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「借りるね」
フィオは壁に飾られていた短剣を手に取った。その刃は窓から差し込む月明りを反射し、青白く光っている。
「で、賢者の石ってどう使うの?」
「回路が張り巡らされた瞬間、賢者の石が体内にあればそれでいい。自動的に石が肉体を魔術師らしい形に設計し直す……らしい。私も実例は見たことがない」
「へえ、ありがと。じゃあこれ、持っとくね」
フィオは賢者の石を手にとった。そして短剣を自身の胸に突き立てた。
「…………は?」
流れるように行われた自殺行為に、最初は反応できなかった。剣が抜かれ、フィオの胸元に血が滲む。追い打ちとばかりに、フィオは賢者の石を傷口にねじ込んだ。
フィオは口元に血を滴らせながら、穏やかに笑っている。
「……つまり、これでいい?」
「それ普通、刺す前に訊かないか?」
こんな風に、日常の所作と変わらぬ自然さで死線を越える奴がいるのか? どういう思考だ? まるで追いつける気がしない。
動揺する私を安心させようと思ったのか、フィオが笑いかけてくる。
「……安心してよ、ノクス様。二分の一なんて外さないよ。僕はここで終わらない」
視線が真っ直ぐ私を射抜いた。
迷いがない。
「僕は一生、あなたの傍にいる」
字面だけ見れば、彼女に一目惚れしたあの時から、欲しかった言葉ではある。
だが、これを喜べる奴がいるなら、神経を疑う。
フィオは小さく息を吐き、それから床に仰向けに倒れ込んだ。
「フィオ!」
私は駆け寄り、その身体を抱き上げた。
軽い。折れそうなほどに。覚悟を決めた振る舞いからは想像できないほど、彼女の身体は華奢で脆いと身にしみてわかる。今までよく命を繋いできたものだ。
胸元から広がる血の温度が、やけに現実感を伴っていた。
――深く刺したな。確かに、そうでなければ意味がないが――。
血が止まらない。
このままでは即座に失血死だ。
「……振り回されてばかりだ、私は」
紋に魔力を通す。
傷口の組織を繋ぎ、血管を修復していく。心臓の拍動を支える。
彼女の身体に私の術を通す過程で、小さな変化を感じとれた。
彼女の体内に、微弱な魔力の流れが生まれている。
回路の芽が張り巡らされている。
「……ここから先は二分の一、か」
フィオの意識は戻らない。顔色は蒼白なままだ。
傷はもう、完全に治癒している。
目を覚ますか否かは、拒絶反応の有無で決まる。
私はフィオの額にかかった髪を払った。
「私は、どうすればいい?」
私は今日、十歳近く年下の少女に一目惚れしてしまった。
その少女はゲロをぶちまけ、禁忌の国宝を盗んでいたことを明かした。
彼女は今自殺して、生死の境目にいる。
何だこれ、一夜の出来事にしては情報量が多すぎないか?
「今ここで君が死ねば、私の感情の置き所はどうなる?」
口をついた言葉は、ほとんど泣き言に近い。
それでもどこか滑稽で、笑ってしまいそうな気分にもなる。
相反する気持ちが混ざってグチャグチャだ。私の感情は彼女に破壊されたらしい。
昔、恋とはなんたるかを友人に説かれたことがあった。
恋をしたものは、相手の所作一つ一つに目が離せなくなるという。思考はすべて、その所作の意味するところに囚われる。
恋愛沙汰の世界では、その状態を心奪われると呼ぶらしい。
ただ、恋愛に疎い私でも分かる。
確かに今の私は彼女のこと以外何も考えられないが、心奪われるとは――多分こういうことではない。
「床に寝かせておくわけにもいかないか」
寝室のベッドに運ぶ。
二人でベッドの真ん中で横になる。私は丸まって、彼女を胸の中に抱き寄せる。
たとえ拒絶反応が起きなかった場合でも、今夜中に彼女が目を覚ますことはない。
それでも、朝まで見張っている意味がなくても、彼女を離したくなかった。
『僕は一生、貴方の傍にいる』
脳内でフィオの言葉が何度もこだまする。
「……恋人への遺言にも似ているのは、皮肉だな」
本当に、これが最期の言葉になるのだろうか。
もしそうなれば、このこだまは呪いとなって、私の中で永遠に続くことだろう。
私はきっと、それを受け入れる。彼女がいない世界に身を落とすなら、自分の記憶の反芻でもいいから、何度でも彼女の声を聞いていたい。
私の記憶に残る彼女の声が色あせてしまうことのほうが、よほど恐ろしい。
私はより強い力で、フィオの身体を抱きしめた。
「この先どう転んでも、君はもう私にとって、一生忘れられない女だよ」
せめて君が、呪いにならいことを祈る。
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