黄 『桃にい!起きてください!』
桃 『……』
黄 『ちょっと…!桃にいってば!』
桃 『…黄…うるさい』
黄 『うるさいじゃなくて…』
桃 『頭…痛い…』
黄 『あ…!ごめんなさい…』
桃 『大丈夫…』
僕の三つ上の兄、桃にいは昔から体が弱くて、看病はずっと僕がしてきた。
僕たちに親はいない。
僕が生まれた頃には離婚していて、母親に育てられたのだけど、その母は僕が中学生の時に事故で亡くなった。
その時、桃にいはすでに高校生だったから、働けるということで、二人で暮らすことになった。
もちろん、叔父さんからの仕送りなどはあったけど…。
それだけではやはり足りなかった。
でも、正直体の弱い桃にいに働かせるわけにはいかなくて…。
僕も、中学生ながらお手伝いとして働かせてもらっていた。(内緒ですよ)
そんなこんなで僕も高校生になり、今は普通にバイトをしながら、勉強に励んでいる。
今日も桃にいを起こしにやってきたわけだけど…。
今日は体調が良くない日みたい。
まず僕は学校を休みますか…。
黄 『今、学校に連絡してきますね』
桃 『…ん』
苦しそうに頭を押さえている桃にいを心配しつつも、僕は部屋を出た。
黄 『ふう…』
いくら学校に理解があるとはいえ、休みが多いと僕も不安になる。
あまりにも休みが続きそうなときは、桃にいの友達の赤さんに来てもらってるのだけど、今日は呼ばない。
昨日は普通に学校に行けたしね。
黄 『よいしょ…』
とりあえず体温計やら何やら入っている救急セットをいつもの場所から引っ張り出し、桃にいの部屋に向かう。
黄 『桃にい、入りますね』
一言声をかけ、部屋に入ると、布団を抱き枕のようにして苦しそうに顔を歪める桃にいがいた。
黄 『大丈夫ですか…?』
桃 『…いたい』
黄 『頭…?』
桃 『コク…』
黄 『熱はありそうですか…?』
桃 『わかんない…』
黄 『じゃあ一回測ってみましょ』
桃 『ん…』
体温計を渡し、桃にいの様子を見る。
測っている間も目を閉じ、眉間に皺を寄せる桃にい。
そんな姿を、小さな頃からずっと見てきた。
今僕が座っているこの位置には母がいて、僕はそんな二人をドアの隙間からそっとのぞいていたことを思い出す。
「どうして桃にいばっかり」って正直思ってたけど、母が亡くなってから僕が桃にいを看病するようになって、なんとなく母の気持ちがわかるようになった。
もし僕に弟や妹がいたとしたら、きっと構ってあげられないだろうな、と時々考える。
もちろん、構ってあげたい。同じように、可愛がりたい。だけど、うまくいかない。
母はそんなもどかしい気持ちだったのかな、と今になって思う。
桃 『…黄』
黄 『…ああ、すみません』
黄 『どうでしたか…?』
桃 『見てない…』
これは見たけど信じたくない時の反応だな…と思いつつ、「僕が確認しますね」と言って少し熱を持った体温計を受け取った。
黄 『…、』
38.4°…。
黄 『…だいぶ、高いですね』
桃 『…、』
黄 『吐き気とかありますか…?』
桃 『…少し』
黄 『じゃあちょっと色々準備してくるので、吐きたくなったらこのゴミ箱にお願いします』
桃 『…ん』
いつも飲んでいる薬とエチケット袋、水などを持ってくるため、部屋を出た。
黄 『…あれ』
いつもある場所に薬がない。
どこにやったんだろう…。
黄 『…あ』
そういえば、二週間くらい前に桃にいが体調を崩した時に切らしちゃったんだった。
買いに行くか…。
でもその前に袋と水だけ持っていこう。
僕は袋と水だけ取り、もう一度部屋に向かった。
う”っ”…
階段を上がっていると、嫌な音が聞こえてきた。
黄 『まさか…!』
僕は急いで階段を駆け上がり、桃にいの部屋までダッシュする。
黄 『桃にい…!』
桃 『う”ぇ”っ…』
ドアを開けると、ベッドから身を乗り出し、今にも吐きそうになっている桃にいがいた。
慌てて袋を桃にいの口元に近づける。
桃 『う”ぇ”ぇ…お”ぇ”っ』
黄 『大丈夫ですよ…この袋に吐いてくださいね』
桃にいの背中をさすりながら優しく声をかける。
桃 『っはあ…はあっ…』
黄 『辛いですね…まだ吐きそうですか?』
桃 『…フルフル』
涙目になりながらなんとか首を振る桃にい。
見ているこちらまで苦しくなってくる。
黄 『わかりました』
黄 『また吐きそうになったら教えてください』
桃 『コク…』
黄 『これ…お水です』
桃 『ありがと…』
桃 『ん…』
僕が持ってきたのはペットボトルの水。
蓋が開けられなくて困っているみたい。
黄 『開けましょうか』
桃 『ごめん…』
黄 『大丈夫ですよ、はい、どうぞ』
桃 『ありがとう…』
渡した水をゴクゴクと飲む桃にいは、まるで小動物のようでなんだか可愛い。
…あ、あの話しないと。
黄 『…桃にい』
黄 『お薬…切れちゃってて』
黄 『買いに行きたいんですけど…誰かいた方がいいですか?』
桃にいの返答によっては、赤さんを呼ぶことも可能だ。
今日は呼ばないつもりだったのだけどね。
桃 『…だい、じょぶ』
黄 『そう、ですか…?』
大丈夫、と言う桃にいは、どこか不安げに見えた。
桃 『…コク』
黄 『じゃあ…買ってきますね』
「行ってらっしゃい」とか細い声で言う桃にいが心配でならないが、仕方なく家を出た。
黄 『大丈夫かな…』
こうして買いに行ってる時間でさえも、桃にいは苦しんでいるかもしれない。
そう考えると、不安で仕方ない。
…あ、赤さんに電話しててもらおう。
そう思った僕は、赤さんに電話をかけることにした。
赤 『ふぅ…』
大学の課題を一通りこなし、今は優雅なティータイム。
紅茶を一口すすり、たまたま買ってきていたクッキーに手を伸ばしたその時、スマホが鳴った。
黄ちゃんか…。
仕方ない。出てやろう。
赤 『もしも〜し』
黄 『あ、赤さん』
赤 『桃ちゃんのことだね?』
黄 『え、あ、はい…』
赤 『どんな感じ?』
黄 『熱があって…あと吐き気と頭痛ですかね』
赤 『りょ〜かい』
黄 『あの…薬が切れちゃってて、今僕買いに出てるんです』
黄 『でも桃にいが心配で…』
赤 『家に来てほしい、ってことだね?』
黄 『すみません…』
赤 『謝らなくていいから!』
赤 『俺が良いよって言ってることなんだから堂々としてな!』
赤 『向かうまでは桃ちゃんと電話でもしとくね〜』
黄 『本当にありがとうございます』
黄 『すぐ戻ります』
赤 『ほ〜い』
赤 『気をつけてね〜』
黄 『失礼します』
相変わらずきちんとした子だね〜、と思いながら通話を切る。
とりあえず桃ちゃんに電話かけながら準備するか…。
赤 『桃…桃…あった』
連絡先から桃ちゃんを見つけ出し、電話をかける。
桃 『…、』
赤 『あ、出た』
赤 『もしも〜し!桃ちゃ〜ん?大丈夫〜?』
桃 『ん…』
赤 『寝てた?』
桃 『んーん…』
その声色から体調が悪いのがわかる。
俺は机にスマホを置き、部屋着を脱ぎ始めた。
赤 『今大丈夫?』
桃 『ん〜…』
桃 『あたま…いたい…』
赤 『そっかそっか』
赤 『吐きそう?』
桃 『…たまに』
赤 『わかった』
赤 『今から行くからね〜』
桃 『…来なくていい』
赤 『え…?』
赤 『なんで?』
桃 『…、』
いつもなら「来て欲しい」と頼んでくるのに、来なくていいと言い出した桃ちゃん。
理由を聞いても黙るだけで、何も答えは返ってこない。
とりあえず外に出る用意だけは完璧なので、玄関で電話をする。
赤 『なんか嫌なことある?』
桃 『…、』
桃 『う”っ…』
赤 『桃ちゃん!?』
桃 『っはあ…』
赤 『行くから!』
桃 『い、い…』
赤 『よくない!行くよ!』
嫌がる桃ちゃんを無視し、俺は家を飛び出した。
桃 『う”ぇ”っ…』
俺が家に向かうまでも、何度も吐きそうになっている桃ちゃん。
赤 『桃ちゃん?大丈夫?』
桃 『ふぅ”…』
赤 『ちゃんと吐いて!』
桃 『いや…だ』
赤 『なんで…!』
走っているため、つい語気が荒くなる。
桃 『…いや、なの』
赤 『もう〜…』
頑なに俺の意見を聞かない桃ちゃんに多少腹が立ってきた俺は、足を早めた。
赤 『はあ…ついた』
俺の家から桃ちゃんの家は歩いて10分くらいのところにあるんだけど、今日は走ってきたから5分でついた。
赤 『おじゃましま〜す』
ついこの前来たこの場所が、なぜか懐かしく感じる。
赤 『行こ…』
息つく間もなく、俺は彼の部屋へと向かった。
桃 『ん”…お”ぇっ…』
部屋に入った途端、吐きそうになっている彼を見つけた。
赤 『大丈夫』
赤 『吐いていいんだよ〜』
パニックにならないよう優しく声をかける。
桃 『ゴク…』
赤 『何で飲むの…』
頑なに吐かない…。どうしたんだろう…。
桃 『ん”ぅ”…』
背中をさすって吐くように促しても、我慢する桃ちゃん。
赤 『桃ちゃん』
俺は手を止め、彼の方に向き直る。
赤 『どうしたの?吐きたいんじゃないの?』
目を合わせて話をしようとしても、目が合わない。
赤 『吐きたいなら吐かないと…もっと具合悪くなっちゃうよ』
桃 『…、』
赤 『なんかあった…?』
桃 『…フルフル』
赤 『じゃあどうして…』
桃 『もう…吐きたくないの…』
赤 『え…?』
桃 『一ヶ月に何回も体調崩して…』
桃 『そのたびに吐いて…』
桃 『もう…苦しい…ポロ』
赤 『…、』
体が弱いこと。体調を崩しやすいこと。苦労してきたこと。苦しんできたこと。
ずっと、近くで見てきたはずだった。
それなのに俺は、今、この瞬間、苦しんでいることに気づけなかった。
そして、俺は聞こえてしまった。
「もう黄に迷惑かけたくない」と。
赤 『…ごめんね』
桃 『…、ポロ』
桃 『う”っ…ポロ』
赤 『桃ちゃん、吐こう…』
桃 『ん”っ”…う”ぇ”…フルフル』
赤 『…ごめん』
俺は桃ちゃんの鼻をつまみ、口が開いたところで思い切り手を突っ込んだ。
桃 『ん”ぐっ…』
桃 『お”え”ぇぇっ…ポロ』
桃 『う”え”っ…ポロ』
赤 『…、』
今まで我慢していた分が、一気に吐き出される。
桃 『う”ぇ”っ…お”え”ぇ…ポロ』
赤 『苦しいね…大丈夫大丈夫』
どんなに俺が声をかけたところで、彼の苦しさは変わらない。
桃 『っはあ…はあ…ポロ』
赤 『もう大丈夫…?』
桃 『…コク』
赤 『よかった…頑張ったね』
彼の頭に手を乗せ、優しく撫でる。
小さな頃からずっとやってきたこと。
俺の方が身長が大きくて、桃ちゃんの頭が手にすっぽり入る感じだったのに、今では彼の方が体も大きくて、手を乗せることしかできない。
赤 『無理やりになっちゃってごめんね…』
桃 『…、』
桃 『おれのためって…わかってる』
桃 『…ありがと』
「ありがと」。
言わせたくなかった言葉だった。
彼は熱を出したくて出してるわけではない。
それなのに、俺がやりたくてやったことに対して感謝させてはいけないと思っているから。
赤 『感謝しなくていいんだよ…嫌なことしちゃったから…』
桃 『んーん…』
赤 『…優しいね、桃ちゃんは』
桃 『べつに…//』
照れ屋なところも、昔から変わらない。
赤 『ふふ…笑』
布団にモゾモゾと埋まっていく桃ちゃんを見て、思わず笑ってしまう。
黄 『ただいま〜』
赤 『あ、帰ってきたよ、桃ちゃん』
桃 『ん…』
赤 『黄ちゃんのとこ行ってくるね』
桃 『コク…』
桃ちゃんが頷いたのを確認して、俺は部屋を出た。
黄 『早く帰ってこないと…』
赤さんが快く受け入れてくれたので、なんとか外に出ることができた。
早歩きで店まで向かっていると、どこからか「黄」と呼ぶ声が聞こえる。
モブ 『黄!どこ行くんだよ』
黄 『え…薬を買いに…』
モブ 『また兄ちゃんか?』
黄 『“また”って…』
モブ 『そろそろ兄ちゃんも自立したらどうなんだ?』
黄 『…、』
モブ 『それに黄は弟なんだからそんな無理しなくてもいいだろ』
モブ 『わがままの一つくらい言えばいいんじゃねーの?』
「わがまま言っていいんだよ」
「弟なんだから頑張らなくていい」
「黄くんは黄くんの人生を歩みなさい」
そんな言葉は、うんざりするほど聞いてきた。
でも、必ず僕はこう返す。
黄 『「兄と一緒に生きたい」。それが弟としての一番のわがままであり、今までもこれからも、兄を助けていくのは僕の人生です』
モブ 『…、』
黄 『学校、頑張ってくださいね』
黄 『お気をつけて』
モブ 『お、おう…』
圧倒されている彼を置いて、僕は足早に店へと向かった。
黄 『買えた…』
ようやく目的の物を買い、すぐに帰ろうかと思ったが、赤さんが来ているはずなので、ついでに果物などを買った。
黄 『帰ろ…』
家に向かって歩き出すと、心地よい風が僕の体を撫でた。
黄 『ただいま〜』
家に入ると、赤さんの靴を見つけた。
ちょっと小さいから、すぐにわかる。
赤 『あ、黄ちゃ〜ん』
リビングで買ってきたものの整理をしていると、赤さんがやってきた。
黄 『赤さん』
黄 『遅くなってすみません』
黄 『来ていただいてありがとうございました』
赤 『全然大丈夫だよ〜』
赤 『家近いし』
黄 『桃にい、どうでしたか…?』
赤 『ん〜…』
なぜか少し悩んでいる様子の赤さん。
赤 『なんか今日は素直じゃなかったっていうかね…』
黄 『ほう…』
赤 『ほら、電話しとくって言ったじゃん』
黄 『はい』
赤 『電話した時にさ、「来なくていい」って言われちゃって』
黄 『えっ…』
桃にいが赤さんを拒否する…?
そんなこと今まで一度もなかった。
赤 『まあ…来たんだけどw』
赤 『吐いてって言っても吐かなかったり…』
赤 『とにかく素直じゃなかったかな』
赤 『俺もこんなに嫌がる桃ちゃん初めて見たからさ』
黄 『すみません…』
赤 『いいのいいの』
赤 『ちゃんと理由も聞いたから』
黄 『理由…?』
赤 『うん…ほら、拒否するのは何か理由があるはずだと思ったからさ』
黄 『なんて言ってましたか…?』
赤 『ん〜…』
赤 『「一ヶ月に何回も体調を崩して、その度に吐いて、もう苦しい」って』
黄 『…、』
赤 『「その度に吐くから苦しい」って言ってたけどさ…』
赤 『俺的には違うんじゃないかなって思ってて』
赤 『もちろんそれも理由としてはあるとは思うんだよ?』
赤 『だけど…』
黄 『だけど…?』
赤 『やっぱり、桃ちゃんにもお兄ちゃんとしてのプライドってあると思うし』
赤 『黄ちゃんに迷惑かけてるのが嫌、とか頼るのはかっこ悪いとか?』
赤 『たぶんあるんじゃないかな』
黄 『迷惑…』
赤さんは「あるんじゃないかな」なんて濁していたけど、きっと桃にいが言ったことなんだろう。
赤さんは気遣いの人だから。
赤 『黄ちゃんはそんなこと思ってないと思うけどね』
黄 『もちろんです…』
黄 『僕…さっきクラスメイトに言われたんです』
赤 『…?』
黄 『「兄ちゃんもいい加減自立したらどうなんだ」「弟なんだから無理しなくていい」「わがまま言えば」って』
赤 『…、』
黄 『これまでも何度もそういうことは言われてきたし、慣れてはいるんです』
黄 『返す言葉も大体決まってて』
赤 『なんて返すの…?』
黄 『ここで言うのは恥ずかしいです…//』
赤 『んーん、恥ずかしくない。なんて言うのか、知りたい』
黄 『ん〜…//』
黄 『「兄と一緒に生きたい」。それが弟としての一番のわがままであり、今までもこれからも、兄を助けていくのは僕の人生です』
黄 『そう…言いました//』
赤 『…かっこいいね』
黄 『え…?』
赤 『かっこいいよ、黄ちゃんは』
赤 『俺が高2の時なんて、守りたいものなんて何もなかったよ笑』
黄 『ありがとう…ございます…//』
赤 『ふふ笑』
赤 『話遮っちゃった…それでそれで?』
黄 『えっ…と…』
黄 『その言葉を返した時に、改めて思ったんです』
黄 『僕は桃にいが大好きだし、僕にとって大切な人なんだって』
黄 『ずっと一緒に生きていきたい』
黄 『そう…思いました』
赤 『うん…』
黄 『僕…母が亡くなった時に桃にいに呼び出されて』
黄 『「このままだと黄が大変なだけだから、俺も母さんと一緒に死ぬ」って言われたんです』
赤 『…、!』
黄 『実際、何度も自殺を図っていて…』
黄 『正直、僕にはどうしたらいいのかわからなくて』
黄 『「こんな人生なら死んだ方がいい」って言ってました』
赤 『そんなこと…言ってたの…?』
黄 『はい…「赤には言わないでくれ」と言ってましたが…笑』
黄 『…でも、その頃の僕は桃にいのために生きていました』
黄 『桃にいのために働いて、桃にいのために学校に行って…』
黄 『彼が、生きがいでした』
黄 『「死にたい」と思う人に生きてほしいって残酷な話で』
黄 『中学生の頃の僕にとっては彼に生きてほしいと願うことが、一番のわがままでした』
赤 『……』
黄 『だけど、今日改めて「一緒に生きたい」と強く思いました』
黄 『だから今は、「一緒に生きたい」と思うことが、僕にとって一番のわがままなんです』
赤 『そっか…』
黄 『ちゃんと桃にいと話してみます』
黄 『今はとりあえず薬を』
赤 『うん…お粥でも作っとくから、行っといで』
黄 『ありがとうございます』
思わぬ方向に話は進んでしまったが、桃にいと話す良い機会になったと前向きに捉え、僕は桃にいの部屋に向かった。
赤 『まさかそんなこと言ってたなんてなあ…』
リビングで一人呟く。
桃ちゃんとは幼稚園からの付き合いで、ずっと一緒に過ごしてきたつもりだったけど、やっぱり家族には敵わない。
それはわかってたはずなんだけど…
赤 『悔しいな…』
桃ちゃんの家庭の事情については誰よりも把握してるつもりだったし、黄ちゃんのことも、本当の弟のように思って接してきた。
それなのに、桃ちゃんの気持ちにも、黄ちゃんの苦労も気づけなかったことが、悔しくて仕方ない。
赤 『はあ…』
しかしここで悔しがっていても何も始まらない。
この先俺にできることを探さないと。
とりあえず今はお粥でも作るか…。
「お粥お粥…」と呟きながら俺はキッチンに向かった。
黄 『桃にい、入りますね』
返事こそないが、気配は感じるので中に入ってみる。
桃 『すぅ…すぅ…』
黄 『寝てる…』
黄 『でも薬…飲ませないとな』
仕方ない…起こすか…
黄 『桃にい…?薬、買ってきましたよ』
桃 『ん…ん…?』
黄 『起きました…?起こしちゃってすみません』
黄 『薬を買ってきたので…』
桃 『ありがと…』
黄 『起き上がれますかね…』
桃 『うん…』
「うん」などと言っているが、きっと起き上がれない。
そう思った僕は、桃にいの背中を支えようとしたが、その手は彼によって阻まれた。
桃 『大丈夫…!』
黄 『え…あ…』
桃 『…、』
黄 『ご、ごめんなさい…』
殺気に溢れた言葉に、思わず手を引く。
桃にいは手にありったけの力を込め起きあがろうとしているが、一向に起き上がってくる気配はない。
桃 『あっ…』
黄 『危ない!』
一瞬力が抜けたのか、バランスを崩してしまった桃にいを、間一髪助けることができた。
桃 『…、』
黄 『大丈夫…ですか』
黄 『とりあえず薬飲んでください…はい、どうぞ』
桃 『…ゴク』
黄 『…横になってていいですよ』
桃 『…、』
黙ってベッドに横たわる桃にい。
気まずいのか、壁の方を向いている。
黄 『あの…』
黄 『全然、迷惑だとか、かっこ悪いとか思ってないですから』
黄 『僕は桃にいが好きで、大切だから』
桃 『…!』
驚いた表情でこちらを向き、今度は悔しそうな顔になる。
桃 『でも…俺は黄に何もできてない…』
黄 『そんなことないです』
黄 『出来すぎてるくらいです』
桃 『え…?』
黄 『生きてくれてるじゃないですか』
桃 『…!』
黄 『「死にたい」。そう言っていた人に生きてほしいなんて、わがままでしかありません』
黄 『それでも、僕は桃にいと一緒に生きたいんです』
黄 『だから、桃にいのためだったら何でもするし、自分を犠牲にできるんです』
桃 『…でも』
黄 『いいんです』
黄 『…みんな僕の人生を心配してくれます』
黄 『「自分の意志を持って良い」「あなたはあなたの人生を送りなさい」って』
黄 『「桃にいと生きたい」。これは自分の意志ではないのでしょうか』
黄 『「桃にいのために生きる」。これは僕の人生ではないのでしょうか』
黄 『今までもこれからも、全部、僕が選んだ、選んでいく道です』
黄 『好きでやってることです』
黄 『迷惑だと思うわけないじゃないですか…』
黄 『カッコ悪いって思うわけないじゃないですか…』
黄 『桃にいは僕にとって最高にカッコよくて最高に優しいお兄ちゃんです』
桃 『黄…ポロ』
黄 『もう…笑』
黄 『泣かないでください笑』
黄 『体調悪化しちゃいますよ』
桃 『だってぇ〜グス』
黄 『もう寝て下さい!笑』
桃 『むり』
黄 『無理じゃないです!』
赤 『こんこん、入っていいですか〜』
黄 『あ、どうぞ〜』
赤 『失礼しま〜す』
赤 『桃ちゃん大丈夫〜?』
そう言いながら部屋に入ってきた赤さんにアイコンタクトをすると、にこりと微笑んだ。
黄 『お粥、ありがとうございます』
赤 『そうそう、作ってきたよ〜』
桃 『おかゆ…』
赤 『食べる?』
桃 『食べる…』
赤さんの前になるとちょっとかわいい子ぶるんだよな…桃にい。
まあ、そんなところも好きなんだけれど。
赤 『はい、あーん』
桃 『自分で食べれるし』
赤 『いいじゃ〜ん』
赤 『昔はさせてくれたのに〜』
桃 『もう20になるんだぞ』
桃 『お前はもう20だし』
赤 『関係ないじゃ〜ん…ほら、あーん!』
桃 『やめろって!』
赤 『食べてよ〜!』
桃 『自分で食べる!』
赤 『なんで〜!』
いちゃいちゃしている二人を横目に、僕は部屋を出た。
赤 『あれ、黄ちゃんは?』
桃 『わからん』
桃 『リビングじゃない?』
俺が一生懸命桃ちゃんに食べさせている間に、どこかに行ってしまったみたい。
赤 『そっか…』
赤 『てか桃ちゃん、元気になったね』
桃 『まあ…?』
赤 『まあってなんだよ』
赤 『ほら、熱計りな』
ほい、と体温計を投げる。
桃 『っと…投げんなよ危ねえから』
赤 『取れんだったらいいじゃん』
桃 『はあ…』
ありえないほど大きいため息をつかれたが、体調が良い桃ちゃんとはいつもこんな感じだから、特に何も思わない。
赤 『何度だった?』
桃 『37.3°』
赤 『まあまあ下がったけど微熱かあ』
桃 『もう治ったみたいなもんだけど』
赤 『でもまだ寝てなよ』
桃 『だって寝れんし』
赤 『寝かしてあげよっか?笑』
桃 『だるいって笑』
赤 『ははw』
桃 『赤…最近大学はどうなの?』
赤 『大学ね…』
大学自体は全く問題なく通えているし、留年しそう、とかそんなこともない。
赤 『順調だよ』
桃 『よかった…』
赤 『でもね』
桃 『…?』
赤 『みんな就活始める時期だからさ…』
赤 『俺はどうしようかなって…』
それはきっと桃ちゃんも同じで、一人の大人としてどう生きていくか悩んでいるはずだ。
桃 『赤ならどこでもやっていけるんじゃない?』
赤 『うーん…そうかな…』
赤 『桃ちゃんは…?』
桃 『んー…俺は大学も行ってないしな…』
桃 『生きてけんのかな…w』
赤 『…そっ、か』
桃 『ふっ…笑』
桃 『俺は赤とは違ってニートかなあw』
悲しげに笑う桃ちゃんに、心が痛くなる。
赤 『…あ!』
桃 『…?』
赤 『俺が桃ちゃんを雇う!』
社長になれば、桃ちゃんの好きなように働いてもらうことができるはず!
桃 『は…?』
赤 『今から大学で経済学ぶ!』
桃 『いや…無理だろ…お前文系じゃん…』
赤 『出来る!』
赤 『ちょっと時間かかるかもしれないけど、絶対社長になる!』
桃 『バカなのか…?』
桃 『自分のやりたいことやれって…』
赤 『今決まった!俺は桃ちゃんのために社長になりたい!』
桃 『え〜…?』
赤 『あと4年くらい待ってて!』
赤 『絶対なるから!』
4年あれば大学卒業から会社の設立まできっとできる…!
桃 『マジかよ…』
赤 『だから今は寝て!』
桃 『関係ねえだろw』
赤 『ちゃんと寝てよ〜!』
桃 『へいへい…』
赤 『おやすみ〜!』
目標も決まり、上機嫌になった俺はリビングへと向かった。
黄 『ふぅ…』
ソファーに腰掛け、お茶を一口飲む。
ちゃんと桃にいに気持ちを伝えることができてよかったな…
赤さん…大学とか大丈夫なのかな…
いつも呼びつけてしまって申し訳ない…
そう思っていると、桃にいの部屋から「おやすみ〜!」という赤さんの声が聞こえてきた。
赤 『よし!』
赤 『あ、黄ちゃん!』
黄 『お疲れ…様です…』
黄 『なんか…すごい元気ですね…笑』
赤 『バレた?笑』
赤 『俺さ、目標できたんだよね』
黄 『目標…?』
赤 『そう!』
赤 『今まで特に夢とかなくてさ』
赤 『なんとなく学校に通って』
赤 『なんとなく高校を受けて』
赤 『なんとなく大学も決めて…』
赤 『なんとなく、生きてきた』
赤 『でも、もうそういうわけにもいかなくて』
赤 『周りはみんな目標とか夢を持って大学に来てるから、就活とか始めててさ』
赤 『ちょっと焦ってたの』
赤 『それでさっき桃ちゃんが少し体調戻ってきてたから相談しちゃって』
赤 『桃ちゃんも…色々不安なはずなのに』
赤 『…少し悲しそうだった』
赤 『笑ってるけど…笑ってない』
赤 『失敗した、って思った』
赤 『だけど、そこでひらめいた』
赤 『俺、会社を立ち上げようって』
黄 『か、会社?』
想像もしていなかった答えに、思わず素っ頓狂な声が出る。
赤 『うん』
赤 『それで、桃ちゃんを雇おうって』
黄 『や、雇う…?』
次々と出てくる赤さんの言葉に、戸惑いを隠せない。
赤 『絶対やってみせるから』
黄 『で、でも、赤さんは経営とか学んでないはずですよね…』
赤 『はは笑』
赤 『黄ちゃんは桃ちゃんと同じこと言うね〜!』
赤 『これから経済を学ぶ!』
赤 『そして必ず、4年後には会社を立ち上げる!』
赤 『絶対、実現させる』
その言葉に嘘はなく、目標に対する本気さ、そして熱意さえ感じた。
黄 『…わざわざ、桃にいのためにありがとうございます』
黄 『桃にいは赤さんとお友達になれて、本当に幸せ者ですね』
赤 『ふふ笑』
赤 『黄ちゃん、違うよ』
赤 『俺と桃ちゃんは“親友”だよ?』
そう言ってにこりと微笑む赤さんは、本当にかっこよかった。
黄 『…!』
黄 『桃にいのこと、よろしくお願いします』
赤 『こちらこそ!よろしくね!』
黄 『…もしもし』
赤 『あ、黄ちゃん』
赤 『どうかした?』
黄 『桃にいが体調悪くて…今日お休みします』
赤 『了解』
赤 『今日早めに仕事あがって家行くね〜』
黄 『来なくても大丈夫ですよ…!』
赤 『いいのいいの』
赤 『それまで桃ちゃんのことよろしく!』
黄 『すみません…』
黄 『ありがとうございます…』
赤 『は〜い!』
黄 『失礼します』
あの日決めた目標を、4年かけて達成した。
経済を一から学び直し、5年間通った大学を卒業して、卒業前から準備を進めていた会社を設立。
俺は本当に、社長となった。
桃ちゃんは相変わらず体調悪い時も多いけど、体調の良い時の仕事ぶりは素晴らしい。
通信の高校に通っていたときに、プログラミングなどの勉強を詳しくしていたらしく、機械系にはめっぽう強い。
もともと文系の俺にとって、桃ちゃんの存在はありがたいものだ。
赤 『よし!早くあがるぞ〜!』
桃ちゃんと働けて、俺は今、幸せです。
黄 『桃にい、朝ですよ〜』
桃 『……』
黄 『今日は無理そうですか…?』
桃 『…コク』
黄 『わかりました、赤さんに連絡してきます』
あの日僕に宣言した目標は現実となり、赤さんは会社を立ち上げ、社長となった。
桃にいは設立と同時に雇ってもらい、理解のある職場で働かせてもらっている。
実は僕もお誘いをいただいてるんだけど、「大学を卒業したらお願いします」と赤さんには伝えている。
黄 『とりあえず薬とか持ってきますね』
桃 『ん…』
相変わらず体調が悪い時も多い桃にいだけれど、僕にとっては最高にカッコよくて、最高に優しい、これからもずっと一緒に生きていきたい、そんなお兄ちゃんです。
大好きだよ、桃にい。
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