テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
5,234
#⛄️
kaede🍁
47,545
目黒と付き合い始めてから数日。
朝、阿部は一人でリビングに立っていた。
「……今日なら、行けるかな。」
スマホの時刻は、午前九時過ぎ。
元彼は警察に連れて行かれた。
もう会うことはない。
目黒もそう言っていた。
いつまでも怖がっているわけにはいかない。
今日は一人で、近所のコンビニまで行ってみよう。
財布とスマホを持って。
玄関へ向かう。
靴を履く。
鍵を開ける。
「……大丈夫。」
自分に言い聞かせて。
ドアノブを握った。
ゆっくり。
扉を開ける。
「……っ。」
瞬間。
身体が震えた。
怖い。
外。
一人。
また見つかったら。
そう考えただけで、呼吸が浅くなる。
「大丈夫……。」
元彼はもういない。
そう言い聞かせて顔を上げ――
阿部は動きを止めた。
「……え?」
暗い。
廊下の向こう。
見える景色は。
夜だった。
「……なんで?」
スマホを見る。
午前9時14分。
「朝……だよね?」
でも。
外はどう見ても夜。
阿部は怖くなり、家の中へ戻った。
鍵を閉める。
そして。
ようやく考えた。
最後に外へ出たのは。
いつ?
阿部の顔から血の気が引いた。
「俺……。」
引っ越してから。
一回も外に出ていない。
元彼が怖かった。
だからカーテンを閉めた。
外から見られるのが怖くて。
昼間も。
夜も。
ずっと。
食材は家に届く。
必要なものも全部届く。
目黒は一人で外へ出なくていいと言った。
だから。
外を見る必要がなくなっていた。
阿部は震える手でカーテンへ近付いた。
少しだけ。
開ける。
「……。」
真っ暗。
間違いない。
夜。
「何……これ。」
テレビを見る。
朝の番組。
画面には。
9:17
スマホも。
9:17
でも。
夜。
阿部はスマホを操作した。
天気。
ニュース。
どれも朝らしい情報が表示される。
「……。」
違和感。
検索欄を開く。
今日の日付。
現在時刻。
検索。
表示された結果を見て。
阿部は息を呑んだ。
21時17分。
「……なんで?」
もう一度検索する。
別のページ。
同じ。
夜。
「じゃあ……このスマホ何?」
テレビも。
スマホも。
十二時間ずれている。
いや。
まるで。
自分にだけ。
今が朝だと思わせるように。
「……。」
怖くなった。
___________
玄関が開いたのは。
それからしばらくしてだった。
「ただいま。」
目黒。
阿部はソファから立ち上がる。
「めめ……。」
「あべちゃん?」
目黒がすぐ異変に気付く。
「どうしたの?」
「……分かんない。」
「何が?」
「今、朝だと思ってた。」
阿部は震える声で話した。
一人で出掛けようとしたこと。
ドアを開けたら夜だったこと。
スマホもテレビも朝だったこと。
でも検索したら。
本当は夜だったこと。
全部。
目黒は黙って聞いていた。
そして。
阿部を抱き締めた。
「怖かったね。」
「……うん。」
「一人でずっと考えてたの?」
「うん。」
目黒の胸へ顔を埋める。
「俺、おかしくなったのかな。」
「なってないよ。」
「でも……時間も分からなくなって。」
「大丈夫。」
背中をゆっくり撫でてくれる。
「最近いろいろありすぎたから。」
「……。」
「疲れてるんだよ。」
優しい声。
聞いていると。
少しずつ安心していく。
「あべちゃんは何も悪くない。」
「……めめ。」
「今日はもう休もう。」
「うん……。」
張り詰めていたものが切れたのか。
急に。
強い眠気がやってきた。
「眠い……。」
「寝ていいよ。」
目黒に抱き締められたまま。
阿部は目を閉じた。
「……めめ。」
「ん?」
「帰ってきてくれて、よかった……。」
「うん。」
目黒の服を掴む。
「俺……めめがいないと、駄目かも。」
目黒は。
優しく髪を撫でた。
「大丈夫。」
「俺がいるから。」
その言葉を聞いて。
阿部は安心したように眠った。
___________
「あべちゃん?」
返事はない。
完全に眠っている。
目黒は阿部を抱き上げた。
寝室へ運び。
ベッドへ寝かせる。
布団をかける。
「おやすみ。」
額へ優しく口づけた。
寝室のドアを閉める。
そして。
一人。
リビングへ戻った。
「……。」
テレビでは。
朝の情報番組が流れている。
目黒はそれを見て。
笑った。
ゆっくり。
リモコンを手に取る。
いくつか操作する。
画面が切り替わった。
そこに現れたのは。
普通のテレビではなかった。
設定画面。
再生スケジュール。
保存された番組。
阿部が一人でいる時間に合わせて。
すべて。
事前に用意されていた。
次に。
目黒は自分のスマホを取り出す。
阿部の端末を管理する画面。
表示時刻。
通知。
一部の情報。
目黒は今日。
わざと十二時間ずらしていた。
阿部が。
「朝」だと思うように。
___________
目黒はソファに座った。
この家へ引っ越した理由。
阿部を一人で外へ出したくなかった理由。
食材を全部届けさせた理由。
カーテンを閉めたままにさせた理由。
全部。
最初から。
同じ目的だった。
阿部を、外の世界から切り離すため。
元彼が家まで来たことさえ。
偶然ではなかった。
目黒は阿部を助けたかったわけではない。
もっと前から。
阿部を知っていた。
偶然。
玄関の前で眠っていたわけでもない。
阿部が。
そこまで辿り着くように。
目黒が仕向けた。
仕事。
住む場所。
服。
スマホ。
食事。
安全。
優しさ。
全部与えた。
代わりに。
阿部から少しずつ。
外の世界を奪った。
そして最後に。
恋人という場所まで。
手に入れた。
___________
目黒は寝室の方を見る。
今日。
阿部は言った。
『めめがいないと、駄目かも。』
「……ふふ。」
堪えきれず。
笑みが零れた。
嬉しかった。
ずっと。
その言葉が聞きたかった。
目黒は阿部のスマホの設定を元に戻す。
明日の朝には。
本当の朝と。
スマホの朝が一致する。
今日の出来事も。
疲れて混乱していただけ。
そう説明すればいい。
阿部なら。
きっと信じる。
だって。
今の阿部にとって。
世界で一番信用できる人間は。
目黒なのだから。
「もう少しだね、あべちゃん。」
目黒は幸せそうに笑った。
阿部が怖がるものを作って。
その恐怖から救って。
また怖がらせて。
また救う。
そうやって。
何度でも教えてあげる。
外は怖い。
一人は怖い。
でも。
めめと一緒なら大丈夫。
それだけ覚えていればいい。
目黒は立ち上がると。
閉じ切ったカーテンを丁寧に整えた。
その向こうには。
阿部が知らなくてもいい世界が広がっている。
そして。
カーテンのこちら側には。
阿部が必要とするものが。
全部ある。
家も。
食事も。
仕事も。
恋人も。
「大丈夫。」
眠っている阿部へ聞かせるように。
目黒は小さく呟いた。
「俺が一生、守ってあげるから。」
その笑顔は。
阿部に向けていたものと同じ。
優しくて。
穏やかで。
そして。
どこまでも歪んでいた。
___________
それから数日。
阿部は、あの夜のことをあまり考えなくなっていた。
目黒の言った通り。
疲れて混乱していただけなのだと思うことにした。
翌朝には、窓の外も。
スマホも。
テレビも。
全部同じ時間に戻っていたから。
「……やっぱり俺、疲れてたのかな。」
「いろいろあったからね。」
朝食を食べながら、目黒が優しく笑う。
「しばらくゆっくりしよ。」
「うん。」
「外も、無理して一人で出なくていいから。」
「……うん。」
阿部は頷いた。
本当は。
一人で出掛けられるようになりたい。
仕事だって、いつか目黒の家政婦ではない仕事を見つけたい。
友達も作りたい。
そう思っている。
でも。
今じゃなくていい。
もう少し元気になってから。
もう少し怖くなくなってから。
そうやって。
明日に延ばした。
___________
一ヶ月後。
阿部は相変わらず、一人では外へ出ていなかった。
けれど。
幸せだった。
目黒が休みの日には一緒に料理をする。
映画を見る。
ゲームをする。
たまに二人で出掛ける時には。
目黒が必ず手を繋いでくれる。
「離れないでね。」
「子供じゃないんだから。」
そう言いながら。
阿部からも握り返す。
人混みはまだ怖い。
知らない男とすれ違うだけで、身体が強張ることもある。
そんな時。
目黒の手を強く握れば。
「大丈夫。」
必ず返ってくる。
だから。
目黒がいれば大丈夫。
いつの間にか。
阿部は本気でそう思うようになっていた。
___________
ある夜。
目黒の帰りが遅くなった。
阿部は一人。
ソファで待っていた。
時計を見る。
午後十一時。
「遅いな……。」
メッセージを送る。
返事はない。
テレビをつけても。
内容が頭に入らない。
玄関を見る。
妙に不安になる。
「……。」
少し前まで。
一人でいることなんて当たり前だった。
何日も一人で歩いた。
誰にも頼らず。
元彼から逃げた。
なのに今は。
目黒が数時間帰ってこないだけで。
怖い。
「めめ……。」
その事実に。
阿部は気付かなかった。
午前零時を過ぎた頃。
ようやく。
ガチャ。
玄関が開いた。
阿部は勢いよく立ち上がった。
「めめ!」
「ただいま。」
「遅い!」
駆け寄る。
目黒が驚く。
「ごめん。仕事長引いて――」
「連絡もないし。」
「スマホ見られなくて。」
「心配した……。」
言いながら。
阿部の目に涙が浮かぶ。
目黒は優しく抱き締めた。
「ごめんね。」
「……一人、嫌だった。」
「うん。」
「怖かった。」
「もう大丈夫。」
背中を撫でられる。
阿部は目黒へしがみついた。
「……めめ。」
「ん?」
「ずっと一緒にいて。」
目黒の手が。
一瞬。
止まった。
そして。
「もちろん。」
優しく。
阿部を抱き締め直した。
阿部からは見えない目黒の顔に。
ゆっくり笑みが広がった。
___________
その夜。
阿部が眠ったあと。
目黒は寝室を出た。
リビングへ行く。
スマホを取り出す。
そこには。
阿部について記録された大量のデータがあった。
家の中。
玄関。
廊下。
阿部のスマホ。
すべて。
目黒には分かるようになっていた。
今日。
阿部が何度玄関を見たのか。
何度スマホを確認したのか。
そして。
一度も。
外へ出ようとしなかったことも。
目黒は満足そうに画面を閉じた。
もう。
時間をずらす必要もない。
元彼を使う必要もない。
外を怖がらせる必要さえ。
少しずつなくなってきている。
阿部自身が。
目黒のいない世界を怖がり始めたから。
___________
目黒が寝室へ戻る。
眠っている阿部の隣へ横になる。
すると。
阿部が無意識に目黒を探すように近付いてきた。
胸元へ顔を寄せる。
「……めめ……。」
寝言。
目黒は嬉しそうに髪を撫でた。
「いるよ。」
阿部の左手を取る。
まだ。
何もついていない薬指。
そこをゆっくり撫でる。
「もう大丈夫だね。」
目黒は小さく笑った。
最初は。
阿部を自分の家へ連れてくる必要があった。
次は。
ここを安全だと思わせる必要があった。
その次は。
自分を好きになってもらう必要があった。
そして最後は。
自分から離れたくないと思ってもらうこと。
全部。
上手くいった。
___________
翌朝。
阿部は目黒の腕の中で目を覚ました。
「おはよう。」
「おはよう、あべちゃん。」
カーテンの隙間から。
朝日が差し込んでいる。
阿部は少し眩しそうに目を細めた。
「今日、休み?」
「うん。」
「じゃあずっと家にいる?」
「いるよ。」
「よかった。」
安心して笑う。
その笑顔を見て。
目黒も笑った。
「今日、どこか行く?」
そう聞かれて。
阿部は少し考えた。
以前なら。
外へ行けることを喜んだかもしれない。
でも。
今は。
「……家がいい。」
目黒の胸へ擦り寄る。
「めめと二人でいたい。」
「そっか。」
目黒は阿部を抱き寄せた。
「じゃあ、ずっとここにいようね。」
「うん。」
阿部は幸せそうに頷いた。
目黒の腕の中で。
何の疑いもなく。
その瞬間。
目黒は初めて確信した。
もう。
鍵なんて。
必要なかった。
玄関の鍵を開けても。
カーテンを開けても。
スマホを自由にしても。
阿部は逃げない。
だって。
阿部自身が。
ここを選ぶようになったから。
目黒は幸せそうに阿部へ口づけた。
そして。
阿部には聞こえないほど小さな声で囁いた。
「やっと、俺だけのあべちゃんになった。」
この家に。
阿部を閉じ込める檻はない。
鎖もない。
玄関の鍵だって。
阿部自身が開けられる。
それでも。
阿部は今日も外へ出ない。
――目黒が長い時間をかけて作った、
目には見えない檻の中が、世界で一番幸せな場所だと信じているから。
コメント
1件
寺島あおいです🤍 今回のエピソード、ぞっとするほど美しい閉じ込め方でしたね。阿部さんが「めめがいないと駄目かも」と零す場面、そして目黒がそれを待っていたと知った瞬間の背筋の寒さ…。視覚や時間の認識まで操作する歪んだ優しさが、読んでいてじわじわと怖かったです。でも、それ以上に阿部さんが「ここが世界で一番幸せな場所」と信じているラストが切なくて…。次が気になります。