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ユカリとサクリフだけで第三の怪物退治に行くことに反対した者はいなかった。望むと望まざるとに関わらず、他に動ける者、戦える者などいないのだからやむをえない。
町と呪われた者たちを救うには三つの目的を達成しなくてはならない。
第一に老翁の大蛇の血の回収。
第二に最後の怪物の討伐。
第三に最後の怪物の血の回収。
老翁の大蛇の血だけ回収して、全員の呪いを解いたのち、動ける者で第三の怪物の討伐に向かえば良いのではないか、とユカリは疑問を呈した。
グラタード曰く、老翁の大蛇の血の呪いがシュビナの血の呪いで相殺されたからといって、その逆もあるとは限らない。むしろ、怪物と戦わせて強者を選別することが目的なら、別の怪物と戦わせるはず。
ベルニージュ曰く、もうそんな時間はない。
血の回収のために用意してもらった革袋を携えて、無駄に宝石で飾られた松明を掲げ、ユカリとサクリフは町を発った。体力はすでに消耗しきっているが、時間は限られている。出来る限り急いで黒松の森を突っ切る。
ベルニージュの予想が正しければ最後の怪物は入り口の亀裂のそばにいるはずだ。その予想を信じ、そこに至るまでに奇襲される可能性など考えずに急ぐ。
石の祭壇の広場へとやってくるとユカリは再び魔法少女に変身し、老翁の大蛇の遺骸に駆け寄り、血に濡れるのも気にせず半分の革袋に詰め込んだ。そしてそれらの革袋は帰路に回収するためにそこに置いておく。
変身して元に戻って、しかしサクリフは何も聞かないでいてくれた。とはいえ、後で口止めはしなければいけないだろう。
サクリフが警戒するように発する。「ユカリ。平和の使者たちの遺体がない」
塔のそばに寝かせていたはずの五体の遺体は全て消えてなくなっていた。
「最後の怪物に食べられてしまったんでしょうか」
残りの革袋を半分ずつ持ち、二人は亀裂へと急ぐ。二本の豪華絢爛な松明をかざし、名も無き英雄たちの割れた鎧につまづかないよう気をつけながら進む。
とうとう亀裂にたどりつく。ユカリは焚書官に借りた剣を抜く。右手に剣、左手に松明を持つ。怪物の姿は見当たらない。松明で壁の上の方にも光を投げ掛けるが何の気配もない。
二人は勇気を振り絞り、川に足を濡らしながら亀裂を進む。逃げる者を待ち伏せる怪物の領域へ入っていくのは並大抵の決意ではなかった。しかし、突き進んでいくと、あっけなく外への明かりが見えてしまった。夜とはいえ、魔女の牢獄の内部に比べれば星明りも月明りもふんだんで、暗闇の中に暗闇が浮き上がって見える。
亀裂は婉曲しているために外の光は内に届きにくかったようだが、思いのほか短かった。
「ここにはいないんじゃないかな」サクリフが松明を亀裂の内部にかざして言う。「確かにここで待ち伏せている、というのは理にかなった話のように思えたけど」
ユカリは反論する。「でも牢獄の中心の石の祭壇と牢獄の奥の町に怪物がいたんですから、入り口にいるというのは確からしいことだと思うんです」
二人はもう一度亀裂を通り、内部へと戻る。しかしやはり怪物の姿はない。
「別の所を探そう、エイカ。入口にはいないと考えた方が良い。時間もない」
「待ってください。これって私たちが生贄と見なされているってことじゃないですか? だから見逃されているのでは?」
サクリフは一考して答える。
「だとしたら、だとしても何を基準に見定めているっていうのさ? 女だから? 少人数だから?」
「それは、サクリフさんこそ何か思い出してください。生贄としてここを脱出した時と今の私たちに共通点はありませんか?」
「何かったって生贄が持ってるものなんて着の身着のままの真紅の綺羅と、宝飾品……その松明か!?」
ユカリとサクリフの手に一本ずつ持っている松明に目を向ける。松明にはまるで必要のない宝飾品が嵌め込まれている。
ユカリはすぐそばに横たわる鎧の首に松明を据え、剣を構えつつ後ろへ下がる。
「ああ、もう! 知らないぞ!」
サクリフは岸の方へと松明を投げ捨てて、ゆっくりと亀裂から離れるように下がる。
途端に、水音でも松明の爆ぜる音でもない、何かをこすり合わせるような音が引っ切り無しに聞こえたきた。
ユカリは首を巡らせ、辺りを見渡す。「何? 何の音ですか?」
「グリュエーじゃないよ」
「分かってるよ」
「いったい、何の音なんだ」サクリフはばしゃばしゃと水を蹴立てる。「どこから聞こえてくるんだ、この音は。水っぽくて、それでいて硬い何かをごりごりと削るような。そう、肉と、骨を、削り取るような」
ユカリは視界の端で何か不自然な閃きがあったことに気づく。サクリフの足元だ。
「何? サクリフさん? それは何ですか?」
「何だい? エイカ? どこの何を言ってるんだ?」
ユカリの視線につられてサクリフは森の方へ目を向ける。
「違う! サクリフ! 自分の足を見て!」
そこに小人がいた。三歳児くらいの背丈だ。魚の鱗のようなものに覆われている。黄色い目に、耳まで裂けた口でいやらしい笑みを浮かべている。二本足で立ち、禍々しい形の鋸を持っている。
鋸はサクリフの右足を、足首の辺りをごりごりと削るように切っていた。すでに骨が露出している。
サクリフが叫び、鱗に覆われた小人に斬りかかる。しかし鱗の小人はまるで猿のように身軽に飛び退き、浅い水に潜る。子供ならば全身が浸かる水位だ。
「これは、何だ!? どうなっているんだ?」サクリフが困惑と恐怖の悲鳴をあげる。「痛くない! なんで痛くないんだ! こんなにも切られているのに! まるで痛くない!」
「グリュエー! 小人を吹き飛ばして!」
グリュエーの風が水ごと鱗の小人を捕え、上流の方へと吹き飛ばす。
「とにかく水から上がって、サクリフさん! 魚のように泳いでた。ここは不利です。それに血を流しすぎる。早く!」
足元の覚束ないサクリフに肩を貸し、岸へと急ぐ。
「ユカリ! 足!」と言ったのはグリュエーだ。
鱗の小人が足を掴んでいる。しかし感触がない。触れられているという実感がない。今にも鋸を引こうとする鱗の小人にユカリは剣を突き下ろし、グリュエーは吹きつけ、しかしどちらも軽々とかわされてしまう。
陸へ上がり、よたよたと這いながら水から離れ、黒松にもたれかかるサクリフを守るように、ユカリは【微笑み】、魔法少女に変身し、魔法少女の煌びやかな杖を構える。
「すまない。エイカ。何てざまだ。何が英雄。何が怪物退治だ」
「謝ってる暇があったらあれを倒す方法を考えてください。幸い奴には鋸しかないようです。簡単には殺されない。だけど私たちは殺されないだけでは駄目なんです。奴を殺すか、せめて血を奪わなくてはならない。お互いにお互いの体を監視し合って」
はっとしてユカリは振り返る。足を投げ出すように座るサクリフの頭の上に鱗の小人が乗っていた。サクリフはまるで気づいていない。
ユカリは杖を振りかぶり、横ざまに振り抜くが黒松を叩きつけた。鱗の小人は身軽に飛び抜くと森の方へ隠れた。松明の明かりは届かない。
「今、頭の上に乗っていたのか?」サクリフは頭を押さえる。「まるで気づかなかった。重さを感じなかったんだ。血は出ていない。切られてはいないけど、しかしあまりに翻弄されている。僕たちはこいつに勝てるのか?」
「片足でもいいから立ってください」ユカリが手を貸してサクリフを立たせる。「奴は視界の外からやってくる。常に辺りを見回し続けつつ、お互いの体を見張るんです。とにかく目で捉えて叩きのめす他ありません」
「それしかない。だけどそれしかないならば、それこそ奴の思うつぼじゃないのか? 僕らを警戒させ消耗させる。それが奴の狙いではないのか? 僕たちがやるべきことは、奴を引きずり出すことだよ。エイカ。まずは仕切り直そう。あの宝飾品で飾られた松明を持てば、ひとまずはこちらへの攻撃をやめるはずだ。僕が君を見張る」
そう言ってサクリフは剣を構える。
サクリフが岸辺に放り捨てた松明の方が近くにある。十数歩先のところだ。
「走れ!」
サクリフの命じるままユカリは走り出す。
ユカリがたどり着き、松明を拾った時、「そのままそこを動くな!」とサクリフが制止する。
ユカリは鱗の小人の狙いとサクリフの狙いに気づいた。
鱗の小人は足しか狙っていない。ここから出さないという役割だから、まず足を狙うのだろう。この暗闇の中で逃亡者は痛みに気づかず足を失うのだろう。
そしてサクリフがそれに気づいていたならば、それを利用する。
だからこそユカリは振り返ることができなかった。サクリフの狙いを台無しにするからだ。
サクリフは自分の足を犠牲に、ユカリの足から目を離さずに、見えない自分の足元を斬ろうというのだ。ただあの忌々しい耳障りな音が聞こえた瞬間を狙って。
その時、一瞬、感じた気配にユカリは放心する。何でこんな時に。
鋸の擦る音を聞き、サクリフの悪態を聞き、ユカリは振り返る。サクリフは倒れ込んでいた。新たな怪我はないが、最初の怪我が深くなっている。
ユカリは駆け寄り、サクリフの視線が上を向いていることに気づき、慌てて自分の足へ目を向ける。
鱗の小人がユカリの足にとりついていた。しかし間抜けにも小人は鋸を取り落した。小人は焦って鋸を拾おうとして、今度は転んだ。
ユカリは鱗の小人の背中に叩きつけようと杖を振りかぶるが、濡れた手からすっぽ抜ける。
もう間違いない。ユカリは確信を持つ。これは魔導書の力だ。奇跡、天与の賜物の魔導書だ。
頭を巡らせ、これまでのことや状況から推測する。おそらく、敵意や悪意のある攻撃を無くしてしまう力だろう。平和の使者と呼ばれた男、メイゲル氏はこれを宿していたのだとユカリは気づく。しかし死んでしまい、代わりにいまサクリフに宿ったのだ。もはや自分たちも怪物もお互いを傷つけることはできない。
怪物とはいえ異常な事態に鱗の小人も気づいたようだ。慌てた様子でまごつきながら逃げようとする。鱗の小人も足に大きな傷を負っているようで、血を流しながらよたよたと石の祭壇の方へと逃げていく。その傷は魔導書が宿るぎりぎり直前にサクリフが剣で傷つけたのだろう。
その様子に混乱するサクリフに肩を貸し、ユカリたちはゆっくりと怪物を追う。すでに怪物は血を流している。戦いも殺し合いももうできないが、血さえ回収できればそれでいい。
怪物とはいえ痛々しい有様だ。負傷者たちの奇妙な追跡劇は石の祭壇へと至る。塔に近づく怪物の後姿を見て、ふとユカリはここで終わるのだという予感を得た。
その運命は、その偶然は、その事故は間もなくやってきた。石の祭壇と呼ばれる塔の一部が再び崩れ、石材が落下する。そして怪物、鱗の小人はあっけなく叩き潰された。
「エイカ。何なんだ、これは。こうなるって君には分かっていたのか? どうしてこんなことに」
「いいえ。私にも分かりませんでした。これは単なる事故です。誰の意思も介入していない偶然の出来事で……」
だからこそ死んだ。そうでなければサクリフの近くで死ぬことはできない。
「何てことだ。怪物は偶然死んだ? そんな結末ありなのか?」サクリフは嘲笑的に笑う。「つまり僕は英雄に成りそこなったってわけだ。そこら辺で転がっている鎧の主たちと同様に」
「そんなことないですよ。サクリフさんは英雄です。少なくとも私にとっては」
「エイカにとっての英雄ね。まあ、それも悪くないか。でも一つ言ってもいい?」
「どうぞ」
「今になって足が痛くなってきた」
サクリフが泣きそうな顔で訴える。
「ああ、怪物が死んで、怪物の魔法の力が消え失せたのかもしれませんね」ユカリはサクリフの足首の痛ましい傷を見る。「とりあえず止血してください。怪物の血を回収してさっさと帰りましょう」
「君の言うことは何も間違ってないけど、少しは英雄気分を味わわせてくれよ」