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こちらは、某実況者様のお名前をお借りした二次元創作になります。
以下に書かれた注意書きを必ずお読み下さい。
・登場人物等、全てにおいて捏造。
・ご本人様とは一切関係がごさいません。無断転載、晒し、その他のご本人様にご迷惑をおかけするような行為は絶対におやめ下さい。
・誹謗中傷の意は一切ありません。
・公共機関での閲覧を禁止します。
以上のことに納得していただける方のみ、お進み下さい。
・rbsha
・付き合ってません
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初めはただの、気まぐれだった。
埃を被った大きなそれがピアノだと気づいて、何気なく触れる。そのまま無目的に重い蓋を持ち上げると、白と黒の鍵盤が整然と並んでいた。
人差し指でそっと押すと、ポーンと無機質な音が返ってくる。その懐かしい感覚に追求心をくすぐられたのかもしれない。気がつくと、鍵盤の上に両手を添えていた。
楽譜がなくとも、己の指先が覚えている。鍵盤を指先で叩くと、型にはまった正しい音が返ってくる――そんな久々の感覚が心地良かった。
「ロボロ?」
ぴたり、と指が止まる。背後の気配に気づかないほど夢中になってしまった。
振り返ると、大きな段ボールを抱えたシャオロンが扉付近に突っ立っている。どうやら荷物を運んでいる途中だったようだ。
「それ、ピアノやん。もう処分したと思っとったわ」
シャオロンがロボロの背中越しにピアノを覗き込みながら、感嘆の声を上げる。段ボールをどさりと床に放ると、彼はゆったりとした足取りでこちらへ近づいてきた。
軍基地にグランドピアノという、あまりにも不釣り合いな組み合わせ。おそらく総統――グルッペンの趣味なのだろう。ピアノを弾くのが好きだと、以前言っていたのを聞いたことがある。
「結構古いんやな。ちょっと調律狂っとるし」
「調律?」
「音が外れんねん。ほら、ソが半音低い」
ロボロが適当な鍵盤を鳴らすと、わずかにズレた音が響く。さっき弾いていて和音がどこか濁っているのは感じていたが、どうやら長い間放置され続け、ピアノ本体が経年劣化してしまったらしい。
「なんか弾いてみてや」
嬉々とした声色でシャオロンがそう口にする。その表情は分かりやすく期待に満ちており、琥珀の瞳は星が散りばめられたかのようにきらきらと輝いていた。
「音程ズレるで」
「それでもええから!」
食い下がるシャオロンに、返答に窮した様子のロボロがピアノに視線を落とす。たしかに調律は狂っているが、そこまで酷いものではない。経験者であれば違和感に気づく程度なので、シャオロンに聞かせるぶんには問題ないだろう。期待の眼差しに押し負けたロボロは、小さく息を吐いた。
「……一曲だけやぞ」
古びた椅子に腰を下ろすと、ぎしりと軋む音がする。音を確かめるように単音を鳴らしながら、ロボロは背後に立つ彼に問いかけた。
「リクエストとかある?」
「えっ?……じゃあ、ロボロの一番得意なやつで」
どこか戸惑った様子でシャオロンが答える。ロボロはペダルを足で何度か踏み込むと、両手をゆっくりと鍵盤の上へ乗せた。ひんやりとした白鍵に、自身の指先が触れる。
――ロボロの一番得意な曲。
そう言われて、真っ先に思い浮かんだ曲があった。一番得意で、一番苦手な曲。人生で最も弾いてきた曲だが、この曲ほど自分に向いていない曲はないだろう。正直なところ、ロボロはそれを弾くのがあまり好きではない。
しかし不思議と、このときばかりは「弾いてもいいか」と思えた。久しく鍵盤に触れていなかったせいか、それとも、あの琥珀の瞳がやけに輝いていたからか。
――ロボロが、息を吸い込んだ。
指を落とすと、ピアニカとは違う重い鍵盤が下まで沈み、澄んだ音を響かせる。返ってくる音は記憶のそれとは微妙にズレていた。
やっぱり狂っとるな。内心でそう呟きながらも、手は止まらなかった。次の音を考えるより先に指が勝手に動いて、噛み合わないはずの和音がどこか引っかかりながらも続いていく。
気持ちのいい響きではない。けれど、不思議と弾きにくさは感じなかった。
むしろ――少しだけ、力が抜ける。
最後の音を押さえたまま、指を離さない。わずかに遅れて響きがほどけていく。ペダルを戻すと、それも静かに途切れた。余韻を残してその場が静寂に包まれる。
――その瞬間、ロボロは静かに熱が満ちていくような昂揚感を覚えた。自身の指先を見つめながら、心臓が激しく動悸を打つのが分かる。
(…………弾けて、しまった)
背後に立つシャオロンの反応が気になり、ゆっくりと振り向く。そこには呆気にとられたような表情のシャオロンが立ち尽くしていた。その琥珀の瞳は、零れ落ちそうなほど大きく見開かれている。
「シャ、」
ロボロが口を開きかけた、そのときだった。
シャオロンが物凄い勢いで詰め寄ってくる。すかさず両手を掴まれると、ぎゅっと強く握り込まれた。鼻が触れそうなほどの至近距離で、明るい琥珀がきらりと光る。
「お前、ピアノ弾けんの!?」
「えっ?まぁ……」
その高い熱量にたじろぎながらロボロが戸惑い混じりに肯定すると、興奮の冷めやらぬ様子でシャオロンは早口に畳みかける。
「かえるの歌とかそのレベルやと思っとったのに、めっちゃ上手いやん!」
その言葉を聞いて、ピアノを弾けることを誰かに話したことがなかったのを思い出した。隠していたわけではない。ただ、言う必要も機会もなかっただけだ。リクエストを尋ねたとき、シャオロンが戸惑っていた理由にも合点がいった。握ったままの手をシャオロンがぶんぶんと振る。
「いや、上手いとかいうレベルちゃうやろ!プロやん!!すげぇな、ロボロ!!」
矢継ぎ早に飛んでくる言葉に、ロボロは返事を挟む隙もない。その素直な称賛が、少しこそばゆかった。
「今のなんて曲?」
「リストの愛の夢」
「へえ〜」
きらきらと瞳を輝かせたまま、シャオロンは上機嫌に笑みを浮かべる。ロボロがピアノの蓋を下ろすと、覗き込むようにして視界へ入り込んできた。
「なぁ、また弾いてや」
その表情はどこまでも無邪気で、琥珀の瞳には子供のような期待が滲んでいる。ロボロが小さく笑みを零した。
「……気が向いたらな」
満更でもない気分でそう言うと、シャオロンが嬉しそうにまた笑う。――その顔が、目に焼き付いた。
◆ ◆ ◆
いつも通りの日常の中、とある一室は静かに活気付いていた。中央に鎮座するグランドピアノ以外には何もないシンプルな部屋に、窓から柔らかな陽光が差し込んでいる。そんな穏やかな空間では、上品で優美な旋律が響いており、数人の聴衆がその音に耳を傾けていた。
美しい音色を奏でていたロボロが最後の一音を響かせたそのとき、背後の扉が控えめに開く。
「あ、間に合わんかった」
扉の向こう側から顔を覗かせたシャオロンは、がっかりした様子で肩を落とした。乱れた髪を整えるその額には、わずかに汗が滲んでいる。訓練終わりに走ってきたのだろう。その姿に、ロボロは小さく笑って手招きした。
「まだ時間あるから大丈夫やで。なに聴きたい?」
駆け寄ってきたシャオロンにそう言うと、琥珀の瞳が目に見えて輝き出す。
「おまかせで」
「分かった」
ロボロの指先が、鍵盤に触れる。
この大きく立派なグランドピアノは、コネシマによって新調されたものだ。あの日から、ロボロは時折シャオロンの要望に応えてピアノを弾くようになった。すると、その微かなピアノの音色に引き寄せられるようにいつの間にか他の人間も集まるようになり、皆がロボロの演奏を気に入った。そしてシャオロン達が結託し、コネシマに買わせ――いや、説得したらしい。
そうして、使われていなかった空き部屋を掃除して運び込み、ロボロ専用のグランドピアノが置かれた部屋が用意された。そこへシャオロンに意気揚々と連れて行かれたときは喜ぶべきなのか、その熱量に引くべきなのか分からず、曖昧に笑ったのを覚えている。
懐かしい記憶に浸っているうちに、気がつくと曲は終盤へ差し掛かっていた。洗練された運指で鍵盤を叩く。クライマックス部のオクターブ連打や和音の連続もロボロには容易い。
何度も転調を繰り返すこの曲がようやく冒頭と同じ変イ長調に戻り、完奏を迎えた。最後の一音まで丁寧に響かせる。その音が途切れると同時に、拍手が降り注いだ。
「愛の夢かぁ。何度聴いても、素敵な曲めう」
聴衆の一人――オスマンは、茶髪を揺らしてふんわりと微笑む。その隣で、ポケットに手を突っ込むショッピが、心なしか驚いた様子で口を開いた。
「意外な選曲ですね」
「まぁ、シャオさんがおるときにしか弾かんかな」
ロボロが何気なくそう答えると、オスマンとショッピが一瞬、動きを止める。その引きつった表情には、動揺が滲んでいた。
「え、それって、どういう……」
「ロボロ!もう一曲!」
耳元で弾んだ声がすると、はしゃいだ様子のシャオロンに肩を揺さぶられる。生き生きとする彼を宥めながら、ロボロは「はいはい」と苦笑を零した。
「……んー、どうしようかな。シャオさん、ノクターン聴いたことある?」
「ない」
「じゃあ弾こか」
「……ノクターン……」
和やかな雰囲気で会話を交わす二人を遠巻きに眺めていたエーミールが、呆然と呟く。
やがてロボロが、息をするように旋律を紡ぎ始めると、少し離れたところで身を寄せ合うショッピ、オスマン、エーミールの三人が声を潜めて話し始めた。
「絶対シャオさん気づいてないですよ」
「言うべきなん?これ」
「いやでも周りが言うのも野暮ってもんじゃ……」
背後からひそひそと聞こえる囁き声が気になり、演奏から意識が逸れる。ロボロがそっと耳を傾けると、低く抑えた声が届いた。
「……ロボロさんって、意外とロマンチストなんですね」
その言葉の意味をうまく飲み込めないまま、ロボロは心の中で小さく首を傾げつつ、再び指先を鍵盤の上で滑らせた。
◆ ◆ ◆
「ロボロリサイタル、大盛況らしいやん」
昼下がりの談話室で、煙草にカチリと火を灯しながら鬱が茶化すように話題を振った。ピアノの演奏中に大勢の聴衆が押し寄せてくることを、”ロボロリサイタル”と称しているのだろう。最近は一般兵までやってくるようになっていたが、まさかそこまで噂になっているとは思っていなかった。
「軽い趣味程度ですぐ辞めるつもりやったけど、毎日誰かしらが聴きに来るからやめるにやめられへんねんな」
ロボロが小さく笑みを零し、肩を竦める。
気が向いたときに弾こうと初めは週に二回くらいのペースだったものの、「待ってました」と言わんばかりに人がやってくるので試しに頻度を増やしてみたのだ。するとやはり嬉々として誰かしらが訪れる。そうして週三回、四回とどんどん回数が増え、気がつけば毎日、ロボロは午後三時にピアノを弾くようになっていた。
「ロボロのピアノの音聞こえたら、もう十五時かってなるわ」
「時報代わりにすんなや」
呆れ顔でロボロが言う。役職上、鬱は書類業務が多く、あの部屋に顔を出すことは滅多にない。同様の理由でグルッペンやトントンも演奏を直接聴きにくることはないが、弾いてるのがロボロだという認識はあるらしく、「こないだ弾いてた曲良かったわ」などと感想を伝えてくれることはよくあった。
最近だと、誰が一番顔を出す頻度が高いのだろう。そんなことをぼんやりと考えていたとき、ふとあることが引っかかった。
「どしたん?」
「……あぁ、いや、そういえばシャオさん最近来ぉへんなって。最初はあんなに楽しそうにしとったくせに……まぁ、アイツのことやから飽きたんやろ」
思い返せば、ロボロのピアノを初めて聴きに来たのはシャオロンだった。あの時の、まるで子供のように瞳をキラキラと輝かせながら、興奮ぎみに感想を捲し立てていた姿をロボロは鮮明に覚えている。その反応がなんとなく嬉しかったのがきっかけでまたピアノを弾き始めたのだが、シャオロンが最後に訪れたのはもう二週間ほど前だった。
シャオロンはドのつく飽き性である。最初こそ物珍しさから熱中していたものの、どうやら早々に興味を失ってしまったらしい。いつものことなのに、何故かロボロの胸は霧がかかったようなもやが残っていた。
「いやぁ、飽きたわけじゃないと思うけど」
「他に理由なんてあるん?」
どこか含みのある言い方に、ロボロは怪訝そうに眉をひそめる。すると鬱は、分かってないなぁとでも言いたげに、群青の瞳を細めた。
「シャオちゃん意外とシャイやから。熱烈に口説かれるのが恥ずかしくなっちゃったんじゃない?」
心底愉しげな声音でそう言って、鬱が唇の端をゆるりと吊り上げる。しかしロボロには、その意味が全く理解できない。ただ、やたらと愉快そうにニヤニヤと笑う様子が、少し鼻についた。
「……何を言うてんの?」
「えっ、まさかの無自覚?」
ロボロが冷ややかに返すと、鬱は眼を見開いた。その質問の意味も図りかねて問い返すように眉を寄せると、鬱が呆れたように溜息を吐く。
その意味深な態度に釈然としないものを覚えつつも、ロボロは深く考えず、そのまま部屋を後にした。
◆ ◆ ◆
しんとした部屋の中で、グランドピアノに向き合う一つの背中。ぎこちない指使いで鍵盤を鳴らし、硬い音色を奏でている。時折、鍵盤の上を指先が上滑りしてはそのリズムが乱れた。指は次の和音の形を覚えているのに、なぜか鍵盤に触れるのを躊躇ってしまう。拙劣な旋律だった。
――やはりロボロは、「愛の夢」を上手く弾けない。
久しぶりにピアノに触れたあの日から少し経ったあるとき。試しに弾いてみた愛の夢は目も当てられないほどの出来で、やはり自分にはこの曲を弾くことができないのだと落胆した。
ところが数日後、シャオロンに「あんときのやつ弾いてや!」としつこくせがまれ、半ばヤケになってピアノに向き合うとあっさり弾けた。ロボロ自身も戸惑ったが、その 理由にシャオロンの存在が関わっていることだけは確かだった。
弾けないこと自体はどうでもいい。ただ、シャオロンが聴いているときに限って弾けるのが不思議だ。
シャオロンが褒めてくれるからか。いや、その場にいた他の奴らだって褒めてくれた。反応に明確な違いはない。
――では何故、シャオロンがいるときにだけロボロは「愛の夢」を弾くことができるのか。
その答えは、手を伸ばせば届く距離にあるような気がした。しかしあと一歩、何かが足りない。ロボロがもう一度、同じフレーズをなぞった。今度は少しだけ強く。
またシャオロンが来てくれれば何か変わるかもしれないが、それは叶わない。
――ロボロの指先が白鍵に触れた、そのとき。
「……!」
きい、と背後で扉が軋んだ。
その物音に弾かれるように振り向く。しかし立っていたのは予想とは違う――意外な人物だった。
「やぁ、ロボロくん」
その男は愉しげに唇の端を吊り上げると、羽織ったスーツの裾を揺らしながらゆったりと歩み寄る。そしてロボロの前で足を止めると、くつくつと笑いを漏らした。
「そうあからさまに肩を落とされては、寂しいな」
圧倒的な威圧感の中には、貴族のような気品がある。透き通った金髪の隙間から、眼鏡の奥に覗くルビーのように深みのある赤がはっきり見えた。
「……グルッペン」
ロボロが名を呼ぶと、その男――グルッペンはいかにも、といった様子で笑みを深めた。
「一曲頼めるか?」
「あー……すまん。今日は調子悪いねん」
ピアノをそっと撫で、静かに蓋を下ろす。上手く弾ける自信がない。ロボロは「せっかく来てもらったのに悪いな」と眉尻を下げた。
「それは残念だ。しかし、お前が不調とは珍しいこともあるものだな」
蓋の上に置いたロボロの指先がぴくり、と動く。
「天才ピアニスト――ローズクォーツ家のロボロとは、まさにお前のことだろう」
そう言って、グルッペンはルビーの瞳を細めた。もう聞き飽きたその言葉に、どこか寂しそうなロボロが力なく笑い返す。
「……その家名はもう捨てた」
ゆっくり目を伏せると、頬に睫毛の影が落ちる。視線を落とした桃色の瞳には、わずかに哀愁が滲んでいた。
「――俺は、ピアニストには向いてなかった」
ロボロが静かに呟くと、グルッペンがわずかに目を見張る。卑屈でも、自嘲でもない。ただの事実だった。
「ピアノを弾く上で、一番大切なことってなんやと思う?」
そう問うと、グルッペンは「ふむ」と顎に手を添え、にんまりと唇の端を吊り上げる。
「ここはあえて正確さと技術、とでも言おうか」
その答えに、ロボロが小さく笑みを零した。おそらくグルッペンもロボロと同じような考えなのだろう。
――芸術や音楽が目指す頂点とは、何なのか。
ロボロは、考える。
「機械じゃないんやから、間違ったってええねん」
譜面通りの正しさを求めるのなら、それこそ機械に弾かせればいい。そこに正確さ以外のものが宿るとしたら、それはきっと、生きている人間だからこそ持てるものだ。
「技巧的な演奏と、人を惹きつける演奏はイコールじゃない。価値があるのは、奏者が込める想いや」
心に響く演奏というものは、上手い下手だけでは語れない。表現力というのだろうか。曲の解釈はピアニストにそれぞれ個性があり、だからこそ同じ曲を弾いても奏者によって全く異なる印象になる。
――ピアノ演奏とは、”自己表現”そのものだ。
譜面にないものにこそ、最も価値がある。聞き手の魂を揺さぶるのは、そこだ。
だから、ピアニストとしてロボロは欠陥品だった。ピアノを弾く上で最も大切な――”感情を込める”という行為ができないからである。
著名な音楽一家に生まれたロボロは幼い頃から環境に恵まれ、音楽の英才教育を受けて育った。耳が良く、観察力にも優れていたロボロは、一度聴いた曲をそのまま再現できる。その才能を見抜いた両親は大きく開花させようと心血を注ぎ、その結果、ロボロは若くしてクラシック業界に頭角を現す。
頭を撫でられるたびに、自分は愛されているのだとロボロは思っていた。だが、成長するにつれ気づく。両親の目に映っているのは、自分ではなく”才能”だけだと。金色に輝くトロフィーを手にするたび猫撫で声で褒められ、どこか薄気味悪さが胸に残った。
それでも、ピアノを弾く以外の生き方をロボロは知らない。朝から晩までピアノの稽古に明け暮れ、同年代の友達と遊ぶことも許されず、その全てをピアノを弾くためだけに使う。
そうして両親の承認欲求を満たす存在として人形のような扱いを受け入れ続けた結果、ロボロは感情というものが欠如していた。周囲が口にする喜び、悲しみ、怒りなどにはことごとく共感できなかったし、そもそも合理的な判断の妨げになる感情というものも不要だと思っていた。
だがあるとき、ふと疑問がよぎる。
――自分は、このまま一生を終えるのか。
手の中のトロフィーが酷く空虚なものに見えたとき、ロボロは差し出されたグルッペンの手を取った。家族を捨て、音楽の道を自ら閉ざしたことは何の後悔もしていない。
「お前のコンサートに、一度足を運んだことがある」
低い声が鼓膜を揺らして、ロボロはわずかに視線を上げた。
「愛の夢 第三番を弾いていたな――そのとき、思ったよ。なんてつまらない演奏だろうと」
ルビーの瞳が三日月のように歪み、唇がゆるく弧を描く。貶されても、ロボロは眉ひとつ動かさない。その桃色の瞳は、ただ静かに凪いでいた。
「ふはっ。俺も、そう思っとったよ。愛なんて感じたこともないのに馬鹿らしいってな」
ロボロはもう、ピアノを弾くつもりはなかった。幼い自分にとってピアノとは、両親と自分を繋げてくれる唯一の手段だったのだと思う。だから軍に入った日、もう必要ないとピアノと己を切り離した。
ピアノは、ある種のトラウマに近かった。とりわけ得意曲だった愛の夢を弾けば、底に沈んでいた記憶が引き上げられる。
それでも、どうやらロボロはピアノを弾くこと自体は嫌いではなかったらしい。月日が経つ中でトラウマは風化し、記憶が少しずつ輪郭を失っていく。そして今、ロボロは再び鍵盤に触れていた。
「……だが、この前弾いていたのは良かったゾ」
「え?」
グルッペンのその言葉に、ロボロが桃色の瞳をわずかに見開く。見定めるような表情を浮かべる彼は、重みがある所作で腕を組んだ。
「成長過程、というべきか。実に興味深い変化だ」
愉悦混じりの美しいルビーがこちらを見下ろすと、その薄い唇が緩む。そして、尊大な口調でこう言った。
「お前の”愛の夢”が聴けるその日を、――心待ちにしているよ」
◆ ◆ ◆
ピアノが弾きたい――唐突にそう思ったロボロは、いつもの部屋へ向かって廊下を歩いていた。
部屋に辿り着く手前、扉の向こうから拙いピアノの音色が漏れ聞こえているのに気づき、足を止める。そして途切れ途切れのその音をはっきりと認識した瞬間、確信めいた推測が脳を過ぎった。
高鳴る心臓の響きに追いかけられるように足を速め、勢いよく扉を開くと――予想通りの人物が、そこにいた。
琥珀の瞳を丸く見開いたシャオロンが、ピアノから手を離してこちらへ振り向く。その顔には「しまった」と書いているようだった。
「シャオさん」
ロボロが声を掛けると、気まずげに目を逸らされる。ぎこちない沈黙がしばらく続いて、居心地悪そうにシャオロンは口を開いた。
「……ピアノ使うんやろ?俺もう行くな」
道を開けるようにピアノから距離を取ったシャオロンが、早足でロボロの横を通り過ぎようとする。
「待って」
――その瞬間、ロボロは反射的にシャオロンの手のひらを掴んだ。
どうして引き止めたのか、自分でもよく分からない。ただ、そそくさと逃げるように部屋から出ようとするその姿が何故か気に入らなかった。
驚いたような表情を浮かべるシャオロンを見つめながら、ロボロが口を開く。
「ピアノ、聴いていかん?」
「えっ!?……いや、仕事あるし……」
「手伝ったるから」
目線を彷徨わせるシャオロンを、逃がさないようじっと見つめる。シャオロンは数秒の逡巡を巡らせると、躊躇いがちに「じゃあ聴いてく」と頷いた。その答えに安堵しながら、ロボロはシャオロンの手を引いてピアノへと歩み寄る。そして、椅子に深く腰掛けた。
(……なに弾こ)
鍵盤の上へ置いた指を止め、思案する。さっきシャオロンが音階を探っていたのは、おそらく愛の夢だ。あの日、シャオロンにせがまれてロボロが弾いた曲。シャオロンが気に入っているのなら、それを弾きたい。やはり不思議なことに弾ける、という確信が湧いてくる。
隣でシャオロンが息を呑む気配を感じながら、ロボロは指先を柔らかく動かした。そして澄んだ音が響いた瞬間、シャオロンの肩がわずかに揺れる。
「……っ」
――そのとき、不意にシャオロンが駆け出した。
「ちょっ、おい!?」
ロボロが慌てて腕を掴むと、シャオロンはその場で足を止める。だが、根を張ったように動かないまま、無言を貫いていた。頑なにこちらへ振り向こうとしない背中に声をかける。
「なんで逃げんねん」
「に、逃げてへん。急用を思い出して……」
「はぁ?」
あからさまな嘘にロボロが眉を寄せた。最近シャオロンに避けられているような気がしていたが、どうやら勘違いではないらしい。
シャオロンの表情を覗き込もうとするが、逃げるように顔を背けられる。すると、その耳がほのかに熱を帯びているのに気がついた。
「……シャオさん、顔見せて」
「無理」
痺れを切らしたロボロが強引に引き寄せようとすると、シャオロンは腕を振り払い、脱兎のごとく走り出す。すぐに追いついてその腕を掴み、逃げ場を塞ぐように壁際へ追いやった。両腕を壁について閉じ込める。
縮こまったシャオロンを、ロボロは静かに見上げた。
「真っ赤やん。熱あるんちゃう?」
「ち、近い!近いって!」
その顔は首の付け根まで朱を注いだように真っ赤だった。確かめるように額を寄せると、「大丈夫やから!」と悲鳴混じりの声で肩を押し返される。
「ほんまに?」
「う、うん」
「……なら、俺の演奏聴いてや」
ロボロが拗ねたようにそう言うと、目の前のシャオロンが息を呑むのが分かった。揺れる琥珀の瞳を、マゼンダがじっと見上げる。
「シャオロンに聴いてほしいねん」
その瞬間、琥珀の瞳が大きく見開かれた。
シャオロンは顔を真っ赤にしたまま、口をぱくぱくと開閉させる。やがて言葉を飲み込むように、俯き加減に視線を逸らした。
「……そ、そんなこと言われたら、期待してまうからやめてや……」
消え入るような声だった。髪の毛の隙間から覗く耳はまだ赤い。そこでようやく、シャオロンが照れていることにロボロは気づいた。
「期待?なんの?」
どんな表情を浮かべているのか気になって、ロボロがシャオロンの顎を持ち上げる。
「だからっ、そういうのをやめろって……!」
さらに距離を詰めようとすると、その顔が一層赤く染まった。そしてシャオロンは一瞬言い淀み、堪えきれなくなったように声を張り上げる。
「お、お前っ、ほんまに俺のこと好きなん!?!?」
予想外の言葉に、ロボロは思わず首を傾げた。その”好き”の意味が、友人としてではないことはシャオロンの真っ赤な顔を見れば明らかだった。
「え、違うけど。なんで?」
きょとんと見上げるロボロを見て、シャオロンが言葉を失う。その滅多に見ない傷ついたような表情に、胸の奥がわずかに痛んだ。
「……ショッピくんに聞かれてん。ロボロが弾いてた愛の夢とかノクターンが、どういう曲か知ってますかって……」
たどたどしく続ける声は、どこか揺れている。
「そしたらエミさんが、全部……愛を想う曲やって教えてくれて……俺以外には弾かんとか言うし……」
音楽に、感情が宿ることは珍しくない。
幸福、悲哀、希望、苦悩。クラシックの曲の全てに作曲家の想いが込められている。
音楽は聞き手によって無限の解釈があるのが魅力だが、リストの「愛の夢 第三番」やショパンの「ノクターン」などは愛を表現する曲として広く知られていた。
選曲に特別な意味はない。ただ、その「愛の夢」は誰かを口説くときによく使われると聞く。歌曲を元にリストが独奏用に編曲したもので、ついている副題は「おお、愛しうる限り愛せ」だ。
そして、そんな情熱的な曲をただ一人がいるとき以外は弾かないと宣言する。
(……なるほど)
――どうやら知らぬ間に、自分はシャオロンに対して告白まがいのことをしていたらしい。
「……勘違いやったんか」
弱々しく笑うシャオロンを見た瞬間、ロボロの心臓が大きく跳ねた。そっと胸に手を当てて問う。
――本当に?
その選曲に、特別な意味は本当にないのか?
これまでシャオロンに弾いてきた曲が脳裏を過ぎる。
「愛の夢 第三番」、「ノクターン」、「献呈」、「愛の挨拶」、「ピアノ協奏曲第二番第二楽章」。
そのどれもが、可笑しいほどに愛を表現していた。
――そして改めて、シャオロンがいるときにだけ「愛の夢」が弾ける理由を考える。
自分のピアノを好きだと言ってくれるのが嬉しいと思う。
きらきらと輝く琥珀を、ずっと見ていたいと思う。
笑顔が、何よりも眩しいと思う。
照れている顔が、可愛いと思う。
この感情が何か分からないほど、さすがにロボロは鈍くない。自覚してしまえば、全てがすとんと腑に落ちた。
「……俺、お前のこと好きみたいやわ」
「はぁッ!?!?」
ロボロがそう言うと、シャオロンが叫び声を上げた。その頬がみるみる紅潮していくのを見て、じわりと満足感が胸の奥に広がる。
――シャオロンがいるときにだけ、愛の夢を弾ける理由がようやく分かった。
好きな子の前で格好つけたいという気持ちもそれなりにあったのだろうが、なによりシャオロンが傍にいることで自然に感情を込めることができたからだ。
「お前っ!さっき違うって言うてたやん!」
「あー、あれ嘘」
ロボロが目の前の首元に顔を埋めると、シャオロンはくすぐったそうに身を捩った。肩にかかる栗色の髪が、ロボロの頬にも触れる。そのままシャオロンの首筋に軽く口付け、吸い付くようにリップ音を鳴らすと、シャオロンが大袈裟に肩を揺らした。
「跡、つくから……」
「こんなんじゃついてくれへんよ」
そう言って、ロボロはまたシャオロンの肌へ唇を寄せる。吐息がかかっただけでぴくり、と彼の身体が反応するのが愉快だ。調子に乗って甘えるように舌で舐めると、羞恥心の限界を迎えたらしいシャオロンがロボロの肩を引き剥がす。潤んだ琥珀が、睨み付けるようにロボロを見た。
「犬かお前はッ……!!」
その様子に気分を良くしたロボロは、左右の頬や鼻先へと片っ端からキスの雨を振らせる。大げさに手足をばたつかせるシャオロンを、じっと覗き込んだ。
「で?返事は?」
そう言いながら、今までのシャオロンの態度と触っても嫌がらないところから答えなんて分かり切っている。
「はいかイエスで答えてな」
ロボロが自信たっぷりにそう告げた。シャオロンがぽかんと口を開いて、目を丸くする。
「お前、そんなに情熱的な奴やったっけ……!?」
相変わらず真っ赤な顔のシャオロンが戸惑ったように言うと、ロボロはにんまりと唇の端を吊り上げた。
機械人形だったロボロを人間にしてくれたのはシャオロンだ。母と同じく利用価値の有無でしか人を測れない自分が誰かを愛するなんて無理だと思っていたのに、今は目の前の彼が愛おしくてしょうがない。
――冷めきった心に”愛”を教え、ロボロを変えた責任を取ってもらおうか。
細まったマゼンダの瞳には、慈しむようにどこまでも深い愛情が込められていた。
コメント
6件
ガーーーーーー😭😭😭😭😭🩷🩷🩷メロすぎ案件です🌟🌟💘この文章力‼️‼️‼️国語5ですよね👶🏻👶🏻👶🏻🩷🩷まぐれさんの作品大好きなので次も楽しみにしてます🎶🌟
今回も甘々でかわいいマブダチありがとうございます...! 初心なshaと鈍感なrbめっかわです。次回も楽しみ!
シャオロンのおかげ、!?最高じゃないですか!!!!!!これからも投稿楽しみに待ってます☺️