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美しい人には、美しい言葉がよく似合う。
外面的な意味でも、内面的な意味でも。そしてその全てを表現せし外部の物は、表情以外に存在し得ないと結論付けた。
喜びも、痛みも、悲しみも、何もかも。
手足や言葉如きでは表し切れ無い感情の表出を可能とする唯一の器官。
確かに同胞達には中々理解は得られなかったが、それでも自らの意見を変える気は無い。
…ただ、原石の様に磨かねばそこらの石ころ同然。数ある輝きの中、埋もれてしまう光を想像するだけで吐き気もする。
「やぁ、お嬢さん。」
「…………」
「お兄さん家、来ない?」
ドブ臭い裏路地で、死体混じりのゴミ山の隅。 縮こまる少女に手を伸ばした。
油脂でガビガビの髪は元の色が分からない程赤黒く、弱々しく震える体は細く不健康的で、この世の誰よりも美しさとは程遠い存在であった。 それ以上に…
「…やさしく、ころして。」
その淀み切った瑠璃色の瞳が揺れ動く。元より潰れ腐りつつある片目は汚らしく、 今此処で命尽きようと構わないといった様子は何処までも見窄らしかった。
「するなら…はやく……!」
「そんな事しないさ。君には一旦、うんと幸せになって貰うからね。 」
「…?」
「よいしょっと」
「…!?……!?!?」
スカスカな少女は余りにも軽く、手足を振り回す程度の抵抗も何一つ意味を成さない。
次の題材を、彼女に決めた。
長期に渡って苦痛のみを与えた人間は、最期にどこまでも穏やかな安堵の表情を見せた。生への苦痛が死への恐怖を上回る様子は、中々に美醜な様であった。
限界まで飢餓状態を維持させた人間はカラカラの胃袋を満たすべく、空を喰らおうと口をありえない大きさまで広げ、その人生の幕を引いた。
そういった人間の最後の表情を寸分違わずキャンパスへ描き切る。それが僕の美学であり芸術。薬指身体派スチューデントの僕が一番に愛する芸術の形である。
人間は死の間際、何よりも大きな感情を心の内から解き放つ。その瞬間、その者の歩んで来た人生、感じて来たモノの全てが、そのちっぽけな身体から等身大以上に引き出される。
僕は、その刹那を愛している。
普段は目もくれない面白味の無い人間でも、事切れる瞬間にはまるで宝石のように輝き、見る者全てを魅了し…心まで奪ってしまうのだ。
…確かに身体派という程内臓や筋肉に惹かれた芸術でも、点描派という程描画そのものに焦点を当てた作品という訳でも無い。が…僕の芸術を、同じスチューデント達に古臭いと嘲られ、自らの美学と照らし合わせ中途半端と罵られる筋合いは無い。
だから。同胞達も目を奪われ、脳も焼き切れる様な…最高傑作を僕が描き上げるのだ。
「やだっ…!やめてよ…!……おかあさん!!」
と叫び暴れる少女を風呂へ入れ、傷だらけの身体に染みぬ様優しく洗い、最低限の清潔さを保たせる。
キャンバスへ写すその身体は、綺麗であればあるほど良い。
「そんなの…いらない…!」
と叫ぶ少女に質素だが肌触りの良い衣服を着せ、前の汚い布切れは処分しておいた。
その身体が纏う布はその者の表情へ視線を向ける為の装飾品であり、半端な物は許されない。
「…!!……、…!!!」
とたじろぐ少女へ、裏路地帰りの萎んでいるであろう胃にも負担の少ない食事を振る舞い、最低限の元気さを与える。
今回の題材は空腹ではない。故に、肥えすぎない程度の食事は必須となる。
「…………」
と眠り惚ける少女へ、体を冷やさぬよう毛布を掛ける。何の意味もない抵抗はもうする気にもなれなかったらしく、ベッドへ運んだ瞬間に眠り落ちてしまった。
数刻前の見窄らしい様は何処へやら。今の少女は巣で走り回る純真無垢な子供らと何一つ違い無く、可愛らしい寝顔を見せている。
「……おかあさん……いかないで……」
「へぇ…!」
と思っていれば、少女は悲痛の表情を浮かべ魘され始めた。
どれだけ清潔な身体だろうと、温かな食事だろうと、柔らかい寝具だろうと。その記憶に刻まれた苦痛は取り除けないのだろう。
…美しい。
身体の傷や血飛沫などの薄っぺらい残酷さの誇示ではない。このちっぽけな少女すら苦しめ続ける都市の苦痛を。その表情を。今後これ以上の形で描く事が叶うだろうか。
慣れた手付きでキャンバスに鉛筆、絵の具を用意し、その表情を寸分違わず描いてみせる。
寝具に滴る粘度の高い汗。
比喩表現そのままの青ざめる顔色。
刻み慣れていない眉間の皺。
欠けた右目から辷る、赤黒い涙。
「…ゃ……ぁあぁあ!!!」
「大丈夫だよ。大丈夫。君は今この瞬間、誰よりも美しい存在なのだから。」
悪夢から目覚めそうな少女を何とか繋ぎ止めようと、頭を撫であやそうとする。まだ描き切れて居ないのだ。目覚められては困る。
「…ぁ…ぅ…………すぅ…」
「え?」
筈が、逆に深い眠りへ落ちてしまった。安らかな表情で、僕の腕を抱きながら…それこそ純真無垢な少女の様に。
小筆を置き、ただその顔を眺める。 もう一度あの表情へ戻る事を願って。最後の一筆にかける情熱全てを、その少女へ注ぐように。
…絵の具が、乾いてしまった。
絵の具一滴すら染み込ませないキャンバスの上のような、真っ白な廊下をただ歩いていた。一定の間隔で並んでいるべきであるはずの蛍光灯や扉達は奥へ進むほど不規則的に歪んでいき、どちらが床で天井なのかも分からなくなる。
薬指内部の廊下。扉さえ開けば都市のどこへだって足を運べる特殊な空間。そんな中で 何度も何度も足を移し続けていれば、やがておびただしい数の扉の中からたった一つの道を見つける。
「入って。」
「…ええ、」
久しぶりに袖を通した正装を正し、扉に手を掛けた。
蝋燭一本分程の明かりの中、二回巻きの指輪だけが輝いていた。上へ目線をやれば、頬にいくつもののリング、イヤリング、ネックレス、そして涙形の宝石。 ドーセントのポップ様であった。
それらの装飾品に僕は全く魅力を感じないが、なにせあのドーセント様だ。誰もが魅了されてしまうような芸術を持っているはず…
「マエストロ様からの伝言だよ。貴方はあと一ヶ月以内に成果を出せなければ、スチューデントから降格だって。」
「…、…」
「分かっていたのかな?君の芸術は…ただの過去の産物でしかないって。薬指に貢献も出来ず、駄作を描き続けるなら…いずれその身体も、誰かの染料になるかもね?」
「大丈夫です。いつも通りするだけですから。それでは──」
「それか、薬指の発展に有用な技術を持ってくれば、今の地位は保持させておくって。」
「…………。」
「悲しいねぇ…!苦しいでしょう?私がその苦しみを、分かち合ってあげようか?」
「結構です。では」
その場にそぐわぬ恍惚とした表情に、溢れる涙が気色悪くて仕方が無い。
逃げるように背を向け、扉を乱雑に閉めた。
薬指は、芸術を重んじる指では無かったのか?ドーセント様は、芸術に重きを置いた探求者達では無かったのか?それを技術だ成果だに目を移らせ…それだけ、僕の芸術は芸術足り得ないのだろうか。
…僕の全てを捧げた…最高傑作を描き上げたならば、また認められるのだろうか?
「…!おかえり!!」
「うん、ただいま。」
短い期間で何故か懐いた少女を撫でながら、一つの思案を浮かべた。
彼女の主題は、『宝石』だった。
たった一筋の光を内部で何十何百と乱反射させ、その輝き全てを自身の美としてしまう。元から持ちうる本体の色を、穢れた外皮を剥ぎ捨てる事で最大限研ぎ澄ませ、その物の持つ最高の状態を維持し続ける。
ただ佇むだけのその姿に誰もが心を奪われ、自らの物にすべく争い合うように。死の間際、彼女に与えた全てを吐き出させ、何よりも尊い宝石としてしまう。それを描き上げる事で…彼女の最高の瞬間が、このキャンバスの上で永遠に輝き続ける宝石となるのだ。
…だから、これが最高の筈なんだ。
「………あの「あのね、これかいてみたの。…みてほしい、です…!」
出鼻を挫かれながら、落としていた視線を少女へ向ける。
その手には、一枚の絵画。
モジモジと見せてきたその絵画を、僕は生涯忘れられないのだろう。
そこには、微笑みながら朝食の準備をする僕の姿。一見無愛想な表情のつまらない人間に見えもするが、カーテンの隙間から漏れ出る柔らかい朝日に照らされた半面が明るく映り、味のしない表情を透かす事で裏にある感情を示していた。
「…綺麗だ。」
「うん、うれしい?」
「本当に、本当に綺麗だ…!!写実主義の僕と違い、人物以外に焦点を当て誇張とも取れる程の光が相反する現実と共生せんと顕在し、キャンバス上の僕に存在しない心境を植え付けている。」
「…?えっと、」
ああ、心臓が痛い。
今まで時代遅れとして侮蔑され、自らが上だと示す為見せられてきた芸術作品達。僕はそれらに一切の魅力を感じていなかった。…余りにも、別物だったから。
「印象主義と言うのかな。このサクサクのトーストや薄い膜を被った目玉焼き等は現実に映る物質そのままを描きつつも、日に照らされた面だけがあり得ない程の色彩で満たされている。シュルレアリスムと表現してもいいだろう。」
「おにいさん…?」
比肩する者が現れなかった。同じ分野にて、互いの芸術を認め教え高め合う存在が。どれだけ侮られ、嘲られようと…自らの芸術が一番だと疑っていなかった。
だからこそ保てていたその矜持も、今や。
「只の日常風景だったとしたら、只の現実
の紛い物であったら…面白味も無い風景画として埋もれ、忘れられさえしなかっただろう。」
記憶する価値すらない、そんな芸術とは違う。
目の前の、一人の少女によって描かれた芸術は…死に際などではなく。また特別な瞬間という訳でも無い。なら何故こんなにも美しく映る?何故美しく魅せる事が出来ない?
それは…
「…君達には、何が見えているんだい?」
お前には、一度も見えなかった物。
目に見えるものだけを信じる筈の薬指。しかし、彼らの芸術は見たことも無い怪奇で醜美な色彩で満たされていた。
この都市では、それらが素晴らしい芸術とされるのだろう。
それこそ、盲目のまま僕の刹那的な感動を稚拙に描き写しただけの作品達に、どうすれば魅力を感じ得られるのか。
自己満足こそが芸術か?
虚像崇拝こそが美学か?
現状維持の、独りよがりこそが…僕の求めていた全てなのか?
「あの!!」
小さい両手で僕の両頬を叩きながら、その芸術家は声を張り上げた。
「そんなに!うれしく、なかった…です…か?」
淀んでいた筈の眼球は、やがて澄み切った空色へ。初めは僕を忌み嫌っていたであろう少女は、今や僕の気分一つを気に掛け、涙さえ浮かべている。
「違うんだ…違う。…そうだな…
…僕も絵を描いているんだけどね。あまり上手に出来なくて…君の絵を見て、少し妬いてしま──
「おにいさんも、え、かいてるの?…みてみたい…!です…!!」
「………え?」
今度は僕が躊躇いながら絵を見せる。 なるべく安らかで、赤色の無い僕の絵画を。
期待に満ちたその眼前へ、僕の、絵を。
…なんだ、この…違和感。
「ほら。…どうかな?」
「う〜ん、」
穏やかな表情をした、人間の最期。
死に始める赤血球により頬が青く染まりつつあるが、それでも悪感情を感じさせない表情の朗らかさ。生と死の交差するその瞬間、その人生の結論を付けた表情は、どうしようもなく僕を高揚させたものだ。 描く最中も、描き切った後でさえその気持ちは収まりが利かず、その作品を傑作と疑っていなかった。
…筈が、結局の所凡作として評価を下され、誰の記憶にも残らず、誰もこの感情を知ろうともしなかった。
それがどうだ。僕の作品を観る彼女の表情は真剣そのもので、キャンバスさえ貫きそうな視線をしていた。
「…すっごく、すてきなえ。 」
「…そう…なのかな?」
「うん!でも、ここのいろが…」
そう言い、指を指しながら色彩や影の描き方をレクチャーし始めた少女を、ただ呆然と視界に入れていた。
…これまで。僕の作品を色眼鏡抜きで批評した者が存在しただろうか。
端から貶すつもりで覗き込む者こそ有れど、こんなに目を輝かせて。
「〜〜で、ここはもっとあかるくして…」
宝石みたいだ。
「このひとはいま、どんなきもちなの?」
「…これ以上無い程安心し、眠っている。」
「どうして?」
「この人はずっと眠れなかったんだ。起きている時間が恐ろしくて、苦しくて…だからこそ、もう起きる必要が無くなったこの時。誰よりも大きい安堵を抱えていたんだよ。」
「なら…」
「どうして、ないてるの?」
「…え?」
今一度、自分の絵をまじまじと見つめる。 すると確かに、目元に涙を浮かべていた。
何故?
彼は何も無い退屈な人間だった筈だ。だからこそ生そのものに対した執着も無く、”いっそ死んだ方が楽だ”と知ってからは殺してくれ殺してくれと喚いていた。
それが何だ?最後になって死にたくなかったと?…何故?
「このひとのきもち、わかった?」
「…ごめん、解らない。」
「も〜…それをおにいさんがきめて、かいてあげるんだよ」
「…!」
僕が、決める。
死の間際を鮮明に描くならば、僕の主観を交えた筆などノイズでしか無い。しかし、描き写したのみの芸術か、気持ちを込めた芸術か。どちらが素晴らしい芸術足り得るかなど明白であった。
…なら何故、僕は死に際に拘っていたのか?
「…なんとなく、分かった。」
「うん!がんばって!!」
もう一度、筆を握り直した。
芸術作品としての少女。芸術家としての彼女。
この少女を殺し、僕の最高傑作として描き上げたならば…また彼らに認められるやもしれない。だが、今後彼女以上の理解者が現れるのだろうか?
…唯一無二の宝石が、やけに眩しく輝いて見えた。
例の期限が半分を切り始めた頃。僕は他二人のスチューデント達と共に薬指内の廊下で警護を任されていた。
…が、勿論そんな事はどうでも良く、僕はあの子の事ばかり考え耽っていた。死を題材として来たが故に命を軽んじた事は無くとも、芸術作品として数多の人間を殺して来た。そんな自分が 初めて見せる躊躇に、未だ理解が追い付いていなかったのかもしれない。
だが、今更躊躇っている暇などあるのだろうか? 期限を超過すればスチューデントを降格と言っていたが、直接的な言い方をするならば”処分”が最も正しい表現であろうに。
「いやでも…ん〜…」
「…………」
「…チッ」
上の空のまま警護もしない僕に、残り二人が腹を立て始めていた。勘弁して欲しい。 そもそも僕は戦闘に縁もゆかりも無く、この人一人分の丈槍なんぞ持たされた所で何も出来やしないだろう。
ただ、薬指内部でも居場所の無い僕なんかと同様の仕事を、そしてそれすら真面目に遂行しない僕が煩わしくて仕方が無いのだろう。 一人が大きく足音を立てながら僕へ向かって来ていた。
その時。
音も気配も無く、ある一人の背に影が差した。
この中で一番警戒していた人だったから。それが僕含めた二人では無いことを察した瞬間、誰よりも先にその槍を振りかざしたけれど…
余りにも遅すぎたらしい。何かが蒸発する音と共に、彼は上下ふたつに分かれていた。
その光景に唖然としていた僕を置いて、また一人無謀にもその人物へ向かうけれど…次は首から上が吹っ飛ぶだけだった。
血飛沫すら舞わないその赤く光る武器を強く、強く握るその人物は、ただ立ち尽くす僕へ歩み寄って来る。その鋭い眼光は──
「『赤い…視線…』」
その手にした武器よりも、深く強く赤かった。
もう必要無いと言わんばかりにコツコツと立てる足音は一切留まらず。冷徹に僕の終わりを告げていた。
…死ぬ。
指折り数え切れない程見て来た光景が浮かび、今更芸術品達の表情を思い返していた。
皆も、同じ気持ちだったのかな?
「…教えて欲しい。」
「…………。」
「僕は今、どんな顔をしてますか?」
血なんて比べ物にならない真っ赤な瞳に気圧され、気付けば尻餅までついて…それこそ蛙のように動けなくなっていた僕は、どれだけ惨めな表情をしているだろう?
「…笑っていられる余裕はあるんだな。」
そう言われ自然に口元へ手をやった。するとこれ以上無いほど上がった口角に触れ、初めて自分が笑みを浮かべていることに気が付いた。
心臓が痛い。ハチ切れそうな程高揚している。
自分がどんな感情を抱えているのかを誰よりも近くで感じられ、新たなインスピレーションが湧き出続けている。
彼女の言っていた意味を、今完全に理解した。
表情から感じ得られる物を感情と呼ぶのでは無い。これが、これこそが…!
「見逃してくれないかな?」
「…はぁ」
「描きたいんだ…!この感情を!表面上の表情ではなく…!」
表情は感情の表現器である。当然の事だ。しかし、どれだけ死に際の感情を乗せた表情を描こうと、キャンバス上に残るのはただの薄っぺらい表情のみ。表情から感じ得られる感情を描きたかった僕にとっては、余りにも致命的であった。ただ今は…
最高傑作でなくとも良い。ようやく見えた。薬指内で称賛されず、処分されたとて…今はそれすら眼中に無い。
「その程度の理由で見逃されるならば…それらも、未だ息をしていただろうな。」
「……そっか」
この感情を誰とも共有出来ないのは残念だけれど…それでも、最後の最期に理解出来たならば大した悔いでも無いだろう。
心残りがあるとすれば、あの少女──
私はお兄さんの部屋にて、私は久しぶりに絵を描く事に熱中していた。 元より絵を描くのが好きというのもあるけれど…やっぱり、一番はおにいさんが喜んでくれたから。様子はヘンだったけど…
…結局どうして私を拾ったのかは分からない。ただ、 助けて貰ったならその分くらいは返したい。
おかあさんもきっと、そう言ってくれる。
「…………。」
私とおかあさんは、薬指に保護されて生活していたの。私も、おかあさんも、誰かに襲われたらどうしようもなくて、お金も沢山は持っていないから…指の保護下でもいいから、安全に暮らそうっておかあさんは言ってた。
薬指は絵さえ渡せば助けてくれるって聞いたから、おかあさんは触れたことすらないキャンバスに、持ったこともない筆で必死に絵を描いてた。
そんなおかあさんを手伝いたくて…私も絵を描いてみたの。そしたら…楽しくて。絵を持って外に出てったおかあさんにも気付かずに、ずっと絵を描いてたの。
空も暗くなって、2、3枚描き終わった時、ようやくおかあさんが居ないことに気付いて…私の絵を褒めて欲しくて…その絵を抱えて、おかあさんがいつも行ってる薬指の所まで走ってったら…おかあさん、が…
「ん?コイツどの…あぁ、アイツの餓鬼か。」
「あ…あ…」
「というかその絵…お前が描いたのか?」
「おかあさんは…どこ?」
「…もう少し早けりゃ、そのお母さんも助かったろうにな。」
その言葉が、ずっと離れない。
「だから…おにいさんは、わたしがたすけるんだ。」
ちっぽけな少女一人が、小筆を握り締めながら。固い決意の言葉を吐いた。
その瞬間、前触れも無くドンドンと扉が叩かれる音が響いた。
「ひゃあ!? 」
おにいさん…じゃ、ない。
いつもは鍵で入って来るし、こんな乱暴な事する人でもない。…怖いし、多分おにいさんにも関係ない。バレないよう、ジッと隠れて──
“…もう少し早けりゃ、そのお母さんも…”
「…だめ…!」
あるはずもない。そんな発想に至らなかった訳もないが、その行動でもし大切な人を失ってしまったら?今度こそ耐えられない事を知っていた少女は可能な限り足に力を込め走り出し、取り零した大切なものを取り返すが如く、扉へ手を伸ばした。あれだけ衝撃に耐えていた扉も鍵さえ開けてしまえば容易に傾く物で、勢いよく開かれた扉のその先。とある人物と目が合った。
「あ?コイツにも家族居たのか。」
「…えっ」
いつか見たその服装。絵の具のこびりついたその服装は見間違うこと無く薬指構成員のものであり、瞬間的に少女の脳が働かなくなる。が、その当人はコチラを気にもせず、髪を掴んでいた人物をコッチへ放り投げ去ってしまった。
「ぅ………」
「…おにいさん?」
そう呼ばれる彼は、死んでこそ居なかった。が、目元が包帯で乱雑に巻かれており、明らかに弱っている。そして…
「なんで、このふく…」
先程の人物と同様、薬指を代表せし服装を着こなしていた。着せられたものではないと、考えるまでもなく分かってしまう。
母の仇の来訪。
衰弱した恩人。
その二つの関係性。
未だ情報を処理しきれぬ脳で、少女が取った行動は…
「たす…たすっけなきゃ…」
つい先程決めた、決心に基づく行動であった。
そしてこれから…日にしては短く、時間にしては永すぎる看病が始まったのだった。
「………ぅ………ん、」
目を覚ました。…筈が、その両瞼が開かない。やけに重い両腕で目元に触れるが、ゴワゴワとした布切れに触れるだけだった。
前後の記憶が朧げで、此処が何処かも解らない。一度目元の布を退ける。
「………?」
「…んぅ…なに………えっ」
「その声は──」
「おにいさん!!!」
足元の重みが胴体にまで移動し、すぐ近くで泣きじゃくる声が聞こえる。発生が途切れ途切れかつ潰れている事から、直前まで泣き続け、疲れて眠ってしまったのであろう。
手探りで少女の位置を確認し、優しく頭部を撫でた。
「わふっ、ふふっふへへ…ちょっといたいよ」
「あぁ、ごめんね。何だか目が見えなくて。」
「──!ぁ…ぅぅ…」
もう一度泣き出してしまった少女をなだめ、今現在に至るまでの経緯を話し出すまで、ゆっくりと背を撫で続けた。
…ある日突然、両目を焼き切られた僕が送られてきた事。
食事なぞ出来る訳も無いので、ぬるま湯をひたすらに飲ませていた事。咽る僕を見てまた泣いていた事。
…そんな日々が、一週間も続いた事。
例の期限まで残り一週間。こんな状態の僕を態々待ってくれるかは甚だ疑問だが、未だ何も言及されぬのは、僕の芸術など一々催促する価値も無いという事であろう。
都合が良い。
「それじゃあ…パレットとキャンバスを持って来てくれないかな?」
「…?どうして──」
少女の中で、一抹の疑問がまた芽吹き始めた。いや、疑問と云うよりは…確信。この一週間の間、ただ遣る瀬無さと後悔に押し潰されながら看病を続けていた訳では無かった。
前々から見せていた異常なまでの絵に対する執着。見覚えのある薬指の指定服装。定期的に向かう何処か分からない場所。少女の人生で最も強い衝撃を与えたであろう母の死に通ずる物があるのを、決して見逃しはしなかった。
「…おにいさんは、くすりゆびなの?」
質問。よりも尋問に近い形だった。
目も見えず、栄養失調でマトモに動くことも出来ない木偶の坊。たかがちっぽけな少女であろうとも、今ならどうだって出来る。それを互いに理解していた。それならば…
「…うん、そうだよ。」
「…………。」
「あと一週間。大きな成果を出せなければ、僕はその薬指に殺されるんだ。」
「…えっ」
全て話してしまおう。
何百、何千と座り慣れた木製の椅子に腰を掛け、何万と握った筆を持ち直す。左手のパレットはいつも通り、何処に何の色彩が絞られているかなんて目を瞑っていても分かる。
新品のキャンパスからの布地の匂いが鼻腔をくすぐる。ふと人差し指で撫でてみれば、心地良い感触と音が残った。
「…最高だ。」
「おにいさん、ここがひっせんばけつで、ここにたおるがあって、えっと、えっと…!」
背中に重みを感じる。元は不健康でスカスカだった少女も、今や健康的な一人の少女である事を再確認させる。
…僕が絵を描く事には、それはそれは猛反対された。例の期限について事細かに説明した結果。少女は僕を薬指の被害者と認識したらしく、それならば自分が描いた方が確実だ。と何度も何度も喚いていた。
だが、今更止まれない。 この溢れ出るインスピレーションをどう抑えろと言うのか。 パレットも、キャンバスも、この手にある筆の先さえ見えやしないが、それらは筆を止める理由としては余りにも弱すぎた。
少なくとも、もう表面ばかりを捉える事は無いのだから。
…湿った筆に赤色の絵の具を付け、キャンバス上へ大胆に描き伏せた。次は空色を、次は黄金色を…
喜びも、痛みも、悲しみも、何もかも。 手足や言葉如きでは表し切れ無い感情の表出を、筆に乗せ、色彩に乗せ、何層にも掛けて重ねてゆく。
寸分違わず描き切る事など二度と叶わない。死の間際の表情など、もう見ることさえ出来やしない。だがそれで良かった。
その表情がどんな感情なのか、それを決めるのは自分自身だから。僕が描きたかったモノは、表現器などでは無かったのだから。
幾重にも重ねられた色彩由来の感情、異なる感情がキャンバス上に浮かぶ度、また異なる色彩が生まれ、それは唯一無二の表面となる。
…これを表情と呼ばずして、何と呼ぶのだろう?
「おにいさん、おみず。」
「……あぁ、ありがとうね。」
やがて。その最高傑作は、僕の手…僕らの手によって描き上げられたのだった。
例の期限が最終日へと迫ったその日、 絵の具一滴すら染み込ませないキャンバスの上のような、真っ白な廊下を再び歩いていた。小脇には絵画を抱え、背中には少女を背負い。
当然目の見えぬ僕の行く先を、少女はすぐ近くで指し示してくれていた。
「まっすぐ、まっすぐ…そしたらひだりにまがって… 」
「もうちょっとみぎにいって。そしたら…」
「すとっぷ!すとっぷ!!…あぶなかったぁ…」
少女には中々に負担の大きい役割を担わせていた為、いっその事眼球を義体にしてしまうとも考えたが…この方法で都市中の工房を巡るというのは余りにも非現実的だった。
いつの間にか縮こまり、小声となっていた少女が耳元で囁く。
「…どこにむかってるの?」
「大丈夫。今日はすぐに帰るからね。」
指示も無しに扉へ手を掛ける。
するとほぼ一月ぶりの部屋が姿を表していた。あいも変わらず、妙に艶めかしい声で出迎えて来る。
「…いやぁ、もう一ヶ月も経つんだねぇ…」
ドーセントのポップ様であった。
「今日は例の絵を渡しに来ただけです。」
「あら?てっきり何かの技術でも持って来ると思ったのに…そんなに自信でもあったのかな? 」
「はい。」
「…………。」
面でも食らったのだろうか、僕の絵に視線を向けているのだろうか、急に押し黙ったポップ様の次の返答を待った。
…すると、ポツポツと雫の滴る音が響いた。
「…すごいねぇ…たった一月で…こんなに描けるようになったんだ…」
「…えぇ。」
「これだけ画風が変わったのは…その傷によるもの?それとも、そこの可愛らしい子によるもの?」
「ひっ」
「両方です。どちらが欠けていても、僕はきっと何も見えないままでした。」
「…そっか。じゃあ、私から言えることはもう無いよ。」
そう言うと、弧を描くペンの音が響いた。
今までの斜線を引く無情な音ではない、軽やかな執筆であった。
「これからも、宜しくね?」
「はい。では」
前と同様、手短に返事だけ返し部屋から出る。
扉を閉め、廊下を数十歩歩き、一息ついた後、
…少女と喜びを噛み締め合った。
それからは、いつも通り…とはいかずとも、中々に平凡な日常を送っていた。赤い視線に灼き斬られた傷は軽く脳まで達していたらしく、未来生命保険会社も責任を取りたくないと匙を投げてしまった。ただ、目が見えずとも料理や身の回りの家事は加不足無く行えた為、日常生活を送る分には何の支障も無かった。
外出時は少女が積極的に付いてくれる為、薬指内部にも容易に出入り出来る。お陰で僕も、何一つの気兼ね無く絵を描けるというものだ。
「…う〜ん、もうちょっと…」
ぷらぷらと地に着かない足が空を切る音が、秒針を刻み続ける振子時計の様に感じられ、これからの生涯全てを塗り潰すであろう暗闇を少しの間忘れさせた。
背中合わせで絵を描く彼女の体温を感じながら、僕もまた筆を運ぶ。これ以上無い、幸福な時間。
その中で、たった一つ不満があったんだ。
『僕の最高傑作は、どんなモノなのか。』
ようやく僕の芸術が認められ、処分される危険が無くなったとて、その気持ちは変わらない。僕にとっては、表面上の成果や評価等よりも重要視されるべき大切な事であった。
すぐ真後ろの少女は、一体どんな感情を浮かべられるのか。僕は、その感情をどう定義付けられるのか…
彼女の主題は、『宝石』だった。
観るもの全てを魅了し、狂わせる…そんな存在を夢想し、その少女を定義付けた。
そして、見事その宝石は僕を魅了し、何処までも盲目にさせた。僕の作品の理解者という甘美な輝きで。芸術作品としての少女か、同じ芸術家としての彼女か。そんな目を眩ます程の輝きは、少しの間位は僕を悩ませたかもしれない。
だが…その芸術家に教えられ、粗末な眼球を潰され…それでも尚良く見える様になった今ならば、ハッキリと言える。
どれだけ美しい宝石も、結局はただの石ころであるように。どれだけ素晴らしい芸術家であったとて、芸術作品だったとて…結局は、この等身大の少女が全てなのだ。
その全てを。その者の歩んで来た人生、感じて来たモノの全てを、このキャンバスへ描く事が出来たならば…
それこそが、僕にとっての最高傑作なんじゃないかな?
「…〜〜♪〜〜、〜〜…。」
どれだけ施されようと、恩人であろうと。結局は母を殺した奴らと同じ薬指である彼を見て見ぬ振りした少女には、その間際まで理解出来ないだろう。
すぐ真後ろにいる掛け替えの無い存在こそ、何よりも、憎むべき…
…けれど、それを描き上げると同時に、僕は永遠にこの暗闇へ定住する事を知っていたから。
なら、せめて少女が全てを知るまでは待ってみようと思う。賢い子だから、そう遠くない内に、あの作品達に辿り着くだろうね。
…だから、今だけは。
僕には見えない輝きを放つ宝石の、
体温をただ、感じていたい。
#オリキャラ
#二次創作
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