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「まさか、こんなに早く出てくるとは思わなかった」
突然の呼び出しなのに来てくれた月見里さんは、落ち着いているが少々驚いていた。
「ですよね。鍵の受け渡しは来週ですもんね。それまでにきちんと整理するために相手に別れを告げたのですが、少々ゴタゴタがありまして」
「あちらが別れを渋ったの?」
「うーん、そんな感じではないですね。出ていけって言われちゃって」
「家賃の半分は君が出してるんだろ?」
「ええ、でも、話が通じなくて……」
まるで宇宙人と会話しているような感覚だった。
月見里さんは手を伸ばして、私の髪をさらっと撫でるように触った。
どきりとして肩が震えた。
「ああ、ごめん。頬が腫れてるから。殴られたのか?」
「まあ、ちょっと……軽くばちんって」
避けたから軽くすんだけど、ズレたせいで頬より耳のほうが痛い。
彼があまりにも私の頬と耳を撫でるから、私は少し身を引いた。
「ごめん、痛かった?」
「いえ、大丈夫です」
あんまり認めたくないけど、意識してみるとこの人本当にかっこいいんだよなあ。
足なっがいし、ドイツ人みたいにスタイルいいし(180~190センチ)
「ああ、そうだ。飴ちゃんあげよう」
彼はポケットから棒付きキャンディーを取り出して私にくれた。
なんですかそれ。泣いてる子どもをなだめるみたいな。
「あ、ありがとうございます」
複雑だけどなんだか嬉しい。
「とりあえず鍵は渡すけど、寝る場所だよな」
「大丈夫です。これから布団屋に行ってきますから」
「もう閉まってるよ」
月見里さんは21時が表示されたスマホ画面をわざわざ見せて言った。
「じゃあ、ホテルに泊まります」
「どうして俺を呼んだの?」
「え……あ、ごめんなさい」
そうだよね。別に呼びつける必要なかったよね。
恥ずかしい。もう自分の愚かさに泣きたい。
目を合わせることもできずにうつむいていたら、彼が私の頭を撫でた。
「謝るところじゃないよ。俺が必要だから呼んだんだろ?」
「えっ……」
「ごはんまだ?」
「……はい」
「じゃあ、行こう。肉でも食って元気になろう」
彼は私のスーツケースを奪ってさっさと歩き出した。
慌てて彼のあとを追う。
「あの、それ私の荷物なので」
「飴ちゃんでも食べていればいいよ」
「はい?」
彼は真顔でさっさと歩いていく(歩幅が大きいのでついて行くのが大変)
なんだかよくわかんない人だけど、励ましてくれているのだけはわかる。
嬉しくて頬が緩んだ。
しかし、彼はぴたりと止まって振り返るとぼそりと言った。
「あ、そっか。君、足が短いんだね」
真面目な顔してそんなこと言われてせっかくの感謝の気持ちが崩壊した。
「余計なひとことですよ!」
肉を食べに行くと聞いていたから、てっきり焼肉屋だと思っていたのに、連れてこられた場所は高級感の漂うレストランだった。
彼はスーツだからいいけど、私は普段着なのに!!!
「こ、こんな店に来るなんて聞いてません」
「そう? 肉を食うって言ったよね?」
月見里さんは私の横に座って真顔で淡々と言った。
そして目の前には広い鉄板と、肉を焼いている料理人。
そうか。月見里さんの肉を食べるというのは自分で焼くのではなく焼いてもらう店だったのね。
わかった。きっと私とは価値観の合わない人だ。
そもそもあの高そうなマンションを親戚が所有していること自体、もう次元の違う人だってわかっていたはず。
いや、そもそもエリート組だと知ったときからわかっていた。
今さらながら、こうしてとなりに座っているだけで恐れ多い。
「アワビも食べるよね?」
「えっ……」
「もしかして嫌い?」
「まさか」
「じゃあ、このコースでいいか」
彼が店員にオーダーすると肉の焼き加減を訊かれた。
「俺はレアでいいんだけど、君は?」
「も、もう少し焼いてください」
「じゃあミディアムで」
彼は流れるようにオーダーを済ませた。
私は自分の置かれた状況がいまいち理解できない。
そしてまずいことに私はコースの値段を見ていない。
さすがにアワビ+ステーキのコースだから最低1万はするだろう。
あと、店の場所があまりにも都会すぎる。場所代考えたら2万、いや3万するかも……。
ちょっとお財布事情が厳しい。
今後のことを考えたらあんまり贅沢できないから。
私がガチガチに固まっていると月見里さんが声をかけてきた。
「何か心配事? ここ常連だから味は保証するよ」
「い、いえ……そういうことじゃなくて、結構その……お値段が」
「気にしなくていいよ」
「気にしますよ」
「どうして? 君が払うわけでもないのに」
「え? それ、余計に気になりますよ。だって私、こんなことしてもらう義理なんてないですし」
月見里さんは少し目をそらして考えて、それから私に笑顔を向けた。
「今晩の食事に付き合ってくれたお礼」
「え? ちょっと意味がよく……」
わからない。
どう考えても私が助けてもらったと思うんだけど。
「俺、結構稼いでるから気にしなくていいよ」
「そ、それは……」
どう捉えたらいいんだ。
あなたが稼いでいることくらいわかりますよ。
でも、なんかそうじゃないんだけど。
ふと思う。
優斗とは別の意味で話が通じない人かもしれない。
いや、もしかしたらわざとなのかな?
私がとなりで彼の横顔をじっと見つめていたら、彼はドリンクメニューを片手に声をかけてきた。
「赤ワインにする?」
「なんでもいいです」
「じゃあ、それで」
彼氏と別れた日の夜に、なぜか会社の人とワインを飲んで肉を食べました。
*
ほんのり酔った状態で店を出ると風が涼しくて気持ちよかった。
「ごちそうさまでした」
「元気が出てよかった」
「はい。お気遣いありがとうございます」
私が目を腫らしていたから食事に誘ってくれたんだよね。
ありがたい、けれどこれからどうしよう。
とりあえずスマホでビジネスホテルを検索しようとしたら、何件もの着信通知とメッセージの通知にどきりとした。
すべて優斗からだ。
開くのが怖いけど、勇気を出して見てみることにした。
【お前が出ていったんだからな】
【責任もって慰謝料払えよ】
【会社には紗那が原因で別れたと言っておく】
【このわがまま女!】
【お前みたいな女はこっちから願い下げだ】
鼓動が速まって冷や汗が出てきた。
私が硬直していると、月見里さんが声をかけてきた。
「どうしたの?」
「あ、あの……」
「彼氏?」
「ええ、まあ」
「見せて」
彼は私からスマホを取り上げると真顔でメッセージを見つめた。
そして、ふたたび私にスマホを返す。
「通知をオフにして。ブロックはしないで。返事もしないこと」
「あ、はい」
「中身は見なくていいから、そのまま向こうから好きなだけ送らせればいいよ」
「えっ……?」
「証拠はあればあるほど有利になるからね」
あまりに冷静にそんな対応を指示できる月見里さんにびっくりしてしまった。
「あの、どうしてそんなに冷静に対処できるんですか?」
「ああ。似たような状況で別れた子を知ってるから」
「そうなんですか」
「愚かだね。逃したくないなら大事にすればいいのに」
月見里さんのその言葉に、少々違和感を覚えた。
「あのー、私の彼氏は他に女がいるので私と別れてもどうってことないと思いますよ。きっと、私に腹が立って八つ当たりしているんですよ」
苦笑しながらそう言うと、彼は冷静に返した。
「本当に別れたいなら未練がましく連絡してこないよ」
未練がある? 優斗が? 私に?
いやいや、便利な家政婦がいなくなったから困っているというところだろう。
これからは乃愛ちゃんにお願いすればいい話だ。
「出ていけって言ったのあっちなのに」
「君は?」
「え……」
「彼に未練はある?」
訊かれて少し戸惑った。
未練ってどこまでがそうなんだろう。
楽しいときもあったからそれを思い出すと胸が痛くなる。
だけど私と同時に他の女を抱いた男なんて生理的に無理だし、あの母親も無理。
「未練はありません」
そう答えると、月見里さんはにっこり笑った。
「そう、よかった。その気持ち、ぶれないようにね」
このときの彼の言葉をすんなり受け入れたけど、正直私ひとりだったらどうなっていただろうと思う。