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夜明けの青さと寒さが、掘建小屋に忍びこんだ。男たちのてんでないびき。丸まった裸の天翰を、十一は見おろした。夜っぴて牙良と百舌に取っ競らされて、花奢な躰は精と土埃まみれだ。涙の乾いた寝顔。ほんの童だ、と思った。十一は墨染の直裰を天翰にかけてやった。そして、気がつく。天翰の左の足首に、腫れが兆していた。
「十一」
銀鴟の声。ぎくりとして、十一は身構えた。
「その小僧の世話を焼いてやれ」
畳に半身を起こし、銀鴟は薄く笑った。酒の残りを、すべて盃に注ぐ。天翰は生かされる、しばらくのあいだは。
「ただし手はつけるな。ましてや逃がそうなんて考えるなよ」
すべて見透かしたような、銀鴟の凄涼たる目。ぐっと奥歯を食いしばって、十一は頷いた。
「へい」
日が昇ると、烏帽子の三人は消えた。小屋には夷虎と十一と、天翰ばかり。眠る美童に、夷虎はにたりとする。
「やっちまわねえか」
「手をつけるなといわれた」
「口止めさえすりゃ、わかりゃしねえさ」
いや、銀鴟にはわかるだろう。鬼神のように勘の鋭い人だ。十一は銚子と盃をありったけ洗桶に揃えて夷虎に押しつける。
「それを洗って、水を汲んでこい」
「おめえも手伝え」
「こいつを見張らにゃなんねえ」
「なら、おれが見張ろう」
「世話を焼けといわれたのは、おれだ」
夷虎は不服の色を濃くしたものの、桶をかかえて出ていく。近くに沢があるのだ。
天翰を見ぬようにしつつ、十一は炉端で燧石を叩いた。十何べんめかの火花で、鳥の羽毛が燃えてちぢれる。小枝を組みあげ、火が育ったら薪をくべた。
人目の気配に顧みる。天翰が横たわったまま、じっと見ていた。
「躰は平気か」
ばさりと直裰で顔を隠した。十一は溜息をつく。
「左足のことだ」
天翰は目ばかり覗かせた。手を左の足首に伸ばす。きゅっと眉根が寄る。昨夜の艶態がよみがえり、十一は目を背けた。
「天かんといったな。おめえは運がいい。いっぺんもてあそんだら始末されるやつもいるんだ」
「始末」
細い声、怯えた目。十一は炉の灰を掻いた。
「女は売られちまう。男は……さあ、どこに埋まってんだろうな」
「虞淵どのは……」
「ぐえん?」
「兄弟子です、太刀を抜いて斬られた。どこに埋めましたか」
「籔んなかで野ざらしさ。そのうち獣が喰っちまう」
「どこの籔ですか」
「きいて、どうする」
天翰は強情な目で黙っている。かちゃかちゃと磁器のぶつかる気配がして、簾が捲られた。夷虎は洗桶を置き、十一と天翰を交互に見やる。
「どうかしたか」
「いや」
十一は銚子の水を桶に注ぎ、麻の布巾を絞った。天翰へ膝行りよる。
「躰をふいてやる」
天翰は直裰を抱いて、幼子のようにいやいやする。十一はかまわず天翰の肩をつかみ、背をふいた。天翰の細い声。
「あの、ほかの衣は」
「お頭が持ってっちまった。あとで代わりを探してやる」
十一は天翰の胸をふきにかかった。汚れの落ちた肌の生白さ。点々と散った赤い痕。百舌がつけたのだろう。何かむしゃくしゃして、つい布巾に力がこもった。天翰の乳首が、ぷつりと尖る。十一は直裰をはいで、腫れ具合を見るつもりで左足を持った。
「待って、あっ……」
天翰の泣きそうな声。うりゅうりゅうりゅ……と音を立てて菊門から昨夜の精がこぼれでる。
「うえ、汚ねえ」
夷虎が罵った。十一はむっと口を結んで、天翰に濡れ布巾をつかませた。
「そこはてめえでやんな」
天翰は真っ赤になって涙ぐんで、こそこそと直裰で隠しながら尻をぬぐう。
日が高くなった頃、烏帽子の三人が小屋に戻る。どこかで奪ったのか、あるいは奪った銭で購ったのか、大荷物だ――牝鶏、根菜、塩やら醤やらの壺、酒甕。当面は籠る気なのだろう。
銀鴟が唐棣色の衣を天翰に投げる。
「そいつを着な」
坊主頭にかぶさった絹衣をはがして、天翰は瞬きする。はなやかな孔雀羽に桐紋様。
「これは、おなごの衣では」
「文句ねえだろう、おめえは女だ」
銀鴟の母は、蕃人の血を引いた白拍子ときいた。白昼の光の下、銀鴟の目玉は殆ど黄金色に見える。天翰は目を伏せた。あの眼光を正視できる者など、まずいない。
「十一、着せてやれ」
銀鴟は襦袢と鬘を投げた。十一は受けとめ、襦袢を天翰に羽織らせた。
「あの、褌は」
「女は褌はしめねえ」
「私は男です」
「お頭が女だといったら、女だ」
天翰は唇を結んで、襦袢に袖を通した。
つややかな女の鬘と衣の天翰に、ほうと十一は息をついた。やんごとないお姫さんみてえだ、と思った。夷虎はぽかんと口をあけて見とれていた。百舌がいう。
「そのなりで天翰てえのもなんだな。なあ、銀鴟」
銀鴟は口をゆがめる。「おめえは今から日羽だ。お日羽。わかったら返事だ」
「いやです」
凜たる声に、十一は肚の底が冷えた。天翰は唇を震わせつつも、銀鴟をまっすぐに見すえた。
「あなたがたは私の兄弟子たちを殺め、私に狼藉を働いただけではあきたらず、名まで奪おうというのですか」
銀鴟は薄笑いを浮かべ、顔を天翰の顔に寄せる。
「おれぁ山賊の頭だ。奪えるモンはなんだって奪う。銭だろうが、女だろうが、名めえだろうが、命だろうがな」
「天鵞さまの左腕には、たしかに刀傷がおありでした。忘恩負義の謗法者に斬られたのだと」
天翰は妙に静かな顔つきをしていた。銀鴟の目が細くなる。
「おれがうそをついたとでも」
「わかりません。なれど、あなたの怒りは、うそではない。それはわかります。なればこそ、あなたは他の者に対し、このような行いをくりかえしている。ちがいますか」
「賢しら口をきくな。ここでは、おれが掟だ」
銀鴟の右足が飛んだ。鳩尾の衝撃、十一はくの字に跼った。まるきり油断して、腹に力を入れることもしていなかった。酸っぱい虫唾。十一は這いつくばって呻いた。背にふれる天翰の手のひら二枚。
「十一どのっ」
「おめえが楯突くたびに、そいつは痛え目を見る。それでも、いやだというか」
天翰は睨んだ。「好きな名で呼ぶがいい。私は二度と口をききません」
銀鴟は笑った。「その依怙地がいつまでもつだろうな」
小屋の炉の鍋を、山賊五人が囲んだ。煮汁に蕩ける猪肉と脂。鳩尾の鈍痛のせいで、十一は箸が進まなかった。
女装の美童は蓮花坐を組んで暝目したきり、微動だにしない。いや、唇が小さく動いている。経を唱えているのだ。椀によそった猪汁には手をつけていない。十一はささやく。
「食わねえと、もたねえぞ」
天翰はきこえぬかのようだった。
鍋を空にした四人は、大甕から酒を汲んでは呷った。十一もひかえめに呑んだ。酒は好きではなかった。呑めばのむほど正気を失い、獣に近づくと思えた。
「なんだ、十一、ちっとも呑んでねえじゃねえか」
百舌が盃につごうとする。十一は手で拒んだ。
「もう、酔っちまいやして」
銀鴟がいう。「十一、夷虎。呑み競べしろ。勝ったほうは、お日羽を好きにしていいぞ」
「ほんとですね?」
夷虎は前のめりになった。きこえているだろうに天翰は、変わらず蓮花坐で瞑目している。十一はいっぺんに酔いが醒めた。あの美童を、このばかにだけは好きにさせるもんか。
「はじめ」
銀鴟がいった。夷虎の盃に牙良が、十一の盃に百舌が酒をついだ。ふたりは同時に、一息に飲みほす。銀鴟がいう。
「ひとぉつ」
漆の盃につがれる酒は、天翰の精水のような淡い白だ。艶めかしい連想を振り払い、十一はそれを呷る。くわっと喉が焼ける。
「ふたぁつ」
夷虎は爛々たる目で、十一を見すえている。根っからの勝負好きなのだ。端折った裾から覗く褌がしっかりと張っていて、十一はむかついた。
「みぃっつ」
杯を重ねるごとに、躰の芯が熱ってくるようだった。しかし、反対に頭は深閑と冴えていった。十一は変わらぬ呑みっぷりで、淡々と盃を空けた。おれは案外いける口なのかもしれない。
対して、夷虎は猿公じみた赭顔になり、しきりにもぞもぞと足を組みかえては目をこすった。盃を口に運ぶ仕草も鈍くなる。
「八十八」
十一は一息に呷った。夷虎の手は止まったきりだ。牙良がいう。
「ほら、早う呑め」
夷虎は眉間を皺めつつ、どうにか呑みほした。すかさず盃が満たされる。十一は一息に呷った。
「八十九」
夷虎は盃を落とした。筵に滲みいる諸白、むっと鼻を突く酒の気。夷虎はふらふらと小屋を出た。反吐す気配。銀鴟がにやりとする。
「勝負あったな」
十一は一礼した。すっくと立ちあがり、瞑想する美童へと近づいた。酔ってないと思っていたが、ふわふわと雲を踏む心地がした。天翰を背から抱きすくめ、頭を肩に靠せかける。さすがの天翰も、びくりと身を硬くした。そのまま十一は目をとじて、じっと動かなかった。ただ、天翰の温もりを感じ、あどけない香を嗅いだ。銀鴟の声。
「どうした。好きにしていいんだぞ」
「へい。ですから、こうして好きにしておりやす。こりゃあ極楽でござんすね」
一瞬の沈黙。三人の大笑が轟いた。百舌の声。
「銀鴟、一本とられたな。こりゃあ傑作だ」
天翰の肩から、力が抜けた。十一はぎゅっと両の腕に力をこめて、うつらうつらと舟をこいだ。
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