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僕の顔を下から覗き込んでくる。わざと面白い顔を作って笑わそうとしていた。顔を伏せ、じっと黙っていた。
「これならどうだっ! ほれほれぇ」
今度は、僕の脇をコチョコチョとくすぐってきた。最初は我慢していたが、すぐに限界を超え、堪え切れなくなり思わず笑ってしまった。
「やめ…て……アハハ、ハハ」
「ほれほれ~」
「ヒヒヒヒ、ほんっ…と……アヒャヒャ!」
「ねぇねぇ、なにしてるのぉ。わたしもいれてぇ」
さっきまで絵本を読んでいた大きな眼鏡をかけた女の子が、僕たちの側に近づいてきた。
「ジャンケンでまけたひとが、くすぐられるゲームしてるの。アナタもやる?」
「うん!」
しばらく三人でジャンケンをし、このゲームを楽しんだ。霊華は楽しそうに笑い、僕も自然と笑顔になっていた。久しぶりに自分の笑い声を聞いた。
そんな僕たち三人の間に体をねじ込ませてくる人間。ソイツは鼻息が荒く、その鼻から鼻水を垂らしていた。
「オレもやりたい。いいだろ、ナオト。なっ!」
いつも僕を虐めていた男の子だ。僕の笑っていた顔が、一瞬で凍りつく。それを見ていた霊華は、その男の子の前で仁王立ちになった。
「いいよ。でもやくそくしてね、ずるはしないって。もし、ずるしたらアナタをぶんなぐるよ。あとね、これもやくそくして。ナオちゃんをもういじめないって。いじめたらアナタがなくまでぶんなぐるからねっ! いい?」
園内で一番背の高い霊華が、その拳を天に突き上げるポーズをする。するとさっきまで威勢の良かった男の子も急に小声になり、壊れたオモチャのように何度も首を上下させた。
霊華が入園したその日から、僕の見る世界は変わった。
僕の側にはいつも霊華がいて、彼女がいると緊張せずに周りの男の子や女の子と楽しく話すことが出来た。
そして、一週間もするともう誰も僕を虐めなくなっていた。
「……頼む。マスクを…してくれ…。お願いだから」
初めてした土下座。カッコ悪いとかそんな感情は微塵もなかった。ただこの友達を失いたくなかった。
母さんが死んだ時と同じ恐怖が僕を襲っていた。
「今に分かるよ。これが、」
もう、大切な人を失うのは嫌なんだ。
まだ何か喋っている。でも僕の耳には何も聞こえなかった。自分のマスクを取り外し、走った。
そして、素早く霊華の顔に僕のマスクを装着させる。柔らかい髪が、指の間をスルスルと抜けていく。驚いたように目を丸くして僕を見ていた。絶滅していたはずの動物が、まだ生きていた。そんな生き残りを目の当たりにしている人間のよう。
「ナオト……」
これでいい。これでいいんだ。
僕をあの地獄から救ってくれた彼女に恩返しが出来る。
「さようなら。今までありがとう」
風の気配がした。さっきまで屋上に吹いていた風ではない。生暖かい風が、僕の体を包み込んでいく。黒に侵食される。でも、恐怖はあまり感じなかった。
音が消え、目の前が真っ暗になった。
今、僕の十六年の人生が終わっ……。
…………。
…………。
死。
あ…ぁ……。
なんか首の辺りが柔らかくて温かい。もしかしたら、天国かな?
恐る恐る目を開けた。最初に見えたのは、キラキラ輝く光度の違う星々。次に大きな三日月。
ここって……。あれ?
なんで、まだ生きているんだ? 確かに僕は黒い風の中にいた。あの風の中をマスクなしで生きていられるはずがない。
さっきのは、幻?
いやっ、幻なんかじゃない!
あの凄く嫌な感じ。あれは、リアルな黒い風だった。
なら、どうしてーーーー。
「目覚ました? いきなり倒れて気絶しちゃうんだもん。心配しちゃった」
聞き覚えのある声が、背後……というか、すぐ近くから聞こえた。ようやく僕は、今の自分の状況を把握した。
「いい夜空だね。気持ちいい」
膝枕されている。
僕の体は、床に仰向けに横たわっていた。頭だけが、霊華の太股の上に乗っている。今までに感じたことのない柔らかさと良い匂いが、首から脳へと伝播する。この状況に軽く眩暈がした。
「あっ! えっと、その。ごめんね、すぐどくから」
急いで体を動かそうと全身に力を籠めた。が、僕の両肩をしっかりと掴んでおり、全然上体を動かせなかった。女子とは思えない力。それとも、ただ単に僕が非力なだけか。ジタバタと足だけが情けなく動いていた。
「……まだ生きてるみたいなんだけど、どうしてかな」
間抜けな質問。
動くことを諦め、最大の疑問を投げかけた。
「ナオトが、獣人だからだよ」
また、獣人か。この単語を聞くのは、もう何度目かな。獣人ってなんだ? いったい。
ようやく霊華は、静かに語り出した。
「獣人って言うのはね、黒い風に体が適応できる人間を指す言葉なんだよ。簡単に言うとね、黒い風の中でも死なない人間ってこと。ちなみに私も獣人なんだよ。でもまぁ、私がそれを知ったのもついこの間なんだけどね……」
黒い風の中でも死なない?
そんな人間がいるのか。
まさか……。信じられない。
でも、僕が今こうして生きているのが何よりの証拠。それに霊華は、こんなつまらない嘘は言わない。さっきマスクを付けようとしなかったのも獣人だからか。
屋上に僕を連れ出したのは、黒い風の中でも生きられることを目の前で証明する為だったに違いない。話だけじゃこんな、ぶっ飛んだ話。獣人の存在なんて到底信じることは出来なかった。
霊華も僕も『獣人』
これからは、この床に転がっている防毒マスクも不要になるのか。それは、少し嬉しいけど。
「僕たちみたいな獣人ってまだいるの?」
「うん。まだいるよ。人数はかなり少ないけどね。みんな、自分が獣人だってことを隠して暮らしてる」
隠して暮らしてる?
なんで隠す必要があるんだ。まぁ、確かにマスコミとかには騒がれるかもしれないけど。でも、もしかしたら僕たちの体の中を調べれば、黒い風に耐える何か、秘密が暴けるかもしれない。それさえ分かれば近い将来、黒い風の特効薬が出来るかもしれない。もう黒い風に怯えて暮らすこともなくなる。世界が救われる。
「ナオトの考えていることは分かるよ。私達の体を調べれば、特別な物を発見出来るかもしれない。それによって、多くの人が助かるかもしれない。でもね」
霊華は、僕の頭を優しく持って、起こした。さっきまで気絶していたせいか、立ち上がると吐き気がした。数回頭を振る。やっぱり気持ちが悪い。
「もし、獣人ってことが誰かにバレたら……私達は、殺されてしまうの。もう既に私の知っている人も五人以上殺されてる。マスコミや警察に協力を求めたこともあったみたいだけど、その人たちも皆殺された。獣人だけじゃなく、それに関わった全ての人が殺されたの。親やその友達もね」
「嘘だ」
映画じゃあるまいし。そんな簡単に人を殺すなんてありえない。
警察ですら、僕たちを守ることが出来ないなんて。そんなバカな話あるわけない。僕たちの存在は、この世界を救う希望のはず。