝の食事は和やかな空気で進んでいった。
その頃――
夢魔とすかーは、静かなリビングで並んで座っていた。
「……あいつの、作り置き。」
夢魔がそう言いながら、二人分の皿に温めた料理をよそった。
「ほんま、大丈夫なんやろか。」
すかーは小さくため息をつきながら、
スマホをテーブルの上に置いたまま、箸を取った。
二人は無言でしばらく食べて、ふと目を合わせる。
「ま、あいつのことやし……」
「うん……」
そんなふうに、お互いを見て安心し合うみたいに微笑んだ。
昼になって――
ネグたちは今度は海に出かけていた。
「おっそ……レオン、ミイ、早くー!」
ネグは少し危ないくらい、露出の多い水着姿で手を振っていた。
波が打ち寄せる浜辺で、キラキラと光る海水を足元に感じながら。
「……おいおい、その水着、大丈夫か?」
レオンは苦笑いしながら、スマホを取り出して、
ミイとネグの2ショットをパシャリと撮った。
すかさず、ネグのスマホを開いて――
【可愛いだろ!良いだろ!】
そんなメッセージと一緒に、さっきの写真を送信。
その頃、家でスマホをいじっていた夢魔とすかーは、
画面を見た瞬間――
「……は?」
すかーが呆れたように声を漏らし、夢魔もスマホを傾けてじっと見る。
「危なくねぇか、あれ。」
すぐに二人でメッセージを送り合う。
【おい、ネグ。それ危ないだろ。】
【でも……まあ、可愛いけどな。】
送り終わったあと、二人はお互い顔を見合わせて小さく笑った。
海辺では、ネグが日焼け止めを塗り直しながら、
波打ち際で楽しそうに走り回っていた。
その笑顔は――
かつて黒く沈んでいたネグの心が、
白く透き通っていくような、そんな光景だった。
夜になって――
「おいしー!」
ネグ、レオン、ミイの三人は晩御飯を囲んで、
笑い声を交えながらたくさんの話をしていた。
「最近、また新しいカフェできたんだよね?」
「へぇー!行ってみたい!」
そんな他愛もない雑談が心地よかった。
食べ終わった後は、また温泉に入って、
その時もずっと話し続けた。
「ネグ、最近どうなの?」
「んー……会社は、まぁ色々あったけど。けど、今は平気。」
そう言いながら、白く湯気の立つ温泉に肩まで浸かり、
目を細めてリラックスしているネグを見て、レオンとミイも静かに笑った。
お風呂上がりには牛乳。
三人で一斉に飲んで、ゴクリと喉を鳴らし――
「おいしー!」
声を揃えて笑った。
その後は、枕投げが始まり、旅館の部屋は笑い声でいっぱいになった。
その頃――
夢魔とすかーは、ネグのスマホに送った写真を見ていた。
「……あー、やっぱ危ねぇって。」
すかーがまた呟いた頃、
今度はレオンから、タオル姿のネグの写真が送られてきた。
一瞬、時が止まる。
「……は?」
夢魔とすかーは、ほぼ同時にスマホを見つめたまま固まった。
顔が真っ赤になって、すぐさま電話をかけたが、
繋がらない。
「……ふざけんな!」
「繋がんねぇし!」
仕方なく長文のメッセージを打つことにした。
【お前……あんまり油断すんなよ?心配するんだから。
そんで、あんまり可愛いの見せすぎんな。】
【帰ってきたら、ちゃんと隣に居ろよ。】
そんな、素直じゃない言葉を、夢魔は時間をかけて送信した。
その頃――
ネグたちは枕投げの最中だった。
「今から、会社にいる時みたいに話してー!」
ミイがそう言って、ネグがスマホを取り出し、
夢魔とすかーに電話をかけた。
二人は慌てて電話を取る。
スピーカー越しに――
「あー!また負けたー!」
ネグの悔しそうな声が、はっきりと聞こえてきた。
夢魔とすかーは顔を見合わせ、
自然と笑ってしまった。
「……あいつ、ほんと、楽しそうだな。」
「……あぁ。」
会えてないけど、声だけでわかる。
ちゃんと元気にしているんだ、と。
そして――
ネグたちが眠りについた頃、
夢魔とすかーも静かに酒を飲みながら、ネグの話をしていた。
「……早く帰ってこねぇかな。」
「……ほんまやな。」
ふたりで静かに呟きながら、
夜は深く、更けていった。
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