テラーノベル
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夜中。
部屋は静かで、若井の寝息だけが一定のリズムを刻んでいる。
でも、胸の奥でじわじわとあの衝動がうごめいていた。
薬が欲しい。
頭じゃ「ダメだ」って分かってるのに、身体のどこかが勝手に求めてくる。
寂しい。
だけど、若井はしっかり休ませたい。
この前あれだけ顔色悪かったんだ。
俺は布団から抜け出して、そっと廊下に出た。
暗がりの中、なぜか足音が妙に響く。
気づいたら、涼ちゃんの部屋の前に立っていた。
「……涼ちゃん、起きてる?」
ドアを軽く叩くと、数秒後にガサガサと布団の音がして、
半分寝ぼけた涼ちゃんの顔がひょこっと出てきた。髪が完全に鳥の巣だ。
「……元貴? 夜中に告白とかやめてよ、
心臓弱いから」
「いや告白じゃねぇよ! ちょっと…話したくて」
「話? こんな時間に?」
涼ちゃんは片目をこすりながら部屋に入れてくれた。
狭い部屋に、ほんのりと甘い匂いが漂っている。たぶんさっきまで食ってた飴の匂いだ。
「……なんか、薬のこと思い出してさ。若井起こしたくなくて」
そう言った瞬間、涼ちゃんの眠気が一瞬で吹き飛んだように見えた。
「そっか……それで僕を?」
「うん……ごめん」
涼ちゃんは少し考えてから、にやっと笑って、
「じゃあさ、薬の代わりに、僕が全力でくだらない話してあげるよ。眠気飛ぶやつ」
「お、おう…」
そして涼ちゃんが始めたのは、意味不明な昔話――
「僕が小学生の頃ね、給食で牛乳を鼻から飲んだ記録を持ってるんだ」
「は? そんな記録誰が残すんだよ」
「クラス全員」
俺は気づいたら、さっきまでの重たい気持ちが少しだけ軽くなっていた。
涼ちゃんの声が、夜の静けさをやわらかく揺らしてくれる。
涼ちゃんのどうでもいい話は続いた。
「でさ、その鼻から牛乳が教室の前まで飛んで、
たまたま通りかかった校長先生の靴に直撃して……」
「おい、それほぼ事件だろ」
「うん、でも校長先生、靴の上にストロー置いて“飲む?”って言ったんだよ」
くだらなすぎて、笑いをこらえるのに必死だった。
笑えば若井が起きるかもしれないから、必死で唇を噛む。
そのせいで、薬の衝動がどこか遠くに押しやられていく。
涼ちゃんは俺の表情をチラっと見て、ふっと優しく笑った。
「……ほらね。今、薬のこと忘れてたでしょ?」
俺は少し黙ってから
「……ああ。なんか、ありがとね」
と言った。
「いいよ。どうせ僕、夜型だし」
涼ちゃんはそう言って、机から飴玉を一つ取り出し、俺の手に置いた。
「これ、薬じゃないけど……舐めてたら気が紛れると思う」
飴の包みを開けると、甘ったるい香りが鼻をくすぐる。
舐めた瞬間、口いっぱいに広がる甘さに、少しだけ胸が落ち着いた。
「……うん、悪くない」
そうつぶやくと、涼ちゃんが得意げに笑った。
「でしょ。僕、結構“甘い罠”仕掛けるの上手いから」
気づけば時計の針は深夜2時を回っていた。
でももう、あの衝動はほとんど残っていなかった。
朝のリビング。
若井がまだ寝ぼけ眼でコーヒーを淹れていると、元貴と涼ちゃんがソファに並んで座っていた。
二人ともどこかほっとした表情で、涼ちゃんは朝から飴を舐めている。
若井は一瞬目を疑い、眉をひそめて言った。
「お前ら、何してんだよ…」
元貴が苦笑いしながら、
「夜中に薬の衝動抑えるために起こしてさ、
くだらない話で乗り切ったんだ」
若井はため息をつきつつも、
「まあ…それでお前が薬を手放してるなら、いいけどな」
涼ちゃんはニコニコしながら、
「元貴、僕がついてるから大丈夫だよ!」
三人の朝は、そんな感じでゆるく始まった。
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