可愛い奴

「お前まだいたのかよ、早く帰んじゃねえのか」

影山飛雄は先に部室に戻っていた日向翔陽に声をかける。

「……うん」日向が目を合わさずに答えた。

「どうした？」いつもならしつこいくらいの自主練も今日はあっさり断られた。影山は少し心配になって聞く。

「どうもねえ、もう帰る……」

日向はぼそりと呟き上着を羽織ると、バッグを背負い、そのままゆっくりとした動きで部室を出て行った。

「なんだあいつ、機嫌悪いのか」

残された影山がそう呟くと、隣で着替えている月島が「王様のオーヘーな態度に限界が来たんじゃない？」と嬉しそうに言ってきた。

「るせえ、俺は普通だ」ムカつく野郎だな。今日は俺じゃねえよ。

ふと、さっきまで日向がバッグを置いていた棚に目をやると、日向のマフラーと耳あてが残っていた。

「走って追いかければ、間に合うんじゃない？」

同時に気が付いた様子の月島が、意地の悪い笑顔で言う。

「お前が行けよ」

月島を睨みつけながら言葉を返す。

「やだね、まだ着替えてるから」

影山は、自分の荷物と日向の忘れ物を手に持ち、部室を出る。ビューッと冷たい風が身体を刺した。あまりの寒さに「う…」と小さく声が出る。

影山は階段を足早に降りて、駐輪場に向かう。すると、オレンジ頭が自転車に乗ってちょうど校門を出ようとしているのが見えた。

「おい、クソ日向！！」

校門へと走り出しながら叫ぶが、日向は気づかない。

「ひ、な、た！！」

もう一度名前を叫びながら全速力で校門まで走ると、日向の背中が近づいてくる。あともうちょい。

その時、前を走る日向の自転車がグラリと揺れた。

「あっぶ、ね！」後ろから手を伸ばすが、間に合わない。

自転車は左右に大きく振れた後、右に大きく傾き、あっという間に日向の身体が道に投げ出される。

ガラガラガラガラッ

自転車が大きな音を立てて倒れた。

___

気がつくと頬を地面につけている。全身に感じた衝撃の後は、頬と脚に鋭い痛みを感じ、思わず呻き声を上げた。代わりに、さっきから日向を苦しめていた吐き気が一瞬消え去る。

「日向！」

後ろから声が近づいてくる。

「うぅ……影、山？」

なぜか上手く呂律が回らない。

「なにしてんだよお前、怪我してないか？」

影山が焦ったような声で聞いてくる。ケガ？…ああ、俺自転車から落ちたのか。気がつかなかった……倒れた瞬間のこと、何も覚えてない。

カラカラと音を立てながら、日向の隣で自転車の車輪が回り続ける。背負っていた鞄の中身は道に散らばっていた。

「い、ってえ…」

おそるおそる脚に目を向けると、脛から膝にかけて皮が剥がれて血が出ている。

「ちょっと、見せてみろ」

影山に抱き起こされ、そっと脚を触られる。

「あっ…！イッ…」

「結構擦りむいたな…捻挫とかしてねえか？」

「ハァ…ハァ…たぶん大丈夫。動か…せる…から…」

やばい、血みたら、また気持ち悪くなってきた。支られているのに、頭が後ろに強く引っ張られるような感覚に苦しむ。

「日向？」

そう言って、影山が背中をさすってくれたのが分かる。

上下に動く手のひらに合わせて、ゆっくりと呼吸をすると少し気持ちが落ち着いてきた。安心したのと同時に、今度は頭の奥がぼんやりとしてくる。

あー目眩が酷い。

だめだ、目開けらんない。

日向は意識を失った。

___

「あっ？おい、日向！日向！」

日向が呼びかけに反応しない。気失うとか、そんなに痛かったのか。

影山は、怪我をした脚に極力触れないようにして日向を抱き上げる。

とりあえず、部室に…運ぶのがいいのか。

「ハァ…ハァ…」目を固く瞑ったままの日向から、荒い息遣いが聞こえる。

擦り切れた頬は赤く血で滲んでいた。

身体が異常に熱い。そうか、こいつ熱あったのか。

影山はさきほどの不機嫌の原因がわかって納得する。

「あっ」

急に日向が腕を伸ばし影山の上半身にしがみつく。

「うっ…痛い、気持ち……悪い……ひっ…うう」

「わっばか、落ちる！」

「ゲホゲホッ、吐く…」

「はっ？待て待て！トイレ寄るから」 影山は部室でなく校舎には入り、一階のトイレに駆け込む。

「ほら、着いたぞ」

「スースー」

日向をみると先程の逼迫感が嘘みたいに寝ている。

影山はなんなんだよと言う気持ちと、ホッとした気持ちが入り乱れて、ため息をつく。

洗面台の鏡にふたりの姿がうつる。眠る日向をお姫様だっこする自分の姿だ。

「なんだこの状況」

影山は思わず笑ってしまう。憎たらしくも、無くてはならない存在であるこの小さな少年を俺は必死に守っている。

あほらしいけど、それがなんだか愛おしくも感じる。

影山は涙で濡れる日向の目の端をぺろりと舐める。しょっぱい。

「ん…」と日向から声が漏れるが気づいていない。

影山はゆっくりとトイレを出ると、優しい表情で日向を見つめ、今度こそ部室へと向かった。

「早く治るといいな。」