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夜通しかけて、怪我人と硬化の呪いの進んだ人々を運ぶ。血に溢れた広場から極力清潔な場所へ。またこれ以上呪いを広げないように、何度となく泉と街を往復して呪いを洗い流した。
焚書官たちはグラタードを含め、誰一人無事ではなかった。多くの者が怪我に倒れ、ほとんどの者が呪いに怯えていた。お陰で呪いを遠ざける間、魔法少女に変身していたが、その姿を見られずに済んだようだった。
被害はあまりに深刻だ。戦士たちだけではなく、町民の多くも血の呪いを浴びてしまった。これでは第三の怪物を退治したところで、この町の存続は不可能だろう。
しかしシュビナの討伐は血の呪いの知見を新たに増やし、一つの希望をもたらした。シュビナの血も老翁の大蛇の血と効果は同じようだった。浴びた血の量で呪いの効果の進度が違うのも想定通りだ。だが想定外の結果も現れた。
サクリフ含め、何人かの生き残りは、むしろ硬化の呪いから解放されたのだった。ベルニージュやグラタードを含む多くの者は、あいかわらず老翁の大蛇の血を浴びた時と同じ硬化の呪いを受けていたにもかかわらず。
その原因についてはベルニージュとグラタードの意見が一致した。
老翁の大蛇の血の呪いをシュビナの血の呪いが打ち消したのだという。であればシュビナの血の呪いは、老翁の大蛇、もしくは第三の怪物の血によって打ち消されると推測される。
誰かが石の祭壇に赴き、老翁の大蛇の血を回収するか、もしくは第三の怪物を退治して血を回収すれば、石化に怯える戦士たちも魔女の牢獄の囚人たる町民たちも救うことができる。
古代の魔女シーベラがこの込み入った呪いを仕掛けたのだとすれば、その意図は何だろうか。
「簡単だ」清潔な布を敷いただけの地面の上でグラタードは言う。全身が硬化しつつある人間にしてははっきりと喋る。「万が一、怪物の一体を倒されても、二体目、三体目の怪物を倒す必要が生まれるだろう。そうすることでより確実に侵入者を牢獄の内にとどめられるというわけだ。それが狙いなのだ」
「何言ってんだか」近くで横たわるベルニージュは細長い星空を見上げたまま刺々しく反論する。「そんなことしてわざわざ解呪させなくても、より強力な硬化の呪いを重ねがけすればいいだけだよ」
「硬すぎては食べにくいじゃないか」とグラタード。
「じゃあ硬化自体が間違いでしょ」とベルニージュ。
二人は横たわりながら喧々諤々と自論をぶつけ合う。とても石になりつつある人間のすることではない。
現時点で、どちらの呪いも受けていないのはユカリだけだった。そして老翁の大蛇の呪いを受けた者の内、シュビナの血で解呪した者がサクリフのほか十数人の焚書官だ。そしてその中でまともに動けるのはサクリフだけだった。それ以外の者たちは怪我か呪い、あるいはそのどちらも受けたために身動きが取れないでいる。
サクリフが見当たらないことにユカリは気づく。血を浴びずに済んだ町の者が慎重に戦士たちを手厚く看護してくれているが、その中にサクリフはいなかった。
ユカリはサクリフの姿を探して、金銀宝石に煌めく町を散策する。
その煌めきに反して町は意気消沈している。それでもユカリが助けた者たちは不安を吹き飛ばすように礼儀正しく感謝してくれた。ベルニージュやサクリフ、グラタードに比べれば大した戦果も無いのに、英雄のように讃えられると居心地が悪く感じた。
ユカリはまだ何も分からない無邪気な子供たちとじゃれつつ、道を教わりながら町を巡る。気が付けば壁の方、魔女の牢獄の奥の方へとやってきていた。そして町の端で壁を見上げるサクリフの姿を見つけた。
ユカリもまた壁を見上げる。壁は岩の中に小さな赤い星々を閉じ込めているかのように煌めいている。一つ一つの輝きは控えめだが、その数に圧倒される。
ユカリの気配を察したのか、サクリフが不意に振り返り、悲し気な微笑みを浮かべた。
「エイカ。綺麗だろう。アルダニのいくつかの場所でだけ産出される鉱物繊維赫々たる絹が含まれているんだ。火に強い魔法の布を織れる。僕が唯一、この町で好きなものだった」
改めて、サクリフの素顔を見つめる。何もかもが白く、そして瞳だけが黄昏のような深い青紫に色づいている。
「魔女の牢獄で、この町で生まれたんですね」
サクリフは過去を見つめるように、両手で抱えた傷ついた兜を見つめる。僅かな星明りと、より少ない壁の赤光が反射している。
「ああ、その通り。僕はこの町で生まれたんだ。黙ってて悪かったね」
「それは別にいいんですけど」ユカリは思い切って聞きたかったことを尋ねる。「ということは、もしかしてサクリフさんは生贄に選ばれたんですか?」
サクリフは再び星空の如く輝く壁を寂しげに見つめて、頷いた。
「そうだよ。今も忘れない。星のない真っ暗な夜だった。美しい衣装を着て、美しい宝飾品を身に纏って、誰もいなくなった後、石の祭壇の頂上で一人、泣いていた。残される父母への不孝を悔やんで、怪物に食われる己の身を嘆いて、これからずっとこのような目にあう娘たちを憐れんで。だけど怪物は僕を食べなかった。いつまで待っても姿すら見せなかった。だから僕は逃げたんだ。まさかお役目を捨ててのこのこ町に戻るわけにもいかない。だから、外からの訪問者があるという亀裂に向かって逃げた。そうして怪物に捧げられるはずの生贄は魔女の牢獄を脱出した。実にあっけなくね」
「だけど戻ってこようと思ったんですね」ユカリは戦いの終わった静かな夜に相応しい囁きで尋ねた。「怪物を倒し、町を救うため。寝物語に語られるような英雄になるため」
サクリフは悪戯に成功した子供のように笑う。
「まあ、そう思うだろうね。君なら、いや、僕だって立場が違えばそう思っただろう」
ユカリは顔が火照るのを感じる。
「それじゃあ、ご両親ですね。ご両親には会えたんですか?」
サクリフは否む。「それも違う。いや、その気が全くなかったわけではないけどね。彼らは数年後に亡くなったそうだよ」
その可能性に全く思い至らなかった己を恥じる。義母を亡くし、義父の生死も分からない人間にしてはあまりにお粗末な思考だった。
「ごめんなさい。無神経でした。でも、それなら、違うっていうなら、何で戻ってきたのか教えてもらえませんか? 少なくとも、英雄になりたいって仰ってたじゃないですか?」
「手厳しいなあ。でも、その通りだよ。英雄になりたい。いや、違うな。英雄ではない僕でいたくないって言った方が近いように思う」
その比較を頭の中で噛み砕く。
「ほとんど同じことのように思えますけど」
サクリフは肯定も否定もせずに言う。「時々僕は思うんだ。僕はまだ石の祭壇の上で暗闇と怪物への恐怖に震えて泣いているんじゃないかって。死の迫る一瞬が無限に引き延ばされているだけなんじゃないかってね。だから僕は怪物を倒したかったのかもしれない。この、僕自身の手で、僕を食い殺そうとする怪物を。一度目はしくじったけど、二度目はとどめを刺した。でも、僕はまだ英雄じゃない」
サクリフは寂しげな眼差しを真っすぐにユカリに向ける。
ユカリはその瞳を正面に見据えて尋ねる。「怪物がまだ一体残っているから、ですか?」
「うん。そんなところかもしれないね」と言ったサクリフは物悲しい微笑みを浮かべる。「英雄でありたい。そして、ただ死を待つ生贄でありたくない。だから、それまで、この町には戻れない」
そう言ってサクリフは再び傷だらけの兜をかぶった。