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銀時たちの動きが、完全に止まった。
三人の視線が、同時に桂へと向けられる。
桂の手には――モニカのゲームファイル。
その存在だけが、この歪んだ空間の中で、異様なほどはっきりしていた。
「……桂?」
銀時の声は、震えていた。
呼びかけというより、縋るような音だった。
モニカは、机から身を乗り出す。
「だめ」
はっきりとした拒絶。
「それに触れないで!!」
声が、初めて感情を帯びる。
焦り。
恐怖。
そして、隠しきれない執着。
だが――
桂の視界に映っているものは、ただ一つだった。
教室の隅に浮かぶ、
小さな、灰色のアイコン。
――ゴミ箱。
(これを消せば)
思考は、驚くほど静かだった。
(終わる)
サヲリの死。
ユリの狂気。
ナツキの崩壊。
そして、
銀時たちが何度も繰り返し見せられた、
取り返しのつかない朝。
(全部、終わる)
桂は、一歩、前に出る。
「待て!」
モニカが叫ぶ。
椅子が倒れる音が響き、
彼女は立ち上がっていた。
「それを消しても、元には戻らない!」
「サヲリも、ユリも、ナツキも――」
「もう……!」
言葉が、途中で途切れる。
桂は、振り返らなかった。
「戻らなくていい」
低く、しかし確かな声。
「元に戻すために、消すんじゃない」
指先に、力がこもる。
「これ以上、壊させないためだ」
モニカの瞳が、大きく揺れた。
「……違う……」
震える声。
「私は、ただ……」
「一人に、なりたくなかっただけ」
その言葉に、
銀時の指が、わずかに震える。
だが、桂は止まらない。
「その結果が、これだ」
ゴミ箱の前に立つ。
世界が、激しくノイズを走らせる。
教室の壁が崩れ、
床がデータのように剥がれていく。
「やめて!!」
モニカの叫びが、悲鳴に変わる。
「お願い……!」
その瞬間――
桂は、ファイルを、
ゴミ箱へと――
落とされた瞬間。
世界が――
悲鳴を上げた。
教室全体に、激しいノイズが走る。
壁が崩れ、床が粒子のように砕け、
空間そのものが引き裂かれていく。
「……あ……」
モニカの声が、途切れ途切れに響いた。
彼女の身体は、もはや形を保てていない。
輪郭は崩れ、腕も脚も、データの欠片のように剥がれ落ちていく。
「ま、って……」
口が動く。
何かを言おうとしている。
だが、音にならない。
「私は……」
その先の言葉は、
最後まで形になることはなかった。
モニカの瞳が、一瞬だけ、こちらを見た。
そこにあったのは、
支配者の余裕でも、
神のような冷笑でもない。
――ただ、取り残される者の、恐怖。
「……っ」
小さく、息のような音を残して。
モニカの身体は、
光の粒となり、
ノイズとなり、
そして――
完全に、消えた。
声も、姿も、存在の痕跡も。
教室に残ったのは、
静寂だけだった。
銀時は、呆然と立ち尽くしていた。
「……終わった、のか……?」
誰に向けた言葉でもない。
高杉も、坂本も、
ただ、崩れた教室の中を見回す。
サヲリも、ユリも、ナツキも、
どこにもいない。
だが――
もう、ノイズは走っていなかった。
世界は、歪んでいない。
桂は、ゴミ箱を見つめたまま、静かに言った。
「……ああ」
「終わった」
それが、救いだったのか。
それとも、ただの終わりだったのか。
答えは、
この世界には、もう存在しなかった。
画面が、真っ黒に落ちる。
音が、消える。
時間も、感覚も、すべてが途切れる。
そうして――
再び、意識が浮上する。
最初に感じたのは、
足元の、固い床の感触だった。
次に、
かすかに聞こえてくる声。
「――ふふ、紅茶、いい香りでしょう?」
聞き覚えのある、穏やかな声。
「ちょっと甘すぎじゃない?」
「いーの! 今日は文化祭なんだから!」
元気で、騒がしい声。
鼻腔をくすぐる、
紅茶の香り。
それに混じる、
焼き菓子の、甘い匂い。
銀時は、はっと目を見開いた。
「……ここは……」
視界に映ったのは、
見慣れた廊下。
そして――
目の前にある、
文芸部の教室の扉。
中から、
確かに“日常”の音が漏れている。
笑い声。
カップが触れ合う音。
生きている、気配。
銀時の喉が、ひくりと鳴った。
「……サヲリ……?」
答えは、ない。
だが、
確かめずにはいられなかった。
銀時は、
震える手で――
否、
ほとんど衝動のままに、
扉を、
思いきり、開け放った。
――その瞬間。
視界いっぱいに広がったのは、
教室。
飾りつけられた机。
並べられたカップケーキ。
そして――
「……あ」
ナツキが、こちらを振り向く。
「え?」
ユリが、驚いたように目を瞬かせる。
「銀時くん?」
そして――
そこに、
確かに立っていた。
柔らかな笑顔で、
こちらを見る少女。
サヲリ。
生きている。
確かに、
“ここ”にいる。
銀時の視界が、
一瞬、滲んだ。
高杉も、
坂本も、
言葉を失ったまま、
その光景を見つめている。
誰も、
すぐには動けなかった。
まるで、
また壊れてしまう夢なのではないかと、
疑うように。
サヲリは、
少し首を傾げて、
いつもの調子で笑った。
その様子を見て、
桂が、低く呟く。
「……戻ったのか?」
その言葉の意味を、
彼女たちは理解しない。
サヲリは、きょとんと目を瞬かせてから、
すぐに笑顔に戻った。
「どうしたの?
そんな顔して」
そう言って、
彼女は自然な仕草で、
銀時の手を――ぎゅっと握る。
「文化祭、始まっちゃうよ?」
その温もりは、
確かに“生きている”ものだった。
銀時の指が、
わずかに震える。
言葉が、出てこない。
「……あ」
小さく、息だけが漏れた。
その様子を見て、
今度はナツキが腕を組んだ。
「ちょっと!
アンタどこ行ってたの!!」
坂本を睨みつけ、
ぷりぷりと怒鳴る。
「カップケーキ作るの、
どれだけ大変だったと思ってるの!」
「はは……すまんすまん」
坂本は、
困ったように頭をかく。
だがその笑顔は、
どこか引きつっていた。
最後に、
ユリが静かに口を開く。
「……急に、いなくなったので」
高杉を見上げ、
少しだけ眉を下げる。
「正直……少し、心配しましたよ」
その声は、
穏やかで、優しい。
――あの日の狂気など、
最初から存在しなかったかのように。
高杉は、
一瞬だけ目を伏せ、
短く答えた。
「……悪い」
その一言のあと、
銀時は、堪えきれなくなったように一歩踏み出した。
そして――
サヲリを、強く抱きしめる。
「……ごめん」
震える声。
抑え込んできた感情が、
一気に溢れ出した。
サヲリは、きょとんと目を瞬かせる。
「え……?」
理由は、分からない。
どうして銀時が泣いているのかも、
どうしてこんなに必死なのかも。
それでも――
サヲリは、ゆっくりと腕を回し、
銀時の背中を抱きしめ返した。
「……何があったのかは、分からないけど」
柔らかな声。
「大丈夫だよ」
胸に頬を寄せ、
いつもの調子で、そう言う。
「私が、ここにいるよ」
その言葉は、
呪いのようでもあり、
救いのようでもあった。
銀時の肩が、
小さく、震え続けていた。
桂は、その光景を少し離れた場所から見つめていた。
サヲリも、ユリも、ナツキも――確かに戻っている。
笑っていて、怒っていて、心配していて。
(ならば……)
桂の胸に、ふとした疑問が浮かぶ。
(モニカも……戻っているのではないのか?)
だが、教室のどこを見渡しても、
あの長い髪も、
机の中央に座る姿も、
こちらを見透かすような視線も――存在しなかった。
まるで最初から、
“そんな人物はいなかった”かのように。
桂は、無意識に拳を握りしめる。
脳裏に蘇るのは、
消える直前、
あの歪んだ世界の中で――
『私は、ただ……』
『一人に、なりたくなかっただけ』
はっきりとは聞き取れなかった言葉。
それでも、確かに残った声。
(……そうか)
桂は、静かに息を吐く。
戻った者。
戻らなかった者。
その違いが、
正義だったのか、
犠牲だったのか――
桂には、もう判断できなかった。
ただ一つだけ、確かなことがある。
この世界は、”正しく”なった。
だが――
彼女の言葉だけが、
修正されることなく、
桂の頭の中に残り続けている。
消えない、
消してはいけない、
たった一つの記憶として。
その少し後。
桂は、教室を見回した。
違和感。
机の配置も、飾りつけも、
人の顔ぶれも――正しい。
だが、
一人だけ、足りない。
「……なあ」
桂は、サヲリに視線を向ける。
「モニカは、どこだ?」
一瞬、
サヲリはきょとんとした顔をした。
「……モニカ?」
名前を反芻するように、首を傾げる。
「モニカって……新入社員?」
その言葉に、
桂の胸が、わずかに軋んだ。
「え?」
ナツキも、
ユリも、
同時に顔を見合わせる。
「聞いたこと、ないけど……」
「ええ……私も、分かりません」
桂は、ゆっくりと口を開く。
「モニカは……」
一瞬、言葉を探す。
「文芸部の、部長で……」
その先は、
続かなかった。
サヲリは、
一拍置いてから、
くすっと笑った。
「何言ってるの?」
悪意のない、
いつもの笑顔。
「私が、文芸部の部長だよ」
元気で、
迷いのない声。
その言葉は、
この世界にとっての“正解”だった。
桂は、
しばらく黙ったまま、
その笑顔を見つめていた。
そして、
小さく、息を吐く。
「……そうだったな」
それは、
納得ではなく、
受け入れだった。
どこか、
ひどく悲しい声だった。
教室のざわめきが、ふっと遠のいた。
サヨリは、銀時の前に一歩進み出る。
その笑顔は、いつもと同じ――はずだった。
「……やっと」
柔らかい声。
けれど、どこか底が抜けている。
「邪魔者は、居なくなったね」
その一言が、
銀時の胸を、鋭く貫いた。
「……っ!」
椅子が、甲高い音を立てて倒れる。
銀時は反射的に立ち上がり、
後ずさった。
「サヨリ……?」
呼びかけは、震えに変わる。
サヨリは、首を傾げたまま微笑む。
その瞳に、
一瞬――ノイズが走った。
「Just Sayori」
聞き慣れない、英語の響き。
「Just Sayori」
もう一度。
「Just Sayori」
何度も、何度も。
教室の空気が、きしむ。
ナツキとユリは、
まるで聞こえていないかのように、
動かない。
時間が、
サヨリの周囲だけで歪んでいる。
銀時の背中に、
冷たい汗が伝った。
(……終わって、ない)
胸の奥で、
誰かが囁く。
サヨリは、一歩、また一歩と近づく。
「ねぇ、銀時」
優しい声。
「今度は……」
微笑みが、
ほんのわずかに、歪んだ。
「誰も、いなくならないよね?」
教室の窓の外で、
一瞬だけ、
世界が、瞬いた。
――静かに、
新しいノイズが、走り始めていた。
桂と、高杉と、坂本は――
同時に、気づいていた。
この違和感は、知っている。
かつて、
モニカが世界を歪め始めたときと、
まったく同じ感覚だった。
空気が、薄い。
音が、わずかに遅れて届く。
視界の端に、微細なノイズが走る。
「……銀時」
桂が、低く呼びかける。
だが――
その声が、届く前に。
サヲリが、
ゆっくりと、
銀時へと手を伸ばした。
その瞬間だった。
――画面が、完全に停止した。
音が、消える。
色が、凍りつく。
世界が、
フリーズした。
誰も、動けない。
息すら、できない。
ただ一つ。
空間の中央に、
白いフォントだけが、
浮かび上がる。
『ごめんなさい』
見覚えのある、
あまりにも、素朴な文字。
次の瞬間、
それは書き換えられる。
『もう、こんな世界……』
一文字ずつ、
打ち込まれるように、
表示されていく。
『終わりにする』
銀時の瞳が、
限界まで見開かれる。
やめろ。
声にならない叫び。
しかし、
フォントは止まらない。
『サヨウナラ』
その文字が、
表示された瞬間――
世界が、
悲鳴を上げた。
白い文字が、
砂のように崩れ落ち、
消えていく。
それと同時に――
サヲリの身体に、
亀裂が走る。
「……え?」
彼女自身ですら、
理解していない声。
腕が、
データの欠片のように剥がれ落ちる。
髪が、
ノイズに変わり、
消えていく。
「サヲリ!!」
銀時が、
叫ぶ。
だが、
その声に、
彼女はもう、
完全には反応できない。
ナツキも、
ユリも、
同時に――
身体が、崩れ始めていた。
「ちょ……なに、これ……」
ナツキの声が、
途中で途切れ、
口元がノイズに覆われる。
ユリは、
静かに、
自分の手を見つめる。
「……あぁ……」
理解してしまったような、
諦めた声。
三人は、
まるで世界そのものに拒絶されるように、
少しずつ、
削除されていく。
銀時は、
必死に、
サヲリへと手を伸ばす。
触れられない。
指先が、
すり抜ける。
「やめろ……!!」
声が、
震える。
「もう、誰も……!!」
だが、
サヲリは、
最後に、
微かに笑った。
それは、
モニカの笑顔ではない。
いつもの、
少し無理をした、
優しい笑顔。
「……ごめんね」
音にならない声で、
そう言った気がした。
次の瞬間――
サヲリの姿が、
完全に、
消えた。
ナツキも、
ユリも、
同じように。
教室には、
四人だけが残される。
銀時は、
崩れ落ちるように、
その場に膝をついた。
「……また、守れなかった……」
誰も、
すぐには言葉を発せなかった。
桂は、
拳を、
強く握りしめる。
――モニカの言葉が、
脳裏をよぎる。
『一人に、なりたくなかった』
高杉が、
歯を食いしばる。
坂本は、
震える息を吐き出す。
世界は、
まだ、
完全には終わっていない。
だが――
確実に、
“何か”が、
決定的に、
壊れた。
そして、
画面の奥で――
小さく、
警告音が、
鳴り始めていた。
続く。
崩壊が、止まった。
完全に壊れきるはずだった世界が、
まるで息を詰めるように、静止する。
銀時たちの視界の前方――
空間が、ゆっくりと歪んだ。
ノイズの奥から、
一つの“輪郭”が浮かび上がる。
「……っ」
桂が、息を呑む。
そこに現れたのは――
モニカだった。
だが、以前のような鮮明な姿ではない。
身体の端々が欠け、
存在そのものが、消えかかっている。
足元は透け、
輪郭は揺らぎ、
声さえ、途切れ途切れだった。
「……ごめんなさい」
震える声。
それは、もう“支配者”のものではなかった。
「……こんな、つもりじゃ……なかったの」
銀時は、言葉を失ったまま、
ただ彼女を見つめている。
高杉も、坂本も、
誰一人として口を挟めない。
モニカは、ゆっくりと胸に手を当てた。
「私は……このゲームの、恋愛プログラムに……入っていない」
言葉を選ぶように、
一つ一つ、噛みしめるように続ける。
「誰かに、選ばれることも」
「好かれることも」
「……最初から、用意されていなかった」
空間が、わずかに軋む。
「でも……」
モニカは、顔を上げた。
その瞳には、
もう狂気も、執着もない。
ただ――
ひどく、人間らしい、渇きだけがあった。
「愛されたかった」
声が、掠れる。
「誰かに……ちゃんと、見てほしかった」
銀時の指が、
わずかに握り締められる。
「それで……」
モニカは、苦笑するように目を伏せた。
「この世界を、変えられるって知ってしまった」
「プログラムを書き換えられる」
「キャラクターを、調整できる」
「……だから」
一瞬、言葉が途切れる。
「私は、自分のプログラムを……入れたの」
静寂。
その告白は、
言い訳でも、正当化でもなかった。
ただの、事実だった。
「誰かが、私を見るように」
「私だけを、選ぶように」
「……そう、願ってしまった」
その瞬間、
空間に、ひび割れが走る。
モニカの身体が、
さらに崩れかける。
「……でも」
彼女は、銀時たちを見渡した。
「それで壊れたのは……世界じゃない」
「壊したのは……私だった」
モニカは、少しだけ間を置いた。
消えかけた輪郭が、淡く明滅する。
「……そして」
声は弱く、それでもはっきりしていた。
「私が、このゲームプログラムを……壊した」
銀時が、はっと顔を上げる。
「もう……誰も、苦しませないようにするために」
その言葉は、赦しを求めるものではない。
決意の、報告だった。
「だから……もうじき」
モニカは、自分の胸元を見る。
そこにはもう、心臓の鼓動すら感じられない。
「私のゲームファイルも、完全に消える」
空間が、静かに揺れた。
「この……ドキドキ文芸部は」
一瞬、教室の残骸が、かつての姿を映す。
笑い声。
机。
詩を書く時間。
「すべて……無くなる」
その事実を、彼女自身が一番理解していた。
「本当に……ごめんなさい」
頭を下げる。
深く、深く。
その姿に――
「待て!!」
銀時が叫ぶ。
高杉が腕を伸ばす。
坂本が一歩前に出る。
「桂!!」
だが――
桂は、止まらなかった。
三人の制止を、振りほどく。
「……っ」
迷いのない足取りで、
桂はモニカの前へ進み出る。
そして――
その場に、静かに座り込んだ。
「……桂?」
モニカの声が、わずかに揺れる。
次の瞬間。
桂は、
消えかけたモニカの身体を――
強く、抱きしめた。
一瞬――
時が、止まったように見えた。
ノイズに侵食され、 今にも壊れてしまいそうだったモニカの身体が、 桂の腕の中で、かすかに形を取り戻す。
「……?」
モニカの瞼が、ゆっくりと持ち上がる。
揺れる視界の中で、
最初に映ったのは――
自分を抱きしめている、桂の顔だった。
「……桂くん?」
戸惑いと、信じられないという感情が混じった声。
「……どうして……」
桂は、答えなかった。
ただ一度、深く息を吸い――
低く、しかし確かな声で言った。
「……居なくて、すまない」
その言葉は、
謝罪であり、
告白でもあった。
「お前が一人で、この世界を背負っていたことに」
「俺は……気づくのが、遅すぎた」
モニカの瞳が、わずかに揺れる。
「……そんな資格、ないわ」
掠れた声。
「私は……皆を、壊した」
「たくさん、奪った」
桂は、首を横に振る。
「それでもだ」
腕に、さらに力を込める。
「一人で終わらせるな」
「消えるなら……」
一瞬、言葉を選ぶように間を置き、
桂は続けた。
「誰かに、抱きしめられたまま消えろ」
その言葉に――
モニカの呼吸が、僅かに乱れた。
「……ずるい、わね」
微かな笑みが、浮かぶ。
「そんなこと……言われたら……」
声が、震える。
「消えるのが……怖くなるじゃない」
桂は、答えない。
ただ、
抱きしめる腕を、
決して緩めなかった。
モニカの身体が、
再び、壊れ始める。
だが――
その表情は、
最初から最後まで、
初めて見るほど、穏やかだった。
「……ありがとう」
かすれる声。
「……桂くん」
「少なくとも……」
「私は……独りじゃ、なかった」
「サヨウナラ、カツラクン……」
その言葉と共に、
モニカの姿は、
桂の腕の中で――
静かに、
完全に、
消えていった。
桂の腕の中には、
温もりだけが、
ほんの一瞬――
残っていた。
そして――
気づけば、銀時たちは見覚えのある場所で目を覚ましていた。
畳の匂い、少し軋む床、散らかった部屋。
そう、万事屋の部屋だった。
銀時は上体を起こし、荒い呼吸のまま周囲を見回す。桂も高杉も坂本も、同じように目を覚まし、言葉を失っていた。
夢だったのか――そう思おうとした瞬間、銀時の視線が止まる。
テレビの画面だ。
そこには、見覚えのあるタイトル画面が映っていた。
『ドキドキ文芸部』。
だが、いつもそこにいるはずの四人の姿はなかった。
ホーム画面には、誰一人として立っていない。
ただ、静かな背景と、無音の空間だけがそこに残されていた。
銀時は、無言のまま立ち上がる。
テレビの電源を切り、ゲームカセットを抜き取った。
「……もう、終わりだ」
誰に言うでもなく、そう呟き、ゴミ箱へ放る。
カセットは軽い音を立てて沈んだ。
その瞬間だった。
銀時は、ふと違和感を覚え、ポケットに手を入れる。
「……ん?」
指先に触れたのは、紙の感触だった。
桂も、高杉も、坂本も――同時に、自分のポケットを探る。
中から取り出したのは、
小さく折り畳まれた、一枚の紙。
そこには、それぞれ違う文字で――
詩が、書かれていた。
「いつもの笑顔」
今日も笑顔で大丈夫って言った
本当は苦しくて寂しくて
それでも誰かが隣に居てくれたら
それだけで生きて良いって思えた
銀時は、紙を握りしめる。
「……サヲリ……」
声は、掠れていた。
「好きな気持ち」
言葉に出来なかった
好きという気持ち
怖くて苦しくて
それでも誰かを好きになれた
それだけは本当
高杉は、しばらく紙から目を離せなかった。
「……そうか」
「……くだらねぇ世界だったが」
小さく、吐き捨てるように言う。
「……嘘だけじゃなかった、ってことかよ」
それだけ言って、静かに折り畳む。
「カップケーキ」
私の話を聞いて笑ってくれた
それだけで嬉しかった
でもちゃんと好きって言って欲しかった
カップケーキも
誰かに美味しいって言ってほしくて
でもそれでも
一緒に居られた時間は宝物
今日も余分に作りすぎた
坂本は、ふっと息を吐き、
いつもの調子で笑おうとして――やめた。
「……参ったのぉ」
「選ばれなかった詩」
私は 最初から物語の外にいた
名前はあっても
席はなくて
それでも画面の向こうに誰かがいると信じていた
もしも一度だけ 誰かに呼ばれるなら
その時は ちゃんと笑うって決めていた
そして素敵な詩を一緒に書くの
桂は、その詩を読み終え――
そっと、目を閉じた。
「……ああ」
小さく、息を吐く。
「確かに……ここに、居たな」
紙を丁寧に折り、懐へしまう。
万事屋の部屋には、もう何も起こらない。
世界は、正しく動いている。
それでも――
四人の胸の中には、
確かに“彼女たち”が残っていた。
消えたデータではなく、
削除されたキャラクターでもなく。
言葉として。
記憶として。
二度と開かれることのないゲームの、
最後の、詩として。