こんなことになるなんて、あの時は全く思いもしなかったのに……
「柚葉……」
樹さんの声にハッとして、柊君の顔が私の頭の中から消えた。
「あっ、すみません……」
少しの沈黙。
「確かに、お前は……美人じゃない」
「樹さん、まだ言うんですか? ちょっと……ひどくないですか?」
半分、冗談っぽく笑いながら、でも半分は、リアルに落ち込んだ。
これが私なんだ……
そんなことは、自分でもよくわかってるのに。
「でも……。柚葉は、可愛い」
え……樹さん?
今、何て言った?
私はそれ以上動けなくなり、樹さんも私から5歩分だけ歩いて立ち止まった。
そして、振り返った――
「柚葉、お前は可愛い。だから、もっと自信を持てばいい」
「えっ……」
そんなこと……
可愛いなんて、嘘みたいにイケメンな顔で言わないでよ。
真っ直ぐに私を見る目も、お願いだから、樹さんからそらせて……
吸い込まれそうで、瞬きさえもできない。
「……行くぞ」
ようやく視線を外し、樹さんは前を向いて歩き出した。
どうしよう……
体が熱くてドキドキする。
何とか呼吸を整えようとしても、心臓の鼓動がなかなか治まらない。
横にいる樹さんの顔も、恥ずかしくて全く見れなかった。別に付き合ってるわけでもないのに、なぜこんなにも動揺しているのか、自分でもよくわからない。
やっと駅に着き、切符を買って電車に乗り込んだ。
樹さんは、わざわざ私の最寄り駅まで一緒に来てくれた。
「今日はありがとうございました。また明日、会社で」
「ああ、また明日。あのさ……」
私は、その先の言葉を待った。
「いや、いい。今日はゆっくり休め。明日からもプロジェクト頼む」
改札をくぐって、後ろも振り向かずに帰ってしまった。
樹さんが何を言いかけたのか、知りたい気持ちはあったけど……
彼女でもない私には、しつこく聞くことはできなかった。
ミルクティーを入れ、ホッと一息ついたら、自然に今日のことが思い出された。
本当に、今日は1日、すごく充実した時間を過ごせた。
楽しかったし、ドキドキしたし、笑ったり、喜んだり……
喜怒哀楽が入り乱れた、とても不思議な日になった。
でも……
一緒にいたのは、柊君じゃない。
私のことを、ただ同情してくれてる樹さんだ。
ダメだな、1人になるとすぐに柊君のことが頭に浮かぶ。
良い思い出ばかりが蘇ってきて。
柊君とは別れたんだって、どうしようもないんだって、仕方ないんだって……
何度も自分に言い聞かせてるのに。
今日、結婚式だったこと、柊君は今頃どう感じてるんだろう。
私は、スマートフォンを手に取った。
衣装合わせの時に撮った、世界でたった1枚だけの、柊君と私のウェディングフォト。
見たくないと思いながら、その写真を開いてしまった。
恥ずかしそうに微笑む私が痛々しく思える。
「この綺麗なドレス、もう二度と着ることはないんだ……。柊君……かっこ良過ぎるよ……」
スマートフォンを握りしめたまま、私は顔をテーブルに伏せた。
柊君が、選んでくれたドレス。
それを着て今日、私達は結婚式をするはずだった。
私、これから先、誰かと幸せな結婚ができるのかな?
もう私は……
一生幸せにはなれないような気がした。
2人とも笑顔のこの写真、持ってても仕方ない。
見たらつらくなるだけだ。
悲しいけど……消してしまおう。
削除しますか?
はい、いいえ。
私は、「はい」の文字の上を震える指でクリックした。
これから先、私は柊君との思い出を日記に記すことはできない。
大切だった写真も消した……
なのに、涙だけは、毎日毎日、どんどん作られていく。
泣いても、泣いても、溢れてくる。
いったい、いつになれば柊君のことを全部忘れられるんだろう。いつになったら、私は心から笑えるようになるんだろう。
その答えは、この世界中の誰にもわからない。
また明日から、この苦しみから抜け出せる日が来ることを願うだけの、虚しい毎日が始まる。