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◆ ◆ ◆
【異世界・王都/警備局医療棟・病室】
ユナの呼吸は、静かに続いていた。
胸がわずかに上下するたび、
リオの肩の力が少しずつほどけていく――はずだった。
窓の外で、また空気が“ずれた”。
遠くの門のほうから、青白い光が脈打つのが見える。
リオが窓に近づき、拳を握る。
「……戻ろうとしてる」
アデルも同じ方向を見る。表情は崩さないのに、目だけが鋭い。
「さっきの“円”が、終わってない」
ハレルは主鍵を胸元に押さえた。まだ熱が残っている。
熱は、ユナが戻った証拠でもあり――
外の“未処理”が残っている証拠でもあった。
サキがベッド脇から離れないまま、声を絞る。
「……また、来るの?」
イヤーカフからノノ。
『門の周辺、文字列が増えてる。戻り方が乱暴。
……破片だけじゃない、無理やり“核”を引っ張ってる感じ』
『このままだと、医療棟の結界に触れる』
アデルが短く息を吐いた。決めるのが早い。
「私とリオで行く。……決着をつける」
「私も――」とハレルが言いかけた瞬間、アデルは首を振った。
「ユナから離れないほうがいい。今はまだ、戻ったばかりだ」
リオも、窓から目を離さずに言う。
「ここで崩れたら、全部ひっくり返る。……ハレル、頼む」
頼む、という言い方が重かった。
リオが誰かに“頼む”のは、たぶん滅多にない。
サキが唇を噛み、ハレルを見上げる。
「お兄ちゃん……」
ハレルは一瞬迷ってから、頷いた。
「分かった。ここは守る」
アデルは隊員に視線を向ける。
「ひとり、ここに残って。扉と窓、絶対に開けない。
もし外が割れたら、まずユナを守って」
「了解です!」
隊員が即答し、ベッド脇に立つ。
槍を置き、代わりに短剣を手元へ。守るための構え。
もうひとりの隊員がアデルとリオに付く。
「私も行きます」
アデルは頷き、最後にユナの顔を一度だけ見た。
「……戻った。だから、今度は守る」
リオはユナの手に触れそうになって、触れずに拳を握り直す。
「行ってくる」
ハレルが言う。
「リオ、アデル――無事に戻れ」
サキも、震える声で続けた。
「……気をつけて」
二人は病室を出る。扉が閉まる。
その瞬間、病室の空気が少しだけ静かになった。
でも窓の外の青白い脈は、止まらない。
◆ ◆ ◆
【異世界・王都/医療棟前・門周辺】
門の外、森の縁に焼き付いた円が、まだ生きていた。
地面の上を、青白いプログラム文字列が虫みたいに走っている。
円の中心から伸びる片腕。
指が地面を掻き、爪が石を削る。
そして、頭が――にゅっと出た。
顔はカイトのはずなのに、目が違う。
白目のない真っ黒。
胸の焼け跡は、半導体みたいな板と魔術紋が覆い、そこにも文字列が絡んでいる。
3
橘靖竜
「……あれぇ?」
声が混じる。子どもっぽい笑い方に、複数の声が重なる。
「ボク、消えたんじゃなかったっけ。ねえ、変だよね。……変だ、変だ」
アデルが剣を抜き、門の前に立つ。
「代用(サロゲート)。ここで止める」
サロゲートは首を傾げる。人懐っこい仕草のまま、目だけが黒い。
「止める? なんで? ボクたち、ただ戻りたいだけなのに」
リオはマスクの下で息を整え、掌を前へ出した。
「戻りたいなら、正しい道で戻れ。……無理やりは、だめだ」
サロゲートが笑う。軽い。
「正しい道? へえ。正しい、って誰が決めるの?」
足元の円が一段明るくなり、文字列が跳ねた。
サロゲートの腕が、もう一本、ずるりと出ようとする。
リオが踏み出す。
「〈捕縛・第三級〉――『鎖よ、絡め』!」
光の鎖が空気を走り、サロゲートの上半身に巻き付く。
鎖が締まる――はずだった。
サロゲートは、笑ったまま肩を揺らす。
「わ、これ好き。懐かしい。
……でもね、ボクたち、ひとりじゃないんだ」
鎖の上を、青白い文字列が逆流した。
まるで鎖そのものが“書き換えられる”みたいに、形がほどけていく。
リオの背筋が冷える。
(ほどける……?)
アデルがすぐに重ねる。
「〈大結界・第一級〉――光よ、門前に“壁”を重ねて」
透明な膜が何枚も立ち、医療棟側への道を塞ぐ。
同時に、床の光の線が広がり、円を囲うように縁を作る。
サロゲートが、ぱち、と指を鳴らした。
「じゃあ、ボクも」
炎が、足元から噴き上がる。
熱は本物だ。空気が一気に乾く。
「〈焼痕標・第二級〉――『ここだよ』」
炎が一瞬だけ地面を舐め、円の上の文字列が濃くなる。
“目印”みたいに、座標が固定される感覚。空気がそこへ引っ張られる。
隊員が歯を食いしばり、槍を構えた。
「近づかせません!」
「〈火矢・第二級〉――『一直線』!」
赤い矢が走り、炎の縁を削る。
だがサロゲートは痛がらない。ただ楽しそうに笑う。
「わぁ、熱い。……熱いって、こういうことだっけ」
その言い方が怖い。
熱さを“思い出そうとしてる”みたいだった。
リオが鎖を握り直し、もう一度だけ力を込める。
「……今度は、ほどけさせない」
アデルが横で静かに言う。
「リオ。焦らない。医療棟のほうへは、私が絶対に通さない」
「うん」
ノノの声がイヤーカフから飛ぶ。
『円の文字列、増え方が変。さっきの青白い陣の“残り”を使ってる』
『……つまり、戻ろうとしてるのはサロゲートだけじゃない。後ろに、何か引っかかってる』
サロゲートが、にこ、と笑みを深くした。
「うん。引っかかってる。……だって、ボクたち、まだ途中だもん」
そして、黒い瞳がアデルを見る。
「副隊長さん。……カイトの顔、ちゃんと見てくれる?」
アデルの指が、ほんのわずかに止まった。
一瞬だけ、目が揺れる。
――カイト。信頼していた部下。死んだはずの肉体。
その“一瞬”を狙うみたいに、円の文字列が跳ね、鎖がまたほどけかけた。
リオが歯を食いしばる。
「アデル、大丈夫。……中身は違う」
アデルは目を戻し、短く頷いた。
「分かってる」
だがサロゲートは、その揺れを楽しむように笑っていた。
戦いは、ここから本気になる。
◆ ◆ ◆
【現実世界・学園跡地/石造建物・内部】
黒い影の“サラリーマン”が通り過ぎたあと、空気が少しだけ戻った。
呼吸ができる。けれど、安心はできない。
また探しに戻ってくる。そういう気配が、壁に残っている。
城ヶ峰が、指先だけで合図した。進む。音を立てるな。
特殊部隊がライトを落とし気味にして前へ出る。
木崎はカメラを胸に抱え、息を浅くしたまま付いていく。
日下部はノートパソコンを抱え、目だけを動かして周囲を追っていた。
奥へ進むほど、空気が変わる。
最初はただの古い石の通路だったのに、
角を曲がるたびに“研究施設の匂い”が濃くなる。
太いケーブルの束。
壁に打ち付けられた固定具。
床を這うコードが、黒い蔦みたいに絡まり合っている。
「……こんなの、学園の地下にあるような設備じゃない」
木崎が小声で吐く。
城ヶ峰は前を見たまま、低く返す。
「元から、学園の設備じゃない。……ここは“残ってた”場所だ」
通路の脇に、端末の残骸があった。
画面は割れ、筐体の中が樹脂みたいな塊で埋まっている。
何だったのか分からない。
けれど、ただの壊れ方じゃない。溶けたように、歪んで固まっている。
床や壁には、魔術の紋に似た線が増えていた。
円、直線、三角。
それらが重なり合い、途中から“文字列”みたいに見える。
日下部がノートパソコンの画面を見て、眉を寄せる。
「……ここ、近い。……近いって、分かる」
「何が?」
木崎が聞くと、日下部は唇を噛んだ。
「説明が……できない。
でも、俺の中の“ずれ”が、ここで引っ張られてる」
城ヶ峰は短く頷く。
「だから来た」
通路の奥に、金属の扉が見えた。
古いのに新しい。補強された跡があり、周囲にだけ紋の線が濃い。
その扉の前で、全員が止まる。
誰も言葉を出さない。
――奥に、いる。
さっきの“サラリーマン”とは違う種類の気配。
もっと静かで、もっと重い。
城ヶ峰が小さく指を立てた。
開けるな、じゃない。準備だ。
特殊部隊が隊形を組み直す。
木崎はカメラを握り直し、日下部はノートパソコンを抱えたまま息を止める。
扉の向こうで、かすかな“カリ…カリ…”という音がした。
爪が石を削る音にも、文字列が擦れる音にも聞こえる。
そして、扉の隙間から――
青白い文字列みたいな光が、ふっと漏れた。
◆ ◆ ◆
医療棟の門では、サロゲートが笑いながら戦いを始めている。
現実側の奥では、研究施設の“根”が口を開けかけている。
どちらも、まだ終わっていない。