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天翰の足首は、茄子紺に腫れあがった。洗桶で布巾を絞って、十一は患部に巻きつけた。筵に横たわった天翰の虚ろな目。そのまろやかな額に、十一はふれる。微かに熱っぽい。「食いてえモンはあるか。おれがとってきてやる」
天翰は首を小さく振った。もう五日も何も口にしていない。生来の細面がさらにこけて、頬に陰が浮く。死相のごとく思えて、十一は両の拳を握った。
「おめえは死にてえのか」
天翰は目をとじて、答えなかった。
「そんなに死にたきゃ、今、おれが殺してやる」
天翰が目をあけた。十一は太刀をとり、すらりと抜く。幾人もの肉を裂き血を吸った白刃。切先を地へ向け、どすりと突き刺した。天翰は目をむいて、刃から首を反らした。口を薄くあけ、はあはあと息を乱す。十一は、ぐっと顔を寄せた。
「ほら、おめえは死にたくねえんだ。なんでもいいから、食いてえモンをいえ。いわねえと、ほんとうに殺す」
天翰は半身を起こし、柱に靠れた。「……ひと思いに斬ればいいものを。なぜ、生かすのです。あのときも、今も」
「死んだらお終えだからさ。極楽浄土? 無間地獄? 坊主のうそ八百だ。極楽も地獄も、この世のモンだ」
「えゝ、そうですとも。今、私は地獄にいる。虞淵どのが、兄弟子たちが、賊に斬られるのを見ているしかできなんだ。その賊に、死ぬよりもつらい辱めに遭わされて……なれど、それも御仏の思し召し。よもぎが、食いとうござりまする」
天翰はうっすら笑って、目をとじた。
艾の時季だった。南の日当たりの好い土手に、青々と艾の葉はいくらでも蔓延っていた。十一はやわらかい若芽を選んで、手籠一杯につんだ。おっ母が生きていた頃は、こいつで草餅をこさえたものだった。熱々の餅に蜂の蜜をからめて、きな粉をまぶすと、たまらなく甘いのだ。そうだ、あした、市で米を買ってきて――
根城の掘建小屋に、天翰の姿はなかった。十一は手籠を投げて、表手へ飛びだした。這いつくばって、地べたに目を凝らす。天翰の素足の跡は、西へと向かっていた。まさか、と思った。天翰の兄弟子を斬ったのは、山の西だった。
十一は獣道を抜け、山路を駈けた。あの腫れあがった足では、そう遠くへは行けまい。
案の定、半里も行かぬうちに、衣の唐棣色が見えた。十一の跫音に、天翰が顧みた。必死に足を引きずって逃げる。十一は追って、追って、追い越して、天翰のまえに背を向けてしゃがんだ。
「乗れ。ぐえんのところへ行ってやる」
ためらいのごとき一瞬ののち、熱い躰がおぶさってきて、両の手がおずおずと首に回った。すっかり軽くなった天翰を、十一は跳ねるように引きあげた。
「あなたは、私の心が読めるのですか」
十一は笑った。「読めたら困らねえんだがな。先にいっとくが、埋めてやるこたできねえぞ。道具がねえから」
「遠いでしょうか」
「なに、四半刻もありゃ着くさ」
夕べの竹林の笹籔を、十一は躰で掻き分けた。飛び発つ鴉。糞尿じみた腐臭。たったの十日で、三体の仏は土色に腐り果て、無数の蠅や蟻がびっしりとたかっていた。やわらかい目玉と臓腑は虫や獣に喰われ、手や足を持っていかれた者もいる。十一にはどれがどれやら皆目だった。けれども、天翰はいう。
「あゝ、あの背の高いのが虞淵どのです。その右が隆福どの。左が清然どの」
あゝ、おれが殺めた者たちにも、あたりまえに名があり、生があったのだ。あえて見ぬふりをしてきたものが――夜の山よりも真っ黒な腐塊が、いっぺんになだれかかってきた。それは堆く十一の胸を圧し潰さんとする。おれは何人、十何人、何十人を殺した?
「十一どの」
天翰の白い顔が滲んでいた。むせび泣きそうになるのを、口を押さえて止めた。なぜ、おれが泣くのだ。泣きたいのは、兄弟子を亡くした天翰のほうだ。
「私が経をあげます。どうか十一どのも手を合わせてください」
「……いまさら赦しを請うて、なんになる」
「われらは御仏の弟子です。御仏の教えを、人々に弘むるが使命。もし、そなたが御仏の教えを一偈でも心に持つならば、かれらは命を以て仏種を――仏となるべき性の種を修せしめたことになる。さすれば、大いなる功徳となり、かれらは次の世で貴き境涯を得るでしょう。それはかえって、十一どのの功徳となるのですよ。ならば、さあ」
十一の右手を天翰がとって、対の左手を添えて合掌させた。十一の手をつつんだまま、天翰は朗々と経をあげた。我淨土不毀而衆見燒盡憂怖諸苦惱如是悉充滿是諸罪衆生以惡業因緣過阿僧祇劫不聞三寶名。天翰の凜然たる面差――あゝ、観音菩薩だ。十一は頭を深く垂れて、生まれて初めて御仏に祈った。我常知衆生行道不行道膸應所可度爲說種種法毎時作是念以何令衆生得入無上道速成就佛身。
山が赫々と暮れなずんだ。天翰をおぶって峠路を行きながら、十一の足は鈍った。この貴いお人を、あんな悪党の根城に戻しちゃなんねえ。でも、今から深沢の極聖寺は……いや、近場の永福寺なら……十一はせっせと足を動かした。天翰の心細げな声。
「十一どの、どこへ行くのだ。早う戻らぬと、日が暮れてしまう」
「永福寺に行く。そこで助けてもらって、房州の寺に帰れ。おめえは修行して、偉え坊さんになれ」
「そなたはどうなるのだ」
十一は返事をしなかった。おそらく惣追捕使に捕えられて、地獄谷の刑場で首を斬られる。もし捕えられなくても、銀鴟に半殺しの目に遭う。それでもいいと思った。月のない宵に、山犬の遠吠え。
「のう、腹がすいた。よもぎを食べていない」
「寺で食わせてもらえ」
「そうだ、小屋に忘れものを」
「諦めろ」
「それはできなんだ。虞淵どのが写した経本なのだ」
「おめえは坊主だろ。物に執着しねえんじゃねえのか」
「僧であるまえに私は人ぞ。大事なものを大事にするは当然のこと」
「あとで届けてやるから」
「のう、十一どの。ひとりにするな」
ぎゅうっと両の手足でしがみつく。思わず、十一は歩を止めた。
「ばかか。おれぁ山賊だぞ。おめえの兄上とちげえんだ」
がさり、籔がゆれた。獣の唸り声。底光りする双眸。大きな山犬だ。毛並は荒れ、涎を垂らし、昂った様子でうろつきまわる。尋常ではない。十一は総身の毛穴がひらいた気がした。
「十一どの」
「騒ぐな。目を離したら、喰われる」
十一はゆっくりと後ずさった。何もないはずの道で、何かにぶつかった。天翰が息を呑む気配。
「おい、十一」銀鴟の声。「死にてえか」
「死にたくねえです」
「なら、そいつに小便をかけろ」
半信半疑で十一は、片手で魔羅をひっぱりだし放尿した。ひゃんひゃんと山犬は悲鳴をあげ、籔の奥へ逃げて行った。十一はその場にへたりこみそうになった。
いつから尾けていたのだろうか。銀鴟は無表情に子分と人質を見おろす。
「おめえらが里に下りたら、斬ってやろうと思っていた」
どんな釈明もむだに思えて、十一は黙りこんだ。銀鴟は背を向けた。
「帰るぞ」
へい、と十一は頷いた。頷くよりほかなかった。
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