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「カサンドラ嬢」
凛とした声が響いた。リディアは床に座ったままに振り返ると、そこにいたのは兄のディオンだった。
「ディオン様~!」
カサンドラは猫撫を上げる。
「中々お会い出来なかったので、私寂しかったです」
上目遣いでディオンを見遣り、胸元を寄せる。リディアは眉を顰めた。これで品があると言う彼女が信じられない……言っている事と振る舞いがまるで違う。
「貴女の様な女性から、そんな風に言われるなんて光栄な事ですね」
「ふふ。ディオン様ったら、お恥ずかしいですわ」
褒められ気を良くしたカサンドラは不敵に笑い、リディアに視線を向けてきた。
リディアはというと、ディオンの言葉に戸惑い傷付き俯いた。やはり、噂に違いなく兄は彼女と恋仲にあり好き合っているのだ。何れ二人は結婚をするのだろう……。
「だが、俺が貴女と会う謂れはない。俺は貴女と会うのはこれで二回目だし、貴女に関心も無ければ興味も皆無だ。此処の所、貴女との噂を立てられてこっちは迷惑している。噂の出所は敢えてこの場では伏せさせて頂くが、貴女自身が良く分かっているのでは」
穏やかだった雰囲気は一変して急に冷淡となった。
普段とはまた別の意味で厳しい口調のディオンにリディアは驚く。カサンドラを盗み見ると、驚愕し固まっており言葉が出ないようだった。
「折角の機会故、ハッキリさせておく。カサンドラ嬢、俺が貴女と恋仲になる事もましてや結婚するなど有り得ない。この先何があろうが、天地がひっくり返ろうとも可能性は万に一つもない」
ディオンがそう言い切った瞬間、これまで静まり返っていた筈の広間が騒めき出す。
「そうそう、忘れてたよ。君のお父上のゴーダン伯爵。大変な事になってしまったみたいだね」
急に穏やかな口調に戻ったディオンに、カサンドラは「え」と短く声を上げ目を丸くした。
「人身売買……。国で禁止されてるのに彼は子供や女性を騙したり人攫いをし、他国の労働力や売女として売り捌いていたと報告があってね。今頃黒騎士団うちの連中に拘束されている筈だよ。これから取り調べるけど、証拠も全て揃ってるから言い逃れは難しいんじゃないかな。無論爵位は剥奪されると思うし、これから貴女は子爵令嬢どころか、罪人の娘として生きていく事になるから、覚悟した方がいい」
「は? 何よ、それっ……あり得ないっ、そんな事ある筈ないわ‼︎」
「ならそう思っていればいい。だが、どんなに否定しようと喚き散らそうと現実は変わらないけどね」
ディオンの様子から冗談ではないと理解したカサンドラは、放心状態になりその場に崩れ落ちた。後ろにいた女性達は後退り距離を取るとそのまま何処へ散らばって行った。
「さて、帰るよ」
此処でようやくディオンはリディアを見た。ディオンは現れてから今までリディアへは一瞥すらくれず、視界には入れなかった。
本当に久しぶりに兄に会って顔を見た。その瞬間全身の力が抜けてしまった。
「……何してるんだよ。立ちなよ」
急かされるがリディアは立たない。いや立ちたくとも立てない。
「こ、腰が抜けて……無理……」
怒られると思ったが、正直に伝える他ない。頭上からは予想通りため息が聞こえた。だが意外にも怒っている様子はない。
「たく、仕方ないな」
ディオンはリディアの前に膝を折り、手を差し出す。
「ほら、おいで」
呼ぶ声は酷く懐かしく優しいものだった。
唇が震えて返事が出来ないリディアは、ただ両手をディオンへと伸ばした。すると兄は抱き締める様に抱き上げそのまま立ち上がる。
リディアは改めて大広間の人々の視線を一身に浴びているのを感じ、無意識にディオンに抱きつく腕に力が篭る。
強くならなくてはと思った。なのに情けない……。ディオンの顔を見た瞬間、必死に張っていたら虚勢など何処かへ消え去ってしまった。
「リディアの血筋がどうとか、侯爵家に関係がないとか、子爵の血筋だとか、本当の兄妹じゃないと噂するのは構わない」
ディオンは広間中に響く声で話し出す。
「言いたい奴は好きに言えばいい。だが、リディアを侮辱すると言う事は、グリエット家、延いてはグリエット侯爵であり黒騎士団長であるこの俺を侮辱しているのと同義だと思って頂きたい。俺は侮辱されて黙っている程大人しくもなければ、人間ができている訳でもない。それなりの報いは必ず受けさせる。その上で俺を敵に回す覚悟がある者がいるなら、是非に今この場で聞こう」
誰もが黙り込み、誰もがバツが悪そうに視線を逸らした。
ディオンはその様子を確認すると、自身の外套を広げリディアに覆い被せそのままに、何と無しに歩き出す。
まるで大切な宝物でも抱え、それを誰にも見せない様にしているかのよう隠していた。
リディアは外套の下で、久しぶりに感じたディオンの匂いや温もりに安堵し噛み締めた。