テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
Ⅰ|月影
「止められなかった案件」
月影真佐男は、
その資料を見た瞬間に、
思い出してしまった。
あのときも、
数字はきれいだった。
「異常なし」
「利用者満足度:高」
「運用継続」
書類の並びが、
今とほとんど同じだった。
当時の彼は、
ただの中間担当だった。
判断権はなく、
異議は「記録」だけに残した。
> ※補足意見:
利用者の沈黙が
必ずしも安定を意味しない可能性あり
それだけ。
誰も拾わなかった。
誰も反論しなかった。
半年後、
静かに人が消えた。
退職でも、解約でもない。
「連絡が取れなくなった」
その言葉で、
すべてが終わった。
月影は、
あのとき初めて知った。
止められなかった案件は、
必ず“再利用”される。
名前を変えて。
言葉を整えて。
数字を磨いて。
そして、
自分が今回も、
“止める側に立てていない”ことを。
Ⅱ|月影
「知らされなかった理由」
通知は来なかった。
削除か、更新か。
二択を突きつけられたはずなのに、
月影の端末は沈黙している。
不具合か?
手続きミスか?
彼は、
別ルートで知った。
偶然、
共有フォルダのアクセスログを見てしまった。
彼の案件だけ、
「判断保留」ではなく、
> 観測継続(通知不要)
と記されていた。
理由欄には、
一行。
> 当人が
「選ばない」行動を
繰り返しているため
月影は、
そこで理解した。
知らされなかったのではない。
知らせる必要がない存在に
分類されたのだ。
削除も、更新も、
対象外。
判断されないことそのものが、
処理だった。
彼は、
端末を閉じた。
絶望はなかった。
ただ、
深い空白が残った。
Ⅲ|花子
「言葉にしなかった違和感」
それは、
元・利用者の彼女の一言だった。
「私、
別に嫌じゃなかったんです」
昼下がりのカフェ。
偶然、同じテーブル。
「でも、
“私が返事をしないこと”を
前提にされてる感じがして」
花子は、
カップを持つ手を止めた。
「……それ、どういう」
彼女は、
少し考えてから答えた。
「連絡しなくても、
相手は変わらない。
でも、
変わらないことが、
私の責任みたいで」
生活は、普通だった。
洗濯をして、
コンビニで総菜を買い、
夜は動画を流しながら寝落ちする。
ただ、
通知が来るたび、
返さない自分を意識させられる。
急かされていないのに、
休めない。
その感覚を、
彼女は「違和感」と呼ばなかった。
「私がだらしないだけ」
「サービスは良いし」
そう言って、
解約した。
名前を交換するのは、
その別れ際だった。
「花子さん、ですよね」
「……はい」
それだけ。
共闘しない。
相談もしない。
だが花子は、
初めて、自分の中の沈黙に
名前がつく感覚を覚えた。
Ⅳ|津川
「正しくない決断」
津川は、
最終判断の場で、
資料を閉じた。
「官僚として言えば、
続行です」
そう前置きしてから、
続けた。
「でも、
人としては、
止めます」
場が凍った。
葉芹が、
困惑した顔で津川を見る。
「……え?」
「私、悪いことしてます?」
津川は、
首を横に振った。
「してない」
「あなたは、
正しい紹介者です」
だからこそ、
厄介だった。
「善意が、
構造を隠すことがある」
葉芹は、
言葉を失った。
「だって……
喜んでる人も、いるのに」
「います」
津川は、
はっきり答えた。
「だから止めるんです」
声を荒げない。
数字も出さない。
ただ、
過去に止められなかった記憶だけを、
胸に置いて。
「これは、
“問題が起きてから”では遅い」
津川は、
官僚としては間違った。
だが、
もう一度同じ後悔を
選ばなかった。
葉芹は、
しばらく黙ってから言った。
「……私、
何を信じればいいんでしょう」
津川は答えない。
答えがないことを、
彼女も、
初めて知ったからだ。
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!