頭の痛みも段々引いていき、なんとか立てるくらいには回復した。『…ぁ』
その瞬間、突然パラパラと何かが落ちる音が聞こえたような気がした。それが大切なものなのかもそうじゃないものなのかももう分からない。体が思い出すのを拒否している。
その内この記憶は徐々にぼんやりと曖昧になり、崩れ、消え去っていくはずだ。
自分に言い聞かせるようにそう答えを作り、深く息を零す。
イザナさん早く帰ってこないかな。居たまれぬほど張りつめた不安が胸に溜まる。
私が考えを巡る音が脳内で木霊する。その瞬間、真っ暗な部屋にガチャリという金属が重なる音が響いた。
「○○?」
そしてイザナさんの声。
やっと帰っていたんだ。安心感でほっとする。
そのまま引き付けられるように私は扉の方へ足を運ぶ。ペタペタという足音が扉越しから聞こえてくる。
しばらくして密閉されていた部屋の空気がふっと動き、ドアが開いた。
「ただいま」
温かい匂いと共に甘い笑顔を浮かべたイザナさん。
『…イザナさん遅かった』
抑えていたつもりの不貞腐れているような声色が自分の口から流れる。あ、と気づいた時にはもう私の体はイザナさんの腕の中だった。
金縛りあったかのように身動きができないほど力強く抱きしめられ、ついはくはくと浅い息遣いになる。肺が胸壁に張り付いたみたいに息苦しい。
「…可愛い、好き」
『イザナさんの“可愛い”の基準が分からない』
もう自分の一部のようになってしまった習慣。不思議な心地よさが空気のように身体に纏わりついてくる。
『…おかえりなさい』
「ただいま」
先ほどの苦しさの余韻すらも消えた。思い出せないという曖昧さも、“アノ子”の事も。
これでいいんだ。
あんなに苦しい思いをするくらいならもういっそ全て忘れた方が。
そう考えた途端、目の前の霧がすぅっと晴れていくような何もかもをはっきりとしていくような気がした。だけどそれでいて小さなしこりが胸に深く突き刺さっている様な気も。
『…イザナさん重い』
得体の知れない矛盾を振り切るようにそう言葉を零す。なにかしらふっ切るように大きく息をつく。
「大好き」
『あれ会話が嚙み合わない』
全て忘れてしまった方が、きっと。
楽なはずなのに。
「…もう、思い出してくれねェか」
そのはずなのに、胸の靄はまだ曖昧なまま。
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