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アーロン・ラス・ハイランドは魔術学園の庭園を歩いていた。
会議の日程が急遽変更となり、空いた時間に何をしようかと思っているうち、自然とここへ足が向いたのだった。
今日は平日だったが創立記念で休校となっており、生徒は一人もおらず、職員が数名出勤しているだけだ。
閑散としていて寂しい雰囲気だったが、今の自分にはこの静けさがちょうどよかった。
(あそこは一年生の教室……。ああ、生徒会室の窓も見える)
そこには誰もいないのに、その場所を見るだけでさまざまな思い出が浮かび上がってくる。
(……あの頃は楽しかったな)
別に、今が楽しくないというわけではない。
あの時だって愉快なことばかりではなく、大変なこともあった。
けれど、どうしてかあの日々が特別輝いていたように感じられるのだ。
(我ながら未練がましいな……)
ここに来たところで、時間が巻き戻るわけでもない。
もう帰ろうと踵を返したとき、渡り廊下のほうから自分を呼ぶ声が聞こえてきた。
「もしかして、アーロンじゃないか?」
「……レイ先生」
◇◇◇
「来るなら連絡をくれればよかったのに」
「すみません、急に時間が空いて思いつきで来てしまって……」
「そうか。俺もたまたま仕事が残っていて出勤したんだ。久しぶりに会えて嬉しいぞ」
学生時代に三年間担任を務めてくれ、生徒会の顧問でもあったレイ・トレバー。彼と庭園のベンチに並んで腰掛けながら、再会の挨拶を交わす。
「でも、急にどうしたんだ? 用事があるわけではないんだろ?」
レイの質問はもっともだが、自分でもよく分からないのだ。
思い出に浸りに来たのか、ぐちゃぐちゃになった心の整理に来たのか。
……でも、もしかしたら、レイに聞きたかったのかもしれない。自分が今、どうすればいいのか。
アーロンにとって、レイは自分を王子ではなく一人の人間として見てくれる、信頼できる大人だった。
彼は教師として、いつでも生徒のことを第一に考えてくれていたし、アーロンやライルたちがルシンダに想いを寄せていることも知っていて、温かく、時に厳しく見守ってくれた。
レイになら、学生だったあの頃のように悩みや苦しみを吐露できる気がした。
「──自信をなくしてしまったんです。ルシンダへの気持ちは誰にも負けないと思っていたのに、そうではなかったと気づかされてしまって……」
「そうか……」
突然吐いた弱音も、レイは戸惑うことなく受け止めてくれた。
「私には彼女の隣に立つ資格なんてなかったんです。この気持ちにどう決着をつければいいのか分からなくて……」
少しの沈黙が落ちたあと、レイが空を流れる雲を見上げて言った。
「資格がないなんて、それを決めるのはお前じゃない。ルシンダだろう?」
「……」
正論だった。
無意識に作り上げていた言い訳を指摘され、アーロンが黙り込む。
「あいつに告白しないのか?」
「……今は従兄妹どうしですし、気まずくなってしまったらと思うと──」
ああ、これも言い訳だ。
こうして人と話していると、それがよく分かる。
しかし、レイはそれを責めるでもなく、穏やかな声で返事した。
「ルシンダは、そんな奴じゃないだろ。気持ちを伝えなければ、あとでもっと後悔することになるかもしれないぞ。よく考えて、後悔しない道を選べ。……俺はそうした」
最後に付け足された言葉に、アーロンがぱちぱちと瞬きする。
「レイ先生も、私みたいに恋愛で悩んだことがあるんですか?」
「まあ、少しはな」
レイの意外な一面に、アーロンは少しだけ驚いた。
けれど、考えてみれば彼だって教師という肩書きを取れば、一人の男性だ。恋愛感情だって当然あるだろう。
(レイ先生も悩んで答えを出したんだ。私もきちんと向き合わなくては)
アーロンも顔を上げ、空を見上げる。
「話を聞いていただいて、ありがとうございました。私も、よく考えてみます」
「ああ、お前ならきっと乗り越えられる」
学生時代のように、礼儀正しく頭を下げて去っていくアーロンを、レイが教師の目で見つめる。
「……頑張れよ」
アーロンの後ろ姿に、かつての自分が重なって見える。
教師を目指したきっかけは、母親の背中を見てというのが大きかったが、ルシンダに恩返しをしたいという思いもあった。
ルシンダがレイの母親であるフローラに魔術を習っていた頃、レイとルシンダは兄妹弟子の関係だった。
あの頃は「レイ先生」なんて呼び方ではもちろんなく、「レイ」と呼ばれていた。屈託のない笑顔を向けて懐いてくれて、レイもそんなルシンダを可愛く思っていた。
少なからず好意を抱いていたと思う。
ルシンダは知らないだろうが、レイの目には弟子や妹分ではなく、一人の少女として眩しく映っていた。
しかし、教師という職に就けば、生徒となるルシンダとの恋愛など許されない。
将来の進路と恋愛感情の間で、ずいぶんと葛藤した。
結局、教師としてルシンダを導き、守ってやりたいという気持ちが勝って教師となったのだった。
その決断に後悔したことは、幸い一度もない。
「──さて、仕事に戻るか」
元来た道を引き返し、レイは校舎の中へと戻っていった。