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ソラマリアと兄ラーガは二人きりで話すこととなり、暇を持て余したレモニカは天幕の周囲を散策することにした。入り口以外の天幕にはあまり近づかない。レモニカが詳細の知らないどのようなまじないが仕組まれているかも分からないからだ。王族を選り分けて作用する気の利いた呪いとは限らない。
大王国の調査団は本格的な調査に着手する前に呪い『年輪師の殉礼』の調査をしているようで、そのためにムロー市で生者の如く営む生ける屍たちと交流をはかっている。とはいえ生業ごとに得手不得手はある。
屍使いたちは何の躊躇も齟齬もない。交流というよりも交遊している。慣れたものだ。中には親類と再会できた者もいるようで時に笑い、時に泣き、旧交を温めんとしている。呪いによるものとはいえ、死者の世界から戻って来ているムロー市民に邪悪な気配は感じられない。それどころか魔法や神秘の作用している不思議な感じさえも希薄で、まるで死してなお生きることが当たり前かのように錯覚させられる。
ライゼンの調査団の中でも魔法使いたちは交流できている。親しげな振る舞いというには難があるが淡々と質問をかわし、観察し、調査を進めている。問題は戦士たちだ。死を恐れず戦う戦士たちが起き上がった死を恐れているのか、どうにもぎこちない。そもそもここまで屍使いたちと協同してきたはずなのだ。レモニカはまるで彼らの将軍かのように不甲斐ない気持ちになる。とはいえ相手が屍でなくとも、漂う悪臭の中で平常心を保つのは中々に難しいことだ。
「見かけない顔ね? あなた……」声をかけてきた女はレモニカの奇天烈な姿をじろじろと見る。「大道芸人か何か? それともラーガ様の道化師かしら?」
レモニカが天幕の周囲を一周し、身の置き所なく佇んでいたところ、いつの間にか隣に立っていた屍使いの女性に無感情な翠の瞳で顔を覗き込まれる。瑞々しく滑らかな粘土のような色濃い肌に、人跡未踏の山頂に積もる新雪を紡いだような白銀の長い髪が際立っていて、整った顔立ちは作り物めいて見えた。陶器か磁器か色のついた硝子細工のように美しい女性だ。
「いえ、わたくしは……」と言いかけて言葉を呑み込む。誰にでも身分を明かすべきではない。「ええ、まあ、ラーガ様についてはよく存じ上げておりますが」と答えになっていない答えを返す。
「やっぱり! そうだと思ったわ! 戦士にしてはあまりにも派手だし、それにライゼンの女にしては華奢よね」
レモニカはその女性の唇が動いていないことに気づき、不気味に感じたことを察せられないように、ほんの少しだけ退く。そしてかけられた声はその女性の背後から聞こえていることに気づき、少し身を傾けて覗き込むと別の女性が陰に隠れていた。まるで最も嫌いな生き物を恐れているかのように少し離れている。
二人は似た見た目だが隠れていた方は少し背丈が低い。喋っていたのも背の低い方だ。しかしずっと感情豊かであることが傍目に見ていて窺える。ころころと移り変わる表情に、心の移ろいを形にしたような手の動き、感情の波に合わせて行き来する二本の足、まるで警戒心と好奇心のどちらも捨てられない小動物のようだ。
もしかしてこちらは屍か、と背の高い方をレモニカはまじまじと見つめる。しかし感情表現が乏しいとはいえ、こちらも生きているように見える。
「失礼ですが御二方はどちら様でしょうか?」とレモニカが尋ねると背の低い方の女性はあからさまに不機嫌な表情になる。
「私たちがラーガ様の従者を知らないのはともかく、ラーガ様の従者が屍使いの長を知らないのは解せないわね。生きてる従者ってそういうものなの?」
レモニカがどう取り繕おうかとどぎまぎしていると背の高い方が口を開く。
「私はあね様の妹イシュロッテ。どうぞお見知りおきを」
「ちょっと! 長の私より先に名乗らないで!」とイシュロッテのあね様が妹の脇腹を小突く。それでもイシュロッテの表情にはほとんど変化が見られない。
「お許しください、あね様。全てはあね様を知らないなどと嘘をつくこの女が悪いのです。本当は良く知っているくせにかまととぶっているのです」
「え? そうなの?」とあね様が小池に浮かぶ木の葉のように揺らめく疑いの目を向ける。
「え? それは、あの……」
レモニカがイシュロッテの発言に困惑しているとイシュロッテは小声でさりげなく姉の名を囁く。「あね様の名はフシュネアルテ。これでおあいこです、召使いさん」
その言葉を強調した辺り、どうやら妹イシュロッテにはレモニカの嘘がばれているようだった。
レモニカは観念して答える。「フシュネアルテさま、ですわよね?」
屍使いの長フシュネアルテは水を得た枯れた花のようにみるみる機嫌を回復する。下向きに曲がっていた口の端を上向きに曲げ、眉の間に寄せていた皴が消えて平らになる。心なしか顔自体が輝いて見えるほどに喜びを露わにする。
「なあんだ。本当は知っていたのね。ちょっと知らないふりして、世間知らずなお嬢様を演じてみたかったってわけね? 気持ちはよおく分かるけれど、相手は選んだ方が賢明よ」
「胸に刻みます」とレモニカは心から後悔しているかのように答える。
「いいわ。きっと心細くてそんなことをしたのでしょう? 屍使いでもなければこの土地の呪いはきっと、とても恐ろしいでしょうし。まあ、屍使いにとっても忌まわしい呪いではあるのだけど」
「クヴラフワ衝突でのことですか?」
無作法かもしれないが、レモニカもまたこの土地の呪いについて知っておかなくてはならない。
「ええ、そうよ。私たちが生まれる前の話だから聞き伝えだけどね。救済機構の放ったこの呪い『年輪師の殉礼』によってムローは滅び去り、屍使いも故国を追いやられた」
「素人で申し訳ないのですが、屍使いの魔術と『年輪師の殉礼』、二つの魔術は一見よく似ているように思えますわ。つまりどのような差が勝敗を決したのですか?」
フシュネアルテは途端に冬の雨のように冷たい眼差しを湛え、はっきりと断じる。
「悪いけど、敗因を明かすことは弱点を吐露するも同じよ。もちろんこの四十年で私たちの魔術は大いに向上したけれど、大王国と協力関係にあるとはいえ、ラーガ殿下と同盟関係にあるとはいえ、おいそれと明かすわけにはいかない」
「申し訳ありません」レモニカは慌てて謝罪する。「出過ぎた真似をしました。御無礼の段、ご容赦くださいませ」
あいかわらず距離を取るフシュネアルテにレモニカは心苦しそうに微笑みかける。するとフシュネアルテの表情に春の陽気が戻ってくる。
「いいのよ。許す。悪気はないみたいだし、それに聞きたいことがあるの。知ってることを教えてくれたら貸し借りなしね」レモニカが応じる前にフシュネアルテは問う。「レモニカ、様って知ってる?」
「聞いたことはありますね」とレモニカは反射的に誤魔化す。
「ラーガ様の召使いでも噂程度なの? やっぱり眉唾なのかしら」
「そちらではどのような噂が話されているのですか?」
「色々ね」フシュネアルテは視界の右上の辺りにふわふわと漂う記憶を探る。「病弱で残り僅かな水泡の命の深窓の姫君だとか。第二の聖女アルメノンとなることを恐れられて幽閉されているだとか。恐ろしいものだとヴェガネラ王妃を呪い殺した化け物を身の内に飼っているだとか。どうかした? 顔色が悪いわよ。刺激が強すぎたかしら」
フシュネアルテが心配そうに歩み寄る、ほんの少しだけ。
「いえ、何も。確かな話はないのですね」
「真相を知らないのだから確かかどうかなんて分かんないわよ。それとも何か知ってるの? あなた……、あなた名前は?」
「えーっと」こういう時に騙る名前は決まっている。「ケブシュ――」
「レモニカ様! お待たせしました!」と遠くから大きな声でソラマリアに呼びかけられる。
レモニカは居たたまれない気持ちを抱え、逃れるように後ろを振り返るとソラマリアがいつもの真面目な表情で走って戻ってきた。フシュネアルテとイシュロッテ姉妹を警戒したようで速足以上の足の速さだ。
姉妹の方も一部透き通った奇矯な衣装を纏うソラマリアを警戒しているのか、レモニカには聞こえない囁きで言葉を交わしている。
レモニカもまた姉妹の表情を窺うのを恐れ、ソラマリアを真っ直ぐに見つめる。
「早かったわね。ヘルヌスの話は片付いた?」
「奴の話は全く出なかったです。ちなみにヘルヌスもマナセロもここには同行していないようですね」ソラマリアは姉妹を盗み見つつはきはきと答える。
格好で屍使いと分かったはずだが、一見にこやかな態度ながらソラマリアは警戒を怠らない。
「不躾で申し訳ありません。わたくしの護衛のソラマリアですわ」とレモニカは観念して姉妹に紹介する。「こちら、屍使いを率いる長であらせられるフシュネアルテさまと妹君のイシュロッテさまよ」
レモニカはようやく改めて姉妹と向き合う。フシュネアルテは冬の遭難者のように青ざめ、イシュロッテは相変わらず石よりも無表情だった。
「はじめまして。ソラマリアと申します。ご令名はかねてより伺っております。若くして卓越した手腕を振るい、苦難に喘ぐシュカー侯国の遺民を纏め、お導きだとか。衝突後の生まれにして諸侯の血筋にかかる重圧は苦衷を察するに余りあるものでしょう」
「大王国のご助力あってのことです」とフシュネアルテは言葉少なに答える。
いつの間にかまたもや距離が離れている。とはいえ逃げるわけにもいかないという葛藤が伺える。
「そして、私の聞き間違いでないなら」と探るように呟くフシュネアルテはレモニカの方をちらりと見る。「レモニカ様、なのですか? ラーガ様のもう一人のご令妹であらせられるという」
「まだ名乗っておられなかったのですか?」とソラマリアが口を挟む。
「丁度名乗ろうとしたところであなたが戻ってきたのよ」とレモニカは姉妹に言い訳する風にソラマリアを諫める。「改めまして、はじめまして。レモニカと申します。お会いできて光栄ですわ。申し訳ございません。決してからかったりするようなつもりではなく、名乗り出づらい立場ですので躊躇われました」
「い、いえ。私の方こそ大変不愉快な噂をお聞かせして申し訳ございません」フシュネアルテは物理的にも精神的にも社会的にも距離を測りかねているようだ。王族らしからぬレモニカの格好もその迷いを後押ししている。「あにはからんや当人とお会いするなどとは露とも思わず。いずれにしても、存在するのは確かなご様子で……あ! 失礼しました」
レモニカは全てを許すように出来る限り朗らかに笑う。
「いえ、お気になさらず、わたくしもそのような噂が流れていることを存じ上げませんでしたので勉強になりました。それに堅苦しくなさらないでください。王女といえど確かな立場の無い身の上です。とても大王国を代表することはできませんから」
フシュネアルテは少し安心した様子で尋ねる。「何故調査団にご随行なさっているのかお伺いしてもよろしいですか?」
「ああ、いえ、偶然ですわ」
「偶然、というと?」とフシュネアルテはさらに尋ねる。
「別件で、独自にクヴラフワにやってきて偶然ライゼン大王国の調査団に出会った、ということですね」とイシュロッテが推測する。
レモニカとソラマリアと二人の他に誰もいないことを確かめるように周囲を眺めたフシュネアルテの頭の中が疑問符で敷き詰められる様がレモニカには想像できた。