テラーノベル
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インターホンが短く鳴る。
次に聞こえたのは、遠慮のない足音と、見慣れた声だった。
「よー、様子見に来たぞ」
らんが寝室のドアを軽くノックしてから顔を覗かせる。
ベッドに横になったままのすちを見て、にやりと口角を上げた。
「お前が体調崩すとか、珍しすぎだろ。槍でも降るんじゃね?」
からかうような口調に、すちは苦笑いを浮かべる。
「わざわざ来てくれてありがとう。ほんとは一人でも大丈夫なんだけどね」
少し申し訳なさそうに言うと、らんはベッドの脇に腰を下ろし、ぽんぽん、とすちの頭を軽く撫でた。
「そうやってすぐ一人で解決しようとするんだよなぁ、お前は」
指先は兄らしく、雑だけどあたたかい。
「たまにはちゃんと甘えて、みことに怒られとけ」
冗談混じりに笑われた時、すちの脳裏に、さっきのみことの顔と言葉が鮮明によみがえった。
――『休んでくれないすちは……き、嫌い!』
胸の奥がきゅっと縮む。
「……嫌われたかな」
ぽつりとこぼれた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。
らんは一瞬きょとんとしたあと、すぐに肩をすくめる。
「は?みことが本気で嫌うわけねーだろ。あいつが怒るとか、むしろレアじゃん」
くすっと笑いながら続ける。
「今のお前、熱でメンタルまでやられてるだけ」
そう言って、布団を軽く整えながら、すちを見下ろした。
「ほら、余計なこと考えずにちゃんと寝ろ」
「……うん」
返事はしたものの、すちの表情はまだどこか晴れない。
「みことの大事な試験期間なのにさ……こんなタイミングで熱出して、ほんと申し訳ないよ」
自分を責めるような声色に、らんは少しだけ真剣な目になる。
「それは仕方ないだろ。体調は誰だって崩す時があんだからよ」
ぽん、ともう一度すちの頭に手を置く。
「みことだって、お前が無理して悪化する方がずっと嫌に決まってる。ちゃんと治して、元気な顔見せてやれ」
その言葉に、すちは小さく息を吐いた。
「……そうだね」
目を閉じると、みことが出ていく前にくれた小さなキスと、心配そうな笑顔が浮かぶ。
胸の奥に残っていた不安が、少しだけやわらいでいくのを感じながら、すちは静かにまぶたを閉じた。
まぶたの裏に、やわらかな光を感じて、すちはゆっくりと目を開けた。
陽射しはすでに高く、部屋の空気も朝より少しあたたかい。
「……昼か」
喉が少し乾いて、小さく呟いたその声に気づいて、ベッド脇の椅子に座っていたらんが顔を上げる。
「お、起きたか。よく寝てたな」
穏やかに微笑みながら、らんはトレイを持ち上げた。
湯気の立つ小さな器から、やさしい出汁の匂いがふわっと広がる。
「卵粥つくった。胃に優しいだろ」
「……ありがとう、らん」
すちはゆっくり上体を起こし、受け取ろうとして、ふと違和感に首を傾げる。
「……あれ、みことは?」
無意識に名前が口から出てしまって、自分でも少し驚く。
らんはくすっと笑った。
「もうちょっとで家に着くってさ。テスト終わったから即帰ってくるって、さっき連絡きた」
その言葉に、すちの胸がほっと緩む。
「そっか……よかった」
スプーンですくった卵粥をひと口含むと、あたたかさが喉から体の奥へ染みていく。
熱でぼんやりしていた頭が、少しずつ現実に戻ってくる感覚。
しばらく静かな時間が流れたあと、らんがふっと視線を窓の方へ向けた。
「……なぁ」
「ん?」
「俺もなつもだけどさ。すちも、変わったよな」
唐突な言葉に、すちはきょとんと首を傾げる。
「変わった……?」
らんは少し考えるように視線を泳がせ、それからぽつぽつと言葉を選びながら話し始めた。
「高校の時、いるま、みこと、こさめが義兄弟になっただろ。正直さ、あの時は俺、ちょっとだけ戸惑ってた」
すちは黙って耳を傾ける。
「でも、三人と関わるうちにさ……それぞれの事情とか、抱えてる想いとか知って、気づいたら俺ら、どっぷり関わってたんだよな」
らんは自嘲気味に笑った。
「誰かにこんなふうに執着する日が来るなんて、正直思ってなかった」
一拍おいて、すちの方を見る。
「すちもさ。なつもだけど、誰かにのめり込むとか、今までなかったろ?」
その問いに、すちはスプーンを持つ手を止め、少し考える。
「……確かに、そうかも」
昔の自分を思い返す。
人付き合いは嫌いじゃない。でも、どこか一線を引いて、深入りしすぎない距離を自然と保っていた。
「誰かを一番に考えるとか、守りたいって思うとか……あんまりなかったかもしれない」
そう答えると、らんは満足そうに小さく頷いた。
「だろ。みことに出会ってからのお前、だいぶ顔つき変わったぞ」
からかうようでいて、どこかあたたかい目。
すちは少し照れたように視線を落とし、湯気の立つ卵粥を見つめた。
胸の奥に、みことの笑顔や声、ぬくもりが自然と浮かぶ。
それが当たり前のように自分の中心にあることに、今さらながら気づいて、静かに息を吐いた。
「……うん」
その小さな肯定は、熱に浮かされた弱さじゃなく、確かな実感を伴っていた。
らんはふと、思いついたように腕を組み、すちの方へ身体を向けた。
「なぁ、すち」
「ん?」
「お前さ、みことのこと、どのくらい可愛いと思ってんの?」
あまりにも唐突な質問に、すちは一瞬きょとんとしたが、次の瞬間、間髪入れずに即答した。
「は?世界一でしょ」
迷いゼロ、真顔の断言。
それを聞いたらんは、同じくらい真剣な顔で言い返す。
「何言ってんだよ。世界一はこさめだろ」
「いやいやいやいや、みことだって」
「いや、こさめだって」
「みこと」
「こさめ」
低い声で応酬する二人は、まるでくだらないことで張り合う子どもみたいで、どちらも一歩も引かない。
そこへ、玄関の方からガチャリと扉の開く音がした。
「ただいまー……って、なにしてるの……?」
少し驚く表情のまま顔を出したみことと、その後ろからひょこっと現れたこさめが、呆れたように二人を見る。
すちとらんは同時にそちらを振り向いた。
「あ、こさめ!迎えに来てくれたん?」
らんは一気に表情を崩し、満面の笑みでこさめに駆け寄ると、ぎゅっと抱きしめ、そのまま頭をわしゃわしゃ撫で始めた。
「よしよし、ありがとな~、会えて嬉しい」
「ちょ、らんくん、くすぐったいって……」
こさめは困ったように笑いながらも、されるがまま。
その様子を横目に見て、すちは心の中でそっとため息をついた。
(……兄弟のこんな甘々な姿、正直あんまり見たくなかったな)
苦笑しつつも、視線をみことへ向け、やわらかく微笑む。
「おかえり、みこと」
「ただいま。体調は?」
すぐに心配そうな顔で近づいてくるみことに、すちは体温計を手に取り、少し得意げに言った。
「さっき測ったらね、もう37.5℃まで下がってたよ。だいぶ楽」
そう言いながら、安心させるようにみことの頭を撫でる。
みことはほっとした表情で目を細めた。
その背後で、らんが満足そうにこさめを抱き寄せたまま宣言する。
「やっぱこさめが世界一可愛いわ」
それに負けじと、すちは即座に返す。
「いや、みことが世界一だから」
ぴしっと空気が張りつめる。
「……それ、張り合うことじゃないから」
「ほんとだよ……」
みこととこさめは同時に呆れ顔で二人を見る。
だが、すちとらんはにやりと視線を交わし、今度は二人に詰め寄った。
「じゃあさ」
「二人から見て、世界一可愛いの誰なんだよ」
急に振られた質問に、みこととこさめは一瞬顔を見合わせる。
「え……」
「えー……」
少し考え込むように視線を彷徨わせてから、二人はどこか楽しそうに、同時に笑顔で答えた。
「……いるまくん」
「……いるまくん!」
ぴたりと揃った答えに、部屋の空気が一瞬静まり返る。
「「は!?」」
すちとらんの声が見事に重なり、思わず顔を見合わせた。
みこととこさめはくすくすと笑い合いながら、どこか悪戯っぽく肩をすくめるのだった。
らんは一瞬ぽかんとしたまま固まり、次の瞬間、ゆっくりとこさめへ視線を落とした。
「……なるほどな」
低く、どこか納得したような声。
こさめはきょとんと首を傾げる。
「な、なにが……?」
らんはふっと不敵に笑い、こさめの頬に手を添えた。
「お前自分がどんだけ可愛いか、まったく自覚してねぇのか、大問題だわ」
「えっ……?」
戸惑うこさめの言葉を遮るように、らんはそのままぐっと抱き寄せる。
「今夜、分からせてやる」
さらりと言い切った言葉に、場の空気が一瞬凍る。
「ちょ、らんくん!? な、なに言って――」
抗議する間もなく、らんは軽々とこさめを抱きかかえた。突然視界が持ち上がり、こさめは思わずらんの首にしがみつく。
「ま、待ってってば……!」
そう言いながらも、声にはどこか弾んだ響きが混じっていて、頬はほんのり赤い。
らんは満足そうに微笑みながら、そのまま玄関へ向かう。
「じゃあな、邪魔した。すちはちゃんと休めよ」
「え、ちょ、ほんとに連れてくの……?」
すちが半ば呆然と見送る中、らんは振り返りざまにニヤリと笑った。
「連れてくに決まってんだろ」
扉が閉まる直前、こさめは少し照れたように、でも嬉しそうにらんの胸元に顔を埋め、ぎゅっとしがみつく。
「……らんくんのばか」
その声は小さく、どこか甘さを含んでいた。
ぱたん、と扉が閉まる。
静かになった部屋に、すちとみことだけが残された。
「……相変わらず、嵐みたいだね」
苦笑しながら呟くすちに、みこともくすっと笑って頷く。
「うん。でも、楽しそうだったね」
二人は顔を見合わせ、どこか温かな余韻を共有するのだった。
すちは腰を下ろし、隣にいるみことへ視線を向けて、くすっと小さく笑った。
「……らんが言ってた通りさ」
「ん?」
みことはきょとんと首を傾げる。
すちはみことの髪にそっと指を通しながら、やわらかい声で続けた。
「みことって、自分がどれだけ可愛いか、全然自覚してないよね。それ、結構問題だと思うんだけど」
「えっ……そ、そうかな……?」
みことは少し戸惑ったように目を瞬かせる。褒められることには慣れてきたつもりでも、「可愛い」という言葉にはいまだに照れが勝つ。
すちはそんな反応が愛おしくて、さらに微笑みを深める。
「うん。だからさ……楽しみだね」
意味ありげにそう言われて、みことの胸がきゅっと小さく鳴った。
「た、楽しみって……なにが……?」
探るように見上げると、すちは答えを濁すように、にこっと優しい笑みだけを返す。
「ふふ、秘密」
その笑顔が妙に意味深で、みことは一瞬だけ背中にぞわっとした予感が走る。
(……なんか、嫌な予感する……)
頭の片隅で警戒しつつも、不思議と胸の奥はほんのり温かく、期待がじんわりと滲んでくる。
(でも……すちが喜んでくれるなら、ちょっと楽しみかも……)
そんな矛盾した気持ちを抱えながら、みことは小さく息を吐き、すちの腕にそっと身を寄せるのだった。
夜になり、部屋の灯りが落ちる頃。
すちはまだ微熱が残っていて、座りながら体温計を見つめ、小さく息をついた。
「……うん、まだちょっとあるね」
「無理したらダメ、ちゃんと休んで」
心配そうに覗き込むみことに、すちは柔らかく笑って頷く。
「うん。みことも試験期間だし、今日は別々に寝よっか。ちゃんと治ったら、また一緒に寝よう」
「……わかった」
名残惜しそうにしながらも、みことは素直に頷いた。
お互いに「おやすみ」を言い合い、それぞれの部屋へ向かう。
けれど、布団に入ったみことは、なかなか眠れなかった。
(……静かすぎる……)
いつもなら、隣にはすちのぬくもりがあって、ほんのりとした洗剤とすちの匂いに包まれながら眠るのが当たり前だった。その安心感がないだけで、胸の奥がそわそわして落ち着かない。
何度か寝返りを打っても、目は冴えたまま。
「……やっぱ無理……」
小さく呟き、みことはそっと布団を抜け出した。
忍び足ですちの部屋へ向かい、ドアを静かに開ける。薄暗い部屋の中、ベッドの上ですちは規則正しい寝息を立てて眠っていた。
(よかった……起きてない……)
ほっと胸を撫で下ろしながら、クローゼットの近くへ行き、すちの私服を何枚か手に取る。匂いを抱えて眠れたら、少しは落ち着くかもしれない——そんな小さな思いからだった。
布の擦れる音が、静かな部屋にわずかに響く。
その音に、すちはうっすらと目を開けた。
「……みこと……?」
眠気混じりの声。
「俺の服、持ってどうしたの?」
その声に、みことはびくっと肩を揺らす。
「ぇっ……あ、ご、ごめ……!」
見つかったことに一気に焦り、言葉が詰まる。勝手に持ち出そうとしたのが悪かったかも、と不安が胸をよぎる。
けれど、すちは怒る様子もなく、布団を少しめくって手招きした。
「……おいで」
その優しい一言に、みことは少しだけ安心し、服を抱えたままそっとベッドへ近づく。
「寂しくなっちゃった?」
くすっと微笑むすちに、みことはぎゅっと服を握りしめ、視線を落とした。
「……すちの匂い、欲しくて……」
小さな本音だった。
その姿があまりにも愛おしい。
「……じゃあさ、やっぱ一緒に寝よっか」
「え、でも……」
みことが遠慮がちに言いかけると、すちはすぐに言葉を重ねた。
「俺がみことと寝たいだけだよ。一緒に寝てくれる?」
まっすぐで優しい声。
みことは少し迷ったあと、小さく頷いた。
「……うん」
服を抱えたまま布団に潜り込み、すちの腕の中へおさまる。すぐに、懐かしい体温と、安心する匂いに包まれて、肩の力がふっと抜けた。
「……落ち着く……」
まぶたが自然と重くなり、呼吸もゆっくりになる。
すちはその様子を見て微笑み、そっとみことの額に軽くキスを落とした。
「おやすみ」
腕を優しく回したまま、二人は寄り添い、静かな夜の中で穏やかな眠りへと落ちていくのだった。
コメント
2件
いるまくん!?やっぱ2人はお兄ちゃんの事大好きなんだよなぁ…尊い…
純粋だなあ、みこちゃんの嫌な予感はうちらのご褒美でもありますね