テラーノベル
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ねこむすび
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火曜の放課後、ザ・モール青雲長町の2階にあるムラサキスポーツは、客の入りがまばらだった。
通路を挟んだ吹き抜けから、下の階のざわめきと館内のBGMが薄く上がってくる。スケートコーナーの壁にはデッキが縦に並び、その下にトラックとウィールの棚が続いている。アパレル側では学校帰りらしい二人組がラックからTシャツを抜き、胸元へ当てながら鏡を覗いていた。
大輝はレジ脇に置かれた入荷箱を開け、透明な袋に入ったTシャツをサイズごとに分けていた。
黒のXLを1枚抜き、タグの品番と納品書を見比べてワゴンへ重ねる。
次の袋へ手を伸ばしたところで、モールの通路側から二人が入ってきた。
「いらっしゃいませー」
反射で声を出してから、大輝は顔を上げた。
菅原啓司《すがわら・けいじ》と大友琴葉《おおとも・ことは》だった。
菅原は黒の半袖ニットポロに、チャコールのワイドストレートパンツ。足元には、つま先のパンチングとクラシックなストライプが覗く、白ベースのASICS JAPAN Sを履いている。黒に近い髪と切れ長の目、180を少し超える細身の身体。
隣の琴葉は、サックスブルーのゆったりした半袖シャツの下に黒のリブトップス。濃紺のワイドデニムの裾から、起毛したスエードに白いフォームストリップが走るPUMA Suedeが覗き、肩には小さめのショルダーバッグを掛けている。
二人とも大輝に気づくと、そのままレジ脇まで歩いてきた。
「あ、いた!」
「いるよ。バイトしてるんだから」
大輝は手にしていたTシャツをワゴンへ置いた。
「7月4日と5日、赤城来るぞ」
菅原がいきなり口にした。
「そうなんだ。5日は予定あるから無理かな」
大輝が返すと、菅原と琴葉が揃って首を傾げた。
大輝は二人の顔を見比べる。
「お主知らぬのか?」
「何が?」
赤城という名前自体、いま菅原から初めて聞いた。
琴葉が眉を寄せた。
「アンタ今ネットで赤城さんディスってるって話題になっているよ」
「は?」
大輝は顔をしかめた。
「そもそも俺、人の車ディスった事ないし何がどうなってんの?」
大輝が尋ねると、菅原はパンツのポケットからスマートフォンを取り出した。
画面を何度か操作し、大輝へ差し出してくる。
大輝はカウンター越しに身体を寄せた。
SNSの投稿だった。
引用とリポストがいくつも重なっている。本文に書かれた車種と色が先に目へ入った。
ライトニングブルーのランサーエボリューションX。
羽を外している、とまで書かれていた。
大輝は菅原からスマートフォンを借り、親指で少し上へ戻した。
黒森で見かけたそのエボXのドライバーが、赤城という人物を馬鹿にしていた。
文章の趣旨はそんなところだった。
大輝はもう一度、上から読み直す。赤城という名前にも、エボIXにも、インフルエンサーという肩書きにも、覚えがなかった。
「てか赤城って誰?」
大輝が画面を菅原へ少し向ける。
「峠MAXXの優勝者。車のインフルエンサー」
琴葉が答えると、菅原が指先で別の投稿を開いた。
少し離れたアパレル側から咳払いが聞こえた。
美帆が畳んだTシャツを棚へ戻しながら、こちらを見ている。
琴葉が美帆へ顔を向けた。
「あ、美帆さん。うちの大輝、なんか赤いエボIXの悪口とか言ってません?」
「エボIX?」
美帆が首を傾げながら、レジ前まで歩み寄ってくる。
「そんな靴あったっけ」
大輝は口元を緩めた。
菅原が横から答える。
「赤き鉄の戦闘機なり」
「余計分かりにくい。車と言え」
大輝はすぐに突っ込んだ。
美帆はさらに分からないという顔で菅原を見た。
菅原がさっきの写真を出し、大輝は画面を美帆へ向けた。
赤いレーシングスーツ姿の赤城と、その後ろのエボIXが写っている。
美帆は画面へ顔を寄せた。
「あ、やってんな」
大輝は美帆を見る。
美帆の指先は写真の胸元を示していた。
「形が自然じゃないよ。寄せてるにしてはなんか不自然」
美帆が大輝へ目を向けた。
「てか大輝、こういう系タイプなの?」
「いやいやいや」
琴葉が横から画面を覗き、それから美帆を見る。
「なんか大輝が彼女の悪口を言ったってネットで広まってるんですけど、心当たりありません?」
「あんまり、車の話してるの聞いた事ないんだよね」
美帆はそう口にして、大輝へ視線を向けた。
「なんか心当たりある?」
「今初めて知った相手ディスれる訳ないっすよ。美帆さんじゃあるまいし」
大輝は手の中の画面へ目を戻した。
菅原が開いていた投稿には、同じ話を拾った別のアカウントがいくつもぶら下がっている。車の話には触れず、赤城を庇って煽り返すだけのアカウントが並び、黒森という名前だけ拾って拡散している投稿も混ざっていた。自分の名前こそ書かれていないが、黒森へ来ている人間なら車だけで見当をつけても不思議ではなかった。
菅原が首を捻る。
「これはまるで羅生門のごとき事かな」
大輝は菅原へ顔を上げた。
「お前絶対『藪の中』と一緒くたにしてるだろ」
琴葉が吹き出した。
美帆も肩を揺らす。
菅原は納得していないような顔のまま、大輝の手からそれを受け取った。
その画面を美帆が横から覗き込む。
「ちょっと見せて」
菅原が手渡す。
美帆は画面をスクロールし、引用された投稿からリンク先を開いた。
掲示板らしいページへ切り替わる。
赤城のエボIXと、ライトニングブルーのエボXについて書かれた投稿が並んでいた。途中からは赤城本人の話より、エボIXとエボXのどちらがどうだという書き込みの方が増えている。
美帆の指が止まった。
「そんなにエボIXとエボXって比較されるの? 同じ車なんだし仲良くすればいいじゃん」
琴葉が美帆の隣から画面を覗く。
「エボIXには4G63っていうエンジンが入ってて、ファンから神格化されてるんです。ネットでもたびたび論争になってて」
「あぁ、スニーカーで例えるとAirMax90と95の違いみたいな感じ?」
琴葉は一度首を傾げてから頷いた。
「ざっくり言うとそんな感じですかね」
美帆は親指で上へ送った。
書き込みが次々と流れていく。
エボIXの4G63を持ち上げる文章。その下にはエボXの4B11をこき下ろす書き込みが続き、さらにその返信へ別のユーザーが噛みついている。
「それはそれ。これはこれで良くない? なんでこんなギスギスしてんの?」
琴葉は画面から美帆へ目を移した。
「そう言われると腑に落ちるっていうか、なんかこの車界隈ってお互いマウント取り合ってギスギスしているのが当たり前って感じなんですよね。なんかバトルするのが当たり前なノリはあるんですよ。特に大輝と啓司なんて、エボXとインプって明確なライバル関係の車乗ってるんで」
美帆が大輝と菅原を交互に見る。
大輝はカウンターへ片手をついた。
「スニーカーで言うと、俺はadidasとかナイキで、啓司はPUMAとかオニツカタイガー。別に俺らそこまで仲悪い訳じゃないんすけど、常に比べられるっていうか」
「あー」
美帆は画面へ目を戻した。
掲示板では、さっきまで赤城について話していたはずの書き込みが、いつの間にか歴代ランエボの話へ逸れている。
「服でもいるじゃん。シュプとか限定スニーカー履いてるだけで自分が偉くなったと勘違いして、普通のスニーカー履いてる奴をSNSで小馬鹿にするタイプ」
琴葉が大輝へ顔を向けた。
「陽斗くんて割とレアなスニーカー持ってない?」
「あいつはこの店のライダーだから、ぶっちゃけ普段から履いてもらわないと困るんよ」
美帆が画面から顔を上げる。
「あいつ、ブレザーしか使わないって決めてるから今他のライダーに限定ダンク回しちゃうけど」
菅原が顎を引いて頷いた。
「左様。彼の貫く美学こそまた美しきものなり」
大輝は入荷箱へ手を戻した。
「なんか明朝体なんだよなあ」
美帆は何件か読み進めてから、画面を少し遠ざけた。
「当人同士の些細なビーフを周りがガヤガヤやってどうにもならないのね。血を見るまで止まらないよ」
「え、俺、血を見るの確定になってません?」
大輝が美帆へ訊く。
美帆はスマートフォンを菅原へ返しながら、大輝から目を逸らした。
「……まあ」
「人柱の先にこそ、後に続く者の道は拓けん」
菅原が神妙な顔で頷く。
「お前、カッコつけてるけど犠牲になれって言ってね?」
コメント
1件
読了しました〜🥀 大輝くん、いきなりネットの風評被害に巻き込まれて大変だけど、周りの人の車談義がめちゃくちゃ面白いです。スニーカーに例えて説明してくれるおかげで、車知らない私でも「あーなるほど」ってなれたのが嬉しかったです。美帆さんの「血を見るまで止まらない」からの菅原くんの人柱発言、最高でした。犠牲になるの確定っぽいのに笑っちゃいました😂 次どうなるのか気になります〜