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#フライギ
にもあえ
229
葉菜
26
この拠点で一番分かりやすい二人なのかもしれなかった。
そのことを本人へ伝えたところで素直に認めるとは思えないが、少なくとも周囲の者達は皆気付いている。
特に千代は分かりやすかった。
あの防壁建設の一件から数日が経ったものの、大和を見る回数が明らかに増えている。本人は隠しているつもりなのだろうが、食事の時間になれば無意識に近くへ座り、会議になれば自然と視線を向け、怪我でもしていないか確認するような目で見ているのだから隠し切れていない。
本人だけが気付いていない。
そんな状態だった。
昼下がり、防壁建設の休憩中にミズキが千代の隣へ腰を下ろす。
和傘を肩へ担いだまましばらく作業風景を眺めていたが、やがて面白そうに口を開いた。
「最近機嫌が良いの」
「そうか?」
「そうじゃ。長がおるからかの」
千代の動きがぴたりと止まる。
あまりにも分かりやすい反応だった。
ミズキは堪え切れず小さく笑う。
「昔から思っておったが、お主は変なところで素直じゃな」
「儂は素直じゃぞ」
「そういう意味ではない」
会話になっているようでなっていない。
千代は納得していない顔をしたものの、それ以上追及することなく少し離れた場所へ視線を向けた。
大和が住人達と何か話している。
防壁の配置か見張り台の位置か、あるいは避難経路の話だろう。相変わらず忙しそうな姿を見つめながら、千代は小さく呟いた。
「また食べておらぬな」
その声をミズキは聞き逃さない。
「気になるかの」
「気になるじゃろ。長は無理ばかりするし、放っておけば働き続ける。ちゃんと食べぬし寝ぬのじゃ」
言い切ったところで自分の発言に気付いたらしい。
千代が固まる。
ミズキは吹き出しそうになるのを必死に堪えた。
「心配なのじゃな」
「……そうじゃ」
今度は否定しなかった。
からかうつもりだったミズキも少しだけ驚く。
千代の横顔は思っていた以上に真剣だったからだ。
「儂がおらねば無茶をする」
その声は怒っているようにも呆れているようにも聞こえるが、それだけではないことをミズキは知っている。長い時間を生きてきたからこそ分かるのだ。
それは大切な相手を案じる者の声だった。
少しだけ懐かしくなる。
昔の自分も似たような顔をしていた気がした。
「なら言えばよい」
「何をじゃ」
「食べろと」
千代は顔をしかめた。
「聞くと思うか」
「聞かぬな」
即答だった。
二人とも黙る。
それはそうだ。
大和である。
他人には優しいくせに自分のことになると妙に頑固だ。
聞くとは思えない。
だが、ミズキの顔には悪戯を思い付いた子供のような笑みが浮かんでいた。
嫌な予感しかしなかった。
夕食の時間になると、その予感は案の定的中する。
いつものように端へ座ろうとした大和の背中をミズキが押し、そのまま有無を言わせず千代の隣へ座らせてしまったのである。
「何故だ」
「良いから座れ。ほれ、そこじゃ」
「理由になっておらぬ」
「儂は向こうへ行くから問題ないの」
そう言い残して別の席へ移動する。
完全に確信犯だった。
残された二人は気まずそうに視線を逸らしている。
周囲の住人達も当然気付いていたが、誰も何も言わない。
面白そうだからだ。
しばらく沈黙が続いたあと、先に口を開いたのは千代だった。
「食え」
大和が視線を向ける。
「食べている」
「足りておらぬ。最近もほとんど寝ておらぬじゃろう」
「問題ない」
「問題あるから言うておる」
普段なら言い返して終わるはずだった。
ところが大和は少し考えるように黙り込み、やがて小さく息を吐いた。
「分かった」
それだけ言って、普段より多めに食事へ手を伸ばす。
千代が目を瞬く。
大和が人の忠告を聞いた。
それだけのことなのに驚いているらしい。
その表情はすぐに消えたが、一瞬だけ安堵したように緩んだことを俺は見逃さなかった。
離れた場所ではミズキが湯飲みを傾けながら満足そうに頷いている。
建国の手伝いも大事だろう。
人間軍への備えも必要だろう。
だが百年以上生きてきた吸血種には分かる。
この拠点で最も難しく、最も時間が掛かりそうな問題は案外別のところにあるのかもしれなかった。
そんなことを考えているのはミズキくらいのものだろう。当の本人達は相変わらずで、千代は以前より大和を気に掛けるようになったものの、それを特別な感情だとは思っていないらしいし、大和もまた何も変わっていないつもりでいる。
ただ、周囲から見れば話は別だった。
北側防壁の建設が最終段階へ入った頃には、積み上げられた石壁は既に人の背丈を大きく超え、見張り台も形になり始めていた。採石場からは絶えず石材が運び込まれ、鍛冶場からは槌の音が響き続けている。人が増えれば仕事も増えるのは当然で、その結果として大和の負担も日に日に大きくなっていた。
朝になれば見張り役が報告へ来る。
南側の柵が壊れたと言われれば見に行き、水路の流れがおかしいと言われれば確認へ向かい、採石場で揉め事が起きたと聞けば仲裁に入る。夜になっても終わらない。住人達が寝静まったあとも地図や設計図と睨み合い、翌朝にはまた誰より早く動き出している。
流石に住人達も心配し始めていた。
長でも倒れる時は倒れるのではないか。
そんな声が聞こえるようになった頃には、千代の不機嫌そうな顔を見る機会も増えていた。
その日も夕食の時間になって大和の姿が見当たらず、千代は周囲を見回しながら眉をひそめている。
「またおらぬ」
「東側じゃな」
ミズキが何でもないことのように答える。
「何故知っておる」
「見ておった」
「暇なのか」
「暇ではない」
即答だった。
千代は呆れたように息を吐いたが、それ以上は何も言わず立ち上がる。そのまま食事も取らず拠点を出て行く姿を見ながら、ルカは面白そうに笑い、しゆらは困ったように微笑んでいた。
「いいのか」
思わず声を掛けると、千代は当然のように振り返る。
「何がじゃ」
「食事」
「後で食う」
その返答にミズキが意味深に目を細める。
本人だけが気付いていないのだろう。
千代はもう自分のことより大和を優先している。
東側の見張り台予定地までは歩いて十分ほどだった。
大和はそこにいた。
小さなランプの灯りだけを頼りに地面へ地図を広げ、何やら書き込んでいる。食事どころか休憩すら取っていないらしい。
「長」
呼び掛けると、大和が顔を上げた。
「どうした」
「どうしたではない」
千代は手に持っていた包みを放る。
大和が受け取る。
中身は夕食だった。
「食え」
「後で食べる」
「今食え。最近もろくに食べておらぬし寝てもおらぬじゃろう」
大和は少し困ったような顔をした。
珍しい表情だった。
千代は腕を組んだまま動かない。
完全に居座るつもりらしい。
しばらく視線がぶつかり合ったあと、先に折れたのは大和だった。
小さく息を吐いて包みを開く。
その様子を見届けてから、千代もようやく隣へ腰を下ろした。
夜風が吹く。
建設作業を終えた住人達の声が遠くから聞こえてくるだけで、辺りは静かだった。
「無茶をするな」
ぽつりと零れた声に、大和は少し考えるように黙り込む。
「しているつもりはない」
「皆言う」
「そうか」
「儂も言う」
短い沈黙が落ちる。
大和は包みを閉じると、今度は視線を逸らさず千代を見た。
「分かった」
それだけだった。
長い約束でもなければ劇的な言葉でもない。
それでも千代は少し目を見開く。
以前なら聞き流されていた。
今は違う。
大和は確かに聞いていたし、ちゃんと受け取っていた。
その事実だけで十分だったらしい。
何も言わず前を向いた千代の耳は僅かに赤くなっている。
少し離れた丘の上では、双眼鏡代わりの魔導具を覗いていたミズキが感心したような声を漏らしていた。
隣にはしゆらとルカがいる。
何故いるのかは聞かない方がいい気がする。
「思ったより進展しておるの」
「見守るのが趣味なんですか?」
しゆらの問い掛けに、ミズキは真顔で首を横へ振った。
「趣味ではない。使命じゃ」
真面目な顔で言うことではない。
ルカが吹き出し、しゆらも思わず笑ってしまう。
そんな二人を気にも留めず、ミズキは夜風に揺れる二人の背中を眺めながら静かに目を細めた。
百年以上という時間を思えば、この程度の変化など本当に小さなものだろう。それでも停滞したまま何も変わらないよりはずっと良い。
少なくとも今は、二人とも同じ方向を見ているように思えた。
コメント
1件
読了しました。第38話、とても良かったです。特にミズキの「使命じゃ」は笑いました(笑)。周囲からは分かりやすいのに、本人たちだけが気付いていない感じ、絶妙ですね。千代が「食え」って言いながらも、ちゃんと大和が聞いてくれた時の照れっぽさが可愛くて。夜風の中のあの距離感、じんわり来ました。